18:お城の宴(2)
窓の外を見ると、夕日が今にも沈もうとしているところだった。西の空は茜色に染まり、徐々に深い藍色へと飲まれていく。
しんとした部屋はだんだんと光を失い、少しずつ薄暗くなってきた。
フィロメーナは上質なカーテンを丁寧に閉め、部屋の明かりをつける。柔らかい光がほわっと部屋に広がった。
ここはレオンハルトの部屋。
ベッドの上には、今朝倒れてしまったレオンハルトが眠っている。その姿は人間ではなく、ライオンのあみぐるみだ。
(レオンハルト様が道具の下敷きになって倒れてから、かなり時間が経ったはずですけど。まだ、目を覚ましてくれません……)
フィロメーナは、レオンハルトの眠るベッドの傍に跪き、ふかふかなオレンジの手を握る。
「……う、ん……」
ぴくりとその手が動き、掠れた声が聞こえてきた。フィロメーナははっと顔を上げて、レオンハルトを見つめる。レオンハルトはゆっくりとその体を起こし、辺りを見回した。
「……ここは」
「レオンハルト様のお部屋ですよ! えっと、儀式が終わった後、私を助けて道具の下敷きになってしまわれたのです。だから、ここに」
「そうだったのか」
「あの、どこか痛いところはございませんか?」
「ん? ああ、大丈夫だ。心配をかけたな」
レオンハルトはけろりとそう言って、ベッドから下りる。割と長い時間意識を失っていたはずなのに、妙に元気だ。
「ほ、本当に大丈夫なのですか? 具合が悪くなったりとかしていませんか?」
「心配性だな、フィロメーナ。……本当に大丈夫だ。少し肩のあたりが痛むが、これくらいは何ともない」
「そ、そうなのですね。良かったです……」
安心したからか、フィロメーナの視界がじわりと滲んだ。
フィロメーナを守るため、その身を投げ出してくれたレオンハルト。いつもより目を覚ますまでに時間がかかったので、本当にひやひやしてしまった。
レオンハルトが目を覚ましてくれて、良かった。元気そうで、良かった。
「泣くな、フィロメーナ。俺は本当に何ともないから。それよりも、フィロメーナは怪我とかしていないか?」
「はい、レオンハルト様のおかげで無事でした。ありがとうございました」
フィロメーナが涙を拭いながらへにゃりと笑ってみせると、レオンハルトもほっとしたようだった。
「フィロメーナが怪我をしていないなら、それで良い。……しかし、また気を失っているうちに、この姿に戻ってしまったな。今回はどれくらい人間の姿でいられたか、分かるか?」
「はい、今回は三時間くらいでした。儀式をするたびに、やっぱり人間でいられる時間は伸びているみたいです」
「それなら、順調だな。フィロメーナ、ありがとう」
レオンハルトは、やっぱり優しかった。へまをしたフィロメーナを責めたりせず、感謝の言葉をかけてくれる。
その優しさに、フィロメーナは救われた気がした。
(レオンハルト様の呪いを、早く解いてあげたいです。優しいこの人が、もう苦しむことがないように。幸せになれるように……)
そんな出来事があって、しばらくした頃。
レオンハルトの元に、ある手紙が届いた。豪華な模様がついた、いかにも上質な感じの封筒だ。
「城で新年を祝う宴が行われるんだ。これは、その招待状」
もうすぐ新年を迎えるという時期。
ぽかぽかと日が差す居間で、あみぐるみ姿のレオンハルトが手紙をひらひらと振ってみせる。
フィロメーナは知らなかったのだけど、毎年お城では新年の宴が行われているという。三つの公爵家や侯爵家など、貴族の中でも特に身分の高い者が呼ばれる高貴な祝宴。
レオンハルトは「魔」の公爵家の嫡男であり、この祝宴の招待状が来るのも当然なのだとか。
「正直、行きたくはないんだが。行かないと、リチャード王子が煩いんだよな……」
レオンハルトがため息まじりに手紙を眺める。フィロメーナはというと、以前会った王子様のことを思い出していた。
王都へ買い物に行った時、出会った王子様。きらめくアイスブルーの髪に、金の瞳を持っていた。レオンハルトと仲が良く、フィロメーナにも気安く話し掛けてくれた美青年――。
あれはもう、二ヶ月ほど前のことになるのか。時が経つのは早いものだ。
「王子様、優しくてかっこよかったですよね……」
しみじみとフィロメーナは呟く。すると、レオンハルトが手紙を放り出して駆けてきた。
そして、フィロメーナの座っているソファの隣へ、勢いよく飛び乗ってくる。
「あ、あの王子は優しそうに見えて、冷たいところもあるんだぞ? いや、人を外見で判断したりしないし、良いところもたくさんあるけれども! でも、ほら、少し軽いところもあるし、人のことをからかうのも好きだし……」
「レオンハルト様? どうしたんですか、急に」
「……なんでもない」
レオンハルトはそう言って、ぷいっとそっぽを向いた。可愛らしい後ろ頭がふるふると小さく震えている。フィロメーナは可愛らしいその背中に、ついくすくすと笑いを零してしまう。
「ふふ、王子様は確かに素敵でしたけど、私はレオンハルト様の方が好きですよ? 可愛いですし」
「す、す、好き……」
レオンハルトは両手で顔を覆うと、ソファの上でじたばたし始めた。オレンジ色のしっぽは、ご機嫌に揺れている。
どうやら、照れているらしい。
なんだ、この可愛い生き物。
「レオンハルト様、フィロメーナ様。午後のお茶の時間よー……って、何この手紙?」
使用人のソフィアが、床に落ちている手紙を手に取った。
「あら、これ招待状? ……フィロメーナ様の分まであるじゃない」
「ええっ?」
ソフィアの言葉に、フィロメーナは飛び上がって驚いた。
「え、私の分ですか? どうして? 伯爵家の中でも目立たない家の娘ですのに!」
「うーん、レオンハルト様の婚約者として呼ばれているみたいね」
ソフィアは手紙にじっくり目を通しながら教えてくれる。フィロメーナは眉を下げ、隣に座っているレオンハルトを見つめた。
「あの、私も行った方が良いのですか? き、緊張するので、遠慮したいのですが!」
レオンハルトはフィロメーナを見上げると、黒いボタンの瞳で見つめ返してくる。そして、ぽふっとフィロメーナの膝を軽く叩いた。
「気持ちは分かる。俺だって行きたくない。でも、王家からの招待は無下に断れない」
「ひええー……」
「大丈夫だ。必要なドレスなんかは、俺やトビアスが手配するから」
ソフィアも「髪結いは任せて!」と胸を叩く。どうやら辞退することはできないみたいだ。
(お城には王族の方々はもちろん、三つの公爵家の方々も勢ぞろいするのですよね……。そんな高貴な空間に、私なんかが……!)
新しい年を迎えるのが、一気に憂鬱になってきた。力なく項垂れたフィロメーナの膝を、レオンハルトがぽふぽふと叩いて慰めてくれる。
その可愛らしい仕草に、なんだか癒されてしまうフィロメーナだった。
そして、迎えた新年。
フィロメーナはレオンハルトに連れられて、宴が行われるお城へと向かうのだった――。




