11:あみあみ新生活(5)
「良いか、フィロメーナ。これは、解呪の儀式だ。余計なことは考えるな」
「は、はい! お互い自由になるためですものね! が、頑張ります!」
と言いつつも、フィロメーナは緊張していた。考えてみれば、前世の時からキスなんてしたことがない。あみぐるみ相手とはいえ、中身は公爵令息様。しかも、現時点では婚約者様でもある。
婚約者と、結婚前にキス。
なんか、すごく、破廉恥な気がする。
「……きゃああ!」
「うわあ! ……って、いきなり叫ばないでくれよ! 驚くだろう!」
「あ、すみません。つい」
火照った頬に手を当てつつ、フィロメーナはじっとレオンハルトを見つめた。ライオンのあみぐるみ姿のレオンハルトも、もじもじと短い手を動かして照れているようだ。
黒いボタンの瞳が、フィロメーナを見上げてくる。
フィロメーナはそっとレオンハルトを抱き上げた。ふんわりとした優しい毛糸の感触。
ゆっくりと顔を近付けていくと、レオンハルトのオレンジのたてがみが震えた。
「い、いきますよ、レオンハルト様……って、あれ?」
急にくたりとレオンハルトの頭が下を向く。どうしたのかと慌てて揺すってみても、反応が返ってこない。
「もしかして、気絶していらっしゃる……?」
いつか、使用人のトビアスやソフィアが言っていた言葉を思い出す。本当にこういうのは苦手らしい。
フィロメーナは真顔で意識のないレオンハルトを見る。
(……これはもう、ただのあみぐるみですね。緊張して損しました)
ただのあみぐるみにキスをするのは、別に緊張もしない。フィロメーナはふうとひとつ息を吐くと、レオンハルトのもふっとした口元に唇を寄せた。
ぱふん、と音がして、レオンハルトの姿が光に包まれた。短かった毛糸の手足がぐぐっと伸びて、人間のものになる。オレンジ色のたてがみが消え、燃えるような赤い髪が現れた。
「わわ……重いです!」
手に持っていたあみぐるみが、二十三歳の青年の姿へと変化してしまい、フィロメーナは焦った。上手くその体を支えることができず、そのまま後ろにひっくり返る。
「きゃああ! 助けてくださいー!」
なんてことだ。仰向けに倒れたフィロメーナの上に覆いかぶさるかのように、レオンハルトの体が乗ってくる。気絶している男性の体は、とても重い。
しかも、レオンハルトの衣服はゆるい寝衣のようで、胸元が少しはだけてしまっている。
「きゃー!」
「何事ですか、フィロメーナ様……って、わああ!」
部屋に飛び込んできたのは使用人の二人。トビアスは惨状を目にするなり仰け反って驚き、ソフィアは鼻息を荒くした。
「レオンハルト様、元に戻ってるじゃないの! しかも、随分と積極的に攻めていらっしゃるとは! え、これ、祝宴? 祝宴すれば良いの?」
「祝宴はしなくて良いので、助けてくださいー……」
半泣きで訴えると、トビアスとソフィアは慌ててレオンハルトの体を退けてくれた。乱れたスカートを直しながら、フィロメーナは改めてレオンハルトを観察する。
気絶したまま仰向けに転がっているレオンハルト。
まっすぐのさらさらした赤い髪は、少し意外だった。なんとなく、たてがみと同じオレンジ色を想像していたので。
その赤い髪の下、長い睫毛が白い肌に影を落としている。鼻筋はすっと通っており、形の良い唇からは小さな吐息が零れていた。
少し痩せてはいるけれど、筋肉のしっかりついた体。背は高めなのだと思う。すらっと長く伸びた足が、力なく投げ出されている。
(……イケメンさん、です)
フィロメーナはすぐ傍にあるレオンハルトの手に目を遣った。骨ばった男らしい手のひら。思わずどきりと心臓が跳ねた。
先日会った王子様もかっこよかったけれど。
フィロメーナの好みとしては、断然レオンハルト派だ。気絶している姿からでも分かる、凛々しい感じがたまらない。とにかく、かっこいい。レオンハルト、かっこいい。
あみぐるみの時とのギャップがすごすぎて、フィロメーナはなんだかくらくらしてきた。
「フィロメーナ様、これってもう呪いが解けたってことっすか?」
倒れたままのレオンハルトをつんつんしながら、トビアスが尋ねてくる。フィロメーナはふるふると首を振って、それを否定する。
「いえ、まだ完全に解けたわけじゃなくて……」
と言っている間に、ぱふん、と音がして、またレオンハルトの姿が変わる。
「あっ! また毛糸の化け物になったっす!」
「あの、完全に呪いを解くためには、あと四つ、あみぐるみさんを作らないといけないのです。今回の儀式は、本当にレオンハルト様の呪いに効くのかどうかを試してみた、みたいな感じで……」
「そうだったんすね。びっくりしたっす」
ライオンのあみぐるみ姿に戻ってしまったレオンハルトを、トビアスが軽々と持ち上げた。
さて、解呪の魔導書に書いてある方法は、レオンハルトの呪いに有効だということが分かった。編み図通りに全てのあみぐるみを作り、儀式をこなせば、きっとレオンハルトの呪いは解ける。
フィロメーナはほっと安堵の息を吐いた。
レオンハルトの呪いが解ければ、婚約は解消できる。フィロメーナは伯爵家に戻り、あの優しい家族の元でまた暮らせるようになるのだ。
「よーし、私、この調子で頑張ります! 絶対に呪いを解いてみせるのです!」
フィロメーナは瞳を輝かせ、ぐっと拳を握り締めた。
数時間後。
レオンハルトの意識が戻った。
「あ、レオンハルト様! やっと目が覚めたのですね!」
「……フィロメーナ?」
レオンハルトはもふっとしたオレンジ色の手を見つめる。毛糸で編まれた、あみぐるみの手。
「やっぱり、呪いは解けないのか……?」
「いえ、ちゃんと効果はありました! 解呪の魔導書は本物ですよ。ちょっとだけですけど、人間のレオンハルト様のお姿を見ることができました!」
「ほ、本当か?」
くるりとフィロメーナの方を向いたレオンハルト。黒いボタンの瞳が輝いている。
その姿が可愛くて、フィロメーナは微笑んだ。それから、小さく頷いてみせる。
「はい。この魔導書に書いてある通りにすれば、きっと呪いは解けますよ。良かったですね、レオンハルト様」
「あ、ああ。良かった……本当に」
レオンハルトは先程まで寝かされていた居間のソファからすたっと飛び下りて、フィロメーナのすぐ傍へやって来た。
そして、フィロメーナに向かって、ぺこりと頭を下げた。
「フィロメーナ。君のおかげで、明るい未来が見えてきた。本当に感謝する。……婚約したのが、優しい君で良かった」
レオンハルトの声は、すごく温かく響いた。フィロメーナの頬はじわじわと熱くなり、たまらず俯いてしまう。口元が緩んでしまったのをごまかすように小さく頷き、両手で顔を覆った。
――そんな風に穏やかな日々を過ごしていた、ある日。
屋敷に、フィロメーナの兄たちが様子を見に来るという知らせが届いた。




