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34:迷子の涙(5)

 ひとりぼっちで廊下に(たたず)むこと、数十分。


 悔しさと心細さが頂点に達し、フィロメーナはうずくまってぐすぐすと泣いていた。

 しばらく泣き続けていると、なんだか疲れて眠くなってくる。


 そのままひんやりとした廊下の隅で、うとうとと船を漕ぎ始めた。


 夢と(うつつ)の間を行ったり来たり。眠る前のほんわりとした感覚に、徐々に身を(ゆだ)ね――。


「……メーナ」


 ぽん、と肩に温かい手が乗せられた。つい、びくんと体が跳ねてしまう。


「はっ! ベル兄様、オル兄様! 私、寝てませんよ! 起きてます!」

「いや、俺はメーナの兄ではないが」

「……え?」


 目を擦りながら、目の前にいる男の人を確認する。


 優しげに細められた橙の瞳。すっと通った鼻筋に、形の良い唇。差し伸べられた手のひらは筋張っていて、とても男らしかった。

 黒地に金の刺しゅうが施してある豪華な衣装。王宮魔術師に与えられるというきらびやかなマントを羽織っている。


「メーナ、俺だ。レオンハルトだ」

「……きゃあ!」


 思わず小さく悲鳴をあげてしまう。呪いを解いたので、あみぐるみの姿でないのは当然なのだけど。なんだか印象が違いすぎて、全然知らない人みたいに見えた。


「え、あの、本当にレオン様?」

「ああ、俺だ」

「本当の、本当に?」

「なぜ、そこで疑うんだ」


 お別れしてから一ヶ月。レオンハルトは散髪をしたらしい。さらさらの赤髪は綺麗に整えられていて、随分とさっぱりした美青年に進化している。

 どうしよう、イケメンになりすぎて近寄りがたい感じがしてきた。


「……メーナ、会えて良かった」


 レオンハルトが嬉しそうに微笑む。


「なんというか、メーナは変わらないな。また、迷子になっているなんて」

「なりたくてなったわけではないのですよ!」


 からかうようにレオンハルトが言うものだから、フィロメーナはつい膨れっ面をしてしまう。そんなフィロメーナを見て、またレオンハルトが笑う。


「メーナに会ったら何と言おうか、これでも結構悩んでいたんだけどな。……ふっ、緊張していたのが馬鹿みたいだ」

「え? 緊張? レオン様が?」

「ああ。……ほら、新年の宴の時にはダンスもできなかったし。今回は、絶対にメーナと踊ろうと思って、その、どうやって誘おうかと」


 レオンハルトはそう言って、照れ臭そうに頭を()いた。

 その表情は、とても馴染みのあるものだった。フィロメーナの心の奥が、じわりと熱を持つ。


「私とダンス……」


 もしかして、無駄に動かなければ、レオンハルトと踊れていたのだろうか。

 なんて、もったいないことを。


「会場でメーナの兄たちを見かけたから、きっとメーナも来ていると思っていた。だから、ずっと探していたんだが……こんな場所にいるのは予想外だった」


 レオンハルトがそう言いつつ、フィロメーナに手を貸して立たせてくれる。すっかり眠気も吹き飛んだフィロメーナは、改めてきょろきょろと周りを見回した。


「こんな場所って……一体ここはどこなのですか?」

「ここはリチャード王子専用のフロアだ。立ち入り禁止のはずの」


 立ち入り禁止?

 フィロメーナはさっと青ざめる。なるほど、どおりで誰とも会わないはずだ。ここはプライベートな空間だったのだから。


 でも、それならどうしてこの空間に立ち入る前に、止めてくれる人がいなかったのだろう。騎士や侍女、メイドなどが普通は教えてくれるはずだけれど。


「……今、会場が少し混乱しているんだ。『武』の公爵家のドドガルの罪が、暴かれてしまったから」

「罪……?」

「俺に呪いをかけた件で。証拠が出たんだ」


 フィロメーナが舞踏会の会場を去ってから、王子様がドドガルに対し、断罪を行ったのだという。というか、この舞踏会自体、この断罪を行うために開いたのだとか。


 王子様はこの断罪をフィロメーナにも見せてくれるつもりだったようだ。まあ、見られなかったけど。

 ――迷子になって、本当に申し訳ない。


「『(いにしえ)の魔女』に依頼をした際の書類とか、『古の魔女』自身の証言とか。動かぬ証拠を突きつけられて、『武』の公爵家はパニックを起こしている。それを抑えるために、城の騎士たちを会場に集めなければならなくなって……だから、メーナが王子専用のフロアに立ち入る隙ができてしまったんだろう」

「そうだったのですね……」


 想定していたよりも大きな騒ぎになってしまって、みんな大慌てだったらしい。


「あの、ドドガル様はこれからどうなるのですか?」

「国を支える公爵家のひとつに危害を加えたという、その罪は重い。ドドガルは廃嫡され、国外へ追放になる」

「そう、なのですか」


 顔を合わせるたびに、鋭い目つきできつい言葉を投げかけてきていた怪物騎士。彼は『武』の公爵家の人間らしく、武の才能に恵まれた優秀な人間だったはずだ。

 本当に、なぜ、そんなことをしてしまったのだろう。


 その問いに、レオンハルトが冷静に答えを出す。


(ねた)み、(ひが)みだろうな」


 レオンハルトとドドガルは年も近く、何かと比べられてきたという。レオンハルトは子どもの頃から魔術師として優秀だったので、いつもドドガルより上に見られていたらしい。

 おまけに外見も、レオンハルトの方が整っていた。周りの人はみんな、レオンハルトを持ち上げる。


 別に、ドドガルが劣っている人間というわけではない。というか、普通の人間と比べれば、ドドガルも充分優秀な人間だった。それなのに、周りは分かってくれなかった。


 その悔しい気持ちは、分からないでもないけれど。フィロメーナはなんだかとても残念な気持ちになってしまった。


「……まあ、これで本当に全て片がついた。やっと、前を向いて生きていける」


 レオンハルトがさっぱりとした表情で、フィロメーナに微笑みかけてきた。何の憂いもない艶やかな笑顔に、どきんと心臓が鳴る。


 以前、一緒に王都の街へお出掛けした時に(ふた)をした感情が再び目覚めそうになる。

 ちゃんと諦めたはずの、レオンハルトへの想いが、また色づきそうになる。


(もう、婚約者でも何でもないのに!)


 フィロメーナはぐっとお腹の底に力を入れて、溢れそうになる感情を抑えつけた。そして、自分をごまかすように話題を転換する。


「そういえば、レオン様に買っていただいた刺しゅう糸で、作品を編んでみたのですよ! え、えっと、見ていただけますか……?」

「ん? ああ、あれか。……うん、見せてほしい」


 レオンハルトが嬉しそうに笑みを零す。フィロメーナはストロベリータルトのあみぐるみを取り出して、そっとレオンハルトの手のひらに乗せた。

 淡い月の光が、ストロベリータルトを照らし出す。


「これは?」

「ストロベリータルトです! 食べ物を編んで作るのも、とっても楽しいのですよ。刺しゅう糸なら色が豊富なので、毛糸では出せない鮮やかさがある作品になっちゃうのです!」

「なるほど。……すごいな」


 レオンハルトは感心したように、ストロベリータルトを見つめる。その瞳は優しい光を宿していた。まるで、愛しいものでも見ているかのような、きらめく瞳。

 フィロメーナはなんだか自分が見つめられているような気がしてきて、全身が熱くなってきてしまった。ちょっと、いや、かなり恥ずかしい。


「メーナ」


 ふと、レオンハルトがこちらを見た。優しい瞳が熱っぽく揺らめいている。

 フィロメーナはその瞳に魅入られ、一瞬、息が止まった。

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