43:魔女とあみぐるみの秘密(8)
ベルヴィードとオルドレードの顔が、揃って絶望に染まった。
ほの暗い瞳で、兄二人が可愛い妹を見つめてくる。
(……いや、キス以上のことなんて、何もしていないのですけど)
そう、何もなかった。
レオンハルトがあみぐるみだった時と変わらない、穏やかな夜の時間だった。
でも、兄二人はそうは思っていないようで、フィロメーナがレオンハルトの毒牙にかかったと信じ込んでいる。
「僕の可愛いフィーが、夜這いされるなんて……」
「……くっ、守りきれなかった……」
ベルヴィードとオルドレードが、同時にがくりと膝をついた。この世の終わりみたいな寂しい背中を見せる。
暗い。暗すぎる。
フィロメーナが生まれてから、ずっと傍で溺愛し続けてくれた兄。前世の孤独を忘れさせてくれたのは、他でもないこの兄たちだ。
大切で、大好きなお兄ちゃんたち。
フィロメーナに愛する人ができても、それはずっと変わらない。
ベルヴィードにも、オルドレードにも、笑顔でいてもらいたい。
「ベル兄様、オル兄様」
フィロメーナは兄たちの手を取る。右手にベルヴィード、左手にオルドレード。
兄たちの大きな手をきゅっと握って、フィロメーナは微笑んだ。
「そんなに落ち込まないでください。私は笑っているベル兄様とオル兄様が好きなのです。これからもずっと、笑っていてほしいのです」
「フィー……」
「無理だよ……」
へにゃりと眉を下げた兄たちの顔。先程までの怒りの形相は、もうすっかり情けないものへと変わってしまっていた。
意気消沈してしまった兄たちに、レオンハルトがおずおずと声を掛ける。
「あの」
「煩い」
兄、即答。
あまりの拒絶っぷりに、レオンハルトは苦笑するしかない。
フィロメーナもどう言えば兄たちを説得できるのか、必死で考える。でも今は、何を言っても悲しませるだけのような気がした。
しんと静まり返る部屋。小鳥の囀る声が、空しく響く。
「……少し、時間が欲しい」
ベルヴィードがぽつりと呟いた。
「僕も、オルも、今は冷静になんてなれない。王子との縁談のこととか、考えないといけないことが多すぎる。……だから、今日のところはこれで帰ってくれないか、公爵令息」
「分かりました」
「フィー、後できちんと話をしようね。これからのこと、父様や母様とも話し合う必要があると思うから」
フィロメーナはベルヴィードの言葉にこくりと頷いた。ベルヴィードはフィロメーナの頭を優しく撫でた後、ちらりとレオンハルトを見遣った。
レオンハルトは綺麗な礼をひとつ、兄たちに向けてしてみせると、あっという間に魔術で消えた。
さすが「魔」の公爵家の人間。侵入も鮮やかなら、退出も華麗なものだった。
ベルヴィードとオルドレードは、レオンハルトの消えた場所をしばらく見つめていたけれど、諦めたように目を逸らす。
そして、フィロメーナに改めて向き合った。
「さあ、フィー。朝食にしようか。それから、話をしよう」
朝食後、フィロメーナは兄と一緒に居間のソファに座っていた。机を挟んだ向こう側には、父と母が座っている。
かなり暗い雰囲気だ。
父が難しい顔をして両手を組み、それを顎に当てて唸った。
「レオンハルト様が、夜這いを……」
「フィーはもう、あの公爵令息以外に嫁ぐことなんてできない、とまで言われました。どうしますか、父様? 僕はやっぱり気に入らないのですが」
ベルヴィードが苛々しながら鼻を鳴らす。オルドレードも顰めっ面で、膝のあたりを小刻みに揺らしている。
「あああ、公爵令息からの手紙、全部送り返してやったから安心してたのに! 最近はあんまり送ってこなくなっていたし、完全に油断してた!」
「え、ちょっと、ベル兄様が送り返していたのですか! なんてことを……」
「……オレも、頑張った」
「そこは頑張らなくても良いと思うのですよ、オル兄様!」
父は三兄妹が騒ぐ姿をしばらく見つめていたけれど、改めてフィロメーナの方へ向き直って口を開く。
「フィー。結局、レオンハルト様とはどういう関係なんだい? 夜這いされて、どこまでいった?」
かっと火がついたように、頬が熱くなった。そんなに「夜這い」を連呼しないでほしい。しかも、「どこまで」って。
いや、確かにフィロメーナのベッドで一緒に寝たけれど、本当にそれだけで。
「な、何もやましいことはなかったですよ? だから『夜這い』なんて大袈裟なのです。ちょっと抱き締められたり、軽くキスされたりしただけですし」
「は、キス?」
父、ベルヴィード、オルドレードの顔色が悪くなる。
けれど、母だけは嬉しそうに目を輝かせた。
「え、フィーったらキスされたの? どんな風に?」
「どんなって……勢い余ってベッドに押し倒されて、こう、流れで」
「嘘だ! 嘘だと言ってくれ、フィー!」
ベルヴィードが絶叫し、オルドレードが堪えきれずに嗚咽を漏らし始めた。部屋の中が絶望の空気に染まっていく。
そんな中、青ざめた顔の父が震える声で聞いてくる。
「フィー、本当か? その、キスされて、ベッドで一緒に……?」
「はい」
フィロメーナの迷いない答えに、父と兄ががくりと項垂れた。
「……さすがに、これは……」
「な、なんでそんなに深刻そうな顔をするのですか? 私が公爵家の別邸でレオン様と同居していた時は、全然平気そうだったではないですか」
「あの時の公爵令息は『あみぐるみ』ってやつだったでしょ! あの姿ならフィーに悪いことなんてできるはずないって、安心してたんだよ!」
「……えっ?」
フィロメーナは目を瞬かせた。
レオンハルトがあみぐるみだったことは、兄たちには知られていないはずなのに、どうして?
「もしかしてフィー、隠し通せたと思ってたの? フィー、ものすごく分かりやすいのに?」
「え、本当にレオン様があみぐるみって知ってたのですか? 嘘、いつから?」
「フィーに会いに屋敷へ行った時から。やたらライオンのあみぐるみを庇うから、そうなんだろうなって」
そんな頃から気付かれていたなんて。兄、鋭い。
「しかも舞踏会の後、あいつそっくりのライオンのあみぐるみまで作って。毎日あんなに切ない顔して抱き締めちゃってさ。フィーが公爵令息に恋してることもすぐに分かったよ」
「きゃああ!」
なんだそれ、恥ずかしい!
フィロメーナは思わず顔を両手で覆った。
父は全力で恥ずかしがるフィロメーナを見つめ、優しい声で問い掛けてくる。
「それで、フィーはどうしたい? どうするのが一番良いと思う?」
フィロメーナは顔から手を離して、父の顔を見た。
「私、私は……」