12:前世の夢と優しい手(1)
フィロメーナの兄ベルヴィードとオルドレード。二人とも、妹を溺愛する心優しき青年だ。
妹を心配しすぎてたまに暴走することもあるけれど、それはご愛嬌――ということで。
「久しぶりだね、僕の可憐な妖精フィー。今日もとても愛らしいよ。さあ、僕にその可愛らしい顔をもっとよく見せて?」
「ベル兄様、相変わらずですね! お元気そうでなによりです!」
「……フィー、これ」
「あ、オル兄様! わあ、私の好きなクッキー! ありがとうございます!」
久しぶりに顔を合わせた三兄妹は、笑顔で再会を喜ぶ。
「フィーがこの屋敷に軟禁されて、もう一ヶ月か……。大丈夫? 呪われた公爵令息に、何か変なことされてない?」
「と、とても良くしていただいています! ごはんもおいしいですし!」
「……フィー、餌付けされてる?」
「されてません!」
屋敷の応接室に通されたベルヴィードとオルドレードは、香りの良い紅茶を前に、爽やかな笑みを浮かべた。二人とも、妹に会えた喜びで顔が緩みまくっている。
そんな緩んだ顔の二人とは対照的に、ソファの上に置かれたライオンのあみぐるみは固い顔をしていた。
以前、顔を出さないやつだと指摘されてしまったのが悔しかったらしい。公爵令息レオンハルト、勇気を出して兄たちの前に座っている。
「ん? なんだ、この毛糸のもじゃもじゃ」
ベルヴィードが片眉を上げ、レオンハルトを持ち上げた。レオンハルトはぴしりと固まって、なすがままになっている。フィロメーナは慌てて兄の手からレオンハルトを奪い取った。
「もじゃもじゃではなく、あみぐるみさんなのです! とっても可愛い、私のお友達なのですよ! 乱暴にしては駄目です!」
「ああ、ごめんね、フィー。そうだね、フィーはこういうちょっと変なものが大好きだもんね」
理解があるようなないようなベルヴィードの言葉に、フィロメーナは膨れっ面になった。
けれど、兄たちは拗ねた妹も可愛くて仕方ないらしい。二人揃ってフィロメーナの頭を撫でてきた。
「ああ、本当に可愛いね、フィーは。そうだ、公爵令息には指一本触れさせてないよね? 会話ももちろん最低限にしてるよね?」
フィロメーナはびくっと体を跳ねさせた。兄から奪ったレオンハルトを、思わずぎゅっと抱き締めてしまう。
(今この瞬間、触れてますけど。しかも、キ……キスまでしちゃいました。その上、あの時はレオンハルト様に押し倒されたみたいになってしまって……)
顔に熱が集まってきそうになるのを、フィロメーナは必死に抑える。
「モチロンデスヨ、べるニイサマ」
「うおお、発音が変になってるよ、フィー! どうしたの? まさか無理矢理体を触られたりしたんじゃ」
「ソンナコトハ、ナイノデス」
真実を知られたら、確実にこの屋敷は潰される。フィロメーナは湧き起こる感情を全て抑え込み、無表情を徹底した。
「……フィーがそう言うなら信じるけど。でも、何か嫌なことがあったらすぐに言うんだよ?」
「ハイ、ワカリマシタ」
やった。なんとかごまかせたようだ。フィロメーナは、ふうと大きく息を吐いた。
と、同時に腕の中のレオンハルトがくたりと項垂れる。たぶん、緊張の糸が切れたのだろう。
(このあみぐるみがレオンハルト様だということは、やっぱり秘密にしておいた方が良いですね。ああ、このことが知られる前に、兄様たちには帰ってもらわないと……)
フィロメーナがレオンハルトを見つめながらそう考えていたら、ベルヴィードがぽんと手を打ってこう言った。
「そうだ! フィーは公爵令息の顔、もう見たんでしょ?」
「はい」
「じゃあ、僕もちゃんと挨拶しておきたいな! フィーに余計な手出しをしないように、釘をさしておかないと」
「えええ!」
なんて恐ろしいことを言い出すのか。そんなことをしたら、このあみぐるみがレオンハルトだと言わなくてはいけなくなるではないか。
フィロメーナの背中に冷たいものが走る。レオンハルトもぴしりと固まっている。
そこに、使用人トビアスが必死の形相で飛び込んできた。
「申し訳ございません、フィロメーナ様のお兄様がた! レオンハルト様は今、外出なさっていまして! お会いできません!」
「え、そうなの?」
ベルヴィードがちらりとこちらに目線を向けてくる。フィロメーナとレオンハルトは揃って小さく震える。ベルヴィードはその様子を見て、しばらく何かを考えるような仕草をした後、ようやく引き下がった。
「……じゃあ、仕方ないか」
その後もたびたびピンチが訪れる。けれど、フィロメーナは頑張って兄たちをごまかし続けた。
時折、何かを確認するような目になる兄たちに、ひやひやしっぱなしだった。
そうして、夕方。兄たちは仕事の都合で泊まっていけないことを残念がりながら、帰っていった。仕事に都合がつけば宿泊していくつもりだったのかと青くなってしまったのは、兄たちには秘密。
その日の夕食の時、レオンハルトがしみじみと言った。
「フィロメーナのところは、本当に兄妹仲が良いんだな。君のことが可愛くて可愛くて仕方ないというのが、ビシビシ伝わってきた。……愛情深い兄がいて、良かったな。少し、うらやましいよ」
*
その日の夜。
フィロメーナはまた、前世の夢を見ていた。
芽衣菜、小学二年生。クラスの男子にいじめられていた時の記憶。
「やめてよ、かみのけ、ひっぱらないで!」
「めいれいするな! おまえがきたなくて、くさいのが、わるいんだよ!」
「いたい! やめて!」
いつも姉のお下がりのくたびれた服を着ていた芽衣菜は、よくこうやっていじめられていた。
いじめられるようになったのは、襟や袖についていた小さな染みをいじめっ子に気付かれてしまった時からだ。
そんな些細なことがきっかけで、毎日からかわれるようになった。
なぜ、自分がいじめのターゲットになってしまったのか。幼い芽衣菜には分からなかった。
確かに服には小さな染みがあるけれど、毎日洗濯してもらっているので、別に汚くも臭くもないはずなのに。
言いがかりをつけられては、いつも痛い目に遭わされた。
学校からの帰り道。夕暮れの、田舎道の真ん中。
引っぱられた髪の毛が、ぷちぷちと音を立ててちぎれる。
ぼろぼろと頬を伝う涙。蹴られた太腿はじんじんと熱を持っていた。
男の子たちの囃し立てるような笑い声に、耳を塞ぐ。
「……あ」
歪んだ視界に、学校帰りの姉の姿を見つけた。姉はいじめられている芽衣菜を、目を丸くして見ていた。
おねえちゃん、たすけて。
芽衣菜は懇願するように、姉の方へ手を伸ばした。
けれど。
姉はふいっとそっぽを向いて、足早にその場を去った。まだいじめられ続けている芽衣菜を置いて。
いつも、いつも、芽衣菜は大事にしてもらえない。
芽衣菜は、夕焼け空を引き裂くように、泣き叫んだ。
*
「……フィロメーナ!」
揺さぶられて、フィロメーナは目を覚ました。すぐ近くに、レオンハルトの顔がある。頬にはレオンハルトの柔らかな毛糸の手が添えられていて、ほんのりと温かかった。
「大丈夫か? うなされている声、結構響いていたぞ。恐い夢でも見たのか?」
「レオンハルト、様……?」




