15:前世の夢と優しい手(4)
そこにいるのは、「ねこ」のあみぐるみ。
そう、ベージュ色のふわふわした可愛らしいトラネコのあみぐるみが完成していた。
「レオンハルト様は、ライオンさんですからね。ちょっとこの子と似ている気がします」
「いや、全然違うだろう。たぶん、俺の方が強い」
なぜかレオンハルト、ねこのあみぐるみと張り合う。
「さて、二番目のあみぐるみさんができましたので、二回目の儀式です!」
「儀式……」
魔法陣の上で、キスをするという儀式。今度は気絶せずにいてくれるだろうか。フィロメーナは少し不安になって、レオンハルトを見る。レオンハルトもフィロメーナをじっと見つめてきた。
「あの、レオンハルト様、大丈夫ですか……?」
「ああ、大丈夫だ。キ、キスくらいなんともない。フィロメーナと口づけ、接吻するくらい、全然平気……」
と言いつつ、レオンハルトがぱったりと倒れた。フィロメーナは、まさかと思いながらその体を揺さぶる。
「レオンハルト様? ……ええっ! また気絶していらっしゃる!」
フィロメーナはレオンハルトを抱き上げると、しばらくその気絶した顔を見つめていた。けれど、見つめているだけでは何も進まない。
フィロメーナはこくりとひとつ頷くと、レオンハルトとねこのあみぐるみを一緒に抱いて、魔法陣のある部屋に行くことにした。もちろん、ひとりでは辿り着けない方向音痴なので、使用人の二人に案内してもらう。
「情けないっすね、レオンハルト様」
「フィロメーナ様が来てから、何回目の気絶? 照れすぎでしょうよ」
トビアスとソフィアがやれやれと肩を竦める。フィロメーナは、なんだか自分のせいでレオンハルトが必要以上に倒れている気がして、少し申し訳ない気持ちになった。
腕の中のレオンハルトが意識を取り戻す気配はない。フィロメーナとしても、ただのあみぐるみ状態のレオンハルトにキスする方が気が楽なので、今のうちにさっさと儀式をしてしまうことにする。
魔法陣の上に、できあがったばかりのねこのあみぐるみを置く。それから、レオンハルトのもふっとした口元に唇を寄せた。
ぱふん、と音がして、レオンハルトが人間の姿に戻っていく。気絶したままの、赤髪の貴公子。彼はフィロメーナの方に向かって倒れ込んでくる。
「わわ、またですか? ……きゃあ!」
「フィロメーナ様!」
一回目の時と違って、使用人二人がすぐに支えてくれる。フィロメーナはひとまず胸を撫で下ろした。
(……やっぱり、レオンハルト様はイケメンさんですね)
フィロメーナは体勢を整えると、気を失っているレオンハルトに膝枕をしてあげた。
そういえば、フィロメーナが寝落ちした時、彼は頭を撫でてくれていた。お返しに、少しだけフィロメーナもレオンハルトの頭を撫でてみる。
レオンハルトの赤髪はさらさらとしていて、触り心地が良かった。撫でられたのが気持ち良かったのか、少しだけレオンハルトの表情が柔らかくなる。
(可愛いかも、です)
五歳も年上の男性に対してこんなことを思うのは、失礼なのかもしれないけれど。
幼い子どものように無防備な姿に、なんだか癒される。
「レオンハルト様、起きそうにないっすね」
「どうする? このままここに寝かせておくのも可哀相よねぇ」
トビアスとソフィアが、レオンハルトの様子を窺いながら悩む。
「あの、この部屋は少し寒いので、できれば温かい部屋に連れて行ってあげたいです」
フィロメーナがおずおずと提案すると、使用人二人が素直に頷いた。
「そうっすね。風邪とかひいても大変っすし」
「仕方ないわね。ほら、トビアス! レオンハルト様を運ぶわよ!」
「あ、私もお手伝いするのです!」
三人がかりで、なんとかレオンハルトを運び出す。温かい居間まで辿り着き、ソファに寝かせることができた時には、冬だというのにみんな汗をかいていた。
思ったよりも、気絶した人間を運ぶのは大変だった。次の儀式の時にはこんなことにならないよう、レオンハルトには意識を保っていてもらいたい。フィロメーナも、使用人二人も、切にそう願った。
レオンハルトが目覚めたのは、それから数時間ほど経った頃のことだった。
「……ここは」
「居間ですよ、レオンハルト様。安心してください、二回目の儀式も順調に終えることができたのです!」
ソファの上にいるレオンハルトに、フィロメーナが微笑みかける。レオンハルトはぼんやりと自分の手を眺め、そしてため息をついた。
「……あみぐるみの姿のままだ」
そう。レオンハルトはまた、あみぐるみへと戻っていた。儀式から一時間くらい経った頃に、ぱふん、と音がしてこうなった。
「今度こそ、人間の姿に戻った自分を確認できると思っていたのに」
「そんなに落ち込まないでください。今回は前回と比べるとかなり長い時間、人間の姿のままでいられたのです。大丈夫、呪いを解くのは順調です!」
「君がそう言うなら、そうなんだろうが」
少し納得のいかない声を出しながらも、レオンハルトはなんとか気持ちを切り換えたようだった。
「腹が減ったな。……もう夜か」
「はい、もう真っ暗なのです。ちょっと寒いので、温かいごはんが最高ですね」
「君はもう食べたのか」
「いえ、レオンハルト様と一緒に食べたかったので、まだです」
そう答えると、レオンハルトは驚いたように黒いボタンの瞳をフィロメーナに向けた。
「……待っていてくれたのか、この俺を」
「当然なのです。レオンハルト様の隣で食べると、おいしさが倍増しますから!」
食事は誰かと一緒に食べる方がおいしい。仲が良い人なら、なおさらだ。それに、可愛いあみぐるみが何かを食べている様子は、いつ見ても面白い。あの吸引力は、くせになる。
フィロメーナが目を輝かせていると、レオンハルトがふっと小さく笑った。
「君のそういうところに、救われる気がするよ」
「へ? 何か言いましたか?」
「……いや、何でもない。さあ、食堂へ行こうか」
「はい!」
小さなライオンのあみぐるみの背中を追いかける。温かかった居間を出た瞬間、ひやりとした空気が頬を撫でた。しんとした夜の廊下は、いつも以上に冷え込んでいる気がする。
廊下の明かりは最低限だ。少し薄暗くて、寂しい感じがする。この屋敷は瀟洒で、広くて、とても豪華なはずのに、なぜだろう。
なんとなく、その寂しい感じがレオンハルトと似ているような気がした。外観はとても立派なのに、中身はどこかもの寂しい――。
「フィロメーナ? よそ見していると、置いていくぞ」
「だ、駄目ですー! 迷子は嫌なのですー!」
慌ててレオンハルトの元へと駆け寄るフィロメーナ。けれど、何もないところで躓いて、転びそうになる。
「わわっ!」
思わずぎゅっと目を瞑る。バランスを崩し、廊下に倒れ込むかというその瞬間。
フィロメーナの顔面に、もふっとしたものがぶつかった。
と同時に、ぱふん、という音がした。フィロメーナは聞き覚えのある音にはっとして、目を見開いた。
(う、嘘……! これって、まさか……)




