8:あみあみ新生活(2)
買い物を終えて馬車に戻ると、王子様と出会った。
これ、嘘みたいな本当の話。
「やあ、レオンハルト。『魔』の公爵家の馬車がこんなところにあるから、もしかして、と思ったけど。本当に君だったんだね」
お忍びなのだろうか、王子様は簡素な服装をしている。けれど、きらめくアイスブルーの髪に、高貴な金の瞳は間違いなく王族のもの。顔立ちも整っていて、所作も上品で美しい。
こんなイケメンを間近で見る日が来るとは。フィロメーナはちょっと感動してしまった。
そんな感動に震えるフィロメーナの腕の中から、レオンハルトがひょこっと顔を出す。
「リチャード王子。なんで貴方が護衛もつけずに、こんなところをふらふらしているんですか。早く城へ帰ってください」
「やだなあ、敬語で話すの止めてよ、レオンハルト。今は私的な時間なんだから、普通の言葉遣いにして。それに、王族にだって息抜きは必要だよ……ね、そこのお嬢さんも、そう思うよね?」
急に王子様に話を振られて驚いたフィロメーナは、ぴょこんと飛び上がった。
「はい! 必要だと思います!」
「うんうん、そうだよね。というわけで、馬車に乗せてね!」
「えっ?」
王子様は上機嫌で馬車に乗り込んでしまった。御者のおじさんが目を丸くしてこっちを見てくる。
「……あの王子は言い出したら聞かないんだ。仕方ない、このまま王子を乗せて帰ろう」
良いのだろうか。
これ、王子様の誘拐にならないのか。
「レオンハルト! ほら、早く屋敷に帰ろうよ!」
王子様、満面の笑みで手招きしている。フィロメーナとレオンハルトはお互い微妙な顔をしながら、王子様の待つ馬車に乗り込んだ。
屋敷へと戻る馬車の中、フィロメーナは遠い目をしていた。
(まさかの王子様と公爵令息様の共演です……。うう、居心地が悪い……)
フィロメーナはあまりの恐れ多さに、ただ黙って高貴な二人の会話を聞いていた。その会話の中で、いくつか分かったことがある。
レオンハルトとリチャード王子は、二十三歳で同い年。幼なじみなのだという。
小さな頃から一緒にいただけあって、二人の間には遠慮がないように見える。二人の会話からは、まるで本当の兄弟みたいな仲の良さを感じとれた。
レオンハルトが呪われた姿になってしまった後も、その仲の良い関係は壊れることなく続いているらしい。
「いや、でもレオンハルトが婚約したって聞いた時は驚いたよ。呪われた姿を受け入れる令嬢なんて、今までひとりもいなかったし。だから、どんなひどい女性があてがわれたのかと思ったら……こんな可愛い子だったとは。良かったね、レオンハルト」
「呪いが解けたら解消する予定の婚約だけどな。というより、リチャード王子の方こそ、そろそろ結婚を考えないといけないだろう?」
「あーあー、聞こえなーい」
王子様が両耳を塞いで喚く。レオンハルトが大袈裟にため息をついてみせた。
なんだかこうしていると、普通の青年同士に見えてくる。
――まあ、片方はあみぐるみなんだけど。
「そういえば、フィロメーナちゃんだっけ。レオンハルトのこと、全然恐がらないんだね。あ、レオンハルトに何か変なこととかされてない?」
ぱっと王子様の視線がこちらに向いたので、フィロメーナは動揺した。頭の中が真っ白になる。
「は、え、あの、えっと」
「フィロメーナ、落ち着け。というか、別に答えなくて良い。無視だ、無視」
狼狽するフィロメーナの膝を、レオンハルトがぽんと叩く。優しいあみぐるみの感触に、ほっとしてしまう。
レオンハルトを見つめてにっこりと微笑むと、レオンハルトも安心したようにひとつ頷いた。
「……レオンハルトとフィロメーナちゃん、仲良いんだね」
二人の様子をじっくりと眺めていた王子様がぽつりと零す。その言葉に、フィロメーナの顔が一気に赤く染まった。
「いえ、とんでもないです! レオンハルト様とは出会ったばかりですし、あの、その!」
「フィロメーナ、お、おち、落ち着け! な、なな、仲が良いと言われただけじゃないか!」
「……ぷっ、ははっ! 二人とも慌てすぎだし!」
王子様が、心底楽しそうに笑う。フィロメーナとレオンハルトは揃って下を向いた。
「でも、呪いが解けそうで良かったね、レオンハルト。家族からも見放された君のこと、ずっと心配だった。幸せになってくれることを、僕は祈ってる」
レオンハルトを見つめる王子様の金の瞳は、とても優しい光を湛えていた。
(王子様とレオンハルト様は、本当に仲の良い親友さんなのですね。……でも、『家族から見放された』とは、どういうことなのでしょう……?)
ちらりとレオンハルトの横顔を窺ってみたけれど、その表情はよく分からなかった。
馬車が屋敷に辿り着くと、鎧を着た騎士が派手な音を立てながら、こちらに駆け寄ってきた。
「リチャード王子! もう逃がしませんよ!」
随分と大柄な騎士だ。身長も高いし、横幅もすごい。目つきは鋭く、団子鼻で、口はがばりと大きかった。
怪物のようなその騎士は、馬車の中にいるレオンハルトを見ると嫌そうに顔を歪めた。
「……そこにいるのはレオンハルトか。相変わらず醜い格好だな、本当におぞましい。気高き王子の傍から早く離れろ!」
騎士の怒鳴り声に、フィロメーナは身を縮こまらせる。恐い。
「止めろ、ドドガル。下がれ」
先程までの柔和な表情から一変、王子様が冷ややかに言い放った。
怪物騎士はぐっと言葉に詰まり、そのまますごすごと下がる。
レオンハルトは灰色のフードを深くかぶり、ただじっとしていた。
「ごめん、レオンハルトにフィロメーナちゃん。見つかっちゃったから、今日はここまで。楽しかったよ、またね」
王子様が小声でフィロメーナたちに別れを告げる。それから、ひらりと馬車から降りて、怪物騎士を前に厳しい声を出した。
「これより城へ戻る。護衛せよ」
「はっ」
王子様と怪物騎士は、あっという間に、馬に乗って帰ってしまった。
フィロメーナはしばらくぽかんとしていた。楽しいお買い物が一転、王子様の出現により、意味不明の展開になってしまった。
隣に座っているレオンハルトの顔は、よく見えない。でも、暗く沈んでいるのはなんとなく感じられる。
「あの、レオンハルト様……」
「すまない。あまり気分の良くないものを見せてしまったな。……さっきの騎士は、この王国にある三つの公爵家のうちのひとつ、『武』の公爵家のドドガル。次期騎士団長だ」
レオンハルトはフードを少しずらして、フィロメーナを見上げてくる。黒ボタンの瞳が、薄く光を反射した。
「そろそろ馬車を降りよう。御者もこのままでは困るだろう」
「あ、そうですね……」
フィロメーナはレオンハルトを抱き上げて、馬車を降りた。御者は慌てたように馬車を走らせ、去っていく。
屋敷を囲む森の隙間から見える空は、既に赤く染まっていた。森の影は濃い灰色に沈み、ざわざわと不穏な音を響かせている。思わずぎゅっとレオンハルトを抱き締めたフィロメーナの髪を、少し冷たい風が撫でていった。
その風は、冬がもうすぐそこまで来ている――そんな気配を感じさせる風だった。




