6:婚約者様はあみぐるみ(6)
フィロメーナの兄であるベルヴィードとオルドレードが、二人揃ってぽかんと口を開けた。
「ちょっと待って、フィー。今、なんて言ったの?」
「だから、私はこのお屋敷に残ると言ったのです。その、レオンハルト様の呪いを解くためにも、そうした方が良いと思うので」
朝食の後、フィロメーナは兄たちに向けて宣言をした。ひとり屋敷に残り、呪いを解くために頑張ってみる、と。
もちろん、屋敷に滞在するように勧めてくれたのはレオンハルトだ。
魔導書は基本的に門外不出。まずは魔導書の編み図通りに作品を作らなければならないので、この屋敷で作業をする方が効率が良いのだ。
「……駄目だ。顔も出さない呪われた公爵令息の元になんて、可愛い妹を置いていけない。良いかい、僕の最愛の妹フィー。こんなところにひとり残って、もし襲われたらどうする?」
「襲われる、ですか?」
「そうだよ、フィーは可愛いからね。体を触られたり、夜中に無理矢理ベッドに連れ込まれたりするかもしれないよ。そんなことになったら、僕は、僕は……!」
嘆いているベルヴィードを横目に、フィロメーナは気まずい思いをしていた。
(ベル兄様、ごめんなさい。体を触るのも、ベッドに連れ込むのも、私がレオンハルト様に既にやってしまっています……)
「可愛い可愛い僕のお姫様。僕は呪われた公爵令息になんて、フィーをやりたくない。指一本だって触れさせたくないんだ」
「ベル兄様……」
「……帰ろう、フィー」
「オル兄様……」
兄は二人とも険しい顔で拒否を示す。けれど、フィロメーナも諦めるわけにはいかなかった。呪いさえ解ければ、フィロメーナは自由になれるのだから。
そして、その手がかりを既に掴んでいるのだから。
そこに、使用人が駆けてきた。昨日、フィロメーナたちを必死に引き止めてきた二十代半ばくらいの男性だ。
「どうか、レオンハルト様のためにも、フィロメーナお嬢様をここに……! 伯爵家にいるよりも居心地良く過ごしていただけるよう、全力を尽くさせていただきますので! レオンハルト様もそうお望みです!」
「ちょっと待って。顔合わせの場に出てこようともしないくせに、なにそれ? そんな男のこと、信用できるわけないじゃないか。ああ、納得がいかない! この屋敷、壊してやろうか。そうしたら、そんな戯れ言言えないだろう?」
「……協力する、ベル兄」
ベルヴィードとオルドレードの瞳が不敵に光る。と同時に、部屋の中が吹雪き、どす黒い炎の柱が出現した。
兄二人による、怒りの魔術だ。
「ベル兄様、オル兄様、何やってるのですか! 止めてください! 私は大丈夫ですから! お屋敷を壊す悪いお兄様は、嫌いになっちゃうんですからね!」
「え、フィーに嫌われるのは嫌だ」
兄たちにすがりつくと、魔術がふっと消え去る。フィロメーナはほっとして、安堵の息を漏らした。
消えた炎の柱の先に、扉が見えた。その扉はほんの少し開いている。よく見てみると、その隙間からライオンのあみぐるみがこちらを覗き込んでいるのが分かった。
――レオンハルトだ。
彼はオレンジ色の手を口元に当てて、ぷるぷると震えている。兄たちの暴走が恐かったらしい。
「……とにかく、私はここに残ります。半年以内に必ず呪いを解いて、兄様たちの元へ帰りますから。信じて、待っていてください」
「フィー……」
フィロメーナは兄二人にぎゅっと抱き締められた。二人とも心配そうな顔で、フィロメーナを見つめてくる。フィロメーナは過保護な兄に、にこりと微笑んで見せた。
そして、一生懸命、説得を続ける。必死な妹の姿に、兄たちがとうとう折れた。
「……フィーがそこまで言うなら仕方ないね。でも、約束だ。辛かったら必ず僕たちに知らせること。どんな手を使っても、フィーを救ってあげるから」
扉の向こうのレオンハルトが「どんな手を使っても」のところで、びくんと体を震わせた。
「公爵令息には、指一本触れさせないこと。言葉を交わすとしても、最低限に抑えるようにね。まあ顔合わせに顔を出さない公爵令息なんて、フィーが滞在していても、どうせ部屋から出てこない引き籠もりだろうけど」
兄の言葉に、レオンハルトが顔を手で覆ってうずくまった。フィロメーナも顔を覆ってうずくまりたくなる。
呪われた公爵令息を怯えさせる兄。正直、恐い。
「僕とオルは仕事があるから伯爵家に戻るけど。でも、何かあったらすぐに飛んでくるからね。……ああ、権力が欲しい。権力さえあれば、フィーをこんな目に遭わせずにすむのに……! おのれ、公爵家め……」
なんか、悪の権化みたいなことを言い出した。フィロメーナは冷や汗をかきながら、兄の背中に手を添えた。
「レオンハルト様も、そんなに悪い人じゃないですよ! ほら、おいしいごはんを出してくれましたし!」
「確かに食事はおいしかったな……。あ、そうだ。なんとかして僕たちもここに滞在できるように仕事を調整できないかな……」
兄たちはぶつぶつと呟き始めた。でも、兄がいると呪いを解く邪魔になる気がする。
だって――呪いを解くには「キス」が必要だから。
過保護な兄たちは、きっとフィロメーナがレオンハルトとキスするなんて耐えられないだろう。まあ、相手は可愛いあみぐるみではあるのだけど。
絶対、これ、知られたらまずいやつだ。
フィロメーナはひきつった笑みを浮かべながらも、なんとか兄を見送る。
「なるべく早く呪いを解いて帰りますね、ベル兄様、オル兄様」
「うん、信じているよ、僕の可愛いフィー」
「……待っているよ、フィー」
とても悔しそうな表情で、兄二人は別れを口にする。「婚約さえしていなければ」とか「公爵家でなければ」とか、悪の権化のような顔でぼそぼそ言いながら去っていく二人の背中。フィロメーナは苦笑しながら、その背中に手を振った。
「……フィロメーナ」
玄関の隅っこに、ちょこんとレオンハルトが立っていた。
「やはり、急な話だし、ここは一度仕切り直した方が良くないか? 君の兄が心配するのも当然だ。君もあの兄と一緒に、一旦帰って、それから……」
フィロメーナはふるふると首を振る。そして、にっこりと笑う。
「レオンハルト様も私も、早く婚約解消したいのは同じでしょう? 半年という期限もあるのです。こういうのは急なくらいでちょうど良いのですよ」
「……そうか。……ありがとう」
レオンハルトが紡ぐ感謝の言葉に、フィロメーナの心がふわりと温かくなる。
「さあ、魔導書に書いてある通り、まずは編むところからですね! 本当にそれが呪いに効果があるのかも、検証したいところです!」
「ああ。頼りにしている」
「任せてください! ……ふふっ」
自分にしかできないことがある。そして、そんな自分を必要としてくれる人がいる。
フィロメーナは、それがすごく嬉しくて、思わず笑ってしまう。
レオンハルトも笑っているフィロメーナを見て、表情を和らげたようだった。
「……しかし、君の兄は二人とも恐ろしいな。本気で屋敷を潰されるかと思った」
「すみません。兄様たちは、ちょっと過保護すぎるところがあるのです。私がレオンハルト様に触れたとか、ベッドで一緒に寝たとか知られたら、きっと……」
さっとレオンハルトの顔色が悪くなる。あみぐるみだというのに、器用なことだ。
「君の兄たちには、いろいろ隠し通さなくてはならないな。……俺、まだ命が惜しいんだ」




