14:前世の夢と優しい手(3)
「さて、二番目のあみぐるみさんを作ろうと思います」
解呪の魔導書とかぎ針を手に、フィロメーナははりきって宣言した。その頼もしい姿に、レオンハルトと使用人の二人がぱちぱちと拍手をする。
もう十二月。窓の外はすっかり冬の景色。見た目の寂しくなった落葉樹の枝が、北風に吹かれて小さく揺れていた。いかにも寒々しい光景だ。
それとは正反対に、この屋敷の居間は温かさに満ちていた。暖炉の中で、橙色の柔らかな火が小さく爆ぜている。
「今回使う毛糸はモヘアです。アンゴラヤギから刈られる毛で作られた毛糸ですね。他の毛糸と比べると、少しけばけばしています。モヘアで作ると、ふんわりしたあみぐるみさんになってくれます。この糸はちょっと細いので、二本どりで編んでいくのですけど……」
フィロメーナはそう言って、ベージュ色の毛糸玉を二つ見せる。レオンハルトと使用人二人はその毛糸玉を見て、揃って首を傾げた。
「これが、モヘア?」
「普通の毛糸と同じに見えるっす」
「この毛糸でふんわりに……信じられなーい」
三人の反応にくすくすと笑みを零しながら、フィロメーナは二つの毛糸玉から一本ずつ糸を引き出した。そして、二本の糸を一緒に指にかける。そして、針軸が2.5ミリの4/0号のかぎ針を改めて握り直す。
「今回のあみぐるみさんも、犬さんと同じように複数のパーツを組み合わせて作ります。頭、胴体、しっぽがひとつずつ、耳、前足、後ろ足がそれぞれふたつずつです」
「今度は犬じゃないのか? 別の動物?」
「そうですね。ふふ、できあがってのお楽しみなのですよ!」
くるくると輪の作り目を作ると、立ち上がりの鎖目を編む。
穏やかな冬の日常。フィロメーナはレオンハルトの隣で、心を込めてかぎ針を動かし始めた。
*
心地良い温かさの居間で、単純作業に没頭する日々が続く。そんなある日、フィロメーナはつい眠気に襲われて、昼寝をしてしまった。
そこでまた、前世の夢を見る。
芽衣菜、中学三年生。帰ってきたテストの点数がひどくて、親に叱られていた時の記憶。
「ねえ、芽衣菜。こんな成績で、どこの高校に行くつもりなの?」
「高校なんて、別に行きたくないもん」
「あんた、馬鹿なの? ……ああ、馬鹿だったわね。こんな点数しか取れないんだもの。少しはお姉ちゃんを見習ってほしいわ」
母がテーブルの上に、芽衣菜のテストを雑に放り投げた。芽衣菜は制服のスカートをぎゅっと握り締めて俯く。
姉は家庭教師に勉強を教えてもらっていた。塾に行くよりもお金がかかっている。貧乏な芽衣菜の家には不相応なやり方だ。
姉にお金がかかる分、当然のように芽衣菜にかけられるお金は削られていく。
芽衣菜だって、家庭教師がいれば勉強くらいできるようになるはずなのに。
けれど、母は分かってくれない。
「ああ、やっぱり子どもは一人で充分だったわ。……生むんじゃなかった」
お母さん、私も、あなたの元になんて生まれてきたくなかったよ。
芽衣菜は俯いたまま、強く唇を噛む。鉄臭い血の味が、口の中に広がった。
そんな風に辛い中学時代を越え、芽衣菜はなんとか高校へと進学する。
親が大学へ行けと言うので、一応進学校に進んだ。でも、授業は難しく、ついていくのも精一杯の状態だった。
「もうやだ、学校やめたい……」
頭の良いクラスメイトたちに、劣等感を抱いてばかりの毎日。
そんな芽衣菜に友達なんてできるわけもなく、いつもひとりぼっちだった。
教室の隅っこで、顔を伏せて過ごす毎日。小学生の頃と違って、さすがに髪の毛を引っ張られたり、蹴られたりすることはなかったけれど。
やっぱり孤独は辛かった。
家に帰っても、芽衣菜は孤独なままだった。全てが順調な女子大学生になった姉の影で、身を小さくして過ごしていた。姉は大学で彼氏ができたらしく、たびたび男の人を家に連れてくる。
「あ、芽衣菜! ちょうど良かった。私の部屋にお茶持ってきて、二人分」
「なんで私が? お姉ちゃんが自分ですれば……」
「あんたが役に立つのって、それくらいでしょ? 良いから、早くして。彼、待ってるの」
姉は綺麗な服を着ていた。キラキラとしたピアス、鮮やかなピンク色の爪。化粧をした顔は、すっぴんの二割増しくらい美人に見えた。
芽衣菜は姉がうらやましくて、妬ましくて、つい睨んでしまう。
「……なによ、その目。本当に芽衣菜って生意気だよね。ぼっちのくせに」
姉は冷たくそう言って、芽衣菜の肩を強く押す。そのせいで芽衣菜はふらつき、固い床に倒れ込んでしまった。じわりと視界が滲んでいく。
「あんたって、いつもそう。悲劇のヒロインぶっちゃってさ。そういうとこ、本当、嫌い」
お姉ちゃん、私も、あなたのそういうところ、大嫌いだよ。
いつも、いつも、芽衣菜は大事にしてもらえない。
姉の部屋から聞こえてくる楽しそうな笑い声に耳を塞ぎ、芽衣菜はひとり涙する。
*
柔らかくて温かいものが、フィロメーナの頭を優しく撫でていた。目をゆっくりと開けると、視界が黄色とオレンジに染まる。
「目が覚めたか、フィロメーナ」
「レオンハルト様……?」
夕暮れのぼんやりとした光が、居間の天井を照らしていた。フィロメーナは慌てて起き上がると、レオンハルトに向かって頭を下げる。
「すみません! 編んでいる途中なのに、つい眠ってしまいました!」
「いや、良い。疲れていたんだろう? 仕方ないさ」
この世界は、前世と違ってすごく温かい。フィロメーナの父も母も兄たちも、フィロメーナをすごく大事にしてくれる。婚約解消を前提としている婚約者のレオンハルトでさえ、びっくりするくらい優しい。
今だって、眠っているフィロメーナの頭を、レオンハルトは撫でてくれていた。まるで、小さな子どもをあやすかのような優しい手つきで。
フィロメーナの心の奥が、じわりと温かくなる。
(やっぱり、レオンハルト様は優しい方なのですね。早く呪いを解いてあげたいです)
フィロメーナは手元に転がっていたかぎ針と、編みかけのパーツを拾う。ベージュ色の小さなパーツは、もう少しで出来あがるところだ。
かぎ針を改めてしっかりと握り締め、気合いを入れ直す。
「このパーツが編みあがったら、あとは組み合わせていくだけです! 二番目のあみぐるみさんに会えるのも、もうすぐなのですよ!」
「あの黒いボタンは目になるんだよな? ここにある茶色の刺しゅう糸と、透明な固い糸みたいなやつは何になるんだ?」
「ふふ、透明なのは、テグスというのですよ。見ていてください、すぐに仕上げますので」
フィロメーナはパーツを編み終えると、あみぐるみの頭に黒いボタンの目をつけていく。それから、ピンクの糸を使い、サテンステッチという方法で鼻の刺しゅうをしていく。茶色の刺しゅう糸は、ストレートステッチという方法で、口元を作るために使った。
頭のてっぺんに、茶色の毛糸で模様をつける。さらに、顔の横や胴体にも茶色の模様をつけ、耳や胴体、手足をくっつけていく。
最後にテグスでヒゲをつけた。
三角形のぴんとした耳。まっすぐ伸びたしっぽ。透明で、つんつんとした立派なヒゲ。今にも「にゃーん」とか言いそうな顔をしている。
「こ、この動物は……!」
さて、何の動物さんでしょう?
答えは次回、あきらかに!




