1-05 居候になりました ②
「おはようございます」
素晴らしい朝は挨拶から始まります。
朝の七時に起きてガーガー寝ている美紗を揺さぶってみたけど、起きる気配は微塵もなかったので、とりあえず美紗の鼻に意味もなくティッシュを詰め込んでから、私はパジャマのまま居間に降りて、その女性に挨拶をしたのです。
「あら……、あなたがユルちゃん? おはよう。私は美紗の母で琴美よ」
挨拶をした私に琴美さんがニッコリ笑って返してくれた。
父ちゃんは三十代後半に見えたけど、三十くらいにしか見えない琴美さんを母ちゃんとは呼びにくい。
私の顔を初見で普通に返してくれたのも好印象。
「はい、ユールシアです。何故かお世話になっています」
「ああ、どうせ、旦那か美紗に連れ込まれたんでしょ? ごめんねぇ。朝ご飯すぐに出来るから」
どうやら琴美さんは昨夜の騒ぎの中でも問題なく寝ていたらしい。神経太いですね。
「お手伝いしますよ?」
「あら、いいのよ。ユルちゃんはお客さんなんだから、座っててね」
琴美さんはそうは言うけれど、空気が読める悪魔ナンバーツーとしてはお手伝いするべきでしょう。
11年も公爵家の令嬢で『姫』とか呼ばれてお世話されてきた身ですが、元々こちらの世界の庶民だったのだから働くことに抵抗はない。
問題はこの十年ほど銀のスプーンより重い物は持ったことがないことだけど、たぶん大丈夫。……だと思う。
「ねぇ、ユルちゃんってどこの国の…ぁああああああああああああああああっ!」
「…はい?」
置いてあったお茶碗とお皿を運ぼうとしたら、琴美さんに抱きつかれて茶碗と皿を奪われた。
「なんでしょう…」
「ごめんなさい、何故か落としそうな気がして…」
不思議なこともあるのですね。私も持ち上げた瞬間にそう思いましたよ。
「お、ユルちゃんっ、起きたのかい?」
「おはようございます」
居間に通じる扉が開いて、エプロン姿の父ちゃんが現れた。
もちろん、ヒラヒラしたエプロンドレスじゃなくて、厨房用の腰に巻く奴です。もしかしたら『おっさん萌え』の人が勘違いすると良くないので言っておく。
私…? 私はおっさん萌えじゃなくて、『おじ様萌え』ですよ。
勘違いしてはいけません。『ケモナー』と『人外萌え』くらいの明確な違いがあるのです。
「父ちゃんは料理人なのです?」
「とうちゃ…まぁいいか、おうっ、うちは『らーめん屋』だよっ。『ラーメン屋』じゃねーぞっ」
父ちゃんにも拘りがあるようです。
父ちゃんの名前は……とりあえずいいでしょう。どうせ覚えられない気がします。
『…(ユールシア、向こうには動物の死骸が沢山あったぞ)』
父ちゃんの肩に乗っていたリンネが、私の肩に飛び移ってから耳元で囁く。
「あ、リンネは父ちゃんといたんですね」
「この黒猫、りんねっていうのかっ。いいネコだなっ!」
らーめん屋の厨房に動物入れていいんでしょうか……。
それと死骸じゃなくて、スープの材料でしょ? まぁ今の私から見ても死骸を釜ゆでにした汁だけど、昔はよく食べました。
「(厨房で何してたの?)」
『(この人間は早朝に一人起きて、動物の死骸を骨ごと砕き始めた。こちらの世界にいる魔物を召喚しようとしているのも知れん)』
「(……ふ~ん)」
私がこちらにいなかった十数年の間に、らーめん屋がそんなことをしていたなんて…んな訳があるはずない。
聞けば厨房じゃなくてお店から見ていたみたい。それでも半分アウトだけど、リンネも悪魔なので身体はほとんど汚れていないから、まぁいいか。
「そう言えばユルちゃん、美紗はどうした? 美紗の部屋で寝てたんだろ?」
「美紗ったら、今日は休日だからってダレ過ぎよ」
父ちゃんの言葉に、琴美さんもテーブルに朝ご飯を並べながら言っている。
昨日は父ちゃんと喧嘩して夜中まで起きていたからじゃない? 結局何が原因なんだかよく分からなかったけど問題ないのかな?
どうせ放っておいても、悪魔に心配されるより酷いことにはならないでしょう。
でも今日は休日か。……日曜日?
「…おはよ、おとーさん、おかーさん…」
「おうっ、やっと起きたかっ」
「さっさと席に着きなさい、ユルちゃんはもう起きてるわよ」
「あ、…ゆるひゃん、おはよー」
「美紗、おはよう」
よくある休日の朝の光景ですね。美紗の鼻ティッシュ以外は。
美紗のお家は三人家族みたい。
もしかしたら父ちゃんは見た目より若くて、琴美さんは見た目より……そんなことを思っていたら琴美さんにジッと睨まれた。
そして三人家族+悪魔二人で朝ご飯が始まる。
でもリンネのご飯は床のお皿だ。ご飯にカツオブシとお味噌汁がかけてある、正統派のネコまんまだ。好き嫌いせずにちゃんと食えよ。
私達のご飯は、白米に具沢山のお味噌汁と、海苔と納豆と生卵とひじき。
素晴らしい。懐かしの日本食って感じだね。
私って見た目が思いっきり外国人なのに、何の躊躇もなくご飯も味噌汁もドンブリで盛られている。琴美さん男前だ。
私も覚悟を決めよう。ドンブリの白米に生卵と納豆をぶち込み、上から醤油を掛けてぐるぐるかき混ぜてから、一気に口にかき込む。
うん、懐かしい……のか? 悪魔の味覚だからよく分かんない。
やっぱりより良い食生活のためには、上質な魂が必須だね。
そんな食べ方をする私を見て美紗と父ちゃんが目を丸くしていたけど、琴美さんだけが何故か私に懐かしそうな瞳を向けていた。
それと美紗はそろそろティッシュ取れ。
「そう言えば昨日、美紗と父ちゃんは何を喧嘩していたのです?」
悪魔としての全能力を使い本気のジャブで美紗のティッシュを取った私は、空気摩擦でぷすぷす燻っているパジャマの袖を気にしないようにしながら、食後のお茶を飲んでいる美紗に昨日のことを聞いてみた。
「………あっ、お父さんなんて嫌いよっ」
「何だと!?」
「ごめん、それ三回目」
いい加減、そろそろ先に進んで下さい。
「あ~…店のことでちょっとな。ユルちゃんは気にしなくていい」
「お店を辞めようって話でしょっ!」
「………」
このまま聞いていると巻き込まれそうな気がするわ。
自分で聞いておきながら無責任な気がするけど、責任感のある悪魔なんて迷惑にしかならないと思う。
たぶん話は簡単だ。商店街が寂れてお客さんが少ないのでしょう。
私が解決しようとすれば、ライバル店かショッピングモールか知らないけど、一撃で粉砕するくらいしか思い付かない。
「そうそう、ユルちゃんって外国の子よね? どこの国から来たの?」
琴美さんがいきなり話題を変える。そうだね、聞かせたくない話題は変えてしまうのが一番ですね。
でも待って欲しい。その話題はアウトだ。
「聖王国です」
「………どこ?」
仕方なく正直の答えたら、ものすごく微妙な顔をされた。
「数百万の小国なので、たぶん知らないと思います」
「…へぇ。ずいぶん日本語上手なのね? ひょっとして日本に住んで永いのかな?」
普通の会話なのに滅茶苦茶困るわ。
「昨日来たばかりです」
「………そうなんだ」
人間、正直が一番です。私は悪魔ですけど。別に受け答えが面倒になってきたからではないのです。
その証拠に琴美さんは腕組みをして黙り込んだ。私のせいじゃない。
「それではそろそろ…」
「あ、ユルちゃんっ、私の部屋に行こうっ!」
「…え」
巻き込まれないうちに脱出しようと試みると、美紗に腕を掴まれて二階にある彼女の部屋に連行された。
私の退路を断つつもりか、このヘルメットカット。
部屋に戻って美紗がパジャマから普段着に着替え始めたので、私も首のチョーカーに魔力を送ると、パジャマが勝手に脱げてドレス姿に早変わり。
本気で早い、着替えだけなら変身ヒーロー並です。でも変身ヒロインじゃないね。変身ヒロインは主人公と仲間の変身で、毎回3分くらい掛かるからね。
私は最後にひらひら舞っていた、シマシマ御パ○ツ様を宙で掴み取る。
「美紗、着替えありがとう」
「…え、もう着替えたのっ!?」
美紗が背中を見せていたからやったけど、美紗なら正面を向いていても誤魔化せそうな気がする。
「…えっと、あのさ、この下着で大丈夫だった…?」
「…? 普通のパ○ツだったよ?」
なんでしょう…? この御パ○ツ様には何か重大な秘密でもあるのでしょうか?
青と白のシマシマ御パ○ツ様なんて、日本古来の伝統でパンチラキャラしか穿かないと言うのに。
もしかしてこの御パ○ツ様は……
「人間国宝の方が作られたのですか?」
「なんのことっ!?」
想像してご覧なさい。厳格な相貌のお爺さんが、身を清め、神棚に手を合わせた後、一心不乱にシマシマ御パ○ツ様を縫製するのです。
でもどうやら違ったみたいです。そうなると何のことだか分かりませんね。美紗は何故か頬を赤く染めてモジモジし始める。
「……?」
「ほら……あのさ、昨日ぶつかった時、ユルちゃんの……黒のレースのひらひらの両側紐だったから……」
「………」
……見てしまったのですね。私の従者のド変態がデザインしたアレを…。
あの暗い中で、一瞬でそこまで見抜くとは、美紗にとてつもない才能を感じずにはいられません。
何の才能かまったく分かりませんけど。
「それでね、ユルちゃん聞いてよーっ」
「うんうん」
いきなり何も無かったように美紗は話を始める。
話の切り替え方が凄いな。とりあえず話は聞いてやろう。命拾いしたな小娘。
美紗のお部屋は畳で、私達はちゃぶ台を挟んで話をしていますが……木製の丸いちゃぶ台なんて今時売ってるんですね。
伝統芸『ちゃぶ台返し』に丁度良さそうな感じですが、何故かどこかの警備隊員が、宇宙人と対話しているシーンが思い浮かんだ。
「お父さんったら、酷いのよっ。うちのラーメンは美味しいのに、もうお店を辞めるとか言っているのよっ」
「ほうほう」
数時間前に出会った人に、いきなりそんなこと言われても困ります。
このままだと本気で巻き込まれそうですね。
美紗の口ぶりから、両親とお店を本気で心配しているのが伝わってきますが、悪魔に人情を期待しているんですか?
「それでうちのラーメンは鶏ガラメインのさっぱり味で、チャーシューも肉屋のおじさんから良い部分を分けてもらって自家製の…」
……あれ? いつのまにか話がラーメン自慢に変わってる。
なるほど……。ここは昔ながらのラーメン屋さんみたいです。おっと、らーめん屋でした。私が人間だった頃なら思わず食べたくなるお話しなんでしょうが、今の私ではまるで関心が湧きません。
適当に相づちを打ちながら、私は美紗の部屋を見回してみる。
昨夜はすぐに電気を消したから良く見なかったけど、セーラー服が掛けてあるから、やっぱり美紗は中学生か。
壁にはアイドルグループのポスターが貼ってあったりするけど、全然知らないな。
まぁこの世界の人間の顔は、家族の顔や名前も思い出せないので、アイドルだけ覚えていても変だけど。
さて、これからどうやってこの飯屋家から脱出しようか私が考えていると、
『なんだとぉっ!』
お店のほうから父ちゃんの声が聞こえて、私と美紗は顔を見合わせ、慌てて階下に降りる美紗の姿に、私は本格的に巻き込まれてそうだとこっそり溜息をついた。