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【14】



 ファミレスを出ると、外はすっかり夜の帳を降ろしていた。

 また、家に帰るまでに言い訳を用意しなければならない。

 塩澤さんと岡部さんとはファミレスの前で別れ、涼音と二人、静まり返る商店街を歩く。夜の二十一時ともなると、どの店もシャッターを降ろしていて、脇道の奥にひっそりとあるスナックや居酒屋の看板が明るくなっている。賑わっているであろう喧騒も、商店街を歩く僕たちの耳に届くことはない。

 二人の石畳を靴裏で叩く音だけが、アーチ状に囲われた天井に当たってはこだまのように小さく響く。


「世界で私たち二人しかいないみたい」


 ぽつりと、隣を歩く彼女は口にした。


「大袈裟だなぁ」


「でも、どこ見ても私たち以外、誰もいない。今、この瞬間だけは私の世界も、翔琉くんの世界も二人きりなんだよ」


 似た話で馴染みがあるシュレディンガーの猫を思いだした。ちょっと、違うのかもしれないけど。


「ねえ、もし本当に世界で二人だけになっちゃったら、どうする?」


「どうするって言われても、何とか生きていくしかないんじゃないかな」


「もー、そういうつまらない答えは期待してないんだよ。例えばさ、プール一面炭酸飲料で埋めて、これが本当の炭酸風呂とか、服なんて着ない生まれたままの姿で高速道路を自転車で駆け抜けてみるとか」


 彼女は他にもたくさんのくだらないやりたいことを挙げていく。遊園地でかくれんぼとか、ドームのど真ん中で野球のゲームをしたいとか。小学生が思いつきそうなことを、無邪気に重ねた。


「そういうのでいいなら、僕は都会のビルとかに大きな落書きをして回りたいかな」


「おっ、いいじゃんそれ! 私と落書き勝負だね。言っておくけど、私は落書きのプロだからね。いくら翔琉くんが絵上手くても、負ける気は無いよ」


「落書きが誇れるって、案外良い世界かもね」


 珍しく、会話が途切れた。

 僕は元々、自分から話題をつくる人間じゃないから、彼女が口を閉じると必然と沈黙が生まれる。でも、彼女との静寂は苦じゃなくて、むしろ心地よさすら感じる。


「……疲れた」


 物音一つしないから聞き取れた、小さな(かす)れ声。

 彼女にしては珍しい発言だった。とはいえ、時刻は二十一時を回っているし、僕も今日はやたらと疲弊したから同意見だ。

 それでも拭えない違和感に、彼女を打ち見して、思わず足を止めた。歩みを止めない彼女の表情はすぐに見えなくなって、どこか暗い背中が徐々に距離を離す。追いかけるでもなく、僕は立ち尽くした。

 見間違いであったと思いたい。彼女のガラス玉みたいにきらきらとした瞳が、真っ黒に濁っていた。いつも上向きの口角が、直線をなしていた。いつもの溌剌な彼女は、そこには無かった。


「す、涼音?」


 僕の声に彼女は足を止めた。

 アーケードの(ひさし)から差し込む月明りが、彼女をスポットライトのごとく照らす。

 ゆっくりと振り向く彼女。その瞳は月光が乱反射して、まるで宝石のように輝いていた。


「ん? 翔琉くん、どしたの?」


「どうしたのって……」


「あれ? 私、今何か言ったっけ? ごめんね、ちょっとぼーっとしちゃってたかも」


 彼女は思いだすように首をひねる。

 口調も、仕草も、表情も、僕が知る彼女だった。

 心臓の鼓動が、やけにしっかりと聞こえた。額に滲んだ汗は春の夜風を受けて、僕に冷静になれと告げている気がする。多分、僕の気のせいだ。


「僕はもう疲れたよ。早く帰ろう」


「私も今日は超疲れたよ~。夕飯、何かなぁ」


 二度目の〝疲れた〟という言葉は、随分と元気だったから、やっぱりさっきのは気のせいだったのかもしれない。絶妙な暗がりが、そう錯覚させただけ。そりゃ、ずっと笑顔は疲れるに決まってる。


「涼音、さっきファミレスでパスタ食べてなかった?」


「歩いて帰ったらまたお腹すくじゃん」


 店脇に植えられた沈丁花(ジンチョウゲ)の甘い春の香りが、鼻をくすぐる。


「ほら、早く帰ろーよ」


 わざわざ戻ってきて僕の横に立つ彼女とこの匂いが共有できないのが、残念でたまらない。でも、この二人だけの商店街は、きっと彼女の瞳に映るものと一緒のはずだ。


「家まで送っていくよ」


「おっ? もしかして、彼氏ムーブですか?」


「そんなんじゃないよ。夜遅いしさ」


「やっぱ、翔琉くんは優男だね。彼女になる人は羨ましいなあ」


 湿りを添えた彼女の言葉が、家に帰ってから寝るまで忘れられずにいた。

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