第三話 カラーレンジャー 前編 4.動き(5)
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今日の作業を終えて、放課後の教室にはもう誰もいない。教室のあちこちには文化祭で使うものが置いてあって、一人なのに不思議と心が弾む。遠足前の小学生の気持ちに近いのかもしれない。いつもと違う教室は特別な感じがして好きだった。
なんとなく、まだ家に帰りたくなくて、私は教室に残っていた。
浮かれているからか、誰もいなくて気が緩んでいるからか、自然と歌を口ずさんでいた。
“人で溢れた十字路
貴方の姿が見えずに目を閉じる
瞼に浮かぶのは一人だけ”
今までは口ずさむだけだった曲の歌詞が、何故か最近ひっかかる事が多かった。
今日もそうだ。今口からこぼれたのは、ラジオで流れていた曲が気に入ってレンタルショップで借りた曲だった。歌ったばかりの歌詞が頭に残る。
自分が瞳を閉じた時、真っ暗なその先に誰かの姿を想うなんて事があるのだろうか。
歌いながら瞳を閉じる。明るい教室で目を閉じてもそこは真っ暗な闇ではない。
“目を開ければ消えてしまうのに
貴方の瞼の裏に私の姿はあるのでしょうか”
そんな風に、誰かに想われたいなんて、思う日が来るんだろうか。
目を開ける。教室が夕日で赤く染まっていく。自分をその色に染めるように、赤い空気の中に自分の手をかざした。赤い光は手のひらに注いでいくけど、自分も同じ色になったとはどうしても思えなかった。
「誰か待っているのか?」
声を掛けられ、驚き振り返る。教室の後ろの入口に立っていたのは黒沢だった。
「ううん。ちょっとボーッとしてただけ。黒沢は?」
「図書室に行ってた。」
「そっか。」
「まだいるのか?」
「・・・・分かんない。」
「じゃ、居て。」
「・・なんで?」
「今の、もう一回歌って。聴いたら帰る。」
「・・・聴いてたの。」
「聞こえた。緑川の声だったから教室まで戻って来たんだけど。」
「・・そう。」
黒沢は自分の席に座る。と言っても私の席の後ろだから距離が近い。黒沢は私の方を向かずに窓に体を向けた。私も同じ様に窓を向く。
カーテンが風で揺れた。それが落ち着いてから、私は再び小さく口ずさんだ。
先ほどと同じ歌詞の所で目を閉じる。今度ははっきりと瞼の裏に人影があった。
“貴方の瞼の裏に私の姿は見えていますか”
今度は涙が流れる。
自分でもびっくりしていると、横から手が伸びてきた。そちらを向くと黒沢が手で涙を拭いてくれる。
私の目の前にいる黒沢は瞼の裏にいた姿と同じだった。
歌い終わるともう空は赤から柔らかな紫へと変わりつつあった。
「別れの歌?」
「うん。みたいだね。」
「ありがとな。」
「・・・うん。」
「帰ろうぜ。」
「うん。」
とろとろと、優しい空気に甘えたくなる。黒沢はそんな人だ。
私の前を歩く彼の後姿をみる。白いワイシャツに包まれた大きな背中に目が留まった。
(あ、背中。触りたいな・・・・。)
突然触ったら嫌がるよな。
あ、黒沢私に歌わせてくれたんだ。今更ながらそんなことに気付く。
「黒沢。」
「ん?」
「ありがとね。」
ふっと黒沢は声に出さずに笑った。すると何かが暖かいものが私の体を包みこむ。
黒沢が再び前を向き、私の前には彼の背中。
そっか。私は、やっぱり黒沢が好きなんだ。改めてそう思ったのは、許可を取らずに黒沢の背中に触れた時だった。
「何?」
「あ、ごめん。なんでもない。」
「・・・どうした?」
顔が耳まで熱い。きっと、黒沢はそんな私の顔を見ておかしいと思っている。
居た堪れなくなって顔を下げた。
ポンッ、と頭の上に温かいものが乗る。黒沢の手だった。嬉しいのと、困惑と、黒沢の顔が見たくなってそっと顔を上げる。
黒沢は微笑んでいた。
私が少し困った顔をすると、今度は小さく噴出して笑った。私がわざとすねた顔をすると、頭を撫でた手を下ろして私の手を握った。
私はまた顔が熱くなって、その手を握り返した。