第二話 恋愛 4.夏休み(1)
夏休みに入ってすぐバイトを始めた。
個人経営のピザ専門店。短期でもOKだったのと、駅から程よく離れているのでそこに決めた。遠すぎても通うのが大変だけど、近すぎると知り合いが来る確率が多そうなので避けた。
お店のオーナーは夫婦で経営していて、面接の時の雰囲気が良かったのも決めた理由の一つだった。
けど、二週間の研修期間を終えてやっとバイトに慣れた頃、おかしな事が起きた。
「げ。」
「お客様の顔を見たらまず言うべき事があるだろうが。」
お店のドアが開いた時に鳴るベルの音がしたので出迎えると、そこに居たのは桃井だった。思わず顔から笑顔が消えて口元が引きつる。
「・・いらっしゃいませ。」
「スマイル一つ。」
「マックに行って下さい。」
「じゃあ、いらね。」
「早くあっちへ行って下さい。」
「あ、お前ちゃんと案内しろよ。」
「はいはい。」
「『はい』は一回。」
「はーい。」
「伸ばすな。やる気を出せ。」
バイト中にあまり騒ぐわけにも行かず、お客さんらしい桃井を席に案内する。
そういえば、私服の桃井を見るのは初めてだ。デニムにパーカー、インナーはTシャツだろうか。簡単な格好だが流行を取り入れた色使いで、シンプルなシルバーアクセのネックレスをつけている。目が大きく綺麗な顔をしているだけに、ジャニーズなんかのアイドルのようだった。だが、中身はあくまで桃井。
桃井が席に着いた所で、直ぐに聞きたかったことを口にした。
「・・・誰に聞いたの?」
「何の話だ?偶然だろ。」
「青山?」
私は青山以外にここでバイトしている事は話していない。あくまで惚ける桃井に詰め寄ると、なんと背後から言葉が返ってきた。
「へぇ。青山には話してあったんだ。」
振り返ると知っている顔がある。
「・・・なんで白田もいるの。」
「それは質問?それとも感想?」
「質問。」
「だって皆も来るし。」
私は白田の言葉に耳を疑った。だが、聞き間違いじゃない。
「え!皆って誰!?」
「だから皆。」
本来ならお客さんに最初に訊かなくてはならない事を、私はここでやっと訊いた。
「・・何名様ですか?」
「5人です。」
「5・・。全員じゃん!」
「そう言ってんじゃん。」
「・・・帰って下さい。」
「嫌です。」
私が帰りたい。
本当に続々皆が店に来て、最後に現れた黒沢が来た時にはピザが三枚とサラダがテーブルの上に広がっていた。注文を受けたり、料理を運んで彼らのテーブルに行く度に、安くしろだとか、何かサービスしろだとか言ってくる。
「いつまで居るの?」と訊くと、「緑川がバイト終わるまで」と返された。今日は17時上がりだから後30分。彼らが食べ終わるには丁度いい時間だ。
もしかして、バイトの時間も知ってて来てる?答えを聞くのが怖いので、それは訊かずにキッチンへ戻った。
バイトが終わって店を出ようとすると、奥さんがキッチンから顔を出した。
「お疲れ様でしたー。」
「お疲れ様。あ、栞ちゃん。」
「はい。」
「今お店に来てる子達、お友達でしょ?」
「あ、はい。すいません。」
「あら、いいのよ。もし良かったら、デザートサービスしてあげるから一緒に食べて行ったら?」
「え!!いいですよ、そんな。」
「あら、そう?でもねぇ。もううちの人がそのつもりで作っちゃったのよ。勿体無いし食べて行って。」
「そうなんですか?すいません。ありがとうございます。」
私はキッチンのオーナーにもお礼を言って、フロアに戻った。私服のまま奥さんと一緒に6人分のデザートを持って、まだ食べていた彼らの所へ行く。
「お、緑川バイト終了?」
青山が振り返る。するとトレーにのっているムースに気付いた。
「これは?」
「君達栞ちゃんのお友達でしょ。今回だけサービスね。」
「え!」
散々言っても本当にサービスしてくれるとは思っていなかったようだ。皆驚いて直ぐに奥さんにお礼を言った。
私はトレーを下げると、空いている席に着く。そこは黒沢の正面だった。
「それで?なんで皆ここにいるの?」
私は向かいの真ん中に座っている青山を見た。ここでバイトする事はまだ詩織と青山にしか教えていないからだ。
けれど私の質問に答えたのは白田だった。
「僕達この後花火しに河原に行くけど行く?」
「え?」
「予定あった?」
「いや、ないけど。」
「じゃ、決まり。」
「・・・なんで連絡くれなかったの?」
今度はムースを口に運びながら桃井が答える。
「言ったら来るなって言うだろ?」
「当たり前じゃん。」
「だから。」
「ずるい。」
「まぁ、いいじゃん。売り上げ貢献してるんだし。」
赤木はあっと言う間にデザートを食べ終えてそう言った。私は満足そうな顔をしている赤木に釘を刺す。
「もうデザートは出てこないからね。」
「それはいいけど、後食べてないの緑川だけだぞ。」
「え!うそ。」
「早くしろよー。」
「煩いな。ちょっと待ってよ。」
オーナーが作ってくれたのはグレープフルーツのムースだった。甘さがあっさりして酸味が強い。夏にぴったりの味でおいしい。
私も食べ終えて、食器を下げようとすると「栞ちゃんはバイトの時間が終わっているからいいのよ。」と奥さんが全てやってくれた。お店を出る時皆もう一度オーナーと奥さんにお礼を言う。
「ご馳走様でした。」
「ありがとうございました。また来てね。」
「はーい。」
皆嬉しそうに返事をする。私もお礼を言ってお店を出た。
店の前で待っていた青山に私は目付きを厳しくして追及した。
「青山しゃべったでしょ。」
「ごめん。」
「もう。」
「あ、怒ってる?」
「呆れてる。しかも全員で来るし。」
「ごめん。びっくりさせようと思って。」
「したよ。」
「ピザ。すごいおいしかったよ。」
「でしょ。私も好きなの。あそこの料理。」
「一人で来ても、バイトの後遊んでくれる?」
「え?」
その言葉に戸惑う。どういう意味で言ってるんだろう。
答える事ができないでいると、前を歩きだしていた赤木が片手を挙げながら私達を呼んだ。
「おーい!花火買いに行くぞー!」
「あ、うん。」
そのままその話は打ち切られて、少しほっとした私は悪いと思いながらも赤木と並んで歩いた。
スーパーで花火セットと飲み物を買って河原に着く。歩いて20分ぐらいかかったが、皆でダラダラしゃべりながら来たからそれ程遠くにも感じなかった。
川の近くまで降りて、適当に荷物を広げる。辺りは段々暗くなってきて、花火をするには丁度いい時間だった。
皆が花火をどれからやるか話している時に、ふと横を見ると川の中で何かが光る。何だろう、と思って川の方へ行ってみたけど、暗くて正体は分からなかった。
(魚かな?)
川の水ギリギリまで近づいて、覗き込む。
「わっ!」
苔でぬるぬるしている石の上に体重を掛けてしまい、左足がすべって水の中に入ってしまった。夏とはいえ川の水は冷たい。幸い履いていたのはサンダルだったから、そのうち乾くだろう。
私は砂利の上に手をついて体を起こそうとしたが、おかしな体制になっていたから、上手く立ち上がれなかった。
「うわー、緑川ダッセー!」
それを見つけた赤木が叫ぶ。やっぱり見られたか、と思いつつ「うるさい!」と私も叫び返した。すると、青山がこっちに来て手を差し出してくれる。
「大丈夫?」
「うん。ごめん。ありがとう。」
私が汚れていない方の手で握り返すとそのまま引っ張ってくれた。
「あー、濡れた?」
「こっちだけ。」
左足をブラブラさせる。渇いた砂利の上に川の水がポタポタと垂れた。
「何してたの?」
「川になんか見えたから、魚かなっと思って。」
「魚?」
隣で青山も川を見る。だが、何も見つからなかったみたいだ。
「本当に?」
「本当だよ!暗くて見えないけど。」
絶対何か居た、と主張する私に青山は笑って「はいはい」と返してきた。
ふと気がつくと握られた手がそのままになっていた。私の目線がその手に移ると青山も視線を落して慌てて手を離した。
「あ、ごめん。」
「ううん。ありがとう。」