32:迷子の涙(3)
伯爵家の庭が、春の花で華やかに彩られる季節になった。
レオンハルトとお別れしてから、もう一ヶ月。刺しゅう糸で編んだストロベリータルトも完成したので、それを見てもらうのを口実に、レオンハルトに会えるように画策する。
「ベル兄様! 私、レオン様にお手紙を書いたのです! ベル兄様はお城でお仕事をしていますよね? お城で公爵様かレオン様にお会いすることがあるなら、この手紙を渡してもらいたいのですけど……」
「ああ、今日も愛らしいねフィー。でも、僕が働いているのはお城の隅っこだからね。公爵家の人とはなかなか会わないよ?」
「そうなのですか……。あ、オル兄様は……?」
「……オレも、無理」
兄二人が揃って首を振る。フィロメーナはしょんぼりと肩を落とした。
「じゃあ、使用人の誰かに直接、レオン様のところに行ってもらうしかないですね。ちゃんと受け取ってもらえるか、不安ですけど……」
レオンハルトは呪いが解けてからというもの、女性からの人気がすごいらしい。多くの貴族令嬢が彼と仲良くなろうと狙っている。手紙なども山のように届いているという噂だ。
フィロメーナは伯爵令嬢ではあるけれど、かなり地味だ。こんな娘からの手紙は、門前払いされそうな気がする。呪いを解いたという実績はあるけれど、そもそも公爵家では呪いのこと自体なかったことにしたいようだから、どこまでアドバンテージがあるのか分からない。
もちろんレオンハルトは優しい人だから、フィロメーナからの手紙だと知ったらきっと読んでくれると思うけれど。問題はレオンハルトの手元まで行けるかどうかということだ。なんか、執事とかそういう人に、ばっさり切り捨てられる気がする。
「うう……でも、諦めるわけにはいかないのです! えっと、この手紙を誰か……」
手紙を託す使用人を呼ぼうとすると、兄二人が慌てたようにフィロメーナを止めてきた。
「フィー、ちょっと待って。あの公爵令息にフィーの手紙なんて、もったいないでしょ!」
「え? レオン様にお会いしたいというだけの内容ですよ? どこがもったいないのですか?」
フィロメーナは手紙の中身を兄たちに見せる。すると、ベルヴィードもオルドレードもそれに目を通した途端、あからさまにほっとした顔になった。
「なんだ、恋文じゃないのか! いや、てっきりそうだとばかり……うおお、安心したー! うんうん、分かった。僕がこの手紙を渡してあげるよ、フィー!」
「ええっ? さっきは無理って……」
「可愛い天使フィーのためなら、不可能も可能にしてみせるよ、僕は!」
ベルヴィードが輝く笑顔を見せ、フィロメーナの手紙を懐にしまう。どうやら兄たちは、この手紙が恋文であると勘違いしていたようだ。
恋文ではないと知った途端、兄たちはけろりと態度を変えた。
「あの公爵令息、今はリチャード王子の側近として大活躍しているんだよな。どうやって捕まえようかな……罠でも仕掛けようか? ちょっと陰湿なやつ」
「……良い考えだ、ベル兄」
ベルヴィードとオルドレードが不敵な笑みを浮かべて、物騒なことを言う。フィロメーナは兄たちの服を掴み、ぶんぶんと首を振った。
「レオン様に失礼なことをしては駄目なのです! 魔術で凍らせたり、燃やしたりするのもなしなのです!」
「え……駄目かな」
「なんでそこで残念そうな顔になるのですか……。もう、ベル兄様もオル兄様も、すぐに危ないことをしようとするのですから! めっ! なのです!」
ベルヴィードもオルドレードも「めっ!」と言われて、なぜか嬉しそうに微笑んだ。
「フィーが家にいてくれると、本当に和むなあ。もうどこにもやりたくないよ」
「……フィー、可愛い」
兄二人に挟まれて、ぎゅうぎゅうされるフィロメーナ。
手紙は無事にレオンハルトの元に届くのだろうか。不安すぎる。
フィロメーナはへにゃりと眉を下げ、小さくため息をついた。
そんなことがあった、翌日。
「……舞踏会への招待状、ですか?」
近々お城で舞踏会が開かれるという。フィロメーナの元に、その招待状が届いた。
なんと、王子様から直々のお誘いで。
これには伯爵家の全員が驚いた。王族から直接声を掛けてもらえるなんて、あまりにも光栄なことすぎて卒倒しそうになる。
「今日、僕が城に行ったら、リチャード王子が現れてね。フィーにぜひ来てもらいたいからって、招待状を手渡してこられたんだ。……あまりに驚きすぎたせいで、公爵令息にフィーの手紙を渡しそびれた。ごめんね」
ベルヴィードは夕食の席で、げっそりとした顔を見せていた。ベルヴィードとオルドレードが働いているのは城の隅っこの方で、王族のような高貴な人とは会えないのが当たり前の場所。
だから、兄のこの反応もいたしかたないことだった。
「本当にごめんね、フィー。いや、王子の傍に公爵令息もいたから、大チャンスだったんだけど……頭が真っ白になってしまって」
「気にしないでください、ベル兄様。ほら、舞踏会にはきっとレオン様も来ると思うのです! そこで会えると思いますし、問題はないのですよ!」
「優しいね、フィーは……。もう、本当に天使だね……可愛い……」
兄を慰めるフィロメーナ。そのフィロメーナを、感激の涙を零しながら愛でる兄。
今日も仲良し三兄妹は通常運転だ。
そんな三兄妹を見守りつつ、父と母は心配そうに眉を下げている。
「それにしても、まさかリチャード王子から直々のお誘いとは。フィー、一体何をしたんだい?」
「え、王子様には何もしていないのです。一緒に馬車に乗ったり、新年の宴の前に少し顔を見たくらいで」
「……王子様には?」
母が怪訝そうに、フィロメーナを見つめてくる。フィロメーナは少し居心地が悪い思いをしながら、小さな声で言う。
「レオン様には、いろいろと変なことをしてしまいました……」
キスとか。共寝とか。思い出すと顔から火が出そうになる。
しん、と夕食の席が静まり返った。青ざめる父と母。
ベルヴィードとオルドレードはというと、こそこそと真面目な顔をして相談し始めた。
「……ベル兄、王子と公爵令息は仲が良いんだよな?」
「その通りだよ、オル。もしかしたら、あの公爵令息が王子に何か言ったのかも。ほら、フィーの可愛らしい変な仕草とか、ちょっと変わった愛らしいところとか……。とすると、フィーが危ないかもれしない!」
「……大変だ!」
「王子からフィーを守らないと!」
がしっと手と手を取り合って、兄二人がこくりと頷き合う。相変わらず最愛の妹であるフィロメーナが絡むと、突拍子もない発想に至る人たちだ。
フィロメーナはもちろん、父と母も、微妙な顔になってしまう。
「あの、ベル兄様、オル兄様。心配はいらないと思うのです。レオン様も王子様も、とてもお優しい方ですから。その、危ないことなんてないのですよ」
一応、兄たちにそう言ってみる。けれど、兄たちには全く響かなかった。
「フィー、あの王子は優しい顔をしているように見えて、裏では冷酷な顔をしているタイプだよ! あの凍るような色の髪、突き刺すような金の瞳……思い出すだけで震えが!」
「……それに、男はみな、狼だ!」
いや、レオンハルトは狼というよりライオンだったけど。
「舞踏会には、僕とオルも一緒に行くからね。王子だろうが、公爵令息だろうが、フィーには指一本触れさせない!」
いや、もう指一本どころではないほど触れた後だけど。
――この突っ込み、何回目だろう。
フィロメーナは少し疲れを感じながらも、舞踏会に思いを馳せる。
目立たない伯爵令嬢が、人気の高い公爵令息に会うことができる貴重な機会。絶対に無駄にしないようにしよう、と小さく拳を握った。




