37:魔女とあみぐるみの秘密(2)
古の魔女はにこりと明るく笑うと、弾んだ声で語りだす。
「そのライオンのあみぐるみ、とても強い魔力が宿っているの。あなた、編み物と魔術を融合させられるのね。そんな人間が現れるのは二百年ぶりかしら。ふふ、完成前からすごい魔力だなと思っていたけれど、完成品はまた特別ね。すごく気に入ったわ!」
なんと、このライオンのあみぐるみ、魔力の塊となってしまっているらしい。フィロメーナの魔力はそんなに多くないし、魔術を使うのも苦手なので、よく分かっていなかったけれど。
――でも、完成前からってどういうことなのだろう。覗き見でもされていたのだろうか。
いや、それならそうと少しくらい存在をアピールしてくれれば良いのに。
「……『古の魔女』さん、ごめんなさい。これはあげられないのです……」
「え、どうして? 願いひとつと交換よ? 悪くないと思うけど」
「これは、私の大切なあみぐるみさんなので」
少し声が震えてしまったけれど、きっぱりと断った。フィロメーナにとって、この子はレオンハルトの代わり。大切な想いの塊だから。
魔女は縮こまるフィロメーナを見て、不思議そうに首を傾げる。
「あなたの望みは、私が呪いをかけた公爵令息と結ばれることでしょう? なら、それを願えば良いのよ。簡単に彼が手に入るわよ」
「……なっ!」
ばふっと顔が熱くなる。本当にこの魔女、一体いつから、どこから、フィロメーナのことを見ていたというのだろう。何もかもお見通しという顔は止めてほしい。
ぎゅっとライオンのあみぐるみを抱え込んで、俯く。
レオンハルトへの恋心に、必死で気付かないふりをしていたことも。
惨めに失恋してしまったことも。
全部、この魔女は知っているのだろうか。
(は、恥ずかしすぎます……)
羞恥に身を震わせるフィロメーナに、魔女は肩を竦めてみせた。
「そんなに真っ赤になることないでしょ。だって、あなたと公爵令息は何回もキスしてたわけだし、デートもしてたし、一緒のベッドで眠ってたし」
「ちょっと、本当にどこから見てたのですか! プライバシーの侵害ですよ!」
「ふふ、私は楽しいことが大好きな『古の魔女』よ? 呪われた公爵令息のために健気に頑張る令嬢がいたら、そりゃあ見るわよ、覗くわよ」
この魔女、悪びれもなく言い放つ。さすが三百年以上生きているというべきか、人の私生活を黙って覗き見していたくせに態度が大きい。
フィロメーナはへなへなと床に突っ伏した。
「うーん、やっぱり突然現れたのは失敗だったかしら。少しずつ仲良くなって、それからあみぐるみをちょうだいって言った方が良かったわね。ほら、私はずっとあなたたちのことを見てたから、もう知り合いになったような気がしてたけど……あなたにとってはそうじゃなかったのよね。うん、盲点だったわ」
魔女は艶やかな唇で弧を描き、目を細めて笑った。
「私、諦めないから。そのライオンのあみぐるみ、本当に気に入ったもの。まだ粗いところもあるけれど、愛情たっぷりなのがすごく良いわ。ふふ、だから、日を改めてまた来るわね」
「え、来なくて良いです。というか、魔術でさらっと不法侵入しないでください」
「やだ、フィロメーナ、冷たい」
そう言いながらも、魔女は楽しそうだった。すっと立ち上がったかと思うと、軽やかなステップを踏み、ローブの裾をひらりと舞わせる。
「ま、とにかく。そのライオンのあみぐるみをくれるなら、公爵令息との恋を叶えてあげる。……よく考えてみて」
そのまま魔術で立ち去ろうとする魔女。フィロメーナは慌ててその背中に問い掛ける。
「なんでそんなに、このあみぐるみにこだわるのですか? あなたが本当に『古の魔女』なら、この程度の魔力の塊、ご自分で作れるのでは?」
「……私がその子を気に入ったのは、なにも優れた魔力の塊だからというだけじゃないのよ。とにかく、その子が可愛いからよ。私ね、あみぐるみ大好きなの」
魔女は優しい瞳でフィロメーナを見て微笑むと、一瞬でその姿を消した。
残されたのは、フィロメーナとライオンのあみぐるみだけ。しんと静まり返った自室に、強く打ちつける雨の音が響く。
(あみぐるみが恐れられるこの世界で、あみぐるみが大好きって……?)
先程まで魔女がいた空間をぼんやりと見つめながら、フィロメーナは首を傾げた。
*
その日の夜。久しぶりに前世の夢を見た。
でも、これまでのような悪夢ではない。ずっと忘れていた大切なことを、思い出させてくれるような夢だった。
それは、芽衣菜の命が消えそうになる間際のこと。
暗い暗い闇の底。瞳を閉じて、ただ、流れに身を任せていた時。
――痛みはもう感じなかった。体は全く動いてはくれないけれど、すごく楽になった。
どこか遠くでサイレンが鳴っている気がする。
(辛くて苦しい思い出ばかりの、何の意味もない人生だったなあ……)
自分以外の人たちはみんな恵まれていて、幸せそうだった。どうして芽衣菜はこんなに不幸なまま、終わらなくてはならないのだろうか。
悔しかった。
もし生まれ変われるのなら、今度こそ幸せになりたかった。家族みんなに愛されて、お金にだって困らない人生が良い。
たくさんの仲の良い友達に囲まれて、素敵な恋だってしてみたい。
環境さえ恵まれていれば、芽衣菜は絶対、幸せになれるはず。
(……本当に?)
闇の底で芽衣菜は止まる。本当に環境が恵まれていれば、幸せになれる?
――自分で、何の努力もせずに?
ただ生きているだけで、みんなに愛してもらえる?
そんな都合の良い話ってあるのかな?
芽衣菜は現実がとても辛いものであることを知っている。だからこそ、思う。
そんな都合の良い展開、芽衣菜には訪れるわけがない。
幸せって、自分で掴みに行かないと駄目なんじゃないかな?
そんな風に考えるくせに、芽衣菜は自分から幸せを掴みになんて行ったことがなかった。いつも受け身で、幸せが降ってくるのをただ待っていただけだった。
どうせなら、もっと自分から動いてみれば良かった。そうしたら、何か変わったかもしれないのに。
望み通りの結果にはならないかもしれないけれど。
何の努力もせず人生を終えたからこそ、思う。
少しくらい足掻いてみれば良かった、と。
その方が格段にましな人生になっただろう、と。
(……もし、生まれ変われるのなら)
受け身でいるのは、もう止めよう。自分から、幸せに手を伸ばしてみよう。
それはきっと、とても勇気がいることだけど。もう二度と、こんな後悔はしたくないから。
どんな環境下に生まれても、今度は絶対にへこたれるもんか。
どんな不利な状況下でも、自分にできる最大の努力をするんだ。
人がうらやむような、特別な能力なんてなくたって良いから。
だから、お願い。もう一度、芽衣菜に頑張る機会をください。
*
フィロメーナは目覚めた。朝の光が、カーテンの隙間から漏れている。
どうして忘れていたのだろう。こんな、大切な決意を。
恵まれた環境に生まれることができたから、それだけで満足してしまっていた。
(このままレオン様のことを諦めたら、きっと人生の最後に後悔するのです。だって私は、まだ何の努力もしていないのですから……!)
本当にこの魔女、一体いつから、どこから見ていたの?
――この物語が始まったくらいから。パソコンやスマホみたいな魔導具の画面越しに見てました。
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