11 婚約を破棄しましょう
私は部屋でポロポロと涙を流した。
これまでは声を上げて泣いたり、ナンシーに慰められたりしていたけれど、ただ1人で声も出さずに泣いた。
人は本当に悲しいと、言葉を失うのかもしれない。
アルベルトはやっぱり私が嫌だったんだ。
迷惑だったんだ。
邪魔だったんだ。
私なんかがどんなに努力したって、アルベルトに釣り合うはずもなかったんだ。
アルベルトと婚約して6年。
幸せだったのは最初の2年間だけだった。
あとの4年間は、アルベルトには常に女性の影があった。
もう私は疲れた。
疲れ果ててしまった。
私はそのまま一晩中泣いた。
そして、明日になったらアルベルトに会いに行こうと決めた。
翌朝、腫れすぎた目蓋をどうにか冷やして落ち着け、私は学園へと向かった。
ナンシーが「その感じは絶対良からぬことを考えていらっしゃいますね。その顔の時のお嬢様が良い選択をしていることはまずありません。何を企んでいるか分かりませんが、とりあえず一度このナンシーに話なさい!」と必死に止めてきたけど、決心を鈍らせたくなくて、ナンシーを振り切り真っ直ぐ生徒会室に向かった。
かつては何度か差し入れをしに入ったことのある生徒会室。
でも最近は全く足を踏み入れていない。
もう、何だか心が折れてしまったから。
授業前のこの時間も、多くの仕事を片付けるためにアルベルトはここに居るはずだ。
コンコンと軽くノックをすると、中から「どうぞ」と声が聞こえた。
この2、3年でグッと低くなったアルベルトの声だ。
私はドアノブを握り、一呼吸置いてから、グッとドアノブを押し下げた。
アルベルトは会長のデスクで何やら書類を書いていた。
すごい速さで何かを書いていて、とても忙しそうだ。
仕事の手を止めるのが悪い気がして、一瞬怯みそうになる。
けれど、グッとお腹に力を入れてもう一度決心を固める。
忙殺されているという割に、デスクはよく片付いている。
それにしても、久々にアルベルトをじっくり見た気がする。
天使のようだった顔立ちは大人っぽくなり、すっかり男性のそれに変わっている。
髪は背中の真ん中あたりだろう長さに伸び、相変わらず一括りにして前に垂らしている。
私は思わず何も言葉を発さずにじっと眺めてしまった。
何も言わない訪問者を不審に思ったのか、アルベルトがふとこちらに視線を向け、目を見開いた。
「リ、リナリア…!?」
アルベルトは余程驚いたのか、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。
私の遥か上にある瞳。
すごく背が伸びた。
過ぎた時間の長さを実感してしまう。
「ごめんね、アルベルト。忙しいだろうけれど…今平気?」
「え、あ、ああ。平気だよ。急にどうしたの?何かあった?」
アルベルトは何だか赤い顔をパタパタと手で扇ぎながら、天使の笑顔で言った。
大人になっても変わらない、大好きだった天使の笑顔。
なんで。
何故今頃になってそんな顔をするのだろう。
これまで見たくても見られなかった、私の大好きな笑顔。
もしかして私が言うことを察して、喜んでいるの?
心の中がぐちゃぐちゃだ。
もう何が何だか分からない。
けれど急に、ふっ、と心が凪いだ。
もう、疲れた。
もう、諦めよう。
涙も昨日で全て枯れ果てた。
私は凪いだ心のまま、言った。
「もう、婚約破棄しよう」
「え…?」
アルベルトが唖然としている。
何を言われたのか分からないという顔だ。
私が気付いてないと思ってた?
私がアルベルトを手放せると思わなかった?
どういう感情か分からない。
けれど、さっきまで赤かった顔は、びっくりするくらい真っ白だ。
「私知ってるの。アルベルトが他に好きな人がいること。キャンベル辺境伯のご令嬢よね。
それに…彼女が初めてじゃない。アルベルトはああいう綺麗なストレートの髪が好きなんだよね?
アルベルトが私のことを好きじゃなくても、婚約者として頑張ろうって思ったけれど、無理みたい。
アルベルトはどうか、自分の好きな人と一緒になって。
でも、シーブルック家から婚約破棄なんてできないから、アルベルトから話して欲しい。
不甲斐ない婚約者でごめんなさい。
どうか、お幸せに」
私は一気に言って、アルベルトの反応も見ずに生徒会室から駆け出した。
もう枯れ果てたと思った涙がまた流れ始める。
ああ、やっぱりまだアルベルトが好きだ。
裏切られても、振り向いて貰えなくても。
けれど、もう諦めるのだ。
こんな顔じゃ授業を受ける訳にもいかない。
私は体調不良を理由にして、学校を休んでしまった。
そして家に帰り、何があったか必死に尋ねるナンシーを部屋から追い出して、一日中泣いたのだった。
やっと冒頭部分に来ました。
夜19時にもあげます!