19:お城の宴(3)
青い空に、白いお城はよく映える。
尖った屋根に、数え切れないほどの窓。どこまでも広がっていそうな庭園に、初代国王の像。目に入るもの全てが珍しく、また高価そうで息を呑む。
繊細な彫刻がなされた扉を通り抜け、城の中へと足を踏み入れた。足元に敷かれている赤い絨毯も、一目で高級品だと分かる。その上を歩くのには勇気が必要だった。足が面白いほど、がくがくする。
「フィロメーナ、落ち着け。ちょっと宴に顔を出したらすぐに帰る予定だし、そんなに緊張することはない」
「レオンハルト様……」
フィロメーナは涙目になりながら、腕の中のレオンハルトを抱き締めた。
今、フィロメーナが身に纏っているのは、レオンハルトたちが手配してくれた豪華なドレスだ。宝石や刺繍で装飾されており、スカートの裾が丸く広がっている。丈は床につくかつかないかほどで、震える足を覆い隠してくれていた。
急に用意したドレスなので気に入らないかも、とレオンハルトは頭を下げていたのだけれど。
実家である伯爵家が総力を持って準備したくらいのレベルのドレスだ。なんだか、こういうところで身分の差を思い知る。
伯爵家も決して貧乏ではないはずなのに。上には上がいるものだ。
「フィロメーナ、そこを左に。城は特に迷いやすいからな、気をつけてくれ」
「は、はい!」
俯きそうになるのを堪えて、ぐっと前を見据えると、やけにきらびやかな集団が見えた。宴に招待された貴族なのだろうか、すごくきらきらしていて眩しい。仲良さげな貴族の親子の傍に、使用人たちも控えているみたいだ。軽く十人ほどの人がいる。
その集団を目にした途端、腕の中のレオンハルトが小さく呻く。どうしたのかとフィロメーナがレオンハルトを窺うと、レオンハルトは小声で呟いた。
「あれは、『魔』の公爵家の人間だ」
「『魔』の……? ということは、レオンハルト様のご家族ですか?」
「そういうことになるかな」
集団で一番年長らしい赤髪の男性は、言われてみれば人間姿のレオンハルトに似ている気がした。父親なのだろうか。その隣にいる気の強そうな女性は母親で、あとは弟と妹といったところだろう。
「見つかったら面倒だ。今来た道に戻ろう」
レオンハルトの声は固い。家族に会いたくないようだ。フィロメーナはこくりと頷くと、踵を返し、戻ろうとする。
――けれど。
「あ、レオンハルト兄様?」
十代前半くらいの少女が、こちらに気付いた。レオンハルトとよく似た赤い髪をふんわりと揺らし、小首を傾げている。妹であろうその少女は、フィロメーナたちを不思議そうな顔で見つめてきた。
「どうして公爵家を追い出されたはずのレオンハルト兄様がこんなところに? それに、その女の人、だれ?」
「あれは伯爵家のフィロメーナ嬢だよ。ほら、兄様の婚約者になった人」
妹の疑問に答えたのは、どうやら弟のようだ。その弟はこちらをちらりと一瞥してきたけれど、その瞳はとても冷たいものだった。
フィロメーナは、思わずびくりと体を震わせる。
(こ、恐いです! なんで睨まれないといけないのですかー!)
ぎゅっとレオンハルトを抱き締めて、俯く。どうするのが最善なのかがさっぱり分からない。でも挨拶くらいはしないと失礼になるのか、とぐるぐる思考を巡らせていると。
レオンハルトの父親――公爵様が、こちらを見もせずに、家族に語りかける。
「さあ、こんなところでぐずぐずせず、早く会場へ行くぞ。他の公爵家に遅れをとるわけにはいかないからな」
さっと身を翻した公爵様に、母親である公爵夫人も続く。
「そうね。『魔』の公爵家の人間として、恥ずかしくないようにしなくては」
広い廊下を、優雅な後ろ姿で歩いていく家族。フィロメーナは呆然としてその後ろ姿を見送った。
レオンハルトと言葉を交わそうともせず、まるでいない者のように扱った公爵様。
こちらに気付く素振りさえ見せなかった公爵夫人。
冷たい眼差ししか寄越さなかった弟。
何も知らず、ぼんやりしていた妹。
その傍にいた使用人たちもみんな、レオンハルトを無視しているように感じられた。
「……え? さっきの、レオンハルト様のご家族、なのですよね?」
「ああ、一応な。でも、俺がこの化け物の姿になってから、みんなずっとあんな態度だ。公爵家の恥さらし、とでも思っているんだろうな」
「そんな!」
フィロメーナの脳裏に、前世の記憶が甦ってくる。
いつも芽衣菜を邪魔者のように扱ってきた姉。
芽衣菜を生んだことを後悔していた母。
芽衣菜と全く関わろうとしなかった父。
レオンハルトの家族は、芽衣菜の家族とそっくりに思えた。
今のレオンハルトは、芽衣菜と同じ。本人は悪くないのに、理不尽な扱いを受けている。
フィロメーナは悔しくなって、知らず知らずのうちに唇を噛んでいた。
「無視される方が楽だから、良いんだ。他の公爵家の奴らはもっとひどい。覚えているか? 『武』の公爵家のドドガル」
「あ、王子様を迎えに来た怪物みたいな騎士さんですね? 醜いとかおぞましいとか、とっても失礼なことを言っていました!」
「そう。たぶん、これから始まる宴では、そういった奴らは珍しくない。……フィロメーナには、嫌な思いをさせてしまうと思う。すまない」
ぺこり、とレオンハルトが頭を下げた。
「え、なんでレオンハルト様が謝るんですか! レオンハルト様は呪いをかけられた被害者なだけなのです! だから、レオンハルト様は、何も悪くなんてないのです……」
こんなに可愛いあみぐるみを、毛糸の化け物なんて言って恐がるこの世界の方がおかしい、とフィロメーナは憤った。
そんなおかしい人たちを、なんとかして見返すことができれば良いのに――!
「ううー……どうしたら良いのでしょう。……はっ!」
「ど、どうした、フィロメーナ」
「レオンハルト様、宴にはどれくらい顔を出せば良いのですか?」
「ん? 大体一時間くらいで退出させてもらうつもりだが」
一時間くらい。その答えを聞いて、フィロメーナはぱっと顔を輝かせた。
レオンハルトは怪訝そうな視線を送ってくる。
「何を考えているんだ、フィロメーナ」
「レオンハルト様! ちょっと人間の姿に戻りませんか? 今なら三時間くらいは人の姿を保つことができるはずなのです!」
そう、レオンハルトが蔑まれるのは、あみぐるみの姿だからだ。人間の姿に戻ってさえいれば、誰からも非難なんてされないだろう。だって、レオンハルトはとても優しく温厚で、非の打ちどころなんてない人なのだから。
「……いや、そうするためにはキ、キスしないと……」
「案ずるより産むが易し、なのです! いきます!」
「えっ」
レオンハルトに考える時間を与えてはいけない。気絶するだろうから。
フィロメーナはレオンハルトのもふっとした口元に、唇をくっつけた。
ぱふん、と音がして、レオンハルトが強制的に人間の姿へと戻る。
その顔は――真っ赤だった。
口元を手の甲で押さえて、涙目になっているレオンハルト。
花も恥じらう乙女のようなその表情に、フィロメーナはたまらず「可愛い」と呟いてしまったのだった。




