表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/51

25:気付いては駄目(4)

「え? いえ、そんな……」


 フィロメーナは慌てて手を振って遠慮する。本物の婚約者同士なら、こういうやり取りも普通なのかもしれないけれど。レオンハルトとはもうすぐお別れする予定なのだから、甘えるわけにはいかない。


 でも、レオンハルトも引こうとしなかった。可愛らしい春色の毛糸を手に取って、フィロメーナの前に差し出してくる。


「こういうの、嫌いか? あ、それとも宝石のついたアクセサリーとかの方が良いか?」

「ひっ! 高価なものは恐れ多いのです!」

「くくっ、だろうな。メーナは伯爵令嬢にしては、あまり贅沢(ぜいたく)を好まないタイプのようだから」


 前世が貧乏暮らしだったせいで、フィロメーナはどうしても高価なものを見ると緊張してしまう。そして、売ったらいくらになるかを考えてしまう。

 きっと、そういうところも一風変わった令嬢と言われる由縁なのだけれど。


 次から次へと、あれが良いかこれが良いかと毛糸を差し出されて、フィロメーナは困惑する。たぶん、何か欲しいものを選ばない限り、この店から出られない――そんな気がする。


「あ、じゃあ……」


 おずおずと選んだのは、刺しゅう糸のセットだった。それから、2/0号のかぎ針。


「刺しゅう糸とかぎ針? 刺しゅう針ではなく?」

「はい。実は、刺しゅう糸でも面白いものが編めちゃうのです!」


 刺しゅう糸は、毛糸と比べると格段に色のバリエーションが豊富だ。好みの色が見つかりやすいので、作品も納得のいく色で編むことができる。


 刺しゅう糸は六本の束になっているのだけれど、なんと2/0号のかぎ針を使えば、六本どりそのままの太さで編むことが可能。気軽に可愛いものが編めるのだ。

 そういうわけで、刺しゅう糸の編み物、すごくおすすめ。


「面白いものって……?」

「あみぐるみの世界は奥が深いのです! 可愛い動物さんだけが全てではないのですよ!」


 黄土色にピンク、赤に生成り、それから緑色。色鮮やかな刺しゅう糸を見つめて、フィロメーナは微笑んだ。質の良い刺しゅう糸なのだろう、店の明かりに照らされて、キラキラと輝いている。


「……じゃあ、これを買おう。この刺しゅう糸でメーナが何を作るのか、楽しみだな」

「ふふ、とっても可愛いものですよ! ……あ、でも」

「ん?」

「呪いを解くためのあみぐるみさんは、残すところ、あとひとつだけなのです。それを作り終えたら、呪いは完全に解けますし、その……」


 そうなったら婚約は解消され、フィロメーナは伯爵家に戻る。この刺しゅう糸で編むものを、レオンハルトに見てもらう機会なんてあるのだろうか。


 レオンハルトとフィロメーナの視線が絡む。


「あみぐるみよりも先に、その刺しゅう糸の作品を編めば良い」

「そんなことをしたら、呪いを解くのが遅くなってしまいます! あの、呪いを解く期限は半年……つまり、四月までですよね。今は二月ですし、あとひと月ちょっとしか残ってないのです……」


 もし、期限内に呪いが解けなければ、二人は結婚することになる。そうなると、お互いに自由になる機会を失ってしまう。

 フィロメーナはそれでも良いけれど、レオンハルトは困るだろう。


 だって、彼は婚約解消することを望んでいるのだから。


 彼にとって、この婚約は不本意なもの。一刻も早く解消したいと考えているはず。

 だから、フィロメーナは期限内に呪いを解いてあげないといけない。


 そうしないと、きっと、レオンハルトに嫌われてしまう。

 そんなのは、絶対に嫌だった。


「レオン様、やっぱり呪いを解くあみぐるみを優先して作った方が……」

「君は、本当に俺の呪いを解きたいか?」

「え……?」


 思いもよらない問いかけに、固まってしまう。レオンハルトは目を細め、長い指でフィロメーナの髪を一房すくった。


「君が、俺との婚約を解消して、自由になりたがっているのは知っている。でも、俺は」


 レオンハルトの唇が、フィロメーナの髪に触れる寸前で、止まった。


「俺は……いや、何でもない」


 するりとフィロメーナの髪がレオンハルトの指の間を擦り抜けていく。

 少し伏し目がちになったレオンハルトの横顔。橙色の瞳に、(かす)かに影が落ちる。


(もしかして、レオン様も婚約解消したくない、とか……?)


 つい、自分に都合の良い妄想をしそうになり、慌てて首を振った。こんな地味な女を望む公爵令息なんているわけがない。


 レオンハルトもフィロメーナもしばらく無言で突っ立っていたけれど、夕刻の鐘の音が聞こえてきて、はっとしたように動き始めた。

 毛糸や刺しゅう糸のセットの会計を済ませ、店を出る。


 レオンハルトが人間に変身したのは、昼前の十一時半頃。あと三十分もすれば、あみぐるみに戻ってしまう時間になる。二人は急いで馬車へと向かった。


 と、その時。


「レオンハルト、お前、なぜこんなところに」


 野太い声が後方から聞こえてきて、二人は揃って振り返った。

 そこに立っていたのは、鋭い目つき、団子鼻、がばりと大きな口を持つ、嫌な男だった。思わずフィロメーナは(しか)めっ面をしてしまう。


 この人は確か、「武」の公爵家の――。


「……ドドガル」


 レオンハルトの嫌そうな声。なんでこんな時に会ってしまうのだろうか。どうせ会うなら優しい王子様が良かった。こんな怪物騎士なんかではなく。


「本当に呪いが解けたのか、お前? 嘘だろう? あれは『魔』の公爵家でもどうにもできない、厄介な呪いだったはずだ」

「答える義務はない。……行こう、メーナ」


 ドドガルの視線から(かば)うように、レオンハルトがフィロメーナをエスコートする。


 けれど、ドドガルはそんなレオンハルトの態度が気に入らなかったようで、妨害するように立ちはだかってきた。

 こんなところで無駄に時間を食うわけにはいかない。あみぐるみに戻ってしまう時間が迫っている。


「どいてくれ、ドドガル」

(うるさ)い! あの呪いが簡単に解けるはずがないんだ! あれは(いにしえ)の魔女の……」

「古の魔女?」


 レオンハルトが片眉を跳ね上げて、ドドガルを睨みつけた。


「どういうことだ? 呪いについて、何か知っているのか?」

「し、知らない! ……そんなことより、こんな地味な女を連れて何をしているんだ!」


 焦ったドドガルにいきなり腕を引かれたフィロメーナは、痛みに小さな悲鳴をあげた。伯爵令嬢として生まれ変わってから、こんな扱いをされたことがなかったので、心底(おび)えてしまう。


 ドドガルは血管の浮き出た手で、フィロメーナの腕をぎりぎりと力を込めて掴んでくる。どんどん増してくる痛みに、喉の奥が詰まったようになった。


 ――芽衣菜(めいな)だった時は、いつも、こんな風だった。

「痛いこと」は当たり前。

 誰も、助けてなんかくれない。


 それを急に思い出し、視界が(にじ)んできた。


「メーナ!」


 レオンハルトの声が聞こえた。と、同時に鋭い風がドドガルの手を引き剥がしてくれる。

 それから、ふわりとフィロメーナの体が宙に浮いた。


「……え? ええっ?」


 何が起こった? 空中浮遊している?


 急なことに大混乱しながらあわあわしていると、レオンハルトに抱き留められた。

 ――まさかの、お姫様抱っこで。


「きゃああっ?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ