5:婚約者様はあみぐるみ(5)
「どうだ、読めるか?」
レオンハルトが静かな声で尋ねてくる。フィロメーナはこくりと頷いてみせた。
「はい、たぶん……」
「そうか!」
レオンハルトの黒いボタンの瞳が、キラキラと輝く。本を覗き込もうと、その小さな体をぴょんぴょん跳ねさせ始めた。
「何と書いてあるんだ? 呪いはどうやったら解けるって?」
「落ち着いてください、レオンハルト様。ここは暗いので、もう少し明るいところでじっくり読みたいのですけど」
「分かった。じゃあ、君の部屋に行くか。ここから近い」
そう言うやいなや、レオンハルトが駆け出した。猛ダッシュで走っていく、オレンジ色のたてがみを持つライオン。
――あみぐるみのくせに、思ったより速い。
「あわわ、待ってください! 置いていかないでくださいー!」
フィロメーナは魔導書を胸に抱え、レオンハルトの後を追った。
ほどなくして、フィロメーナは部屋に戻ることができた。レオンハルトが言った通り、書庫から割と近い場所だった。
とはいっても、フィロメーナひとりではきっと辿り着けなかっただろう。フィロメーナは筋金入りの方向音痴なので。
部屋の明かりをつけて、床に本を広げて置く。レオンハルトが、開かれたページを穴が空くんじゃないかというほど熱心に見つめ始めた。
「で、何と書いてあるんだ? 俺には謎の図にしか見えないが」
「えっとですね、これは編み図なのです」
「……アミズ?」
編み図とは、編み物を作るための手順図のこと。設計図みたいなもので、書いてある通りに編めば作品が作れる。
編み物といえば、二本の棒で編むものを想像することが多いけれど、この魔導書に書いてあるのはちょっと違う。これは、かぎ針を使う編み図だ。
かぎ針というのは、耳かきみたいな短い棒状をした編み物道具のこと。ちなみに、二本の棒を使うタイプは棒針という。まあ、そのまんまだ。
細長い楕円は鎖編み、バツ印は細編み、Tというのは中長編み。ぱっと見て編み方が分かる、この画期的な図。実は日本だけのものらしい。外国では文章で編み方を説明するのが普通だと聞いたことがある。
(『解呪の魔導書』に編み図がのっているなんて……。前世の趣味が編み物で良かったです。普通に理解できますね……)
そう、フィロメーナの前世の趣味は編み物だった。編み図も読み慣れている。
ぱらぱらとページをめくり、最後のページに辿り着く。そこには「呪いを解くには」と大きな字で書かれていた。
「これ、本当に呪いを解くための本なのですね。ただの手芸本かと思いました。えっと、呪いを解くためには……って、ええっ?」
「ど、どうした、フィロメーナ?」
「い、いえ、呪いを解く方法に驚いただけです」
そう言いながら、フィロメーナは火照ってしまった頬に手を当てた。急に赤面してしまったフィロメーナを、レオンハルトが怪訝そうに見上げてくる。
「なんで赤くなるんだ。そんな恥ずかしい方法なのか」
「あの、ですね。呪いを解くには、まずこの編み図通りに作品を作るのですが」
呪いを解くために必要な作品は五つ。作品がひとつ完成するごとに、魔法陣の上である儀式を行うらしい。
「その儀式というのが、呪われた者と、作品の制作者が……」
「なんだ、どうするんだ」
「『キス』をしないといけない、みたいです」
レオンハルトが真顔になる。いや、あみぐるみなので、表情は変わらないのだけれど。
「……キス?」
「はい。キス……つまり、口づけ、接吻をしろと書いてあります」
呪われた者というのは言うまでもなく、ライオンのあみぐるみ姿のレオンハルトだろう。そして、たぶんこの編み図を理解し、作品を作ることができるのはフィロメーナだけ。
と、いうことは。
「要するに、君と俺がキスをする、と」
「そうみたい、です」
思わず見つめ合う、レオンハルトとフィロメーナ。
「……嘘、だろう……?」
絶望的な一言を零し、レオンハルトがぽてりと床に倒れ込んだ。フィロメーナは慌ててレオンハルトを抱き起こす。
「し、しっかりしてください、レオンハルト様! って、気絶していらっしゃる!」
なんて繊細な人だろう。フィロメーナはただのあみぐるみと化したレオンハルトを呆然と見つめた。揺すっても叩いても起きそうにない。
時刻はもう夜中の三時半。
フィロメーナは無心になった。とりあえず、寝よう。朝になったらまた、改めて考えれば良いだろう。
(まさか、こんな風に前世の記憶が役に立つ機会がやって来るなんて……。都合が良すぎて信じられないです。これ、夢なんじゃないでしょうか……)
あみぐるみのレオンハルトを抱っこして、ベッドに横たわる。そっと目を閉じると、フィロメーナはあっという間に眠りに落ちた。
そして、迎えた朝。
「やっと起きたか、フィロメーナ」
「……あみぐるみさん? おはようございます……」
「そろそろ手を離してくれないか。苦しいんだ」
「……あっ!」
フィロメーナは夜中の出来事を思い出して、慌ててあみぐるみから手を離した。
「すみません、レオンハルト様! つい、一緒に眠ってしまいました!」
「気絶した俺をベッドに連れ込み、共寝するとは」
「きゃー!」
なんという恥ずかしい言い方をするのか。いや、事実だけど。
「いくら婚約者同士とはいえ、会ったばかりだというのに同衾か……」
「すみません、ごめんなさい、申し訳ございませんー!」
フィロメーナはベッドから飛び下りると、ぺこぺこと頭を下げた。すると、ベッドの上に乗っていたレオンハルトがふっと笑いを漏らす。
「くくっ、いや、良い。どうせ俺はこんな体だ。間違いなんて起こらない。それより、呪いを解く方法が明らかになったことの方が重要だ。……フィロメーナ。この呪いを解くのに、協力を頼めるか?」
オレンジ色のたてがみを揺らし、レオンハルトが小首を傾げた。その動作がたまらなく可愛らしくて、フィロメーナはへにゃりと頬を緩めてしまう。
「はい。私、頑張ります! 絶対、呪いを解いて、婚約解消しましょうね!」
「ああ、望むところだ」
二人は見つめ合い、こくりと頷き合った。
カーテンを開けると、眩しい朝の光が部屋に差し込んでくる。
机の上に置いてある解呪の魔導書が、その朝の光に照らされて、きらりと小さく輝いた。
呪いを解くための手がかりは、ここにある。
残された時間はあと半年。これ、なんとかなるかもしれない――!