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タタリガミ  作者: 文字を書くポンポロン
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龍の腕-4

滑るような足運びで、間合いを詰める。

少女に伸びた闇の塊が、髪が、その進む先を避けていく。

そうとしか見えない程に、静かだった。


気がつけば、拳を叩きつけられたタタリが仰け反っていた。

攻撃が終わるまで、構えをとっていることすら、七道は気づかなかった。

タタリの暴力を濁流とするなら、少女のそれはまさに清流。


それが理であるがごとく、タタリが吐き出す穢れを、少女は祓っていく。

鱗を纏った拳が振られるたびに、闇夜に青白い雷が散った。


そして、終わりは突然訪れた。

雷光とともに放たれた拳が、女の胴を捉えた時だった。

びしゃり、と音を立てて、女の形をしたタタリは、黒い飛沫へと代わる。

橋の上に飛び散ると、橋の上は夜の静寂だけが残っていた。


踏み込みかけていた足を止めて、少女が構えを解く。

その場に佇んだままの少女を、七道は口を閉じるのも忘れて見つめていた。


「なんだ、これは」


意識せず、七道の口から言葉が漏れる。

聞こえているはずだが、少女は振り向かなかった。

その様子で、七道は気付く。


夜の闇の中に、穢れの匂いが残っている。

終わってはいないのだ。

七道は杖にしていた刀の柄を握り、具合を見る。

握れる。両手で刀を構え直し、気配を探った。


「どこだ」


七道の言葉に反応したわけではないのだろう。

少女はコンクリートの路面を見通すように、足元を見つめていた。


地鳴りが響いた。

橋を揺るがす衝撃が、一つ、二つと数えるように、徐々に大きくなっていく。

軋む音が老いた橋を砕くのではと思われた時、それは現れた。


無構えで立つ少女の前に、巨木が落ちた。

闇を吸って歪んだかのような幹から、捻れた枝が伸びている。

街灯の明かりでは、その根本のみを照らすことしかできない。


人理を圧倒する異形の正体に、七道は眉をしかめた。


「諦めの悪いやつだ」


宙をまさぐるその枝、その幹は、乱雑に縒られ、絡まり合った人髪だった。

橋を叩く音は続く。三本、四本と、髪の柱が姿を現す。

濡れ髪から滴り落ちる黒い雫が、ぼたぼたと路面を汚してく。


七道は首を持ち上げて、夜空を仰ぐ。

髪の柱に支えられた、白く膨れた巨大な顔面が、七道を見つめ返していた。


顔面の口が、ごぼり、と音を立てて避ける。

撒き散らされた闇の飛沫が、幾筋もの槍となって二人を襲った。


「くらうかよ」


一度見た手を易々と食らう程、馬鹿ではない。

あるいはかわし、あるいは刀で捌きながら、七道は活路を開く。


攻勢に回る隙を探しながら、戦場に目を走らせた七道の目に、少女の姿が映った。


闇の槍を過剰な程に大きくかわし、伸びてきた髪の束を寸前で弾く。

かろうじて体勢を崩さないでいるのは、鍛錬の賜物なのだろう。

視線は忙しなく宙を泳ぎ、足捌きに余裕がない。

先程までの、流れるような身のこなしは完全に失われていた。


「なにをしてるっ」


自身を目掛けて飛んできた飛沫をかわし、七道は地を蹴った。

急変した七道の挙動に追いつけず、幾筋もの闇がアスファルトに叩きつけられる。

目前から迫った一撃を、地に身を投げてかわす。

受け身から立ち上がった勢いのまま、振り下ろした刃が少女の死角から伸びた髪を切り落としていた。


そのまま背中合わせに構えて、七道は肩越しに声を張った。


「下には居られん。来い」


頭上に迫る、闇の垂れ流す孔を一睨みしてから、七道は跳ねた。

ひとところに集まったおかげで、相手の攻めは苛烈になったが、その分読みやすい。

迫る攻撃を薙いで進む七道と共に、龍腕の少女も駆けていた。


タタリの落とす影から逃れ、攻撃の手が緩む。

少女の動きに余裕が戻ったのを見計らって、七道は叫んだ。


「ああいうのは苦手か」


返ってくる声はない。

代わりに、一時滞った地を踏む音を、七道は返事として受け取る。


「だったら」


逆袈裟に闇を切る。調子は戻っている。


「オレが道を作る。オマエはあの顔を、ぶっとばせ」


片手で構えた刀の先で、タタリの顔面を指す。

少女の視線が指した方向を見ているのを確認してから、七道は踏み込んだ。


間合いが詰まった途端、闇が豪雨となって降り注いだ。

溜めていた気を一息で吐く。亡くした右目に意識を集めた。

眼帯越しに燃え上がっていた火が、火の粉を散らして炎と化した。

活を入れられた七道の霊視力が、闇を貫く。

今や、闇の筋の挙動は、全て七道の知るところとなった。


一太刀。

直撃を狙う攻撃だけを、全て切り払う。

隙ができることは、もうわかっている。

七道は地を這う獣と化して、戦場を駆けた。


闇の撒き散らされたアスファルトの上を、右へ左へと跳ね狂う。

刃が閃き、炎が舞った。焼け焦げた髪の匂いが立ち込めていく。


霊視力は、水の攻撃だけに集中させていた。

刃の動きと踏み込み、目の付けで、相手の狙いを誘う。

七道の思うまま、飛沫は路面だけを黒く塗りつぶした。


水の攻撃は怖い。だが、髪はいくらでも斬れる。

斬れるものなら怖くない。

大きく息を吸い、肺腑から全身へと霊気を巡らせる。

橋を踏む巨木の一本を正面に捉えて、七道は刃を振りかぶった。


火の粉が散り、白煙が太刀筋に巻き込まれていく。

七道の振るった刃は、一筋たりとも残さず、髪の柱を断ち斬っていた。


余韻を残す暇はない。

支えを失い傾く巨大なタタリの顔と、止まない攻撃を避けて、七道は跳ねる。


「いけっ」


吠える七道が振り向くより早く、少女の気配が走った。

地を蹴り、貫手に構える龍の掌に、雷が集う。

闇を裂く雷鳴と共に、龍を宿した少女の体が宙を舞った。


閃光が闇を灼いた。

雷とは、すなわち「神鳴り」である。

突き出された龍の爪から迸った三筋の雷光は、龍神の鉤爪となってタタリを貫いた。


目に焼き付く威光に、七道は細めていた目をしばたたかせた。


「やったか」


声を張ったつもりだが、自分の声が遠い。

耳を叩いて調子を確かめたくなるが、そうはいかない。

構えを崩さない七道の視界が、徐々に戻ってくる。


視界が戻りきる前に、白けた視界の奥から迫る影を切り落とした。

終わっていない。

巨大な顔面の半分を雷で穿たれてなお、タタリは嗤っていた。


ごぼごぼと、タタリの口から溢れる嗤い声が、青い匂いの残る空間を穢していく。

構わずに、七道は駆けた。

霊力を急激に失い、棒立ちの少女。

その身を貫くべく、髪の群れが狙っていた。


もう、知ったことか。

腹の底に力を込めて、左腕の玉飾りへと手を伸ばす。

指先に触れた玉の感触を確かめて、霊力を送りこむ。


霊力の許容限界を迎え、玉が弾けた。

眼帯の奥で燃えていた炎が、全身を包む。

走る火の玉の化した七道は、少女の背中に突き進んだ。


気合の声と共に、手にした刃を振る。振る。

少女の背を狙っていた髪を、すべからく燃やし尽くす。

前方から迫る、四筋の切っ先だけが残った。


二つ。それが限界だ。


頭の底で冷ややかに見積もりながら、七道は少女の前に身を投げた。

確か、骨は拾ってもらえないんだったか。淵野の憎たらしい顔が脳裏をよぎる。

こんな時だと言うのに、少女が目を見開く表情だけが、はっきりと見えた。


袈裟斬り、逆袈裟。二つ。

自分でも驚く程に、力が抜けていた。

無駄な力を抜け、という言葉の意味が、今ならわかる。

七道の人生最速の、三本目。横薙ぎの一撃が闇を斬った。


もう、残っていない。

最後の一撃は、七道の左目を狙っていた。

気を利かせたつもりか。

避けられないことがわかっていながら、七道は頭を振る。


振った頭を、叩きつけた。

刀は残っていない。が、頭は別だ。

切っ先が逸れる。後に続く髪の束が、七道の顔面を薙ぎ払う。

七道の首が、打撃の勢いに合わせて捩れた。


相手の攻撃に合わせて、首を振って勢いを殺す。

拳闘でいうことろの、スリッピングアウェーである。

横に泳いでいた刀を持ち替え、体ごと刀を振り回す。


宙を貫いていた髪が、ぼとりと地面に落ちて、力を失った。

鼻腔から血が垂れ落ちてくるのがわかる。折れてはいない。


命の上に、鼻まで助かった。これは儲けものだ。

眼前の危機は去っていない。アドレナリンで狂った脳が、七道の笑顔を引きつらせる。


「終わるかっ」


身近に迫る一撃に向かって、燃える刀を投げつける。

間髪置かず、七道は再び玉飾りに手を伸ばした。


七道と背後の少女を包むように、巨大な火柱が立ち上った。

火柱は、迫る闇をことごとく焼き払う。

七道の手首で、弾けた玉が残した灰が風に流れた。


いよいよ鼻の奥から流れ落ちてきた血が、七道の呼吸を荒くする。

だが、鼻血も汗も、拭っている暇はない。


「聞けっ」


振り返る。

膝をつきかけて屈む少女が、七道の顔を見上げていた。


「これは時間稼ぎだ。もう切れる。だから」


七道は、左手首をかざした。玉の二つが失われた、玉飾り。

淵野に手渡された玉は、赤い炎を受けてなお、薄く青白い輝きを放っていた。


「おまえが決めろ」


決着を付けるだけの余力は、七道にはもう残っていなかった。

真正面から、少女の瞳と向かい合う。

実際の時間にすれば、それは一瞬のことだったに違いない。


諦念とも悲観ともつかない色にくすんでいた少女の瞳が、変わっていく。

薄明の空に暁光が差すように、ゆっくりと。しかし、確かに。


七道が左手を突き出す。

少女が持ち上げた、龍鱗に包まれた右手。

七道は指の一本を掴んで、立ち上がらせた。


「やれるな」


返事を聞く余裕はなかった。

火柱が落ちる。二人の周囲に、闇の立ち込める世界が戻ってくる。


二人の体が、同時に沈んだ。

屈めた膝に蓄えた力が、二人の少女を重力から解き放つ。


つないだ手にだけ、集中する。

少女の龍腕から伝播した霊力は、まさに雷となって七道の体を貫き、玉飾りへと流れ込んだ。


「いけっ」


青い燐光とともに、玉が砕ける。

目前に見る青い稲光が、七道の視界と意識を奪う。


白く灼ける景色の奥、夜の闇を裂く雷龍の姿を見た。


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