2-08 悪魔達の社会見学。その4
※お食事中はご注意下さい。
古い歴史がある国家は多数あるが、周囲を海で隔離され、ほぼ単一民族で構成されている国家は多くない。
そんな国家の一つである『日本』は、千年以上の昔から国家の権力や武力の裏側で、『御山』と呼ばれる宗教を母体とした『守護組織』が存在した。
表舞台に出ることはなく、歴史の裏側で、ひっそりとこの国に巣くう『闇』を狩る。
だが、最近になって組織の中で齟齬が出始めていた。
以前より高度に発達した科学と情報化で、古来の遣り方を良しとする『伝統派』と、若い者達を中心とした『改革派』で意見の相違はあった。
それでもこの国を愛し、守ろうとする意志は統一されていて、俗世のように権威に固執する者が少なかったことが幸いし、これまで大きな問題にはならなかった。
そして、それは半年以上前、『邪悪』な気配がこの国に現れたことから始まった。
だがその『邪悪』は姿を見せず、その気配の影響か、各地で活性化した怨霊の対応に忙殺され、皆が『邪悪』そのものを忘れかけた時、それを嘲笑うように日本各地で異様な『障気溜まり』が発生した。
千年以上の退魔歴史の中で、一度もなかった異常事態。
その土地ごと汚染するような障気は簡単に祓うことが出来ず、海外の伝説にあるような初めて見る『物の怪』が生まれ、『御山』の上層部は混乱に陥った。
今までの常識が通じない事態に『伝統派』内で意見の食い違いが出ると、『改革派』は新たな戦い方が必要だと、人を増し、勢いを増した。
だが『改革派』も一枚岩ではなかった。
彼らは大きく二つに分かれ、互いが得た『力』を警戒していた。
西日本の『改革派』は、『黒の勇者』と呼ばれる者の助力を得て、新たな戦略と戦闘方法を会得した。
東日本の『改革派』は、『癒しの天女』と呼ばれる者を女神のように敬い、死を畏れぬ恐ろしい狂信者と化していた。
そんな中で……迷子になった『主達』を探しに来て迷子になるという、いわゆる二重遭難的な状態に陥っていた二人の悪魔は、自分達の状況にも気づかず、暢気にこの世界を満喫している。
「おや? またお会いしましたね」
彼女達の可憐さに目を付けた店員に懇願され、『舞子』の格好で修学旅行の学生達に囲まれていたティナが、その少年に声を掛けた。
「……え? ああっ、あの時の…」
その少年…勇気は、目の前の少女が以前博多で出会った外国人だと思い出す。
もう一人女の子が居たはずだと周りを見てみると、少し離れた場所で外国人観光客に写真を撮られている銀髪の少女が見えた。
「こっちまで観光に来たんだ? ずいぶん長い旅行だね……」
以前出会ってから一ヶ月近く経っている。
自分より年下に見える彼女達が学校とか大丈夫なのだろうかとも思ったが、外国だからそんなものかと、元異世界人の勇気はあまり深く考えなかった。
「お土産を買いに来たのですか?」
「あ、うん、持ち帰り用の『京都ラーメン』を捜してたら、こんな所まで来ちゃったんだよ。京都だとあっさりとして上品なイメージがあったんだけど、食べてみるとこってりと濃厚でかなり独特なんだ。もちろんあっさりとした物もあるんだよ。でも俺は京都ラーメンはこってり派だな。鶏ガラをどろどろになるまで煮込んだ白湯スープがお勧めだから一回食べてみるといい」
「…………ありがとうございます」
朗々と語り始めた勇気に、ティナは無表情に頭を下げた。
勇気はこの地域にある障気溜まりを消滅させる為に京都まで来ている。
他の地域では普通にラインを追って発見できたのだが、この地は霊的力場のような場所が多数あり見つけにくく、協力者である無文との連絡が付くまで、勇気は美紗の為に持ち帰りの京都ラーメンを買いに来たのだった。
無文達と出会い、自分の知識と戦闘方法を教えることで、勇気は彼らと打ち解けていた。それでも顔は見せていなかったが、不器用だが生真面目な彼らに、勇気は過去に仲間に裏切られたトラウマが徐々に癒され、彼らの身に危険が及ばないように何かをしてあげたいと思うようになっていた。
「なぁ、兄ちゃん、ちょ~っとだけでええから金貸してくれへんか?」
土産物を抱えた、いかにも普通の中学生に見える勇気に、チャラそうな高校生がそんな声を掛けた。
まさかその高校生もその場に異世界の勇者と異世界の悪魔が居るとは思いもしない。
「……………」
勇気は無言のままその高校生をちらりと見る。
無意識に勇者の秘術で『鑑定』してしまったが、本当にただの高校生で勇気なら片手で捻り潰せる。
でも勇気は相手がただの人間だからこそ、どう対処するべきか迷っていた。
辺りには何も知らない観光客がいる。勇気は正体を知られる訳にはいかないが、その高校生の言動に勇気を殺したあの“勇者”達と似たものを感じて、勇気は自分でも気づかないうちに拳を握りしめた。
「そっちのガイジンは知り合いか? なぁなぁ俺と付き合わへん?」
高校生はティナにまで粉を掛けはじめる。
知っている人がいれば顔を青くするのだろうが、事情を知らない勇気は憤りを感じて一歩足を踏み出す。
だが、握りしめたその拳を振るう機会は訪れなかった。
「坊や、くだらないことをするな」
「あだだだっ」
不意に背の高い男が現れ、高校生の腕を軽く捻るとその場に放り投げる。
そのあまりにあっさりとした対処に何事かと見ていた観光客もすぐに興味を失い、その男も何も言わず、その場に背を向けた。
「………」
勇気はその背を少し驚いた顔で見つめる。
その男は無文だった。普段は他人にも自分にも厳しく冷淡にも見える男の一面を知って、胸に熱いものを感じた勇気は、彼らが生き残れるようにあらためて力を貸そうと思い、勇気もその場を後にした。
「………ちっ」
その高校生は舌打ちをしてノロノロと立ち上がる。
観光地に買い物に来るような中学生は金を持っているので、それを多少譲ってもらうことを彼は悪いことだとは思っていなかった。
今まで誰にも諫められなかったこともあるが、実際に初めて他人から諫められた彼が感じていたのは、羞恥と怒りだった。
恥ずかしい行いをしたという羞恥ではない。恥をかかされたという自分勝手な思いが諫めた男と勇気に憎しみを抱かせた。
高校生はまず勇気が向かった方角へ足を向ける。
だが、その足を前に進める前に、そんな彼に向けて声を掛ける者が居た。
「もし、あなた。宜しければ少しお付き合い願えませんか?」
振り返るとそこには、先ほどの金髪の少女ともう一人可愛らしい銀髪の少女が居て、とても優しい瞳で微笑んでいた。
***
「アイスブリット!」
果てしなく続くような竹林の中、覆面を付けた勇気が魔法を唱えると、数百の氷の弾丸が骨共を打ち倒していく。
京都の障気溜まりから現れたのは、エビルスケルトンだった。通常のスケルトンは、魔力によって変質した人骨に浮遊霊が取り憑いたモノだが、このエビルスケルトンは、膨大な魔力を餌に魔物の魂を定着させた、スケルトンとは強さも段違いに違う強力な魔物だった。
勇気もこの悪魔系の魔物を見るのは初めてだったが、対処法としては通常のスケルトンと大きく変わらない。
復活しないように骨を砕くだけだが、エビルスケルトンの場合はその後に骨を浄化する必要があった。
勇気は魔力を使って攻撃することで浄化の替わりとしたが、この世界の人間は魔力のない世界で育ったせいか、魔法を使う素養がなかった。
「はぁああああああああああっ!」
「せいっ!」
「てりゃぁあああああああああああっ」
それでも勇気に協力する無文達『御山』の僧侶は、太い六角棒を武器に骨を砕き、エビルスケルトンを浄化していた。
魔法を使う事は出来なくても、彼らは気力を放ち、怨霊を浄化してきた。
勇気は、この場に漂う魔力を取り込み、『氣』と練り合わせて放つ技術を彼らに教えることで、彼らの戦闘能力の向上させた。
勇気と共に戦場に立つ者は無文を含めて10名ほどに増え、各地の協力者は若い者を中心にその数十倍にまで増えた。
無文は立場的に上から圧力を掛けられているらしいが、実際の戦果がそれを押しのけている状況だ。
立場が悪くなろうともこの国の為に戦う彼らを死なせない為に、勇気は戦場の矢面に立ち、彼らも勇気を信頼してその勢力を増していった。
エビルスケルトンを完全に浄化すると無文が勇気の側にやってくる。
「この場はさっきのが最後だ。次が湧く前に浄化しよう。……すまん」
「問題ない」
僧侶達の能力は向上したが、それでも障気溜まりを完全に浄化できるものではなく、障気の拡散を抑えるのが精一杯だ。
それなりの人数を揃えれば浄化も出来ようが、現状では各地の障気を拡散しないようにすることに人数を割かれ、浄化は勇気に頼っている。
「上の連中があれほど頑固でなかったら、お前に負担を掛けることもないのだが…」
「それは組織として仕方のないことだろう」
「それに、東日本の連中も『癒しの天女』とか言う怪しい者に傾倒している。もはや、他の連中はあまり信用できない」
「………」
こういう事柄はどこの社会でも似たようなものだと、勇気は内心溜息を付く。
貴族内でも、国家間でも、勇者達の間でも、自分の利することを優先する為に無駄と分かっている足の引っ張り合いがあった。
「とりあえず、先に浄化しよう…」
「…そうだな、頼む」
「待てッ、何かいるっ!」
会話を切り上げようとした勇気達に、僧侶の一人が声を上げた。
ゆっくりと……陽も差し込まない竹林の奥から、キラキラと輝くようなモノがそっと近づいてくる。
「……っ!?」
誰かが息を飲む音が聞こえた。
骨を蝕むようなおぞましい寒気と、飢えた獣に伸し掛かられたような絶望的な気配。
それよりも何よりも、顔さえ見えないほどに溢れる、頭部から生えた数千匹の金色の蛇に全員が悲鳴を飲み込めたことすら奇跡に思えた。
「全員、逃げろっ! 振り返るなっ!」
勇気の張り上げたその声に、金縛りが溶けた僧侶達はわずかに逡巡する様子を見せたが、
「逃げろっ! 全員別方向に散れっ」
無文がそう叫ぶと僧侶達も迷いを捨てる。
無文も見た瞬間に、アレが以前に見た規格外の物の怪と同種…同格のモノだと理解した。そして現状の戦力では無駄に被害を増やすだけだと判断する。
「………?」
その様子にティナは首を捻る。
ティナとしては顔を隠して、奥ゆかしくお手伝いに来ただけだったのだが、まさか、顔を見た瞬間に逃げ出されるとは思ってもいなかった。
(……失礼な人達ですね)
ファニーが正体を現せば人間が怯えると気づいていても、自分まで怯えられると思っていなかったことが彼女らしい。
(でも、まぁいいですわ。今日の目的は実験ですから。ファニー?)
不穏なことを心の中で呟いてから、ティナはファニーに思念を送る。
(準備おっけーっ)
従者間でしか使えないが、短距離なら念話も出来る。
これを使って主が何かをしでかした時に対応しているのだが、今回はそれを『実験』の為の合図として使った。
「……ひっ」
逃げだそうとした僧侶達の背後から一人の人影が出現した。
シルエットは人間のように見えたが、徐々に明らかになるその姿は『人間』とは言いにくかった。
黒にも見える濃い緑色の肌に淀んだ瞳……。一瞬だが勇気と無文はそれに見覚えがあるように感じたが、それは印象は一瞬で崩壊した。
まるで皮を脱ぎ捨てるように穴という穴から海草のような物が溢れると、人間を裏返すように人型の海草へと変わっていった。
誰もが青い顔で動けず、その静まりかえった竹林の中で、その海草の化け物は歪な音を漏らす。
『…ダ……シュ……キ……』
ぼろぼろと海草を身体から零しながら音を漏らすと、その化け物は突然奇声を上げるように叫び、恐ろしい速さで一人の僧侶に向けて走り出した。
『……ダイ…シュキィイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!』
「…ひぁあああああああああああっ!?」
化け物は思わず悲鳴をあげた僧侶に全力で抱きつくと、彼の口から無理矢理進入してその胃を満たそうとした。
その化け物……自立行動型『食用ワカメ三式』に戦闘能力は無い。
ただ生物に盲目的な『愛』を持って、無理矢理にでも食べられることを目的とした、人間の残滓を利用した、エコな素敵ワカメだった。
ただ戦闘能力は無いが腕力と耐久力、そして再生力が異様に強く、僧侶の仲間達が助けようとしたがなかなか上手くいかなかった。
「ライトニングッ!」
「……?」
実験結果を見守っていたティナに、勇気が雷撃の魔法を放つ。
雷撃を蛇の一つに迎撃させたティナは、どうして彼が攻撃してきたのか分からなかったが、勇気としてみれば襲われている仲間を逃がす為に、その親玉を攻撃しただけだ。
今回作った『食用ワカメ三式』は皆が満腹になれば満足するのだから、攻撃してきた勇気の瞳に『怒り』があることをティナは不思議に思った。
(……良く分かりませんが、これは敵対行動ですか?)
そう判断してさっそく魂を回収しようとしたティナは、彼の攻撃が徐々に強くなっていることに気づいた。
(……これは?)
勇気の力はこの世界の人間に比べれば飛び抜けているが、それでもティナに勝てるほどではない。
その『強者』としての力が『レベル』ではなく『桁』が違う。
その弱いはずの彼の攻撃が、徐々に威力を増している。
(……ティナちゃん、外部から『力』が流れ込んでる気がするー)
(…外部から? そうですか)
ファニーは言動こそ適当だが、細かいことに関してはティナより優れている。
ティナはファニーの言葉を信じ、斬りつけてきた鉄の大剣を砕きながら、勇気から距離を取った。
(ファニー、この場を離れましょう。どうやら干渉してくるモノがいるようです)
(わかったーっ、三式はどうする?)
(…放置で。放っておけば、勝手に皆さんの胃に収まりますわ)
こうして二人の悪魔は『干渉するモノ』を警戒してこの場を離脱する。
その結果、勇気はあの規格外の化け物を退けたとして、さらに『勇者』として皆の信頼を得ることになった。




