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登場車両・登場列車

登場車両


蒸気機関車


D51

 ↓

いわゆる「デゴイチ」

主に貨物列車に用いられた蒸気機関車で、第二次世界大戦中に貨物輸送のため大量生産された。国鉄における所属総数は1,115両と日本の機関車1形式の両数では最大であり、この記録は現在も更新されていない。

現在は、JR東日本ぐんま車両センターに498号機、JR西日本梅小路運転区に200号機が所属し、各種イベント列車で活躍している。


3950「グリーンブリーズ」号

 ↓

1998年にイギリス・ウィルソン社で製造された蒸気機関車。碓氷峠鉄道文化むらの 園内に敷設された軌間610 mm、延長約800 mの周回軌道を運行しているが、軌間610 mmのため、D51等の走る軌間の線路を走る事は不可能である。


電気機関車

 

EF58

 ↓

戦後に激増した旅客輸送需要に対応する直流電気機関車として1946年に登場。根本的には戦前の省形電気機関車由来の設計を強化した旧式システムの機関車ではあったが、改良型は高速運転時の性能に優れ、61号機は皇室専用列車牽引用に製造される等、優等列車の牽引に用いられた。現在は全車両が引退している。

また、5両が現在も完全な形で保存されている。


EF53

 ↓

鉄道省が、EF52形をベースに旅客列車用電気機関車として 1932年から製造した直流用電気機関車。東海道本線で優等列車牽引に用いられ、EF58の登場後は高崎線に活躍の場を移した後、山陽本線のセノハチ区間の補助機関車EF59に改造された。

現在は全車がEF59に改造されたため完全な状態で残るものはないが、EF59 11がEF53 2に外観だけ戻されて、碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。


EF15

国鉄とその前身である運輸省が、1947年から1958年にかけて第二次世界大戦終結直後の輸送需要に対応するために設計された貨物列車牽引用の直流電気機関車。旅客用のEF58形とは台車や電気機器など主要部品が共通化されており、共に事実上の標準型として大量に製作された。


EF30

 ↓

関門トンネル専用機関車として1960年に登場。関門トンネルを走るすべての客車列車・貨物列車を牽引。関門トンネルの海水による錆を防ぐため、ステンレス製の外板を採用している。

現在は後継機EF81及びEH500にその座を譲り引退。

尚、20号機が関門トンネルとは関係無い碓氷峠鉄道文化むらに保存されているが、これは国鉄末期に「SLの京都に対し、電気機関車の博物館を作ろう」と多くの特徴的な電気機関車が配属されていた高崎機関区周辺に計画されていた「高崎電気機関車館」(仮称)の収蔵用として高崎運転所(現、ぐんま車両センター)に集められたものの計画が消滅してしまい、宙に浮いていた車両を碓氷峠鉄道文化むらに保存することになったためである。


EF60

1960年に登場した、平坦路線向けの直流電気機関車。

基本番台が東海道・山陽本線の高速貨物列車、500番台が同区間の寝台特急列車に使用された。1970年代後半からは旧型貨物用電気機関車の置き換えで首都圏の中央本線・高崎線・両毛線等に転出。その後、JR化後は2両が残るも、JR西日本の503号機は1度も運用されず廃車。JR東日本の19号機は主に上越線や信越線などのイベントでの客車列車の牽引や両毛線などの工事臨時列車、高崎周辺の配給列車の牽引などに使用されていたが、2019に廃車となった。

尚、501号機が碓氷峠鉄道文化むらに、123号機が足利駅北口に保存されている。足利駅北口の123号機は、作中の駅前のパン屋のEF15のモデルである。


EF70

1961年登場した国鉄の交流電気機関車。

北陸本線の交流貨物機として1,200 t牽引を目指し、軸配置はB-B-Bで、日本の交流電気機関車としては初のF形となったが、その高性能が仇となり、使用線区が限られる等の不都合が生じ、後に登場したEF81 に取って代わられ末期の本形式は運用効率の悪さから不遇な物となる。

尚、1001号機がEF30と同様の経緯から碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。


EF80

交直両用電気機関車ではEF30に続き、国鉄で2例目となる量産形式で、常磐線系統の客貨列車用として63両が製造された。

1963年の新製配置から1986年の廃車まで、一貫して常磐線を中心に活躍。しかし富山機関区や酒田機関区からEF81の初期・中期車の余剰車が田端区に転配されたことに伴い常磐線の定期運用にもEF81が就くようになり、JR化を前に引退。

尚、63号機が碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。


EF81

 ↓

異なる方式で電化が進捗した日本海縦貫線において、50 Hzおよび60 Hzの交流電化区間と直流電化区間を直通して走行できる電気機関車として、1968年に登場。

初の三電源式交直両用型電気機関車として活躍したが、JR貨物ではEH500やEF510の登場、旅客会社でも客車列車の淘汰により、近年では活躍の場が無くなりつつある。

尚、作中では言及のみで登場シーンは無い。


ディーゼル機関車


DD51

国産技術の集大成として、国鉄によって1962年から1978年にかけて649両が製造された液体式ディーゼル機関車。1 - 53 号機からなる0番代は試作型および初期の量産型で客貨両用。客車暖房用の蒸気発生装置 (SG) を搭載しているが、重連総括制御装置は搭載しておらず、「非重連形」と呼ばれる。

500番台は重連統括制御を搭載し、大量に増備されたため、799号機の次は番号が1001からに飛んでいる。

800番台及び1800番代は蒸気暖房装置(SG)非搭載型。尚、897〜899と1801〜1805はSG搭載準備。

それまでのディーゼル機関車の多くは、輸入車が多い上に故障が頻発。国産化を目指して開発された電気式ディーゼル機関車のDF50も故障の多さに手を焼いていた上、蒸気機関車D51形よりも非力だった。一方で、国鉄は動力近代化計画を進めており、エネルギー効率が低く燃料費がかさむ上、大量の煙のために安全性や快適性に問題がある蒸気機関車を計画的に廃止・淘汰するために、信頼性の高いディーゼル機関車の開発が急がれた。その最中に登場したDD51は、蒸気機関車を一気に淘汰し、四国を除く日本全国で活躍。そのため様々な仕様があった。

尚、北海道配置のDD51には試験塗装機が各種存在した。

貨物列車から寝台特急まで幅広く活躍し、最近では、JR貨物所属機が東日本大震災の最中、緊急燃料輸送列車を牽引して話題となった他、山陽地方の豪雨災害時には山陰本線経由の迂回貨物列車を牽引する等、汎用性に富んだ機関車であったが、現在は、運転列車の設定の消滅やDF200等の新型機関車への置き換え、老朽化などにより本形式はほぼ淘汰されつつあり、JR貨物所属機と、JR北海道所属機は全て廃車となった。

JR東日本には842・895が臨時列車や工事列車の牽引に使用されているが、こちらは事業用気動車GV-E197系の登場により、まもなく引退と言われている。

JR西日本には1109・1183・1191・1192・1193 ・1179・1186・1043が所属し、JR西日本管内で運転される臨時列車や工事列車、交直切替区間や非電化区間を経由する回送車両の牽引、「SLやまぐち号」の補機や非常時牽引機として使用されている。

また、JR北海道所属機の内、1137・1142の2両がタイ国鉄の複線化工事のためにタイの工事会社に引き取られ、工事列車として活躍している他、元JR貨物の823・797の2両がミャンマー国鉄、元JR西日本の1101・1106・1032・1132がタイ及びマレーシアで路線重軌条化工事に使用されている。

尚、作中に登場するDD51は、JR西日本所属機の500番代と思われる。


DD53

 ↓

DD51を基本に、大規模除雪列車であるキマロキ列車の能力をディーゼル化した、強力かつ高速に除雪を行うことができる除雪用ディーゼル機関車。夏場にはDD51と共通運用で営業列車の牽引を行った。

2007年春の団体臨時列車牽引を最後に運用を離脱した。


客車・その他


24系客車

 ↓

1973年からいわゆるブルートレイン車両として、老朽化した20系の置き換えおよび接客設備の向上を目的として製造された寝台客車。1987年の国鉄分割民営化時にはJR北海道に29両、JR東日本に241両、JR西日本に155両、JR九州に119両の合計544両が継承されたが、寝台列車の廃止や車両の老朽化などから廃車が進行しJR北海道・JR九州・JR西日本の車両は全車廃車。現在ではJR東日本に3両が保留車として在籍している。また、廃車された車両の一部が、列車ホテル・展示用・ラウンジ(休憩所)・レストランとして保存されている。


オロネ25

1976年に製造された個室寝台車である。1人用個室を14室備え、各部屋ごとにテーブル兼洗面台を備えている。


オシ24

24系基本形式と同時に製造された食堂車。作中に登場する700番台は、1987年、「あさかぜ1・4号」のグレードアップ改造により登場。北海道直通寝台列車のプロトタイプでもあり、本車のデザインコンセプトが「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」用の食堂車に踏襲されている。

現在も、701が尾久車両センターに保留車として現存している。

 

マイネ40

 ↓

1948年に21両が完成した1等寝台車で、進駐軍専用列車に使用するため、進駐軍の指示により新製されたものの、キャンセルとなったため国鉄が購入し、特急・急行列車に使用した一等寝台車。

在来車に比しても設備のレベルアップは著しく、特に戦後のA寝台車において、広幅のプルマン式寝台を標準化する端緒ともなった。


オハユニ61

1952年から1956年までの間に130両が製造された、3等座席郵便荷物合造車。


スニ30

1932年に25両が製造された荷物車。


ソ300

橋桁架設専用の事業用貨車(操重車)。自走用エンジンを持つが、分類は貨車である。


ヨ3500

1950年から1958年にかけて、登場した事業用貨車(車掌車)。

貨物列車に車掌車を連結する必要がほとんど無くなり、用途を失った後、物置や小屋代用として民間にも大量に払い下げられ、北海道など一部は閑散線区で車体部分が無人駅の代用駅舎などとして利用されている例も多い。



登場列車・バス

  

SLやまぐち号

  ↓

国鉄でのSLによる定期旅客列車の運行が終了した1975年12月14日から3年8か月後の1979年8月1日に、山口線の小郡(新山口)ー津和野間で運行を開始した、蒸気機関車の動態保存列車の緒ともいえる列車。

現在は、C57-1とD51-200が牽引している。

尚、作中には言及のみで登場。


SLパレオエクスプレス

  ↓

秩父鉄道の熊谷ー三峰口間で運行しているSL列車。列車名は1300万年前に絶滅した海獣パレオパラドキシアが秩父地方に生息していたことに因む。

牽引機はC58-363だが、全般検査等の等、稀に秩父鉄道の所有する電気機関車による運転が行われる事もある。

作中で秩父鉄道の電気機関車の列車とあるが、おそらくこのような事例で運行されたものと思われる。



寝台特急「出雲」

  ↓

かつて、東京ー出雲市(浜田)間を結んでいた寝台特急列車。

前身は戦後に大阪ー大社間で運転を開始した準急列車。その後、寝台特急に格上げされ、姉妹列車の「いなば」を吸収して2往復体制になる。

その後、JR化後に1往復が285系寝台電車による「サンライズ出雲」となる。

2006年に、寝台特急「出雲」は廃止されるも、「サンライズ出雲」は「サンライズ瀬戸」と共に現役。



寝台特急「サンライズ瀬戸」

  ↓

東京ー高松間を運行する寝台特急。1997年に前身のブルートレインから285系電車化して運行を開始。東京駅 - 岡山駅間では「サンライズ出雲」と併結して運転されており、併結区間の列車番号は同一となっている。また、2016年に「カシオペア」「はまなす」が廃止されたことにより、「サンライズ出雲」と共にJR線で残り2列車の定期運行を行う寝台特急列車となった。



ハローブリッジ号

東京都と香川県を結ぶ高速バス路線の愛称。西東京バスと四国高速バスの共同運行で、基本的には三菱ふそうエアロエースが使用されるが、多客期の続行便では専用車両ではない貸切車(4列シートで、ほとんどの車両は化粧室なし)が使用される場合もある。


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