2-09 ユールシアの日常。その5
「おお、天女様、お待ちしておりましたっ」
「………はい」
どうしてこうなった?
いや、観音様って呼ばれるよりいいんだけどさ。その呼び方は勘弁してってお願いしたら、
『それなら天女様と呼ばせていただきますっ』
と素晴らしい笑顔で言われたら何も言えなくなってしまった……。
めでたく天女様に昇格した私、ユールシアは、商店街からほど近いとある大きなお寺にお邪魔しています。近いと言っても車で30分くらい掛かるけど。
でもそれは仕方ない。あの時助けたお坊さん達が勤めているお寺は、県を五つも跨がないといけないんですもの。そんな場所にぜひお越し下さいと言われても、そんなのはめんどくさ…もとい、ウエイトレスのお仕事がありますから、そんな遠くまで行けないと伝えたら、助けたお坊さんのうち数人が近場にあるご実家を紹介してくれて、そちらを暫定的な本部にしたみたい。
……余計なことを。
何でもその周辺にはお寺が密集していて、小学校の頃は学年に一人はお寺の子供がいたんだと話してくれたけど、心底どうでもいい。
おっと、紹介し忘れてましたが、さっき私を出迎えてくれたのが、最初に助けたお坊さんで『慈円』さん。突然やばいモノに目覚めて私を信奉するようになった困ったちゃんである。
年齢は三十歳。いい歳だ。
なんでも恩坐さんとは大学が一緒で、友人なんですと。
「まぁユルちゃん、いらっしゃい。お菓子食べなさーいっ」
「わ、わーい…」
お寺の本堂に着くと、ちょっぴりふくよかな、お寺のお母さんがニコニコとどら焼きやモナカを私のポケットに詰め込んでいく。
渋いチョイスだ。洋菓子なんてこの世界には存在しないんだ。
やたらめったら可愛がってくれるのはいいんだけど、毎回山のようにお菓子をくれるのが困りもの。
本日のおばちゃんは、近所のお寺の奥様達とお茶会らしい。私も誘われたけど丁重にお断りしておいた。そんな昼間から大吟醸の一升瓶を抱えていくようなお茶会には参加したくない。私には見えている地雷をわざと踏むような趣味はないのです。
「……リンネ、食べる?」
『いらん』
甘い物好きなくせに……。
まぁ、おばちゃんがくれるお菓子は『供物』になってないから仕方ないね。私も食べないから、全部美紗のお土産になっているけど。
本日のリンネは『黒猫モード』で私の肩に乗っております。
外出すると『人型モード』で私にくっついてくるリンネですが、どうしてネコさんになっているのかと言うと、場の空気が悪くなるからです。
別に悪魔だからって訳じゃないんですよ?
何と説明したらいいかなぁ……う~ん。
「天女様っ」
「天女様っ!」
「女神様っ」
私は本堂の中に入ると、読響をしていたお坊さん達が一斉に振り向いて声を上げた。 ……誰か一人、おかしなことを言い始めたぞ。
皆さん、お目々がキラキラしていて眩しいわ……。
ここにいる皆さんは、何というか私の信奉者……というか『信者』さん達です。
一回癒してあげたらえらい懐かれたわ。これってあれかしら? 怪我をした子犬を治療したら懐かれた的なアレかしら?
ここにいるのは十代後半から二十代の人がほとんどだけど、恩坐さんのようなフリーの人も偶に居て、私を熱心に拝んでいく。
な ぜ お が む ?
ここに来ると『女神様』的な扱いを受けるんですよ。今なら簡単に逆ハー作れそうな気がします。ほとんど坊主頭ですけどっ。
まぁ、彼らは自称『信者』さんなので。そんなことはしませんわ。
……あなた達、仏様に仕えているんじゃないの? と、そんなことを聞いてみたら、この国の人を守るのが目的なので、問題ないんだってさ。
……ホントに?
そう……この人達は、この国の人を邪悪から守る『正義の味方』さんだったのです。
あの後、諦めきった顔の恩坐さんが色々教えてくれました。
本当に良かったわ。フリーターでもちゃんと働いていたんです。
しみじみと恩坐さんにそう言ったら、泣きそうな顔をしていた。男性は色々と大変ですね。
ちなみに恩坐さんは私の『信者』にはなっていません。
彼は『お客様』ですからね。らーめん屋の店員的な意味もありますが、恩坐さんは私の『契約者』でもあります。
恩坐さんを『助ける』ことが悪魔としての契約ですから、私がこちらに協力している主な要因にもなっている。
まだ私のモノになってませんが、契約した魂は勿体ないから食用には出来ないなぁ。
フリーの人達が私を拝むのには理由がある。
一応私はフリーの協力者、『心霊治療師』としてここにいるんですが、私は彼らが各地の『障気溜まり』に出張する際に、『祝福』をしてあげています。
神聖魔法の『祝福』じゃありませんよ? あれは派手ですから、『神霊魔法』で地味だけど役に立つ魔法を創って、それを使っているのです。
普段の防御力が地味に上がって、単純に生命力が一定値以下に下がると、勝手に一回だけ『治癒』が発動するようにしただけなんだけど、魔物相手にギリギリの戦闘をしていた彼らは、その『効能』に驚いて、次に会った時にはすっかり私の『信者』のようになっていた。
気持ちは分かるけど、意味が分からん。
でもねぇ……みんなは私を拝んでいくけど、何か変だ。
みんなモジモジして、順番に握手しに来たり、一緒に写真を撮ったり…まともに写らないけど、それを大事そうに財布にしまっていたり……。
信者として敬っている感じじゃない。
何か“マニアック”な感覚が彼らから感じられるのです。
そう言う訳で、私が人型のリンネとくっついていると、めちゃくちゃ場の雰囲気が悪くなる。普段はそう言う時、恩坐さんが仕切って治めてくれるんだけど、今日は恩坐さんの姿が見えませんね……。
「恩坐さんは、どこに行きました?」
「マネージャー…? ああ、恩坐さんですか。新たに『障気溜まり』が見つかりましたので、物の怪の処理に向かって貰っています。……もう戻ってもいい頃なのですが」
ふむ。魔物退治のほうですか。
障気溜まりを見つけたら、お坊さん達や恩坐さん達が向かい、そこに湧いた魔物を退治した後で、私が作ったお札を貼って貰っている。
お札とは名ばかりで、実際は『魔力封印式魔法陣』である。
これでも魔法陣の制作は得意なのですよ。これを貼って魔力を封じて魔物が湧かないようにした後、リンネがこっそり魔力を回収する手筈になっています。
でも、恩坐さんはそこからまだ戻ってこない…と。
「ねぇリンネ、ちょっと様子を見てきてくれない?」
『あの契約した男か…? そうだな、知らん顔ではないし行ってこよう』
肩のリンネにこっそりお願いすると、黒猫の姿は一瞬で本堂にある適当な影の中に消えていった。私が行ってもいいんだけど、貸しを作りすぎるとそろそろ『契約』が発動しそうなのよね……。
***
「…くそっ、なんだあいつらっ」
林の中にあった物置小屋の中で恩坐は独りごちる。
この地域に『障気溜まり』が見つかり、恩坐ともう三人の“拝み屋”が『御山、改革派』の依頼で派遣されると、そこにはすでに数名の『御山』の僧侶達が居て、物の怪共と戦っていた。
彼らも『改革派』の人間であり、恩坐も西日本の依頼で顔だけは知っていたので、共にトカゲのような物の怪を倒した。
驚くべきは彼らの戦闘能力の高さであった。
あきらかに今までの彼らとは違う戦術と、段違いに威力が上がった『氣力』に恩坐は息を飲む。
だが、それは彼らとしても同じだったようだ。
恩坐達のことは知っていたが、西日本の彼らは自分達の勤めに誇りを持っていて、仕事を頼む時も恩坐達を下に見るような態度を取っていた。
能力や知識は自分達が上であり、新たな『知識』と『力』を得た自分達に自信を持っていたが、恩坐達の防御力や傷付いた身体がその場で癒されていく様子に、彼らはこう尋ねる。
『お前達は、『癒しの天女』派の人間か?』…と。
恩坐は顔見知りの暢気な少女のことを思い出して苦笑するだけにしたが、先ほど怪我をしてそれが一瞬で癒された、『祝福』を受けていた男は興奮した顔で頷いて、天女である少女の素晴らしさを、アイドルオタクのように語った。
「邪悪なモノに傾倒する『裏切り者』を排除する」
西日本の彼らはそう言って突然恩坐達に攻撃を仕掛けてきた。
彼らは『黒の勇者』派を名乗り、その戦い方に恩坐は以前戦った『黒覆面の男』の片鱗を感じた。
彼らの戦闘能力は恩坐が思っていたよりも高く、恩坐達四人は瞬く間に分断され、逃げ出すことしか出来なかった。
「嬢ちゃんの『祝福』があるから死んでないと思うが……」
仲間達とは離れてしまったが、彼らは問題ないだろう。
攻撃を仕掛けられた瞬間、その戦い方に覚えがあった恩坐が咄嗟に対応出来た。それが彼らのプライドを刺激したのか、大部分の『黒の勇者』派は恩坐を追ってきている。……嬉しくはないが。
「……なんだよ、黒の勇者って…、あいつらのほうが狂信者みたいじゃねーか」
恩坐が思わずそう愚痴を漏らしたのも仕方がない。
だが『幸運度』が低い恩坐は、自分が潜伏して隠れていることを一瞬忘れていた。
「誰か居るぞっ!」
「…ちっ」
物置小屋の外から聞こえた声に、恩坐は自分の不運を呪いながら舌打ちをする。
中に隠れていても人を呼ばれるだけで事態は好転しないと察した恩坐は、物置小屋の戸を蹴り破るようにして外に出た。
「ぐあっ!?」
「刃向かうかっ! やはり化生に誑かされた者かっ」
「逃がすなっ!」
「………」
蹴破った側に一人立っていたようで、敵対行動と見られてしまった。
相手は三人。それも正式に退魔師としての修行を積んだ『御山』の僧侶で、正体の分からない『技』を身につけている。
恩坐はこっそり溜息を漏らすと、全身に『氣』を巡らせて武術の構えを取った。
「はぁっ!」
僧侶の一人が打ち出す錫杖を、恩坐は『氣』を放つ拳で打ち止め、蹴りを腹部に叩き込んだ。
「……ぐっ」
それでも僧侶は倒れない。彼らも恩坐と同じように『氣』を巡らせているのだから、簡単には倒せない。
技量は同等。場数では恩坐が勝り、攻撃力では彼らが勝っている。
戦い方としては、恩坐はいつもと同じだが、彼らの強い攻撃をいなす為にはいつも以上の『氣力』が必要で、長期戦には不利だった。
まだ『祝福』が残っているので、事故死はないと思うが、それを無条件で信じるほど恩坐も脳天気ではない。
(……どうするかな)
逃げに徹するか、降伏するか。
どちらも愉快な結末にはならないだろうと嘆息していると、ふいにゾクッと寒気のようなモノが全身を駆け抜けた。
「……がっ」
僧侶の一人が突然呻いて崩れ落ちた。
それに気づいて即座に距離を取る僧侶達は、林の暗がりに溶け込むような一人の美丈夫を目撃する。
黒髪に艶やかな褐色の肌。思わず男でも見惚れてしまいそうな美貌の中で、その銀色の瞳が戦を愉しむ炎のように揺れていた。
「何者だっ」
僧侶がそう叫んだ瞬間、美丈夫の姿がぶれてその腕が軽々と僧侶の一人を弾き飛ばして、木の幹に叩きつけた。
「なっ…」
残った一人はわずかに怯えた表情を見せたが、
「……?」
「何だ…?」
美丈夫の目が細められ、恩坐の声が漏れると、僧侶の目付きが虚ろになり、その全身から強い『力』が溢れ出るのを感じた。
「……ほほぉ」
美丈夫の端正な顔に笑みが浮かぶ。
彼の目には、『外部』から強大な『力』が僧侶の意志に関係なく注がれ、その意識を奪ったように見えた。
「がぁああああああああああああっ!」
僧侶は獣のように吠えると、美丈夫に拳で殴りかかる。
「避けろッ!」
肉体の強度を無視した、血を吹き上げ、壊れながらも襲いかかる異様さに恩坐が叫ぶが、美丈夫はそれを片手であっさり払いのけると……
ボゴン…ッ!
耳を塞ぎたくなるような歪な音がして、僧侶は地面に抉るように叩きつけられ、埋められた。
「………」
恩坐はそれを唖然とした顔で見ていたが、褐色の美丈夫が何事もなかったように近づいてくるのを見て、こほんと軽く咳をする。
「ああ…えっと……リンネさんだっけ? すまん、これはネコの名前だったか?」
「いや、リンネで合っている。気にするな」
「……分かった」
多少腑に落ちない気がしたが、恩坐は素直に頷いた。
知り合いの少女の『婚約者』と聞いていたが、その雰囲気や身のこなしで、彼が少女を守る為に来た“同業者”のようなものだと思っている。
かなりは腕は立つと感じていたが、実際はそれ以上で、少女の知り合いでなかったら近づきたいとは思わなかっただろう。
だが、それよりも恩坐には気になることがあった。
「そいつら、殺したのか?」
「いや、まだ生きていると思うが、助ける義理もないな」
リンネはユールシアから、人型の時は本気を出さないように言われている。
「…そりゃそうだな。リンネさん、あらためて助かった。礼を言う」
「気にするな」
「……すまねぇ。それよりリンネさん」
恩坐は転がる僧侶達を見てから、リンネに視線を戻す。
「どうやら『御山』……この国の守護連中の様子がおかしい。もしかしたら嬢ちゃんにも何かしてくるかも知れねぇ…」
実験的に交互に書いてみましたが、次からは通常に戻ります。




