13:前世の夢と優しい手(2)
部屋の中はまだ薄暗く、夜中だというのは確実だった。
「なんで、レオンハルト様が私の部屋に……?」
フィロメーナにあてがわれた部屋は、レオンハルトの自室からは遠い。こんな夜中に何の用だろうと首を傾げる。
半分寝ぼけたままのフィロメーナに、レオンハルトは静かに告げた。
「君はいつも夜、うなされている。今日だけじゃない、ほぼ毎日だ」
「……え?」
「心配だから、トビアスやソフィアと協力して、見守るようにしていた。……君は、大切な客人だから」
レオンハルトがそっと、フィロメーナの目元の涙を拭ってくれる。レオンハルトの手に、すっと涙の雫が吸い込まれていった。
「今夜は一際ひどい叫び方をしていたから起こした。……少し落ち着いたみたいだな、良かった」
ぽふぽふと、レオンハルトがフィロメーナの頭を撫でてくれた。まるで、兄たちがいつもしてくれていたみたいに。
(どうしてまた、前世の夢なんて……。『兄妹仲が良い、うらやましい』という言葉に、引っぱられてしまったのでしょうか……)
フィロメーナも芽衣菜だった時は、兄妹仲の良い人をうらやましいと思っていた。芽衣菜は、姉と仲が悪かったから。
ベッドの上でしょんぼりと項垂れたフィロメーナの隣に、レオンハルトがそっと寄り添ってくれる。優しさ溢れるその姿に、心の奥がほわりと温かくなった。
「レオンハルト様、ありがとうございます。ちょっと嫌な夢を見ていたので……起こしてもらえて助かりました」
「……どんな夢だったのか、聞いても良いか?」
この王国では、悪い夢や恐い夢、嫌な夢は人に話すと消えてしまうという迷信がある。まあ、おまじないみたいなものだ。
もう悪夢は見ませんように、という優しい祈りのようなもの。
「えっと、前世の夢なのですけど」
「前世?」
「はい。フィロメーナとして生まれる前……別の世界で生きていた頃の」
フィロメーナはぽつりぽつりと夢の内容を語る。レオンハルトは頷きながら、フィロメーナの辛い過去の記憶を聞いてくれた。
「……そうか。君はその前世の記憶があるから、この世界の人とは少し違うんだな。俺を恐がらないのも納得だ」
「すみません、前世のこと、隠すつもりはなかったのですけど。あ、解呪の魔導書が読めるのも、実はその前世の記憶のおかげで」
「そうなのか!」
レオンハルトはオレンジ色のたてがみをふわりと揺らす。そして、腕を組もうとして、失敗した。
どうやら腕が短すぎて組めなかったらしい。ちょっと可哀相。
「しかし、すごいな。魔導書のあんな意味不明な図を、日本という国の人は理解することができるのか」
「あ、いえ。日本人でも、編み図が分かる人はそんなに多くないと思います。私は編み物が好きだったので、たまたま読めますけど」
「なるほどな……」
夜明け前の、まだまだ薄暗い部屋の中に静寂が訪れる。
常夜灯の明かりが、ふわふわと優しく揺らめく。
「……運命、なのかもしれないな」
ぽつりとそう零したレオンハルトが、フィロメーナを見上げてくる。
「君が前世を覚えていること。君と俺が婚約したこと。君のおかげで、俺の呪いが解けそうなこと……」
フィロメーナの胸が、とくんと小さく音を立てた。運命の婚約者、なんて言われ方をすると、さすがに照れる。
「……だが、婚約は解消する予定だったな。運命というのは、やっぱり言い過ぎか」
「へ? あ、そうです、ね……」
そうだった。婚約を解消するのが目標だった。
婚約者でなくなれば、フィロメーナとレオンハルトは他人同士に戻る。当たり前のことだ。
運命なんて、そんなことあるはずなかった。
でも、少しだけ。ほんの少しだけ、胸の奥が痛んだ。
(私、レオンハルト様のこと嫌いじゃないです。可愛いし、意外と優しいみたいですし。……でも、そんな素敵な人だからこそ、婚約は解消しないと、ですよね)
レオンハルトは言っていた。フィロメーナとの婚約は「無理矢理押しつけられた」ものなのだ、と。だから、結婚なんて望んでいないに決まっている。
婚約解消は、双方の望み。痛みを感じるなんて、おかしい。
でも、ちょっとだけもやもやする。だからつい、意地悪を言ってみたくなった。
「レオンハルト様。私たちは婚約解消する予定なのですよね? ……いつまで私のベッドにいるつもりなのですか? もしかして、夜這いですか?」
「……夜這い?」
初対面の時に「夜這い」を疑われたフィロメーナ。これは、あの時のお返しだ。
どうだ、とちょっと得意げになってレオンハルトを見ると、レオンハルトはあたふたと短い両手を振っていた。
「なっ! き、君がうなされていたから仕方なく来ただけで!」
「起こしてくれたこと、悪夢の話を聞いてくれたことには感謝しているのです。でも、ベッドの上で『運命』だなんて口説かれるとは思わなかったのです」
「口説いた……? いや、俺は、その……」
思ったよりも良い反応が返ってきたので、フィロメーナはついつい笑ってしまった。
あみぐるみなので分かりにくいけれど、レオンハルトはきっと今、真っ赤になっていることだろう。慌てっぷりが可愛くて面白い。
「ふふ、すみません。冗談です……って、ええ?」
こてん、とレオンハルトが倒れ込んだ。力なくベッドに転がるその姿に、フィロメーナは焦る。
「え、レオンハルト様? ……気絶していらっしゃる!」
ちょっとからかってみただけなのに。ここまで反応されると、逆に申し訳ない。
――というか、レオンハルトの照れたり限界を迎えたりするポイントが、いまひとつわからない。
「どうしましょう、意地悪なんて言わなければ良かったのです……。レオンハルト様のお部屋まで、連れて行ってあげた方が良いでしょうか……」
けれど、フィロメーナはすぐに思いとどまる。なぜなら、まだこの屋敷で迷子になる確率がかなり高いからだ。筋金入りの方向音痴を舐めない方が良い。
フィロメーナはそっと、レオンハルトを抱き上げた。柔らかな毛糸の感触に癒される。ふわりと良い香りが鼻をくすぐってきた。
可愛いあみぐるみにしか見えない、フィロメーナの期間限定の婚約者様。
「まあ、良いですよね。ここで一緒に寝ても」
どうせ間違いなんて起こらないし。フィロメーナはレオンハルトをそっと隣に寝かせると、自分もころんと寝転がった。
翌朝。
なかなか起きてこないフィロメーナを心配した使用人ソフィアが、部屋を訪れた。そして、仲良く寄り添って眠るフィロメーナとレオンハルトを目撃した。
「え? やっぱり祝宴? 祝宴すれば良いの?」
その後、レオンハルトと二人がかりで、祝宴を必死に止めたのは言うまでもない。




