灼け落ちた空の下で
一面の、赤。それは、焼け落ちて崩れた鳥居であり、割れた祭りの提灯であり、夜空を焦がす炎であり、そして地面に零れた鉄の色であった。
揺らめく炎は、まるで獲物を狙う火車の舌。生者を地獄に引き摺り込もうと、厭らしく蠢く炎を振り払いながら、一人の女性が駆けて行く。人の体毛が焼ける臭いと、吐き気を催す耐え難い死臭に包まれても尚―彼女は大きく呼吸をして、死に物狂いで走っていた。
女性の脇腹には、石畳の上に咲き乱れたものと同じ、赤い色が滲んでいた。気の触れた同じゼミの学生に、刺されて生じた傷である。
刺傷はそれほど深くない。薄皮と脂肪を、少々切っ先で掻き混ぜられたに過ぎない。しかし、傷は鈍く痛み、彼女の精神は黒々とした憎悪に蝕まれていく。それは神社に立ちこめる黒煙よりさらに黒く、燻され淀んだ夜闇より、一層暗く。
何でもいい―目につくものを破壊したい衝動に駆られ、女は人型の小さな炭素の塊を、力任せに蹴り飛ばした。数時間前まで、元気に走り回っていた、子供の足。今や枯れ枝のように細くなったそれは、ぼろりと折れて地に落ちた。
彼女は都内の名門私立大学の学生であり、この村にはゼミの旅行で訪れていた。そして、最愛の彼氏や友人たちと楽しいひと時を過ごすはずであったのだ。しかし、彼女は今、冷徹で―それでいてどこか人を食ったような―死神に、追われていた。
彼女の剥き出しの背中に迫るのは、赤が支配する世界の中で、唯一蒼いもの。空を焦がし大地を焼く、原初の火の使い。決して朱には混ざらない、異端そのもの。煌々と月を炙る炎は、殆どその魔物が発したものであった。
「邪魔だ、邪魔だ邪魔だ邪魔だ!」
女は地を這う蛆を踏み潰し、屍肉を貪らんと卑しく集まった野犬を蹴散らした。悲鳴を上げて逃げる野犬たちは、一匹、また一匹と炎に巻かれていく。久々に人の肉を味わえる―と涎を垂らしていた彼らも、飛んで火に入る夏の虫。死を以てして、自らの浅慮を悔いることになった。
奥歯が擦り切れる勢いで、女は歯軋りした。そうしなければ気が参ってしまうほど、余裕も時間も残されてはいなかった。
視界の端に、死神が迫る。祭りの風景にそぐわない、蒼い衣を纏った悪魔。それは炎に炙られた風を弾き、燃える屋台の間を、小鳥よりも速く軽快に奔る。
屋台の陰に身を隠した女は、追撃の手が緩まるまで息を殺した。地上を流れる蒼い箒星は目標を見失い、明らかに失速した。
その間、女は屋台から串焼きを一本くすねると、無心でしゃぶりついた。よく火の通った串焼きの中から、じゅわりと滴る赤い汁を舐めとると、空腹も少しは慰められた。
しかし、足りない。これでは、全く足りない。
満たされないまま、終わってしまう。
「追いかけっこは終わり?」
焼けた空から響くのは、凛とした声。追跡者から身を隠してくれるはずの屋根は、炎によって焼け落ちていた。
残りの肉串は、投げ捨てられた。べしゃりと音を立てて、まだ生温かい血の滴るそれが地に落ちる。彼女は殺意と正義感に濁った瞳で、自身を睥睨する青い鳥を睨み返した。
こいつだ。こいつさえ、いなければ。
「火葬の時間だよ、■■―」
私は、皆の仇を討てたのに。