27:気付いては駄目(6)
屋敷の庭に、小さな花が咲いているのが見えた。春の気配に気分も浮き立つ。
もう三月、かなり風も柔らかくなってきた。
部屋の窓から見える景色に満足して、フィロメーナはそっと窓を閉める。
「さて、そろそろ居間に行って、最後のあみぐるみさんを作らないと!」
スカートの裾を翻し、部屋を出る。フィロメーナにあてがわれた部屋から居間までの道は、もうさすがに覚えた。筋金入りの方向音痴でも、慣れた場所なら迷ったりなんかしない。自信満々で歩いていける。
朝の光が差し込む廊下を進みながら、外から聞こえる鳥の声に耳を澄ませる。楽しそうな囀りに、笑みが零れた。
居間の扉を開くと、そこにはレオンハルトがいた。ふかふかの絨毯の上に、ちょこんと座っている。オレンジ色の小さなしっぽが可愛らしく揺れるのが見えた。
「レオン様? 何をしていらっしゃるのですか?」
「ああ、メーナか。見ての通り、解呪の魔導書を眺めていたんだ」
「魔導書を?」
確かにレオンハルトの前には、解呪の魔導書が広げられている。でも、この魔導書の中身は全て日本語。彼には読めないはずだけど。
つい首を傾げてしまったフィロメーナに、レオンハルトが小さく笑ってみせる。
「俺は確かにこの魔導書を読み解くことはできない。ただ、この意味不明の図から、次は何が生まれるのかを想像していたんだ。……最後も、何かの動物なんだよな?」
「そうですね。幸運を呼ぶ動物さんなのです」
「パーツはどうやら十個必要らしい、というところまでは分かったんだ。頭と胴体、しっぽがひとつずつ、耳が二つに足が四つ、あとひとつは何だ?」
思ったより真剣に読み解こうとしていたらしい。丸っこいオレンジの手で、魔導書の編み図をぽふぽふと指しながら、小首を傾げている。
可愛らしい仕草に、フィロメーナの胸の奥がほわっと温まった。
「えっと、お鼻ですね。大きなお鼻がおちゃめな子なのです」
「鼻か……」
顎に手を当てて、うーんと考え込むレオンハルト。フィロメーナはくすくす笑いながら、かぎ針を手に取った。
「すぐに編みますね! 待っていてくださいなのです!」
「ああ、楽しみにしている。……それはそうと、メーナ」
「はい?」
「前に買った刺しゅう糸のセット、まだ使っていないみたいだな?」
どきりと心臓が鳴る。レオンハルトと一緒に王都の街へお出掛けした時に買ってもらった刺しゅう糸。
最後のあみぐるみを作る前にその刺しゅう糸の作品を作れば良いと、レオンハルトは言ってくれていたけれど――。
「えっと、やっぱり呪いを解くあみぐるみさんを先に作りたくて。刺しゅう糸の方は、解呪の儀式が終わってから、ゆっくり編みたいのです……」
「……そうか」
レオンハルトは目を逸らし、窓の外を眺めた。少しだけ、気まずい空気が流れる。
街に二人きりでお出掛けして、一緒のベッドで眠るようになったあの日から。
レオンハルトとフィロメーナの距離は、必要以上に近付いてしまった気がする。
完全な解呪を目前にして、今、二人ともどこか怖じ気づいていた。できる限り、期限ギリギリまで呪いを解かないように引き延ばそうとしている。
でも、もうすぐ四月。いつまでも、このままではいられない。
しんとしてしまった居間。そこに、ひょっこりと顔を出したのはトビアスだった。
「レオンハルト様! 公爵家の本邸から荷物が届いたんすけど、どこに運べば良いっすか?」
「ああ、やっと届いたのか。そうだな、書庫……いや、俺の部屋に運んでくれ」
「了解っす!」
トビアスは無駄に凛々しいポーズを決めた後、スキップをするようにして去っていった。なんだか知らないけれど、とても機嫌が良さそうだ。
上機嫌なトビアスの後ろ姿に、レオンハルトはやれやれと首を振った。そして、ぴょこんと立ち上がると、居間から出ていこうとする。
「レオン様? どちらに行かれるのですか?」
「俺の部屋に。本邸から取り寄せた資料に目を通しておきたいんだ」
「そ、そうなのですか……」
フィロメーナはしょぼんと項垂れた。これまでずっと、あみぐるみを作る時はレオンハルトが傍にいてくれた。だから今回も、と期待してしまっていた。
彼が隣にいてくれないと思うと、急に寂しさが押し寄せてくる。
「……なんて顔をしているんだ、メーナ。もしかして、俺がいないと寂しいのか?」
からかうような声音で、レオンハルトが見つめてきた。フィロメーナは素直にこくりと頷いて、へにゃりと眉を下げる。
それが意外だったのか、レオンハルトが少し後ずさった。
「え、本当に俺がいないと寂しい?」
「はい。ずっと傍にいてほしいのです」
「……分かった」
とたとたとレオンハルトが駆け寄ってきて、フィロメーナの膝をぽふぽふと叩いた。まるで安心させるかのように、とても優しく。
「なら、ここで資料を読むことにする。……ずっと、一緒だ」
「……はい!」
ずっと、一緒。なんて嬉しい言葉なのだろう。
フィロメーナはほっとして、ついにこにこしてしまう。あと少ししかここにはいられないけれど、あみぐるみを編む間はレオンハルトと離れなくても良い。
それが、すごく嬉しい。
「じゃあ、トビアスに荷物を俺の部屋じゃなくて、ここに運ぶように言わないといけないな。……ちょっと待っててくれ、すぐに戻るからな」
レオンハルトは優しくそう言うと、背伸びをしてフィロメーナの頭を撫でてくれた。
それから、驚くほどのスピードで居間から出ていく。
――速い。
もう見えなくなった。軽い足音が屋敷の奥へと消える。
と思っていたら、またすぐに足音が復活し、レオンハルトが居間に戻ってきた。
すごい。あの短い足でよくここまでのスピードが出せるものだ。
「はあ、トビアスに、言ってきた。これで、大丈夫、だ……」
「すごく息が切れていますね。そんなに急がなくても良かったですのに」
「……メーナを、寂しがらせたく、なかったから」
ふうと汗を拭う仕草をするレオンハルト。フィロメーナはなんだか胸の奥がむずむずしてきてしまう。
(レオン様、本当に、本当に、優しすぎなのです……)
頬を染めながらレオンハルトを見つめる。レオンハルトは満足そうに頷くと、フィロメーナの隣にぴたりとくっついてきた。ほわほわした温かさに、笑みが零れる。
とその時、居間に大きな箱を抱えたトビアスが現れた。箱が重いのだろう、足がふらついている。
「レオンハルト様、こ、ここで良いんすか?」
「ああ、悪いな。助かる」
「できれば、レオンハルト様の部屋に運ぶ前に、言ってほしかったっすけどね……」
どうやら、一度レオンハルトの部屋に荷物を運んでしまっていたらしい。無駄に重い荷物をあちこち運ばされてしまったトビアスは、疲れ切った顔をしている。
窓際にあるスツールの隣に、重い荷物がどさっという大きな音とともに置かれた。
フィロメーナは、ひょいっとその箱の中を覗いてみる。
「……これは、本ですか? 随分と古いものみたいですけど」
「ああ、これは『魔』の公爵家で保管されていた禁書だ。『古の魔女』について書いてある」
「古の魔女……? あ、ドドガル様が仰っていた、あの……?」
レオンハルトが神妙に頷いた。
古の魔女とレオンハルトの呪い。どんな関係があるのだろうか――。
最後のあみぐるみは、うすいオレンジとローズピンクの毛糸で作ります。
幸運を呼ぶ動物と言われていて、大きなお鼻がおちゃめな、あの子!
さて、何の動物さんでしょう?
答えは、29話!




