2話 偶然か必然か
「お兄様!」
ある日の夕方、緑豊かな平原のけもの道にて。
年はまだ十を過ぎたぐらいだろうか。美しいブロンドヘアを持つ端正な顔立ちをした兄妹が道の真ん中に立っていた。それら兄妹は二人とも緊張と恐怖を伴った表情を浮かべ、ある一方を見つめている。
その視線の先にはスライム状の魔物が三体。僅か四、五歩の距離というところで対峙していたのだった。
兄妹共にその場には似合わない気品のある格好をしており、兄は子供用に特別に作られたであろうスーツを、妹の方はフリルのついた煌びやかなドレスを身に纏っていた。
まさに上流階級の王族や貴族の子供だろうということははっきりとわかる。
「お兄様、誰か人を、助けを呼びましょう!」
「無理だ、この郊外に人なんていやしない!」
妹よりも少しばかり背の高い兄は、奇麗な碧い瞳を持つ目で睨むように目を魔物に向けていた。兄の目つきとは反対に、同じ瞳の色を持つ妹の方は目に涙を浮かべていた。
そして妹を庇うように前へと出る。手には鉄の長剣を持ち、その切っ先は魔物に向いていた。魔物の背後、けもの道を辿った先に、彼らの住むアストラル王国の城が遥か遠くに小さく見えた。
その間にも魔物達はゆっくりと近づいてきていた。それを見た兄は背後にいる幼い妹に顔だけ向け、笑顔を浮かべ口にする。
「アテナ、大丈夫だ。兄ちゃんがこんな魔物、やっつけてやる!」
そう言ってすぐさま魔物へと視線を戻す。両手で携えた剣を上へ真っ直ぐ立たせ、顔の横へ持っていくようにして構えた。その手は小刻みに震える。そして意を決し雄たけびを上げ、魔物へと走り出した。
「お兄様!」
「お兄様?」
アルティナは途端、目を見開いた。見開いた視線の先に見えたのは木製の天井、そして体に感じる布で包まれた感覚。どうやらベッドに寝ていたらしい。
すぐ横に顔を向けると、椅子に座ったよく知る人物。その人物はきょとんとした表情を顔に浮かべこちらを見ていた。
「おはようございます」
そこにいたのは仲間のフィルだった。服装は普段見る戦闘用のローブではなく、白のワンピースに薄緑のカーディガンを羽織った格好に変わっていた。どうやら看病をしていてくれたらしい。フィルは膝の上で開いていた本を一旦閉じた。
「無事に、アストラルに帰ってこれたのか?・・・ここは、フィルの家か?」
「そうですよ。そういえばアルティナさん、私の家に来るの初めてですよね。いつもはギルドで待ち合わせていますし」
アルティナは少し体を起こしてあたりを見回す。横の窓からは緑豊かな森の景色が広がっており、窓から差し込む夕方の日の光が部屋の中を柔く照らしていた。丸太の壁に囲われた室内には窓が少し開いているためか、部屋には清々しい空気が流れ込む。
部屋には今自身が寝ているベッドと、また彼女が座っている椅子と机、沢山の魔導書らしき本が収納された大きめの本棚。
アルティナは初めて見るフィルの部屋に、彼女らしい部屋だなと思った。
そのうちフィルは手に持つハンカチを自分に差し出してきた。
「アルティナさん、随分うなされていたようですが、お体は大丈夫でしょうか?」
「あぁ、とくに問題はないが」
「アルティナさん、その、目に涙が」
アルティナはその言葉でハンカチを差し出された意味を理解した。目から涙が零れていたのだ。
一言礼を述べ、ハンカチを受け取り頬に伝う涙を拭き取る。
拭き取ったと同時にアルティナは戻る前の状況を思い出し、フィルに慌てて尋ねた。
「そういえば、大蛇と角の生えた鬼の少女は!あのあとどうなったんだ?」
「大蛇?鬼の少女?」
フィルはポカンとした表情を顔に浮かべ、当時の状況を説明する。
「かなりうなされているようでしたし、変な夢でも見たのでは?あのとき、大きな地震が起きて周囲の大木が倒れてアルティナさんの姿が見えなくなってしまったんです。それで慌てて私とクレイドさんはアルティナさんの方へ行ったんです。アルティナさんが木に寄りかかって寝ているところを見つけたときはビックリしちゃいましたけどね」
フィルは少し笑顔を浮かべた。アルティナはさらに問う。
「そこに大蛇も、鬼の少女もいなかったのか?」
「その時に魔物の気配はなかったです。少し違和感があったとすれば、アルティナさんが寝ていたところから少し離れたところに、なにかが地中に埋まっていたかのような大きな穴が開いてたところでしょうか。そのときはその場にいると危険だと思ったので、すぐに離れてしまいましたけど」
「そうか」
その返事を聞いたアルティナにはどうにも納得がいかないようだった。ただ、フィルも冗談や嘘をついているようには見えない。もとより彼女はそのようなことをしない性格だ。
(どういうことだ?大蛇が一瞬で消えたということか?しかし大穴が開いていたのであれば大蛇は本当にいたのだろうが、だとして、なぜ私は助かっているんだ?やはり鬼が・・・?)
理解が追い付かず、アルティナは逡巡する。
難しい顔をして黙り込んでしまったのを見かねたフィルは口を開く。
「そういえばアルティナさんって、お兄様がいらっしゃるのですか?」
不意に投げかけられた質問に、アルティナは思考をやめる。
「なぜ、それを?」
「いやその、起きる直前、お兄様と呟いていらっしゃったので」
アガッ、それを聞いたアルティナは言葉になっていない変な声が喉から漏れた。普段あまり感情を表に出さないアルティナの頬や耳は、みるみるうちに赤く染まっていく。
「そ、そうです!こうして無事に戻ることもできたことですし、よかったらご飯にでも行きませんか?もちろんクレイドさんも」
「そ、そうだな!そうしようか!」
フィルは少し慌てたように提案し、アルティナもそれにすぐさま賛同する。
「そしたら私、早速クレイドさんに伝えてきますね!アルティナさんは準備して待っててください!」
フィルは急ぐように笑顔で部屋から出ていく。残されたアルティナは外に写る森の景色を眺め、夢か現か、存在のわからぬ鬼の童女に思いを馳せるのであった。
「鬼の少女に助けられたあ!?」
クレイドの声が酒場の中で響く。ここ、アルティナらが拠点としているアストラル王国、冒険者ギルド前の酒場にて、アルティナ、フィルが隣同士に、クレイドが対面に座る形で食卓を囲っていた。ギルド前ということでかなりの繁盛で、いかにも冒険者らしい風貌の人々が多数を占めていた。
クレイドが声を上げた途端、付近で飲んでいる周囲の人々は三人に目を向けると少し驚いたような表情を浮かべ、決まって内緒話をするかのように話し出す。どうやらこの三人のパーティーは、かなりの実力派パーティーということで知られているようだった。
「おい、声が大きいぞ」
酒が入っているのか少し頬を赤らめたアルティナは、少しむっとした表情で言い返す。
「わりいわりい、いやまさかアルティナちゃんがそんな冗談みたいなことを言うなんて思わなかったからさ。鬼って伝説とかおとぎ話に出てくるアレだろ?」
クレイドは普段は少しチャラけた性格なのか、アルティナの話を少し揶揄うように反応する。
「本当なんだぞ!これは・・・」
その反応を見たアルティナは、酒が入っているためか普段の彼女であれば冷静に言い返すところ、揶揄われたことに少し怒りを露わにする。
お酒を嗜みながらその二人を見ていたフィルは、まあまあと言い、二人を宥め口を開く。
「確かに私も鬼に助けられたというのは俄かに信じがたいですが・・・。目の前にあった大穴がアルティナさんの言った大蛇の痕跡だとするなら、寝ていたアルティナさんを襲わなかったのも不思議な話です。であれば何者か、その大蛇を追い払った人物はいるのでしょう。ただあの短時間でそれほど大きな魔物を追い払うことが可能なのでしょうか」
クレイドはフィルの分析を聞き、感心したような表情で頷く。
「アルティナちゃんの言うその大蛇、穴の大きさ的にも相当デカい魔物だろうな。追い払うだけでも恐らく、一級冒険者が何人かいないと厳しいだろうな」
「実際、あの大蛇を相手にするには私一人では叶わなかったとも思う」
「まあ、その一級冒険者であるアルティナちゃんが言うならそうだろうな」
クレイドはアルティナの首から下げられた小さなプレート付きのネックレスをちらりと見る。
その親指ほどの大きさのプレートはシルバーの色をしており、表面にはギルド冒険者の証を示すであろう短い文章と一本線の刻印が記されていた。
「それは君たちも同じだろう?」
アルティナは二人の首元から下げられた自身と同じプレートを一瞥する。
そしてクレイドは「そうだったそうだった」と笑いながら言った後、少し表情を硬くし今回のことについて話す。
「それにしても今回の討伐依頼、シャドースネークの討伐だったか。やけに手強かったな」
「そうですよね。本来シャドースネークは四級冒険者からでも倒せる魔物のはずです。今日の戦闘で魔物の活性化がより進んでいるように見えました」
フィルは少し不安げな表情をアルティナ向けた。アルティナは木製のジョッキにあと少し入った酒を飲み干した。そして大事な話があると言い、真剣な眼差しを二人に向け口を開く。
「最近、この地域一帯の魔物が以前よりも活性化し強くなっているのは二人も身をもって知っているだろう。その理由は数千年前か、当時のアストラル王国が封印した龍の復活が近いからだと言われている」
アルティナは少し声音を小さくし、二人に告げた。
「その龍の名は暴虐龍ニズゼルファ。かつて、このアストラル王国と周辺諸国の人々を滅亡の寸前まで追いやった、大厄災を齎した魔物だ」
二人はその突然の話に固唾を飲んで聞いていた。そしてフィルが口を開く。
「暴虐龍ニズゼルファ、この国の歴史を学ぶときに一度は聞く名前ですよね。当時のアストラル王国の王子が一人、激戦の末に封印したとされる・・・」
「ああ、その通りだ。だが、公にされている歴史の話ではな」
その言葉を聞いたフィルはきょとんとした表情を浮かべる。アルティナは話を続ける。
「今のどの歴史書にもアストラル王国の王子が単身ニズゼルファの棲む地へ向かい、壮絶な戦いの果てに封印した、と書かれている。が、アストラル王国が国宝として保有する、数千年にもわたる真の歴史が記された書、アストラル史にはこう記されている」
アストラル王国より生まれし勇者と人の形成せども角を生やした鬼を名乗りし者、龍の棲む地にて、鬼はその力で龍を捻じ伏せし時、勇者は封印の光を放つ。
「鬼、ですか?」
フィルに問われたアルティナは、コクリと頷く。そしてそれを聞いたクレイドも口を挟む。
「鬼って、それが本当なら存在したと言うことか?」
「ああ、そうだと思われる。私は昔、一部解読が進んだ部分だけを読んでいたのだが・・・。この書によるとこの時代、鬼と呼ばれた者がごく少数だが存在し、人々は鬼を敬い、鬼は人々を魔物の脅威から助け、共存しあっていたらしい。だが、鬼はいつからかその姿、存在を消した。しかしなぜ今、人々の間で鬼は異形の化け物、悪の権化として扱われるようになったのかはわかっていないとのことだ」
二人はアルティナの話を聞き、おそらく同様の考えが思い浮かぶ。そして、フィルがその考えを話す。
「その鬼が、アルティナさんを助けた?」
アルティナはまたもゆっくりと頷き、口を開く。
「実際にその書に記された鬼かどうかはわからない。だが、ニズゼルファの封印がじき解かれると言われている今、私の目の前に現れた鬼。なんの因果かはわからないが、私にはこれが偶然とは思えないんだ」
「偶然とは、思えない・・・ちょっと待ってください、そもそもその国宝の書物はどうやってお読みに?もしかしてアルティナさんって」
アルティナは少し間をおき、息を少し吸い込み意を決したかのような表情で呟く。
「・・・王家の血を引く者として」
場所は変わり、アストラル王国の郊外。
もう真っ暗な平原の夜道を、アストラル王国の中心から輝く都市部の光を頼りに、そこへと向かって歩く者が一人。
「やっと人の住む国に辿り着いたぞぉ・・・」
鬼の童女は暫くは退屈しなそうだと嬉しい気持ちを持ちつつも、ヘトヘトな表情を浮かべ、ぼそっと呟くのだった。
もし続きを待っていてくださった方が読んでいるのであれば申し訳ございません。
またゆっくりになるとは思いますが、投稿していきます。
引き続きよろしくお願いいたします。