29:気付いては駄目(8)
「完成、です……!」
手のひらに、出来あがったばかりのあみぐるみを乗せて、フィロメーナは振り返った。
すぐ隣にいたレオンハルトが、本から顔を上げる。
もう日は沈み、夜の帳が下りていた。あみぐるみは、居間の明かりの下できらきらと輝いている。
うすいオレンジの丸い体。三角の耳はぴんと立っている。くるんと短いローズピンクのしっぽに、大きな鼻が可愛らしいあみぐるみ。
「これは……ぶただな!」
「その通り、ぶたさんなのです! 鼻の穴のところはローズピンクの毛糸でストレートステッチしてみました!」
レオンハルトの目の前に、ぶたのあみぐるみを置く。レオンハルトはまじまじとぶたの顔を見つめ、ひとつ頷いた。
「さすがメーナ。すごく丁寧に編んでいるな」
「ふふ、優しいお顔のぶたさんになってくれました。可愛いです」
「……俺の方が、優しい。たぶん」
「え?」
なぜかレオンハルト、ぶたのあみぐるみと張り合う。しかも、外見ではなく内面で。
「さあ、最後の儀式をするぞ! これで、このあみぐるみ姿ともお別れだ!」
ぽふっとオレンジ色の丸い手を叩いて、レオンハルトが立ち上がる。ぶたのあみぐるみを大事そうに抱えると、そのままとてとてと歩いていく。
フィロメーナは慌ててその後ろを追いかけた。
魔法陣のある部屋に辿り着くと、レオンハルトはそっとぶたのあみぐるみを置く。
丸い円の中に星が入っているみたいな魔法陣。星の頂点に、犬、ねこ、うさぎ、りす、そしてぶたが綺麗に配置される形になった。
「いよいよ、だな」
「はい」
魔法陣の中に立って、レオンハルトと向かい合う。そっとレオンハルトを抱き上げると、フィロメーナはぎゅっとその体を抱き締めた。
ふわりと良い匂いがする。優しい匂い。
この儀式が終われば、このライオンのあみぐるみ姿はもう二度と見られなくなる。
だから、その姿を心に刻みつけておきたくて。
フィロメーナは黙ってレオンハルトを抱き締め続けた。
「……メーナ」
レオンハルトの手が、フィロメーナの頭をぽふぽふと撫でてきた。フィロメーナはその優しい感触に小さく微笑んで、ゆっくりと深呼吸をする。
「……最後の儀式、やってしまいましょう。呪いを、解くのです」
「ああ……行くぞ」
レオンハルトのもふっとした口元が、唇に当たった。
ぱふん、と音がして、レオンハルトの体が人間のものへと変わっていく。と同時に、魔法陣から光と風が吹き出してきた。
五つのあみぐるみたちが、レオンハルトとフィロメーナのまわりをくるくると飛び回り始める。溢れ出す虹色の光の中、あみぐるみたちはまるで生きているかのように手足をぴこぴこ動かしていた。
犬、ねこ、うさぎ、りす、ぶた。ひとつずつ、その姿が消えていく。
どの子も去り際に、可愛らしくその手をふりふりして。
全てのあみぐるみの姿が消えると、光と風がおさまった。部屋の中に静寂が訪れる。
――これで、呪いが完全に解けたはずだ。
フィロメーナは人間に戻ったレオンハルトを見上げた。レオンハルトもフィロメーナをじっと見つめてくる。
その表情はとても穏やかなものだったけれど――不意に、その瞳が熱っぽく揺れた。
「メーナ……」
ぐっとレオンハルトに引き寄せられる。それから、顎に指を添えられた。
吐息をすぐ傍に感じるほどの距離で、視線が絡み合う。
そして、優しく唇を重ねられた。
鼓動が跳ねる。
もう儀式は終わったはずなのに、どうして?
あみぐるみの時とは全然違う感触に、頭の中が真っ白になる。
熱くて、甘くて、溶けてしまいそう。
レオンハルトの腕の中は居心地が良い。このままずっと、こうしていたいと願ってしまうくらいに。
そっと、唇が離された。熱い吐息が、頬に触れる。
レオンハルトとまた目が合って、フィロメーナの顔に一気に熱が上った。
「レ、レオン様……?」
「嫌だったか?」
「い、嫌ではないですけど、あの……」
儀式でもないのに、どうしてキスをするの?
なんで、そんな甘い笑顔で、こっちを見るの?
聞きたいことが次から次へと湧き出てくるけれど、フィロメーナは何ひとつ言葉にはできなかった。
ただ恥ずかしくて。
それ以上、レオンハルトの傍にいることが耐えられなくて。
全身を火照らせたまま、くるりと後ろを向く。
「メーナ、俺は……」
レオンハルトの声に、またも心臓が跳ねる。ふるふると首を振って、フィロメーナは駆けだした。
(駄目! 恥ずかしくて顔が見られないのですー!)
ばっと扉を開けて、廊下を走る。頬に手を当てて、涙目でとにかく逃げた。
走って走って、走り疲れて。壁にもたれかかって、へなへなと座り込む。
どうでも良いけど、この屋敷、広すぎないだろうか。結構本気で遠くまで来てしまった気がする。
全然見覚えのない場所。なんとも情けないことに、フィロメーナは迷子になってしまったようだ。
(……レオン様)
ひんやりとした白い壁に頬を当てて、大きく息を吐く。呼吸はいまだ荒く、落ち着くまでにはもうしばらくかかりそうだ。
窓の外はもう真っ暗で、淡い月の光に目を細める。木々が風に揺れ、小さく葉が擦れる音が耳の奥に響いた。
(レオン様、レオン様……)
ぐるぐると頭の中で、先程のことがリフレインする。
無意識に、唇に指を添えてしまう。
熱い。とにかく、熱くてたまらない。
(私、私は、レオン様のことが……)
その夜から、フィロメーナは熱を出してしまった。
恐らく疲労が原因だったのだろう。朦朧とした意識が続き、数日を過ごす羽目になる。
レオンハルトの言いかけた言葉の先。
フィロメーナ自身の心の声。
何ひとつ確認することもできないまま、とうとう兄たちが屋敷にやって来てしまった。
そう、フィロメーナを迎えに――。




