表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/51

23:気付いては駄目(2)

 ――夢を、見ていた。前世の夢だ。


 芽衣菜(めいな)、社会人。会社の上司に怒鳴られ、心が擦り切れていた時の記憶。


 朝九時に出社し、夜十一時になる頃に家に帰る。一人暮らしなので、家に帰っても誰もいない。会社でどんな辛い目に遭っても、慰めてくれる人なんてどこにもいなかった。


 芽衣菜の働いていた会社は、仕事ができない人を馬鹿にするようなところだった。幸い、同期の子たちは優しい人ばかりだったので、仕事のできない芽衣菜が仲間外れになることはなかったけれど。


 芽衣菜は人間関係を築くのが本当に下手だった。だから、優しい同僚がいても、孤独感からは抜け出せずにいた。


「いつまで新人のつもりでいるんだ? お前と同じ年に入った社員は、もっと数字を出しているだろう」

「……すみません」


 上司の、厳しい叱責の声。芽衣菜はただ、謝罪の言葉を口にするしかない。


 訪問販売の営業なんて、芽衣菜には向いていないのだ。

 辞めたくてたまらないのに、どこか思考は狂っていて、ずるずると働き続ける。

 そして、その日も営業車に乗り込んだ。


 高速道路を走る。まっすぐに伸びる面白みのない道は、馬鹿みたいに遠くまで続いていた。


 他人の家の呼び鈴を鳴らすのは、いつも恐い。大体みんな、嫌そうな顔をする。

 あの「お前、誰?」みたいな目は、いつだって芽衣菜を(さいな)んだ。練習した営業トークを、必死でしゃべる毎日。


 でも、まあすぐに「いらない」と断ってくる人はまだ良かった。さっさと次の家に行くことができるから。困るのは、こっちの話を長々と聞くだけ聞いて、「いや、いらないけど」という人だ。

 貴重な時間が無駄になる。買う気がないなら、三十分もトークさせないでほしい。


 その日、そういう困った人に何回か当たってしまって、結局商品がひとつも売れなかった。

 外はもう真っ暗で、そろそろ他人の家を訪れてはいけない時間になってしまう。


 ああ、今日はもう、諦めないと駄目みたいだ。


「どうしよう、また、怒られる」


 芽衣菜は会社に戻るのが恐くて、震えた。運転する手が強張(こわば)り、ハンドルを上手く握れなくなる。

 ふっと短く息を吐いて、助手席に置いた灰色の鞄を見る。お守り代わりにつけているひよこのあみぐるみが、可愛らしく揺れていた。


「……大丈夫、私には、あみぐるみがいてくれるもん」


 あみぐるみを(つつ)いて、なんとか微笑む。そして、ゆっくりとアクセルを踏んだ。


 それから後のことは、断片的にしか覚えていない。


 橙色の光に照らされた、夜の高速道路。

 ところどころ意識が飛び、そのたびはっと顔を上げる。

 白っぽく浮かび上がる中央分離帯。


 そして――……。


 いつも、いつも、芽衣菜は大事にしてもらえない。

 最後の最後まで、散々だった。




 芽衣菜がいなくなって、あの冷たかった家族はどんな顔をしただろう。

 怒鳴ってばかりだった上司は、少しくらい反省しただろうか。

 仲良くしてくれようと声を掛けてくれた同期の子たちは、どんな風に思ったかな。


 芽衣菜は、暗い暗い闇の底で、ただ静かに目を閉じる。




 そんな、辛くて苦しい思い出ばかりの、何の意味もなかった芽衣菜の人生。

 だからこそ、次に目を開けた時に見えたものに驚いた。


「――あ、あかちゃん、おきた!」

「かわいいねえ」


 こちらを覗き込んでくる、外国人みたいな可愛らしい子どもたち。四歳くらいの子と、二歳くらいの子だ。彼らはほわっと優しい笑顔を向けてくる。


 そう、芽衣菜は伯爵家のフィロメーナとして生まれ変わっていた。

 子どもたちは、フィロメーナの兄のベルヴィードとオルドレード。妹が可愛くて仕方ないようで、温かな言葉で芽衣菜を包んでくれる。


「これからは、ぼくたちがフィーをまもるからね」

「まもるー」


 とりあえず、わけが分からなかったけれど――芽衣菜は、笑った。


 優しくて、温かくて、幸せな人生が始まる。

 そんな予感がしたから。



 *



 目が覚めた。見慣れた天井の模様が目に入ってくる。

 ここはフィロメーナにあてがわれた部屋のベッドのようだ。馴染みのある布団の感触に、少し安心した。


「メーナ」


 すぐ隣で、低くて優しい声がした。導かれるように、その声の主の方へと顔を向ける。


「……レオン様? 私、どうして……」

「儀式の後、君は気を失ってしまったんだ。いきなり倒れるから、焦ったよ」

「え、私が? レオン様ではなくて?」

「そう、君が。俺も驚いた」


 フィロメーナは目を瞬かせる。気絶するのはレオンハルトの専売特許かと思っていたのに。


「どこか痛いところはないか? ちゃんと受け止めたつもりなんだが」

「あ、大丈夫です。どこも痛くないのです」

「そうか、良かった」


 そう言って、レオンハルトは微笑んだ。さらさらの赤髪が揺れ、橙色の瞳が優しく細められている。

 レオンハルトはそっと、フィロメーナの手を握ってくれた。大きくて温かい手のひらに包まれて、フィロメーナの心がほわほわと癒されていく――。


 と、ここではっと気付いた。


「レオン様、人間の姿のままですね?」

「ん? ああ、そうだな。儀式をしてから、そろそろ五時間くらい経つ」

「今回も、呪いを解く儀式は問題なく終わったということですか?」


 こくりとレオンハルトが頷いた。

 時計を確認すると、もうすぐ二十時になるところだった。日はすっかり暮れており、照明の柔らかな光が部屋を照らしている。


「良かったです……」

「メーナ、君のおかげだ。本当に、いつもありがとう。……それで、その……」


 何かを言おうとして、視線をうろうろさせるレオンハルト。フィロメーナがきょとんとしながら見ていると、レオンハルトは照れ臭そうに頬を掻いた。

 頬をほんのりと赤らめながら、視線を合わせずに口を開く。


「メーナさえ良ければ、の話ではあるんだが」

「な、なんですか?」


 改まった雰囲気に、どきりとしてしまう。レオンハルトに釣られて、フィロメーナの頬もなんだか熱くなってきた。


 ぱっと一瞬、レオンハルトと目が合う。

 フィロメーナは慌てて視線を下に落とし、小さく震えた。


 なんだろう、すごく恥ずかしい。鼓動も速くなってきた。


(レオン様が、いつもよりイケメンに見えます! いつも傍にいて優しくしてくださるし、こんなの、こんなの、ドキドキして当然なのですー!)


 フィロメーナは心の中で叫ぶ。


 そんなフィロメーナの心情に気付くわけもなく、レオンハルトはこほんとひとつ咳払いをした。

 そして、顎を引き、真剣な眼差しでフィロメーナを見つめてくる。


「もし良ければ、今度の日曜日、俺と一緒に王都の街へ行かないか? その、日頃の感謝を込めて、君に何かお礼がしたいんだ……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ