41:魔女とあみぐるみの秘密(6)
さらさらの赤髪に、優しく細められた橙の瞳。魔術師のローブを着た姿は輝いて見える。ただそこに立っているだけなのに、優雅さを感じてしまうほど。
フィロメーナは、真夜中の自室に突然現れたレオンハルトから目が離せなくなる。
なぜ、どうして、こんなところに。
あの舞踏会の日から、何の関わりもなかったはずなのに。
馬鹿みたいに突っ立っていることしかできないフィロメーナに、ゆっくりとレオンハルトが近付いてくる。そして、そっと抱き寄せられた。
柔らかい春風のような香りに包まれ、フィロメーナの心臓が跳ねる。
「あ、あの、レオン様……?」
「突然、こんな風に会いに来てしまったことは謝る。でも、時間がないから、こうするしかなかった」
「え?」
わけが分からなくて、首を傾げるしかない。レオンハルトは小さく笑いを漏らすと、フィロメーナをソファに導いた。それから、自分もその隣へ座る。
「こんな夜中にメーナが起きているとは思わなかった。なんで寝ていないんだ?」
「わ、私のことより、レオン様がなんでこんなところにいるかの方が問題なのです!」
家出しようとしていたところを見られたのが、なんだか恥ずかしくて口を尖らせてしまう。
すると、レオンハルトが堪えきれないように笑い声をあげた。
「なぜ俺がここに来たのか。……気になるか?」
「もちろん気になるのですよ! レオン様が私に会いに来るなんて、そんな夢みたいなこと起こるなんて思ってなかったのですから!」
「……夢みたいなこと?」
意外そうにフィロメーナの言葉を繰り返すレオンハルト。その瞳に、期待の色が混じる。
「メーナは俺に会いたいと思ってくれていたということか? ……王子との婚約が間近に迫っているのに、俺のことを忘れずにいてくれていた?」
「当たり前なのです! 私、レオン様に会いたくて……」
喉の奥が詰まったような感じがして、フィロメーナはそれ以上言葉にすることができなかった。レオンハルトは、俯いたフィロメーナの頭を優しくぽんぽんと撫でてくれる。
温かい大きな手。フィロメーナが大好きな撫で方。
一緒にいた頃と変わりないその優しさに、胸がきゅんとなる。
「メーナ」
低い、穏やかな声。レオンハルトはどこか嬉しそうに顔をほころばせていた。
「俺が今夜ここに来たのは」
ぐっと引き寄せられたかと思うと、耳元で小さく囁かれる。
「君を誰にも渡したくなかったから」
びくりと体が跳ねた。レオンハルトの気配が近すぎて、顔が熱くなってくる。
どうしよう、上手く頭が働かない。「渡したくなかった」ってどういうこと?
それに、「誰にも」というのは、王子様のことも含めて?
「レ、レオン様」
声が震えてしまう。レオンハルトの表情を窺おうと身動ぎをしてみたけれど、抱きすくめられていて無理だった。
もう顔だけでなく全身が熱い。なんか、汗までかいてきた。
レオンハルトはそんなフィロメーナの体を、また優しくきゅっと抱き締めた後、そっと腕を離す。拘束が緩んだので、フィロメーナは思わずほっと息を吐いた。
どきどきしている胸を押さえながら、ちらりとレオンハルトの顔を見る。レオンハルトもこちらを見つめていたので、自然と視線が絡み合って、また体が熱くなってきた。
しんと静まり返った部屋に自分の鼓動の音が響いているような、そんな錯覚を起こした。
静かな夜の闇に吸い込まれていく、恋の音――。
レオンハルトがひとつ咳払いをして、口を開いた。
「明日……いや、もう今日か。リチャード王子がこの伯爵家を訪れることになっている。メーナと直接会って、正式な婚約をするために」
「え、そうなのですか?」
正直、逃げることで頭が一杯だったので、全く知らなかった。思ったよりも切羽詰まった状況であることを知り、背筋が冷えていく。
「さすがに王子との婚約が決まってしまうと、俺にはどうにもできなくなる。だから、これ以上話を進めさせないために、今夜のうちに動くしかなかったんだ」
隣に座っているレオンハルトが、少し身を固くするのが分かる。
「俺は、メーナが眠っている隙にこの部屋へ侵入し、ここで一晩過ごすつもりで来た。そして、俺とメーナがそういう関係だと周りに認識させ、王子との婚約話を白紙に戻したかった」
「そういう、関係……?」
「夜、同じベッドで眠る関係」
ほんのりと頬を赤らめて答えるレオンハルト。でも、フィロメーナは目を瞬かせ、こてりと首を傾げてしまう。
「……もう既に、何回も一緒のベッドで眠っていた気がするのですけど」
「……そうだけど、そうじゃない」
少し呆れを含んだ目線を送られて、フィロメーナはつい口を尖らせた。
あみぐるみの時に共寝したのはノーカウントということなのか。
レオンハルトは大きくため息をついた後、フィロメーナをじっと見つめてくる。
「……回りくどいのは、止めようか。メーナは鈍い気がする」
「鈍いですか、私」
「ああ」
なんとなく納得がいかずに顰めっ面になる。レオンハルトはくすくすと笑いながら、ソファから立ち上がって、フィロメーナに手を差し出した。
「メーナ、おいで」
フィロメーナは差し出された大きな手のひらに、自分の手を乗せた。すると、ぐっと引き寄せられて、気が付くとお姫様抱っこされていた。
そのまま軽々と運ばれて、優しくベッドの上に下ろされる。
きょとんとしてベッドに座るフィロメーナの頬を、レオンハルトの両手が包み込んだ。
甘くて熱っぽい瞳が真剣さをまとって、フィロメーナを見つめてくる。
「俺はメーナが好きだよ。だから、王子ではなく、俺を選んでほしい。俺と、結婚して」
こつんと額と額がくっつく。柔らかな香り。熱いくらいの温度。
フィロメーナはまるで時が止まってしまったかのように、息をするのを忘れた。
――もしかして、と思う瞬間は幾度もあった。呪いが解けてすぐ、キスをされた時とか。舞踏会で、見つめられた時とか。
でも、勘違いだったらすごく恥ずかしいから。だからずっと、そんなわけないと自分に言い聞かせてきた。
だけど。
「メーナ、お願いだ。俺の傍にいて。君との婚約が解消されてから、ずっと後悔していたんだ。俺はメーナに身も心も救われた。君を諦めるなんて絶対にできない。でも、会いたいと手紙を書いても送り返されて……」
手紙? そんなのフィロメーナは知らない。送り返すなんて、一体誰の仕業だろう。
でも、そうか。レオンハルトも、ずっと会いたいと思ってくれていたのか。
「……メーナ、愛してる。愛しているんだ」
ああ、勘違いではなかった。レオンハルトは、確かにフィロメーナのことを――。
フィロメーナの瞳から一粒、涙が零れ落ちた。