10:あみあみ新生活(4)
「さて、用具も材料も揃いました。さっそく、編もうと思います!」
フィロメーナは解呪の魔導書を傍らに置き、かぎ針を掲げた。「おおー」と歓声をあげながら、使用人の二人が拍手をしてくれる。
かぎ針の針先から数センチのところを右手の親指と人差し指で持ち、軽く中指を添える。そして、毛糸玉の内側にある糸端を引き出して、準備完了。
毛糸玉の外側にも糸端はあるのだけれど、内側から取る方がおすすめ。なぜかというと、外側からだと編んでいる時に糸玉が転がってしまうから。
「まずは、作り目です。この編み図は『輪の作り目』ですね。人差し指にこう、くるくるっと巻き付けて、針を引っかけて、と」
「え、早いっす。意味が分からないっす」
トビアスが目を点にして真顔になる。少し離れたところから見守っていたレオンハルトも目が点になっている。というか、彼は黒ボタンの瞳なので、もともと点といえば点だけど。
「立ち上がりの鎖目ができたら、細編みを六目。それから、細編み二目編み入れる、と……」
フィロメーナがくるくるとかぎ針を操ると、小さな丸い編み地が出来ていく。茶色のまっすぐな一本の糸がどんどん丸く編まれていく様子に、使用人たちが目を輝かせた。
「魔術っすね! これ、魔術っすよ!」
「棒針で編むところは見たことがあるけど、かぎ針は初めてよ! すごーい!」
フィロメーナはくすくす笑いながら編み続ける。魔導書の編み図通りに目の数を数え、一目一目丁寧に針を動かす。
屋敷の居間は、日当たりも良く編み物をするのにちょうど良い場所だった。気持ちの良い日の光が、かぎ針をきらりときらめかせる。
「……なんか、歪んできてないっすか? 合ってるんすか、これ」
「ふふ、合ってますよ。大丈夫です」
不安そうなトビアスの声に、笑いながら答える。
ふと顔を上げると、少し離れたところにいたはずのレオンハルトが少し近付いてきていた。見られていない時に少しずつ近付く、そんな遊びを思い出してしまう。
「えっと、ここからは細編みが続いて……で、ここから細編み二目一度」
「わあ! 歪んだ円盤かと思ったら、これ丸い球体みたいになるのね!」
ソフィアが感心したように明るい声をあげた。フィロメーナはこくりと頷くと、そのまま編み続ける。
「……ひとまず、この編み図の部分は出来上がりです」
最後、引き抜き編みをして、毛糸を長めに引き出してから切る。そして、その糸を引いて締め、ひとまず完了。
でも、中途半端な茶色の球体を見て、使用人ふたりが首を傾げる。
「これが、解呪に必要な作品っすか? なんすか? これ」
「えっと、これはまだ一部分ができただけなのです。あと、こういうパーツが九つは必要で、それを全て組み合わせないと完成品にはならないのです」
「ええー?」
使用人たちが揃って残念そうな声をあげる。
「こういう作品を最後まで作りあげるのは、とても根気のいる大変なことなのです。でも、きちんと完成させられた時には感動するのですよ」
フィロメーナが中途半端な球体を手のひらに乗せて微笑むと、すっとレオンハルトが隣に来た。
「これはまだ、一作品目の、一部分か。呪いを解くのに必要なのは、五作品だったな。……最後まで、本当にやりきれるのか?」
「大丈夫ですよ。どんなに拙くても、諦めずに心を込めて編み続ければ、絶対に完成させられるのです」
前世でも、こうやって地道に編んで作品を作っていた。もちろん途中で飽きて、放り投げたこともある。でも今回は、完成品を心待ちにしてくれている人が傍にいる。それはとても、心強いことだった。
「レオンハルト様の呪いが解けるように、私、頑張ります!」
フィロメーナの笑顔の宣言に、レオンハルトがぺこりと頭を下げた。
「ありがとう……恩に着る」
その日から、フィロメーナは黙々と編み物に励んだ。
使用人の二人は「見ているだけで疲れる」と言って、普通の仕事に戻っていったけれど、レオンハルトだけはずっと傍にいてくれた。
優しい黒ボタンの瞳が、フィロメーナを見守っていてくれる。とても落ち着いた、温かな時間が過ぎていった。
十個のパーツが全て編みあがったのは一週間後。
白と茶色の小さなパーツが、ずらりと並ぶ。
「ここから組み合わせていきますね。まずは綿を詰めます。それから、黒いボタンをつけて……」
「なんとなく、形になってきたな」
「ふふ、そうですね。この白いパーツをここに縫い付けて、三角形のパーツはこっちの方に。そして、長細いパーツをくっつけて、棒のパーツを四本バランス良く付けて、と」
とじ針を使ってすいすいとパーツを縫い合わせていく。その手元を凝視していたレオンハルトが、こてりと首を傾げた。
「……フィロメーナ。もしかして、と思うんだが」
「なんですか?」
「これって、もしかして、その……」
言いよどむレオンハルトの目の前で、最初の作品が完成する。
「やっぱり! こいつ、俺と同じ『あみぐるみ』ってやつじゃないか!」
「え? そうですよ? この子は犬のあみぐるみさんなのです」
白と茶色の可愛らしい犬のあみぐるみが、そこに立っていた。レオンハルトよりも小さく、手のひらに乗るくらいのサイズだ。
まんまるな頭に、三角の垂れ耳。口元はもこっとしていて愛らしい。四本の短い足は、しっかりと地面を踏みしめている。
「フィロメーナ、まさかとは思うが、残り四つの作品というのも……」
「全部あみぐるみさんですよ? ふふ、作るのが楽しみなのです!」
あみぐるみの呪いは、あみぐるみで解く。フィロメーナにはよく分からないけれど、どうやらそういうことらしい。
「あ、最初の作品が出来あがったので、儀式をしないといけませんね。魔導書によると、一回目の儀式をすることで、僅かな時間だけですが元に戻れるみたいです」
「そうなのか! じゃあさっそく儀式をしてみよう! 本当に効果があるのか、確認しないと!」
儀式には、魔法陣を描く必要がある。というわけで、魔術を使う専用の部屋へと移動した。
さすが「魔」の公爵家。そんな部屋があるとは。
そこは、少し薄暗く、棚に怪しげな道具が並ぶ部屋だった。床は黒い石でできているようで、少しザラザラとしていた。その石の床に、白いチョークのようなもので、レオンハルトが魔導書の通りに魔法陣を描いていく。
丸の中に星が入っているみたいな図形が白く浮かび上がる。その星の頂点のひとつに、犬のあみぐるみを配置した。
「これで魔法陣の準備はできたな。……あとは」
キスをするだけ。
フィロメーナもレオンハルトも、今更ながらそれに気付き、お互いになんとなく視線を逸らす。頬が熱くなってきた。おまけに、心臓の音がやたら煩い。
どうしよう。
儀式、できるかどうか、不安になってきた。




