1-07 中学生になりました? ①
シリアスパート。主人公不在です。
流れる雲が月を隠して街を暗闇が包み込む。
まばらな街灯さえ霞んだように見せて、煙草の小さな灯火だけが三十がらみの男の顔を照らしていた。
その男……海島恩坐は無精髭の浮いた顔で短くなった煙草を吐き捨て、暗闇に目を凝らす。何も無いように思えたがそこには、真っ黒な小鳥のようなものが飛んでいた。
「……開示しろ」
恩坐が一言呟くと、黒い鳥は瞬く間に鳥を模った紙片に変わり、彼はそれを拾い上げると軽く目を通してライターで火を付けた。
「めんどくせぇ…」
恩坐は俗に言う『拝み屋』と呼ばれる生業をしていた。
元々はとある宗派の寺の息子で信心深く育った彼は、霊の存在を信じることで知覚できるようになり、十数年前に家を飛び出す形で拝み屋となった。
霊障などこの世ならざるモノの問題を解決するのが『拝み屋』や『退魔師』と呼ばれる者である。
そう自称する者は数多いが、その半数以上は詐欺師で、四割以上は知識だけで出来る気になった趣味人であり、“本物”と呼べる者は一握りしか居ない。
その一握りの本物である海島はフリーの拝み屋であったが、横の繋がりを無視は出来なかった。
拝み屋達から通称『御山』と呼ばれるそこは、国内の仏教や神道の退魔行に関する総本山的な位置にあり、拝み屋達に各地の情報を渡して、時に仕事を頼む場合もあった。
個人の拝み屋がそう都合良く霊障問題に出会える訳もないので、その情報を渡してくれる『御山』の仕事は基本的に断れない。
恩坐の所にも数件の仕事が舞い込んできているが、それがそもそも異常だった。
この100万規模の地方都市には、恩坐と同じように数十人の拝み屋が訪れている。
それは一週間前に起きた、とあることが問題になっていたからだ。
ある日の夕刻になる少し前……。
この国で一定以上の霊障を感知できる者達は、同時に顔を上げて戦慄と共に冷たい汗を流した。
唐突に感じられた、この国を覆うようなおぞましい気配……。
邪悪としか言いようのないその気配は一瞬で消えてしまったが、それを感じられた恩坐の元にも、『御山』から調査の依頼が来た。
恩坐が九州からこの地方都市に来たのは三日前。
他の同業者に比べれば遅かったが、そもそも恩坐は、この仕事にあまり乗り気ではなかった。
(…あの気配、やばすぎだろ…)
恩坐が関わった事件で一番やばかったモノは、地方の狂った『土地神』だった。
その時は知り合いの修験者系退魔師が乗り移られて死亡し、恩坐自身は生き残れはしたが、重傷を負った上に蜘蛛のような体勢でケタケタ笑うその土地神を結局は逃がしてしまった。
一週間前に感じた気配は、その土地神とは比べものにならないくらい、おぞましいものだった。
そして今日、恩坐の元に追加の依頼が来た。
その内容は悪霊の除霊。
とある富豪の秘書の一人が、数日前から複数の病に同時に蝕まれ、すでに他の拝み屋がそこに向かったが、そこで『女の悪霊』に重傷を負わされたらしい。
調査によると、その女の悪霊はあり得ないほどに強力で、このままでは菅原道真公以来の大悪霊になり、この国に仇なす存在に成り得る可能性があるため、『御山』は今回の事件に関係があるか、または原因そのものだと見ているらしい。
「…ホントかねぇ。ああ、めんどくせぇ」
恩坐はさっさと宿に帰り、途中で焼酎でも呑みたい気分になった。
仕事の後は一杯の焼酎を飲む。それも居酒屋やガキ共が騒いでいるような店でなく、小料理屋か屋台、そば屋でもいいから、落ち着いてちびちび飲むのを好んだ。
だがその悪霊を放っておけないのも事実だ。
依頼を受けたのは恩坐一人ではない。恩坐が行かないことで同業者の誰かが命を落とす羽目になったら、さすがに美味い酒は飲めなくなる。
なんだかんだ言っても恩坐はお人好しなのだ。
それに、あのおぞましい気配が感じられてから、浮遊霊のような弱い存在は消滅したように姿を消し、今回のような悪霊がまるで悪魔の悪戯のように現れている。
「はは、そんな悪魔が本当にいたら、日本は滅びちまうかもな。…ん?」
独り言のように冗談を呟いて気を紛らわしていた恩坐は、こちらに近づいてくるある種の気配を感じた。
人間じゃない。生きているモノでもない。
「…ちっ、また悪霊かよ」
それでも恩坐は構えをとり、深く息を吸ってゆっくりと長く吐き出す。
寺の息子でも仏教系ではなく、恩坐は神道と修験道を合わせて武術の中でそれを使ってきた。
腹の下に『氣』を溜めて、それをゆっくりと全身に行き渡らせる。
相手が人間でも悪霊でも恩坐のやることは変わらない。氣を溜めて打つ。ただそれだけだ。
見えてくる。暗い街の中で靄のような男の姿が近づいてくるのが恩坐に見えた。
透き通るような半透明の姿に醜く憎しみに歪んだ貌は、確かに悪霊のようだが何かがおかしい。
霊は自分を見て感じることが出来る者に敏感だ。生者にすがりつき、引きずり込む為には己を認めてもらうのが一番簡単だからだ。
悪霊は自分を知覚する恩坐を見てその顔を歪ませた。
『たすけ…ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああっ!』
悪霊の断末魔に恩坐は顔を歪めながらも驚いた。唐突に消滅したこともそうだが、悪霊が怯えて、ここまで逃げてきたことが分かったからだ。
だが疑問はすぐに晴れた。
悪霊が消滅し、その残滓が何かに吸収されると、まるでSF映画の光学迷彩を解くように、一人の男が現れた。
「………あんた、何者だ?」
「…………」
恩坐の問いに男は答えない。男とは言ったが実際にはまだ少年…子供と言っていい年頃だろう。
だが黒ずくめの格好に顔まで黒い布で隠し、その右手には鉄を叩き上げたような無骨な西洋剣が握られていた。
子供が格好付ける為に作った物でなく、その剣は幅広でぶ厚く、鈍器にも護りにも使える実用的な物で、それに恩坐は興味を惹かれた。
それ以上にただの鉄の塊で悪霊を倒した方法が気になった。
黒ずくめが何も答えないまま、恩坐から距離を取る。
「…待ちなっ」
音もなく離れていく黒ずくめに、恩坐は武術の歩法を使い、一気に距離を詰めた。
「……っ!」
近づいた恩坐に、振り向きざまに容赦なく鉄剣が振るわれた。
手足を狙ったりせず頭部を襲ってくる一撃を恩坐は身を沈めた前受け身で躱し、氣を込めた蹴りを黒ずくめに放つ。
だがレスラー崩れすら吹き飛ばす恩坐の蹴りは、黒ずくめの剣に片手で受けられる。
黒ずくめは無言のまま再度恩坐に剣を振り下ろすが、
「はぁあっ!」
恩坐が息吹きと共に剣腹を叩いて弾くと、黒ずくめが初めて驚いたような気配を見せて数歩距離を取った。
「………」
「………」
しばし二人は無言のまま睨み合い……気配を消して闇に溶けるように消えていった黒ずくめを、今度は恩坐も追おうとはしなかった。
「…………ふぅ」
たっぷりと5分ほど警戒してから、恩坐はやっと息を吐いてその場に腰を下ろした。
初めて見る剣術。
年齢に似合わない実戦慣れした剣技。
そして最初の一撃で致命傷を狙うあの容赦のなさは、すがすがしいほどだが、現代社会に生きる人間から見れば、かなり不自然だ。
少なくとも同業者ではない。武術家とも違う。
黒ずくめの剣技は現代の洗練された武術とは違い、初めて見る恩坐にもつけ込む隙があった。
だが身体能力で圧倒された。身長で頭一つ、体重で30キロ以上小さな少年は、力と速度で恩坐よりも数段上を行っていた。
「……ありゃとんでもねぇな。またややこしくなってきたぜ」
テンプレストーリー
【拝み屋恩坐。『親父さん、焼酎オンザロックで』】追加