46 漆黒の神馬と漆黒の狼③ ~五日目
公爵城前庭でマリサは息を凝らし状況を見守っていた。
空は刻々と色を変えていき、シロリンのコートを淡い桃色に染めていた。
体勢を低くし唸る漆黒の狼は、さっきからこちらを睨んだまま微動だにしなかった。
シロリンはと言えば、公爵城の狼犬達と遊んだことを思い出しているのか、敵とは見做していないようだった。
(シロリンが無邪気すぎて心配だし、どんどん空気が冷えてきて、さ、寒い!)
その上、風が出てきて肌を刺すように強く吹き付けてきた。
ライアンの姉、リラの射るような視線と放たれる冷気は真冬のそれだった。ジーンズのスカートとトレーナーの下にシャツを着こんでいてもマリサは震えるほど寒かった。
(あの胸騒ぎは、これだったのかしら。それに、リラ様のあの目、ちょっと気になるな……)
赤銅色に金粉を塗したような瞳は、どこか、人形めいていて血の通っていないような印象すら覚える。話をまともに聞いてもらえそうもない上、マリサの思考は寒さでうまく働かなかった。
「シロリン、帰ろ……」
マリサがそう言いかけた時だった。
「ジェッド!」
リラの声に、ジェッドと呼ばれた漆黒の狼が反応して後ずさっていく。
漆黒の狼を態と差し向けた訳ではないのだろうと考え、ほっとしたマリサは、リラの方へ軽く会釈をしてから、シロリンに目配せして背中を向け歩き出した。
その直後、マリサの進路は神馬の影にすっぽりと遮られた。
(えっ?)
「きゃーっ!」
メイド長のアンナの声が響いたのと、マリサの背中にシロリンが覆いかぶさったのは同時だった。
ズササッ!
「……ギャンッ!」
シロリンが、聞いたことのない声で鳴いた。
「シロリン?」
話しかけても反応がない。
背中にシロリンの鼓動が激しく伝わってくる。
「シロリン、シロリン?」
芝生の上、シロリンの後頭部に下敷きにされて身動きが取れないマリサは、なんとか動く右手で背後のシロリンに手を伸ばした。
(えっ⁉)
「ああっ、マリサ様!」
アンナの悲痛な叫び声が響く。
脇のあたりだろうか、ぬるっとしたものが手に触り、マリサはなんとか顔を横向けて自身の手を見た。
(うそっ……)
手は血で真っ赤に染まっていた。
マリサは咄嗟に祈っていた。
(ああっ、サルース様、女神様方、どうかどうか、シロリンをお助け下さい。お願いします。お願いします、お願いしますっ……)
忽ち、マリサから厳かな白い光のヴェールが生まれ、シロリンを包み込んだ。
繭のような乳白色の膜に包まれたシロリンがゆらゆらと浮かび上がっていく。
「シロリン!」
這いずって見上げたマリサは、繭に縋りついた。
「シロリンー、シロリンーッ……」
繭は淡く点滅しながら揺り籠のように優しく揺れている。
≪ダイジョウブダ、キズハアサイ。カクニンシテミルガヨイ……≫
どこからか、伸びやかで自愛に満ちた女性の声が響いてきた。
女神様だろうかと、マリサは一瞬思うがシロリンが心配でそれどころではない。
繭に手をかざし、
(オープン!)
と念じる。
『S・神獣(進化中) イヌ科・?(幼体) サイズ・? 強さ・S 色・シルバーホワイト&ブルー』
(うええっ、し、神獣? に進化中ってこと???)
「でも、よがったぁ、大丈夫みたい……」
ぐずぐずと泣いている横にアンナがやってきて、自身が纏っていたウールのショールを、マリサにふんわりとかけてくれる。
「マリサ様、ここは冷えますわ。どうぞ、中へお入りになってください」
(駄目よ、ここにいるわけにはいかないわ。こんなに幼気なシロリンに、こんな酷い目に合わせるなんて……、ゆるせないっ!)
キッと鋭い眼差しで振り返ると、うずくまるリラの方へ漆黒の神馬と狼が寄り添っていた。
次いで、駆け付けてきた女性の騎士と思しき人や、侍女らしき人達に支えられ立ち上がりながら、リラはこちらを血走ったような目で凝視した。
ゾクッとマリサの背筋が震えた。
「アンナさん、せっかくのご厚意ですが、ここにはいられませんので、今日はこのまま帰ります。……それから、こちらは、お借りしたお衣装です」
マリサは借りていたリラの騎士服をアイテムボックスから取り出した。
「お洗濯して傷めてしまってはいけませんので、浄化の魔法をかけさせていただきました。汚れやほつれは特にないと思いますが、一度ご確認ください」
「まあまあ、お洗濯などはこちらでいたしますのに。それより、リラ様のこと、申し訳ありません」
深々と頭を下げたアンナは、苦し気に眉間に皺を寄せ、どこか腑に落ちないような風だ。
「こんなことを申し上げるのは、心苦しく、言い訳がましいことではありますが、リラ様は、なんだか、お変わりになってしまったような気がいたします」
マリサ自身も、アンナの話に聞いていた人物とは、どこかずれがあるように感じた。
(ライアン様のお姉様、きっとかっこよくて素敵な方だと思っていたのに……ショックすぎて、駄目だ)
「アンナさん、お世話になりました。どうぞ、お戻りください」
そう言って、ショールを返そうと手にするが、それは差し上げますと、もう一度身体を包みこむように巻いてくれた。
もう一度深々と頭を下げてアンナが戻っていく。
公爵城の前には、見張りの者以外誰もいなくなった。
「ふぅーっ」
どっと疲れが押し寄せてきて、はたと思い出す。
目の前に、シロリンの繭がプカプカ浮いている。
(これ、シロリンを包んだ繭、どうしたらいいんだろう?)
馬車も馬も既にない。このままでは帰れないではないか。マリサは、自分はどれほど間抜けなのだろうと頭を抱えたくなった。
「帰りたいよう……」
繭に抱き着いて、きゅっと目を閉じた瞬間だった。
ふわわん……。
と、身体が一瞬軽くなり、次に目を開けて腰が抜けそうになった。
夕暮れに染まる荒れ地に、一本の実のなる木が生えていて、脇には、こんこんと水の溢れる、誰かさんが掘った井戸があった。
これまで拙作に、ブクマや☆などをポチしてくださった方々、読者の皆様、のんびり更新にお付き合いくださりありがとうございます。
ようやく本拠地?の何もない荒れ地へ戻ってきました。
少しでも楽しんだ頂けたら幸いです。




