第二話 恋愛 1.女の子(1)
体育祭が終わり、学校はあっという間に通常の雰囲気に戻っていった。
体育祭の練習や準備に追われていた頃の一種の興奮から現実に戻った学生達は、いつもよりも中々勉強に身が入っていかないようだった。
開け放たれた廊下の窓から流れてくる風に、湿気と暑さを感じる。
高校に入学したばっかりだった気がするのに、気がつけばあっという間に夏が近づいていた。
教室へ向かって昼休みの廊下を歩いていると、突然名前を呼ばれた。
その相手は栗色のボブにウェーブが掛かった毛先を右手でいじりながら、私の目の前に立っている。
何処かで会った事のある子だと思ったら、前に私が揉めた三人のうちの一人、早瀬さんだった。
よく見れば目がパッチリと大きく、小さめの身長と色の白い肌。かなり可愛い子だ。
あの時は中心で文句を言ってきた吉村さんしか印象に残らなかったが、彼女は確か他二人の後ろでそれほど文句も言わずにただついて来ていただけだった気がする。
パッと見それ程気も強くなさそうだけど、どうしてあの二人と一緒に居るのだろう。
そんなどうでもいい事を考えていたら、彼女がおどおどと話しかけてきた。
「この前はごめんね。」
「あぁ、もういいよ。」
「あのね、今日はお願いがあってきたんだけど。」
「え?何?」
「えっと、あの。こんな事頼むのは恥ずかしいんだけど・・・」
一瞬私から目を逸らし俯く。私よりも背が低いせいか、見上げるように彼女は私を見る。
「けど、前に緑川さん言ってたでしょ?応援してくれるって。」
「・・・・・・。」
絶句、とは正にこの事だと思う。
私は記憶を掘り返す。確かにあの時、彼らと仲良くしたいなら勝手にすればいい。むしろ応援する。とかそんな言葉を言った気がするけど。まさかあの状況で、本当に頼んでくるなんて・・。
「それで、相手は誰なの?青山?赤木?桃井??」
しかし、早瀬さんは首を振る。
「じゃあ、白田?」
「違うの。あの・・・、黒沢君。」
二度目の絶句。
私は正直今まで黒沢の事を良いと言う子の話を聞いたことが無かった。だからだろう。先ほどよりも動揺しているのは。
何故か嫌な汗が出る。
「緑川さん?」
「あ、ごめん。黒沢が良いなんて珍しいからびっくりしちゃった。」
「えー、そうかなー。私はすっごく良いと思うんだけどぉ。物静かでクールだし。勉強も運動も出来て、体つきもいいしぃ。」
「あぁ、そっか。でも黒沢は私から頼んでもどうなるか分かんないよ。」
「え?全然いいよぉ。最初の話すきっかけさえ作って貰えれば、あとは私自分で頑張るからぁ。」
「・・あ、そう。」
女の子って、強い。
一難去ってまた一難。しかも今度の方が遥かに難題だ。
それから、早瀬さんはちょこちょこ私の所に顔を出すようになった。
意外だったのは彼女が具体的に私に何かをして欲しいと言って来ない事。
会えば必ず黒沢の話にはなるのだが、どちらかと言えば自分の恋愛話を聞いてくれる相手が欲しいだけのような気がする。
その日も放課後に彼女が私のクラスに顔を出したので、そのまま二人で駅まで歩きながら、ちょっとした興味で最初に思い浮かんだ疑問を彼女に聞いてみた。
「どうして吉村さんたちと一緒に居るの?」
「うーん。入学してきてすぐに声かけてくれたの玲子ちゃん達だったし、今更他のグループに入るのも気まずいし。まさか玲子ちゃん達があんな事本気でするとは思わなかったけど、でも怖くて反対できなくて。緑川さんもそうじゃないの?」
「え?」
「綺麗だけど気が強そうだし。ちょっと自己中じゃない?花田さん。」
「・・・・・。」
周りから見ると詩織はそう見えているのだろうか。
確かに自分のやりたいことをはっきりと口に出すタイプだけど、私はむしろそういう所に好感を持っている。
詩織は口に出す分裏でこそこそしたりしないし、怖いとか思ったことは一度も無い。
「緑川さん?」
「・・私は詩織が怖いとは思わないよ。あの性格好きだし。」
「・・・・そう。」
そう言った早瀬さんの表情は少し不満そうだった。
仲間が欲しいと思っていたのかもしれない。
だから、彼女の次の言葉に私は耳を疑った。
「ストラップの事、何か言われた事無い?」
「え?・・・ストラップって?」
「緑川さん達がしているお揃いのストラップ。パンダの。」
「あ、あぁ。これ?」
私は携帯を取り出して、緑色のパンダのストラップを見せた。赤木達とお揃いで買ったものだ。
「そう。それの事、結構嫌がってたみたいだよ。」
「詩織が?」
「うん。やっぱり、他の女の子が好きな男子とお揃いの物持ってるのは嫌なんじゃないかな?」
「あ、・・そっか。」
そんな話は初耳だった。
しかも違うクラスの子まで知っている程、その話が広まっているなんて。
詩織が自分で皆に言ったのだろうか。それとも誰かが面白がって話したのだろうか。
何かとカラーレンジャーのメンバーの事はどこでも話題に上るようなので、それも仕方ないのかもしれない。
でも、本当に気にしてるなら、私に直接言ってくれても・・。
(そんなこと、いくら詩織でもする訳ないか・・。)
手元のストラップを見る。
今の話を聞いたからって外すのはちょっと違う気がする。
それから彼女は黒沢の話しに戻ったが、私の頭には入ってこなくて曖昧に返事を繰り返して、彼女とは駅で別れた。
翌日の朝。私は教室に入ると手元に力を込めて、自分の後ろの席で既に本を読んでいる黒沢に朝の挨拶も忘れて声をかけた。
「黒沢。」
「?」
黒沢は返事をせずに手元の本から目線を上げて私を見る。
「あー、あのさ。前に私がこのストラップ失くした時、見つけてくれたじゃん。これって、どこにあったの?」
黒沢は私の手元の揺れているストラップを一瞥すると、少し言葉を考えているようだった。
「・・なんで?」
「え、あ。別に、ちょっと気になっただけなんだけど・・。」
「・・・・・。教室のゴミ箱。」
「・・・あ、そうなんだ。」
だから黒沢はちょっと言いづらそうだったんだ。
「あぶなーい。じゃあ、あの日に黒沢が見つけてくれなかったら、翌日にはもう捨てられちゃってたかもしれないんだね。ありがとねー。」
変な空気になりそうだったので、私は明るく言い放って、黒沢に背を向け自分の席に付いた。
ゴミ箱、か。
意図的に、誰かが捨てたのかもしれない。
しかもこの教室だったのなら、クラスメイトの可能性は高い。
けど、教室に落ちてたから誰のか分からずに、入れたのかもしれないし。
「・・・・・・。」
いや、このストラップについては赤木がクラスで散々騒いで見せびらかしていたから、クラスメイトの誰かなら、誰の物か分からない筈は無い。
それが捨てられていたって事は、わざとしか考えられない。
わざと?クラスの誰かが?
そこまで考えて、私は再びストラップを見た。
別に、あのメンバーの事を気に入っている女子は詩織だけじゃない。そう決め付けるのは早計だ。
昨日の早瀬さんの言葉が頭に浮かぶ。
詩織がストラップの事を良く思ってなかった。それなら・・・。
自分の考えが嫌になる。その答えを知っても、私はどうしたらいいんだろう。
吉村さん達の時とは違う。
あの時は、相手に嫌われたって関係なかった。だから他クラスの教室にだって一人で乗り込んで行けた。
だけど・・。
まさか詩織に正面向かって、あの時パンダのストラップ盗ったの?なんて聞ける筈が無い。
聞くのが怖かった。
違うならそれでいい。けど、そうだとしたら?
早瀬さんの言う通り、自分の好きな相手と仲の良い女子なんて嫌に決まっている。
だから、・・だから私は詩織の事を疑っているの?
そうじゃないって信じたい。
けど、確かに詩織は私の事を疎ましく思っていても不思議じゃない。
もやもやと胸の中が落ち着かない。嫌な気分だった。