2:婚約者様はあみぐるみ(2)
秋の色に染まった長閑な道を、馬車に乗って駆ける。窓から見える景色は、紅や黄色の葉っぱのおかげで、とても鮮やかで綺麗だ。
「……ベル兄様、オル兄様。私、緊張してきました」
フィロメーナは今、兄二人と一緒に婚約者であるレオンハルトの屋敷へと向かっている。
化け物になったという公爵令息レオンハルト。彼は郊外の屋敷に引き籠もる生活を送っているらしい。そこは公爵家の別邸なのだという。顔合わせをするためには、フィロメーナがその別邸にいるレオンハルトに会いに行くしかなかった。
馬車で半日はかかる距離。顔も知らない婚約者。兄たちが一緒に来てくれなかったら、心細くて泣いていたと思う。
目的地がだんだん近付いてきて、フィロメーナの鼓動が速くなる。
「リラックスして、フィー。大丈夫、何かあっても僕が必ずフィーを守るからね」
一番上の兄ベルヴィードが優しい微笑みを浮かべ、温かな声でフィロメーナに囁いてくる。それに続き、二番目の兄オルドレードもフィロメーナの手を取り、熱い眼差しで見つめてきた。
「……オレも、守る」
「ありがとうございます、ベル兄様、オル兄様。私、兄様たちの妹で良かったです!」
へにゃりと笑ってみせると、兄二人は揃って「フィー、可愛い」と天を仰いだ。
相変わらずの溺愛っぷりだ。
「でも、呪われた姿ってどんなのだろうね? 恐ろしい化け物だとか、おぞましい異形だとか、そんな噂ばかりだけど。フィーはどう思う?」
「そうですね……。充血して飛び出した目がひとつとか、手のひらに歯が生えているとか、足が八本あるとか……だと思います!」
「うおお、フィーはものすごいものを想像するね! 今、背筋がぞっとした」
図らずも兄を恐がらせてしまったようだ。腕をさすりながら青ざめている兄を見て、フィロメーナはちょっと反省した。
「兄様たちはどんなのを想像していますか?」
「うーん、顔の半分にアザがあるとか、片腕が真っ黒に染まっているとか?」
「控えめな呪いイメージなのですね……」
フィロメーナは兄より過激な呪いイメージを持っていたことに、軽くショックを受ける。たぶん、こういうところが一風変わった令嬢と言われる由縁なのだろう。恥ずかしい。
そんな雑談をしていると、ようやく公爵令息レオンハルトが住んでいるという屋敷が見えてきた。
郊外に位置するその屋敷はとても大きく、立派なものだった。フィロメーナが生まれ育った伯爵邸と比べても、軽く二倍はありそうだ。屋敷のまわりを囲う煉瓦の壁は頑丈そうで、外敵を寄せつけない雰囲気がある。
だけど。
「うわあ、呪いの屋敷って感じだな……」
馬車から降りたベルヴィードが、眉を顰めた。続いて降りたオルドレードも、険しい顔で屋敷を見上げる。
「……静かすぎる」
二人の兄の手を借りて、フィロメーナも馬車から降りる。そして、その屋敷をしっかりと見つめた。
赤茶色の壁を覆うようにツタが蔓延り、枯れた葉が屋根の端に引っ掛かっている。窓も掃除されていないのか、うっすらと汚れて曇っていた。
周囲が森ということもあり、どこか鬱蒼としていて陰気な感じが漂う建物。何か得体の知れないものが飛び出してきそうで、ぞっとする。
さらに不気味なのは、人の気配がしないこと。一体、どうなっているのか。
「とにかく、屋敷にいる人間に声を掛けてみよう。さすがに誰もいないってことはないだろう。門は開いているみたいだし、問題はないはずだ」
ベルヴィードとオルドレードに挟まれるようにして、フィロメーナは歩きだした。
玄関の扉に施された装飾は、とても凝ったものだった。この扉だけでも高く売れそうな気がする。ノックをするのも勇気がいりそうだ。
ベルヴィードがごくりと喉を鳴らし、ゆっくりと扉に向き合う。
コンコン。
高級そうなノックの音が響く。けれど、誰も現れない。
「おかしいな、なぜ誰も来ないんだ」
「もう一度ノックしてみましょう、ベル兄様」
「そうだね」
二回目のノックの音で、やっと一人の使用人が姿を現した。二十代半ばくらいの若い男性の使用人は、慌てた様子で三兄妹を出迎えた。
「ああ、伯爵家のお嬢様ですね! ようこそ、いらっしゃいました。ひとまず、中にお入りください」
使用人に導かれ、応接室へと通される。置いてある家具や小物がどれも高級そうに見えて、フィロメーナは身を縮こまらせた。
(さすが、公爵令息様が住むお屋敷なのです! 格が違います!)
黒くつやつやした机に並べられる、高そうな紅茶。カップもスプーンも一目で高級品だと分かる。あまりの恐れ多い状況に震えが止まらない。
こんなすごい屋敷に住むレオンハルトという人は、一体どんな人なんだろうと不安になってくる。顔を合わせるのが恐くて仕方ない。
けれど、そんな心配は必要なかったようだ。なぜなら。
「申し訳ございません。レオンハルト様は、お嬢様と顔を合わせたくない、と……」
使用人がそう言って、何度も何度も頭を下げてきたから。
要するに、レオンハルト本人は、この場に姿を現さなかったのだ。
「伯爵家のお嬢様、そしてお兄様がた! もうすぐ日も暮れますし、良かったらこの屋敷に一泊していかれませんか? その、レオンハルト様は顔を出さないと思うのですが、おいしい食事は提供できますので!」
使用人はどことなく必死になって、フィロメーナたちを引き止める。フィロメーナは兄二人を見上げ、こてりと首を傾げた。
「兄様たち、どうしますか?」
「うーん、来いって言ったくせに公爵様もいないし。ここに留まっても、顔合わせにならないよな……」
ベルヴィードもオルドレードも眉間に皺を寄せ、首を左右に振ってみせる。
すると、使用人が焦った顔で提案してきた。
「食べたいものがあれば、教えてください! 準備できるものは全て準備させていただきます! なので、どうか……」
「ええ……? じゃあ、王族が飲むような高級なお酒が飲めるかな?」
「お任せください!」
使用人はキリッとした顔をしたかと思うと、屋敷の奥へと猛ダッシュで消えていった。
「……え、これ、泊まることになったのか?」
「……そうみたいですね」
兄妹三人、顔を見合わせて微妙な表情になってしまう。
顔を見せない公爵令息レオンハルト。やたら引き止めようとする使用人。
この屋敷には妙な人間しかいないのだろうか。
けれど、夕食は本当においしかったし、兄たちも高級酒に満足したようだし、泊まることになったのは正解だったかもしれない。
――と、フィロメーナは思っていた。
そう、夜中に目が覚めてしまい、この広い屋敷で迷子になるまでは。