第二話 恋愛 2.メールアドレス(6)
* * *
学校からの帰り。電車の中で携帯を取り出す。
クラスの女友達からメールが来ていて、その返事を打った。
言葉を打つ度にカチカチと軽いボタンの音が鳴る。返信した後に他にもメールをしなきゃいけない子がいるのを思い出して電話帳を見た。携帯画面を下にスクロールして目的の名前を探す。
その時、電車の中だというのに私は思わず声を上げた。
「あ。」
今更、本当に今更なのだが重要な事に気がついたのだ。
私、黒沢のメアド知らない・・。
でも、今更聞くのもおかしくない?もうすぐ夏休みに入ろうとしてる。入学してからもう三ヶ月近く経つのに・・・。
その時、私はもう一つ余計な事に気付いてしまった。もうすぐ夏休み。という事は中間テストもすぐ迫っているという事だ。
「・・・・・。」
急に気が重くなった。
「数学?」
翌日の放課後。一週間後に迫った中間テストに向けて図書室で勉強していると、声をかけられた。
顔を上げると、いつの間にか向かいに黒沢が座っている。彼は私のノートを見たようだ。
鼓動が速くなる。
「・・そ、そう。黒沢もテスト勉強?」
「いや。本探しに来た。」
「さすが。余裕だね。」
「緑川よりはな。」
最近はすっかり見なれた笑顔がのぞく。それだけでなんだか嬉しくて、私も自然に笑顔になる。
「一言余計だよ。もしかして赤木に似てきた?」
「まさか。数学はいいのか?」
「今やってますー。」
私は再びノートに目を落した。
こうしていると、抜き打ちテストの時に勉強を教えて貰った時のようだ。あの時はやけに緊張していたのを覚えてる。今こんな風に黒沢の事を考えてるなんて思ってもみなかった。
それから30分、問題を解いてから教科書を閉じた。
「んー。」
両手を組んで背伸びをする。前にはもう黒沢の姿は無かった。外を見れば夕暮れ時で、もうすぐ図書室を出なくてはいけない時間だ。のろのろと文房具を片付け始める。
「終わったのか?」
びっくりして後ろを振り向いた。するともう帰ってしまったと思っていた黒沢が、数冊の本を持って立っていた。
「まだ居たの?」
「あぁ。いつもこの位の時間までは居るからな。」
「そうなんだ・・。」
「あと10分で閉館時間だぞ。」
「うん。それ、全部借りるの?」
「いや、もう読んだから。借りるのは読み途中のこれだけ。」
そう言って、黒沢は英語のタイトルの本を持ち上げた。そして本の返却の為に棚の方に歩いていく。
どうしよう。待ってた方がいいのかな。でも一緒に帰ろうって言われた訳じゃないし。
ちらちらと黒沢の方を気にしてみる。黒沢はもう返却し終わって、貸出カウンターに居た。私の方はすっかり片付け終わっている。
待ってても迷惑かな。今までこんな事一々気にしなかったのに。
そんな事を考えている間に、黒沢は自分の鞄を持って出口に居た。
「緑川。まだ帰らないのか?」
「あ、帰る。」
声を掛けて貰えた事が予想以上に嬉しくて、耳が熱くなるのを感じた。
慌てて席を立って鞄を掴む。
あれ?黒沢が笑ってる。
「慌てすぎ。」
その一言で顔まで熱くなった。
「数学は順調なのか?」
駅までの道を歩きながら、黒沢にそう訊かれて返答に困った。正直順調とは言えない。
「全然。」
「そうか。」
「でも前の抜き打ちの時よりはマシなはず!」
「はず?」
「そこ聞き返さないでよ。」
「あぁ。ごめん。」
言いながら、隣で黒沢が笑う。夕日でオレンジ色に染まる黒沢の表情はいつもより穏やかに見える。
「もう一週間前だよ?黒沢はいつ勉強してるの?」
「家に帰ったらやってるよ。」
「でも寄り道してたじゃん。18時まで図書室寄って本読んでたら時間勿体無くない?」
「時間があれば図書室寄って帰るの日課なんだ。まぁ、三日前位になったら真っ直ぐ家に帰る。」
「三日前!なんでそんなに余裕なの?」
「中間なんて普段の授業やってればできるだろ?」
「何それ?嫌味?」
「なら授業中寝るなよ。」
「スイマセン。」
「大丈夫か?」
「駄目かも。」
あ、また笑った。
「・・・兄弟いるんだっけ?勉強教えてもらったりしてるのか?」
「ううん。下二人はまぁ無理だし。上は大学生と社会人なんだけど、あんまり家に居ないから。」
「そうか。」
「?もしかして、私すごい心配されてる?」
「あ、いや。そういう訳じゃないけど。」
「?」
「・・・・数学と英語なら、言ってくれれば教えられるし。」
「!」
「・・・。」
「うん。ありがとう。あ、家で勉強してる時って分からない所あっても聞ける人がいないから、連絡してもいい?」
「あぁ。」
お互いに鞄から携帯を取り出す。
やばい。すごい嬉しい。変ににやけた顔にならないよう我慢するのが大変だった。
赤外線で連絡先を交換して、その後電車に乗った。家に帰ってから、メールしようか悩んだけど結局出来なくて、ずっと黒沢のアドレスを眺めていた。