氷結辺境伯との出会い
全四話の王道ラブファンタジーです。
「わしのいうことが聞けないのか!」
パアアアンという音と共に怒声が鳴り響き、一人の令嬢がその場に崩れ落ちた。叩かれた頬に片手を添えてうなだれているその令嬢の名前はソフィア。明るいブロンドの長い髪にアメジストの瞳の小柄な女性。彼女はエルガン家の令嬢だが、実の娘ではない。
ソフィアの両親はソフィアが五歳の時に事故で亡くなった。身寄りのないソフィアは父親と同僚であったエルガン子爵に引き取られるが、引き取った理由が「同僚のかわいそうな一人娘を引き取る優しい家柄」という体裁が欲しかっただけで、実際のところソフィアは冷遇されていた。
「あなた、顔はだめだと言ったでしょう。見えるところに傷や痣があると先方に疑われますしこちらの価値も下がりますわよ」
エルガンの妻でありソフィアの義母であるエマはエルガンを見ながら怪訝そうな顔で言った。その言葉に、エルガンは不機嫌そうに舌打ちをしながらソフィアを見た。
「いいか、お前は黙ってシャルフ辺境伯の家に行け。行けば何をすべきかわかる。質問も口答えも許さん!」
「あら、シャルフ辺境伯だなんてお父様、ソフィアがかわいそう」
そう言ったのはエルガン家長女のルシルだ。ソフィアにはルシルの他に義兄がいるが仕事のため家を空けることも多く義兄に会うことは滅多にない。ソフィアはほぼ義父母と義姉と共に過ごし、いつも蔑まれていた。今回も義姉のルシルはかわいそう、と口にしながらもうふふと笑い愉悦に満ちている。
(シャルフ辺境伯……聞いたことがないけれど何がかわいそうなのかしら。どうせ聞いても答えてくださらないしまた叩かれるだけなのだろうけど)
ソフィアはほとんど外と関わりを持たせてもらえず、侍女のような扱いを受けていた。そのため、シャルフ辺境伯のとある恐ろしい噂も知らない。
「……かしこまりました」
ソフィアがその場で静かにお辞儀をすると、義父母と義姉は嬉しそうに笑った。
◇◆◇
「初めまして、ソフィア・エルガンと申します」
「はるばるお越しいただき感謝します。早速ですが、主を診ていただきたいのです。婚約の話はその後で。それではルード様、失礼します」
「あぁ」
(診ていただきたい?それに婚約の話って?)
疑問に思い首を傾げるソフィアをよそに、執事は部屋を後にした。部屋にいるのはソフィアと、フードを深く被っているシャルフ辺境伯の二人だけだ。
「ルード・シャルフだ。こうして来ていただけたこと本当に感謝しかない。急がせるようで申し訳ないが、よろしく頼む」
そう言ってルードはフードを静かに下ろし、右目につけていた黒い眼帯を外した。
(まぁ、なんて綺麗な方なのかしら……!)
サラサラとなびく少し長めの銀色の髪にオッドアイの瞳、白く滑らかな肌で気品のある顔立ち、見目麗しいという言葉がぴったりだ。
(なんて綺麗な瞳……左目は琥珀色で、右目は……まるでアクアマリンのようだわ!)
ルードの瞳をしげしげと見つめるソフィアに、思わずルードは片手で右目を覆う。
「よせ!迂闊にみてはダメだと聞いているだろう、君も氷になってしまうぞ。それとも上級の治癒魔法を扱う人間は大丈夫なのか?」
「氷になる?」
何も知らないソフィアはルードの顔を見てキョトンとし、ルードはその様子を見て驚く。
「ま、まさか君は何も聞かされていないのか?」
「はい、ただこちらに伺うようにと。行けばわかると言われて参りました」
ソフィアの答えにルードは驚愕し、急いでフードを深く被り直してうなだれた。そんなルードの様子が気になり、ソフィアはルードに近寄った。
「シャルフ様、大丈夫ですか?」
「……!やめろ、近寄るな!」
パシっとソフィアの手を弾くシャルフに、ソフィアは驚き悲しそうな顔をする。そんなソフィアを見てルードは傷ついたような顔をした。
「すまない……本当に」
静かに謝ると、ルードはなぜソフィアがシャルフ家に呼ばれたのかを話し始めた。
「俺の右目は見るものを氷に変える。この目は呪われた目だとも新しい力だとも言われているが、どちらにしても世間では恐ろしい目でしかない。この紋様を見てくれ。これが氷の瞳を持つ紛れもない証拠だ」
そう言ってルードは右手首を見せる。そこには黒い魔法陣のような紋様が刻まれていた。その紋様はこの国に古くから言い伝えられており、氷、石、炎、風といずれかの能力一つを発揮して、体に紋様が現れた側の瞳で見た命あるものを氷もしくは石に変え・炎で焼き尽くし・風で切り刻む、と言われている。その紋様の発現は一万人に一人とも百万人に一人とも言われるほど珍しく、詳しいことはわかっていない。
「俺の場合は氷だった。両親は生まれてすぐ右手首の紋様に気づくと、紋様と右側の目を隠した。フードを被せられ、眼帯を付けられなるべく人と会わないように、あっても目を見ないように育てられた。ずっとそうして過ごして来たが、物心ついた頃に所詮は言い伝えだろうと思って眼帯を外し花を見てみたんだ」
すると花は瞬く間に凍り、それをたまたま見ていた侍女が騒いでしまう。その話は瞬く間に広がり、シャルフ家の長男は氷の瞳を持つと有名になってしまった。
「俺の好奇心のせいでこの家は他の貴族からひどい扱いを受けるようになった。俺のせいなのだから俺がなんとかしないといけない。そう思って家を継いでからは必死で家を立て直した。なんとか辺境伯家としての威厳を保てるようになり、両親も安心して隠居している。だが、どうしてもままならないことがある」
ルードは静かにため息をついてから言った。
「結婚相手だ。俺もいい歳だし家のためにもそろそろ結婚をと周りからも口うるさく言われる。だが、こんな氷の瞳を持つ男に嫁ごうなどと思う奇特な令嬢はいない。誰もが怖がり、俺を見ようとはしないんだ。前髪を伸ばし眼帯をして隠していても、いつこの瞳に見られるかと皆怯える。ついたあだ名が氷結辺境伯だ。だったらこの瞳をどうにかするしかない。その方法を必死に探していた時、たまたま君の義父上にお会いしてね。上級の治癒魔法を使える娘がいるから婚約したらどうかと言われたんだ。上級の治癒魔法であればもしかしたらこの瞳も直せるかもしれないと」
この国で上級の治癒魔法を使える者は珍しい。ソフィアの実家は治癒魔法に特化した家柄で、ソフィアも小さい頃から治癒魔法に特化し、誰に教えられるでもなくあっという間に上級魔法まで使えるようになっていた。
だがそんなソフィアを義姉は快く思わず、上級の治癒魔法が使えることでソフィアが自分よりも特別扱いされることを懸念し、魔法を使えることを隠すように言われ続けていた。
だからこそ、ルードの話をソフィアは丸い目をさらに大きく丸くして聞いていた。なるほど、義父があれだけ何も聞くなただ行けばいいと言った理由がわかる。あの義父はソフィアを追い出す名目が欲しかったのだ。
「君の義父上は娘も全て承知の上で嫁ぎたいと言っていると。その言葉を鵜呑みにした俺が馬鹿だった……すまない。君は何も知らされることなくここに来たんだな」
ルードはため息をつき、窓の外を静かに眺めた。フードで顔は隠れているが、きっと落胆の表情をしているのだろう。
「申し訳ありません、私は確かに上級の治癒魔魔法を扱えますが、そのような瞳に対する治癒魔法を知りません。ですからシャルフ様の瞳を治す方法もわからないのです。お役に立てず申し訳ありません」
ソフィアの言葉にルードはしばし無言だったが、おそらくはさらに落胆していたのだろう。少し経ってからルードは静かに口を開いた。
「こちらこそ本当にすまなかった。婚約の話はなかったことにしよう。君の義父上にもキツく言っておくよ。育ての娘とはいえ、何も説明せずこんな風に勝手に婚約の話まで進めるなんて」
「ま、待ってください。義父には何も言わないでください。それに、今帰されたところで私は……」
そう、もうソフィアに帰る場所などない。帰った所で何をしていると叩かれ、今までと同じように侍女のように働かされるのだ、もしかしたら今まで以上にひどい仕打ちを受けるかもしれない。
ルードはふと、ソフィアの頬にうっすらと残る痣のような痕に気がついた。
「まさか君は……そうか、君も辛い思いをして生きているのか」
ソフィアの怯えるような様子を見て、ルードは神妙な面持ちになる。
(この子をあんな義父のいる家に帰すのは忍びない。だからといってどうすれば……)
考えこむルードを見つめながら、ソフィアは静かに口を開いた。
「あの、シャルフ様。もう一度お顔を見せてはくださいませんか?」
「は……?何を言って……言っただろう、俺の右目は見たものを氷にする」
「ですが先ほど私は貴方様のその瞳を見てもなんともありませんでした」
確かに、先ほどソフィアはルードの両目をしげしげと見つめていたが、何も起こらなかった。
「理由はわかりませんが、私はおそらくシャルフ様の目を見てもなんともありません。それを確かめるためにも、もう一度お顔を見せてくださいませんか」
ルードの目の前に立ってそういうソフィアに、ルードは強い気迫を感じる。
(この子は……すごいな、さっきのはまぐれで今度こそ氷になってしまうのかもしれないのに。いや、いっそ氷になってしまいたいとでも?)
そんな考えをしているとしたら馬鹿げている。だがソフィアにはそんな様子は見られない。どのみち帰すこともできない、だとしたら一つの望みに欠けてみるか。
「わかった、君にこの瞳を見せよう」
そう言って、ルードは静かにフードをあげ、ソフィアの顔を見た。その瞳を、ソフィアはじっと見つめる。
(やっぱりとても美しいわ……!こんなに美しい瞳を隠さなければいけないだなんて)
瞳を見つめるソフィアは氷になるどころか何も異常は見られない。
(やはりこの子には俺の氷の瞳は効かないのか。一体なぜだ?それにしてもこの子の瞳も美しいな、まるでアメジストのように透き通るような美しさだ)
ソフィアの美しい瞳を見つめ、ルードはなんとも言えぬ不思議な気持ちになっていた。
「やっぱり何も起こりませんね、それにシャルフ様の瞳はとっても美しいです」
嬉しそうに微笑むソフィアの笑顔はまるでその場一面に花が咲くようで、ルードは思わず胸が高鳴る。
(この胸の高鳴りはなんだ?胸が苦しい、ドキドキして熱い)
「シャルフ様、お願いです。どうかこの家に置かせてはいただけませんか?侍女でも構いません、家事については一通り全てこなすことができます。お恥ずかしい話ですが私にはもう帰る場所がありません。どうかシャルフ様のおそばに置いて、身の回りのお世話をさせてはいただけませんでしょうか」
ソフィアの言葉にルードは驚き、すぐに首を横に振る。その返答にソフィアは悲しい表情をするがすぐにルードは口を開いた。
「君に侍女のような扱いをすることはできない。例え義父上の家ではそうだったとしても、この家で他所様のご令嬢にそんなことはさせられない。君には、そうだな、俺の話し相手になってほしい」
「話し相手?」
「俺は眼帯を外して両目で誰かと話をしたことがない。できないからだ。だが君にはそれができる。それに君は俺を恐れないだろう。他の人間は俺が眼帯をしていてもどこか怯えるようにしている。だが君はそんなそぶりを見せるどころか俺に微笑んでくれた。どうかこの家で俺の話し相手になってくれ」
ルードがそう言うと、ソフィアはまた嬉しそうに微笑んだ。
「もちろんです。ありがとうございます、シャルフ様」
その優しく花が綻ぶようなソフィアの笑顔に、ルードはまた心臓が高鳴るのを感じた。