第二話 恋愛 8.打ち上げ
夏休み最終日。私は数学の教科書とプリントを持って待ち合わせ先のファミレスへ向かった。課題に関してはやれる所まで必死にやったのだが、結局数学はワケが分からず残ってしまった。
私がファミレスに入ると、奥の席で白田・青山のいつもの顔ぶれが座っており、珍しく先に赤木もいて既に必死に課題に向かっていた。
「赤木早いね。」
「今話しかけないで!マジ必死だから!!」
赤木は私よりも多くの課題が残ってしまったようで、テーブルの上にはプリントやノートが広がっている。その隣の席で青山が問題を教えていた。
私は空いている席に座り、飲み物だけ先に注文する。すると白田が私の出したプリントを見た。
「お、数学だけ?」
「うん。どうしてもできない問題があって。」
「でも4問だけだね。すぐ終わるよ。」
その時、黒沢も顔を出した。
「黒沢こっちこっち。」
黒沢を呼ぶ白田の声に思わず耳が反応する。プリントに落した目をゆっくり上げると、確かに黒沢が居た。
「じゃ、黒沢は緑川の数学係ね。」
「え?白田は?」
「僕は見学。」
白田が何を考えているのか分からないが、その言葉に黒沢は黙って私の隣に座る。
変に意識しないようにしようと思いながらも、返ってそれが逆効果だった。顔を見ることもできなくて、とりあえずプリントに取り掛かる。だけど散々家でやってもできなかった問題が残ってしまっている訳だから、当然できる筈も無い。
私はちらりと黒沢の顔を見た。
「ごめん。今埋まってない問題が、やったけど分からなかったの。」
素直に頭を下げてみる。黒沢は教科書を開いて教えてくれた。
皆の前なのに黒沢の声に、指に集中してしまう。失恋したと思い込んで泣いた前よりも、さらに黒沢に対して意識してしまっている自分がいる。
あれだけ泣いて、諦めようと思って言い聞かせても、結局は駄目だった。でも今はまだ希望がある。だからまだ好きでいていいんだよね?最後に叶う事は無くても、またやり場の無い想いに苦しむ事が無い様に、自分の想いに正直ならなきゃいけない。
それまでには時間が掛かるかもしれないけど、きっと伝えよう。伝えて初めて消化できるものだから。
でも、
(数学に、集中できない・・・・・。)
「結局、桃井来なかったね。」
ファミレスを出て移動中、桃井が顔を出さなかったので隣を歩いていた白田に訊いてみた。
「あぁ。桃井は午前中彼女とデート。」
「え!そうなの?」
すると後ろにいる青山が不思議そうな声を上げる。
「・・白田なんで知ってんの?」
「変なこと想像してない?桃井に聞いたんだよ。」
あ、そっか。
「あ、そうなんだ。彼女にとっても最後の夏休みだもんね。じゃあ今日は来ないの?」
「いや、来るって。」
「え?彼女は?いーの??」
「うん。だから彼女も一緒。」
すると、私よりも先に驚きの声を上げたのは前を歩いていた赤木だった。
「マジで!!」
「うん。」
駅に着くと電車に乗る。私の家とは反対方向だ。皆ICカードのパスで改札をくぐったので、気にしなかったがそういえば今日は何処に行くんだろう。
「ねぇ。訊いてなかったけど何処行くの?」
「桃井の家。」
白田のその言葉にまたもや全員驚く。やっぱり白田は誰にも行き先を連絡してなかったんだ。
「白田って、何でいっつも事前に連絡くれないの?」
「その方が楽しいでしょ?」
「・・・まさか桃井にも言ってない訳じゃないよね?」
「まさか。ちゃんと連絡してあるよ。」
「ならいーけど。」
「桃井の彼女にはね。」
「・・・・・・・。」
「すっげ!デケー!」
と赤木が叫ぶ。
私も驚いた。白田に案内されて着いた家は立派な日本家屋だ。門の柱には『桃井』と書かれた桐の表札があり、門と繋がっている外壁はぐるりと家の周りを囲んでいて、外から中の様子を伺う事ができない。
外壁から上へ出ている松や桜の木を見ると庭も立派なようだ。
白田は慣れた様子でチャイムを鳴らすと、「はーい」という女性の声と共に横開きの門が開けられた。顔を出したのは背の小さな可愛らしい女の子。私達と同じか年下ぐらいの年齢で、ボブのふんわりとした髪に、化粧っ気が無いパッチリとした目をしている。パッツンの前髪が更に彼女の目の大きさを際立たせていた。自然な姿が可愛いほんわかとした空気を持った子だった。
彼女がにこっと笑って私達を出迎える。
「いらっしゃいませ。」
(可愛い・・。)
思わず見とれていると、白田から声が掛かる。
「緑川、入らないの?」
「あ、うん。お邪魔しまーす。」
先頭を歩く白田は先程出迎えてくれた女の子と話しながら家の玄関口へ向かっていた。もしかして知り合いなんだろうか。桃井の家から出てきたと言う事はこの家の人なんだろうけど、桃井とは似ていない。
「すげーな。」
隣で青山が呟くのを聞いて、私は目線を前から庭の方へ移した。門の外から想像した通りお庭が広い。松が庭をぐるりと囲み、桜、楓、藤など季節の木や花が植えられている。池もあって数匹の鯉と亀が飼われていた。鴨もいたが、飼っているのではなく外から入ってきたんだろう。
門から20メートル程先に家屋があって私達はそこから中へお邪魔した。
私達が通されたのは一階の奥の部屋だった。中心に大きな背の低い木のテーブルが置いてある和室で、布団を敷けば十人程は寝れそうな広さだ。壁には掛け軸が架かり、その前には白い花弁の大きな花が生けてある。既に人数分の座布団が敷いてあって、私達は思い思いに空いている所へ座った。
彼女が部屋を出て行くと、私達はこの家を見て驚いた事を全て口にする。
「そう言えばさっきの子は?妹さん?」
「ううん。桃井の彼女。」
「え!!」
更に皆が驚きの声を上げる。じゃあ、何故白田は当然のように知り合いなのだろう。その理由を聞く前に、部屋の襖が開けられた。
「は?」
その声に全員が振り向くと、入口に立っていたのは桃井だった。最初は驚きで声の出ない様子だった桃井は段々と眉間に皺を寄せると、のほほんと座っている白田を睨んだ。
「何だこれ。」
「これって言い方は酷いんじゃない?」
「・・・。花穂。」
「何?」
すると先程私達を部屋まで案内してくれた桃井の彼女が後ろから笑顔で姿を現した。
「お前、知ってたな?」
「うん。知ってたよ。」
これ以上無い程可愛らしい笑顔で花穂、と呼ばれた彼女が言った。それを聞いて桃井はがっくりと肩を落す。
「もういい。お前ら帰れ。」
「えー。せっかく来たのにぃ。」
私が言うと、それに赤木が続く。
「何?お客さんにお茶も出してくんないの?」
突っ立ったまま、桃井は硬い声で言った。
「・・・。つまり、お前ら何なの?」
「知らないよ。私達も今日初めて桃井の家に行くって知ったんだもん。」
「白田・・。お前、今日はどっか外にメシ食いに行くって言ってたよなぁ。」
すると白田はしれっとした顔で答えた。
「いやぁ、せっかく花穂ちゃんが一緒なら、ここの方がいいと思って。」
「つーかなんでお前花穂と連絡取り合ってんの?」
「あれ?知らなかった?僕らメル友なんだよ。ねぇ。」
すると花穂ちゃんも「ねぇ」と返す。とびっきりの笑顔だ。可愛すぎる。この笑顔に桃井もやられたんだろう。こうして桃井と花穂ちゃんが並んでいると正に美少年と美少女のカップルだった。美少年は顔を曇らせているけど。
すると家のチャイムが鳴った。
「あ、頼んでおいたピザが来たみたい。」
そう言って、花穂ちゃんは小走りで玄関へ走っていった。どうやら打ち上げの為の食べ物も全て花穂ちゃんが用意してくれていたらしい。桃井に内緒で。
はぁ、と溜息をついて桃井も花穂ちゃんの後を追った。多分なんだかんだ言いながらも彼女を手伝うのだろう。
まぁ、しかし・・・
「面白い子だね。花穂ちゃんって。超可愛いし。」
「でしょ。」
白田がにっこり笑った。この笑顔が怖い。
「いつから知り合いだったの?」
「うーん。高校入って結構すぐだったと思うけど。彼女も一緒に先生に呼び出されて、生徒会に誘われたんだよ。茶道部辞めたくないからって断わってたけどね。」
「そうなんだ。」
話しているとすぐに桃井と花穂ちゃんが戻ってきて飲み物やピザを持ってきてくれた。皆で開けるのを手伝って準備する。
桃井達も含んだ全員が席に着くと、そこからはお酒もないのに宴会みたいだった。食べて飲んでひたすら喋って。大体は夏休みの思い出と、桃井と花穂ちゃんの話。
話題は二学期の話にもなった。二学期になれば文化祭がある。私は改めて文化祭で茶道部に行くことを宣言しておいた。
「花穂ちゃんは桃井と幼馴染なんだっけ?」
すっかり花穂ちゃんと仲良くなったので、カラオケボックスで桃井に聞いた話を思い出しながら、更につっこんでみる。多分花穂ちゃんは誰とでも仲良くなれる子なのだろう。すんなり私達にも溶け込んでいた。
「そうなの。私小学校の時から、紗代さん、えーと、圭くんのお母さんにお茶習いに来てたの。」
「へぇ。桃井のお母さんってお茶の先生やってる人なんだ。」
「うん。ここのお家にはお茶室もあるんだよ。」
「だから二人とも茶道部なんだね。」
「うん。」
私は青山達と話をしている桃井の様子を伺いながら、小声で聞いてみた。
「・・ちなみに、桃井の何処が良かったの?」
「うーん。可愛いところかなぁ。」
「・・・・。それって見た目の話?」
「ううん。中身の話。」
成る程。花穂ちゃんは多分見た目よりもずっと大人なんだ。多分主導権を握っているのは花穂ちゃんなんだろう。
「桃井って花穂ちゃんには勝てなそうだよね。」
「ふふっ。そんなことないよ。」
これは駄目だな。でも二人並んだ時の雰囲気は自然なものだった。もうお互いに隣に居て当たり前の存在なんだろう。
(良いなぁ・・・。)
「緑川さんは?」
「え?・・・何が?」
「彼氏いないの?」
「いないよ。」
「そうなんだ。」
花穂ちゃんは周りをぐるっと見回す。そしてにっこり笑った。
ちょっと待ってよ。何その笑顔。先程までは見とれていたその微笑みも、今はなんだか恐ろしい。まさか一度見ただけで何かもかも見抜いてしまうなんて事はないよね・・・。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない。」
聞きたいくないけど、言ってくれないのもそれはそれで怖い。
「そういえば、今日はお家借りて大丈夫だったの?」
「うん。今日は圭くんのご両親夜まで帰ってこないから。」
「それなら、余計に私達は邪魔だったんじゃ・・・。」
思わず口に出してそう言ってしまうと、花穂ちゃんはくすっと笑った。
「圭くんとはいつでも会えるから。」
(可愛すぎる・・・・。)
思わずぎゅっと花穂ちゃんを抱きしめる。こう言う事できるのは正直、女子の特権だと思う。
すると、気付いた桃井が口を挟んできた。
「あ!お前何やってんだよ!」
「だって花穂ちゃん可愛いんだもん。」
「アホか!」
「羨ましい?」
「馬鹿じゃねぇの。」
「あ、そっか。いつもやってるから別に羨ましくはないんだ?」
「黙れ!恩を仇で返しやがって!」
恩とは、多分先日の黒沢への電話の件を言ってるんだろう。
「あの時は奢ってあげたじゃん。あれでチャラだもん。」
「うわっ、ウゼ!」
私達のやり取りを聞きながら、花穂ちゃんはくすくす私の腕の中で笑っている。花穂ちゃんでも嫉妬したりする事あるんだろうか?今度は男子がいない所で色々話をしてみたい。
一通り食べ終えて片付けに入るとすっかり外は夕暮れ時だった。
「じゃ、行きますか。」
白田の言葉に皆立ち上がる。
これからどうするんだろう。「帰るの?」と言う私の言葉に白田はまさか、という顔をした。
「夜はシメ。」
「シメ?」
私が首をかしげると、赤木が「分かった!」と声を上げた。白田がにっこりと笑う。
「はい。じゃあ、行くよー。」
私達は桃井の家を出て、河原へ向かった。
河原に着くとすっかり太陽は沈んでいた。
ここに来るまでの間にスーパーに寄っていたせいもある。私達はお菓子やジュース、そして花火を買い込んでいた。
「なんか、今年の夏休みは花火で始まって花火で終わってる気がする。」
私がそう言うと白田が花火の袋を開けながら、「じゃ、来年は何がいい?」と言った。その言葉に私は笑顔になる。
だって、来年の夏もまた、こうして皆でいられるって事だから。そしてそれを白田も望んでる。そういう事でしょ?
「来年は美味しい物を食べまくる。」
「太るぞ。」
私の言葉にすかさず桃井が突っ込む。もちろん今日は花穂ちゃんも一緒に来ていて、桃井の隣で花火の準備をしていた。
「私、絶対来年の夏には桃井よりも身長高くなってるから。」
「は?んなわけねぇだろ。」
「うちの家系皆背が高いんだから。私も絶対まだ伸びる。」
「・・・・。お前は今後一切カルシウム取るな。」
「やだ。牛乳大好きだもん。」
「絶対お前よりも俺の方が成長する。」
するとにっこりと笑って花穂ちゃんが声を掛けた。
「圭くんのご両親は身長低いよね。」
「・・・お前どっちの味方なの?」
「圭くんは今のままで十分だよ。」
「いや。駄目だ。緑川に見下ろされるなんてあってはならない。」
「大袈裟だなぁ。」
「緑川は黙ってろ。」
花穂ちゃんは絶対Sだ。白田と同じだ。そう思いながら、しばらくは桃井の言う通り黙って二人のやり取りを聞いていた。
すると「ホレ」と赤木に手持ち花火を渡された。
「何ボーッとしてんだよ。」
「あの二人可愛いなーと思って。」
「緑川とは違いすぎるな。」
「うるさいな。赤木も早く彼女つくんなよ。」
「その言葉そっくりそのまま返してやるよ。」
赤木とそんな言い合いをしていると、青山がバケツに水を入れて持ってきてくれた。
「あ、ありがとう。」
「うん。そう言えば、今日花田さんは?声掛けなかったの?」
「誘ったんだけど、今日合コンだって。」
「合コン・・・。緑川も行ったりするの?」
「ううん。詩織がいつでも連れてってくれる、とは言ってくれてるけど。」
「あ、そうなんだ・・。」
何故か赤木が隣で笑っている。それを青山は睨み付けた。
「翔・・。」
「あ、ごめんごめん。」
「おーい!やるぞー!」
桃井の声に、皆が蝋燭の周りに集まって手持ちの花火に火をつける。
皆が輪になって花火を持っている姿は不思議な光景だった。花火が綺麗で、その光に照らされている皆の顔は全て笑顔だ。
一つ目の花火が終わると皆思い思いの花火をやりだした。あちこちで様々な光が闇に浮かぶ。沢山の光。それと同じ数の私の仲間。
こんなに沢山の事があった夏休みは初めてだ。浮き沈みが激しかった割に、私の恋は何も進展しなかったけど。
まぁ、楽しいからいっか。
私の持っていた緑と黄色の火花の光が段々と小さくなる。それをバケツに入れて新しい花火を取り出そうとしたが、手持ち花火の入った袋が見つからない。
「これ?」
すると後ろから声が掛かった。振り返ると、私よりずっと大きな身長。
「黒沢・・。」
「ごめん。俺が持ってた。」
「あ、ううん。ありがとう。」
黒沢の顔を見上げると眩暈がしそうだった。
暗くて良かった。声を掛けられただけなのに耳が熱い。突然視覚に入った黒沢は思ったよりも自分の近くにいてびっくりした。手を伸ばせば簡単に手の届く距離。
(痴漢じゃないんだから・・。)
自分の頭の中はどうしてしまったんだろう。こんなの黒沢に知られてしまったら恥ずかしすぎる。
「取らないのか?」
「え、あぁ。」
何を言ったらいいのか分からず、訳の分からない言葉だけが口から出る。逃げ出したい気持ちだけど、傍にいて欲しい。あぁ、もう、よく分かんない。
適当に花火を取ると袋を置いた。蝋燭から花火に火をつける。
「火、貸して。」
「・・うん。」
黒沢が隣に来て私の花火から自分の花火へ火を移す。黒沢の右腕が私の左腕に触れた。
熱い。
熱いのは私?それとも黒沢?
青い光を出す私の花火が、黒沢の花火の赤い光と重なって一瞬紫色になる。それが離れると再び赤と青の光に分かれた。
二人で並んで手元の花火を見る。すると数メートル前の川の方で置き式の大きな花火が光を吹き上げた。金色の光が段々と大きくなる。視界が光で一杯になった。
眩しくて、目を瞑ってしまいそう。どうしてだろう。とっても綺麗なのに涙が出そうになる。
周りを見ると、皆も同じ光を見つめていた。
隣の黒沢を見る。目が合った。
(どうしよう。目が離せない。)
ずっと見てたら変に思われる。でも、体が動かない。
光が段々と小さくなっていく。
(あれ?黒沢も目を離さない。)
光が消えると誰かが動く音がして、はっと私達は顔を背けた。気付けば自分達の手持ちの花火はとっくに終わってしまっている。
(熱い・・・。)
顔も体も全部が。
しばらく痺れた様に体が動かなかった。黒沢も隣で終わってしまった花火を持ったまま立っている。
黒沢も私と同じ?そんな考えは都合良すぎるかな。
「緑川。」
「あ、・・何?」
「次やる?」
「うん・・・。」
黒沢が新しい花火を手渡してくれる。その指に触れたかったけど、その勇気は無かった。触れたらまた体が痺れてしまいそうだから。
全ての花火が終わると私達は、前回河原で花火をした時のように乾杯をした。今回は夏休み最後を祝って。
明日からまた学校が始まる。またこのメンバーと顔を合わせることになる。でも、一学期とは全然違う筈だ。
夏が終わってしまう事はとっても寂しい。けど、二学期も楽しみがあるので惜しむ気持ちはあまり無い。それに皆がいてくれれば絶対に楽しい学校生活になる筈だから。
私の周りには皆がいる。皆笑っている。私も笑っている。
これがずっと続けばいい。心の底からそう思った。
第二話 恋愛 END