1-19 悪魔の祝宴 ②
お正月から血生臭いです。
「ぅ、ぁ、うあああああああああああああああああああああああああっ!?」
一人の男が恐怖に耐えかねて悲鳴をあげる。
単体の生き物が起こしたものとは思えない、生物の根源的な恐怖を呼び起こすおぞましい感覚が男達を襲い、建物すべてを押し潰すような『畏れ』は伝染して数人の男達が我先に出口へと向かった。
ズガガガガガガガガンッ!!
その男達は、建物を削るようにして玄関ホールに飛び込んできた一台の自動車に押し潰され、悲鳴をあげる慈悲さえ与えられなかった。
破壊された玄関の電線がバチバチと火花を散らし、ちろちろと零れる水滴の音と漂うガソリンの匂いに……
「逃げろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
誰かの叫びに男達は慌てて逃げ出し、窓から飛び出した直後に、爆発するような炎が玄関ホールを焼き尽くした。
「車に乗れっ!」
その中で異様な事態を経験した故に精神を病んでいた綺堂だけが、唯一まともな判断を下していた。
「は、はいっ」
その声に部下の黒服達も動きだし、それを見た賤満商事の社員達も自分達が乗ってきた車へと走った。
「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああっ!?」
他より離れた場所に停めていた車に向かっていた数人が、飛んできたその車に跳ね飛ばされてマネキンのように宙に舞う。
そして……
「は、早く車を出せっ!」
「はいっ!」
綺堂は一瞬だけ視線を向けて、それを見てしまった。
車の影で……わずかな光が照らす闇の中に、夜よりも暗いドレスを纏った金髪の少女が、真っ赤な瞳で微笑んでいる姿を……。
ギッ…と、暖機されていないエンジンが全開で回り出す歪な音が響き、死ぬ前に走り出せたのは綺堂達の車を含めて五台しかなかった。
だが走り出しても少しも安心は出来ない。
背後から……カツン…カツン…と、
ゆっくり確実に迫ってくる音が、どうして車内にまで聞こえてくるのか理解できず、その音が自分達を追ってくる足音だと気づいて、男達は精神を追い詰められていった。
「うわぁああああああああああああああああああああああああっ!!」
「誰か、誰かぁああああああああああああああああああっ!」
「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
「いやだ、嫌だぁああああああああああああああああああああっ!」
法定速度を無視した速度で走る五台のうち、後ろの二台の男達は、気が狂ったように車内で意味のない叫びをあげていた。
暗い車内の中で後ろから追ってくる人影がバックミラーに映る。
ゆっくりと…静々と、貴婦人のような足取りで車と同じ速度で迫る、黒いドレス姿の金髪の少女。
あらゆる人間味をそぎ落とした、人形のような冷たい美貌。
白目の部分が黒く浸食された、夜闇の中で爛々と輝く真紅の瞳。
可憐な桜色の唇の中から覗く、紅水晶のような紅い牙……。
男達は今まで暴力だけがこの世の中心だと思っていた。
常識も法律も関係ない。自分達が凄むだけで弱い人間は引き下がり、それでも刃向かうような者には拉致して黙らせた。
自分達が敵わない相手が居ることも分かっているが、そう言う者は見た目から違う。立場が違う。見ただけで判断できるから避けることも容易だった。
だが……
もし、普通に学校に通っているようなただの子供が、この世とは別の次元にいる化け物だとしたら…?
今まで凄んで潰し、馬鹿にしてきた一般人の中に、自分を愉しんで潰すような化け物が何気ない顔で紛れていたとしたらどうなるのか……。
もしこの場を生きて帰ることが出来たとしても、男達はもう二度と暴力の世界では生きられないだろう。
彼らは……世界に潜む本当の恐ろしさを知ってしまったのだから。
だがそれも、生き残れたらの話だ。
「ひぃいいいっ!?」
まともな状態でさえ夜にこの速度で走るのは難しい。
案の定、ハンドルを切り損ねた最後尾の一台がスピンすると、運転手の男は……それを優しく片手受け止める化け物と目を合わせてしまった。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
車内の男達の悲鳴が響く中、少女の片手で放り投げられた車は前を走っていた車に追いついて、二台もろとも収穫が終わった田んぼを抉りながら転がっていった。
残りは三台……。
綺堂達が乗る車と賤満商事の社長が乗る車は、さすがに金が掛かっているのかこの状況でも走ってくれたが、最後の一台は海外の中古車でフロントのエンジン部分から薄く白煙が上がっていた。
運転手は絶望の顔で涙と鼻水を溢れさせていたが、助手席の男はギリギリの精神で馬鹿げたことを閃いた。
(このまま車を停めれば、化け物は前の車を追っていくのではないのか?)
下っ端の自分達よりも、化け物は社長や綺堂を狙うと考えたのだ。
ギギィッ!
「ぐえっ!」
助手席の男が相談もせずにサイドブレーキを引くと、運転手の男はハンドルに顔面を叩きつけて血塗れで崩れ落ちる。
備えていたためにギリギリで気絶を免れた助手席の男は、サイドブレーキを掛けたはずなのに、速度が落ちない車の中で、恐怖に顔色を紫に変えた。
「…ぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
社長は後部座席から背後を見てしまい、こちらは顔を土気色に染める。
停まったタイヤが路面に擦れて煙を上げる車を、片手で後ろを押しながら優雅に歩いてくる少女の姿は、悪夢を見ているようだった。
背後の助手席の男と視線が合うと、その男はすでに狂ったように虚ろな目で叫びながら笑っていた。
「……あ、悪魔……」
限界の精神で呟いた社長の声に、聞こえていないはずの少女が真紅の牙を見せて笑顔を見せる。
自分達を虫けらのように捻り潰す華のような笑顔に、社長の全身がガタガタと震え、すべての穴から体内のものを漏らしていた。
時速100キロ以上の速度で走る社長の車に歩いて追いついた少女は、右手に白煙を上げる車を、左手で社長の車に爪を突き立て……
グオンッ!
二台同時に宙を舞い、その車内で賤満商事の社長は、せめて苦しまずに死ねるように神に祈ることしか出来なかった。
「躱せぇええええええええええええええええええええっ!」
助手席の綺堂が無理矢理ハンドルを掴んで動かすと、その横を二台の車が唸りをあげて飛び抜け、遙か前方で投げられた衝撃で爆散した。
「うぁああああああああっ」
「ひぃああああああああああああああっ!」
ギリギリで躱したが綺堂達の車は国道から逸れて山道へと入ってしまう。
細くて平らとは言い切れない道だが、戻ることも停まることも出来ず、ましては速度を落とすことなど考えもしなかった。
ハンドルを握る綺堂の部下は、すでに正気を無くしてへらへらと薄ら笑いを浮かべながら口から泡を吹いている。
「何故だ……何故だっ」
綺堂は信じられなかった。信じたくなかった。
どこで間違ったのか……。すべては最初から、あの『化け物』の手の平の上で弄ばれていただけだったのか。
可憐で美しい、無害にしか見えない少女……。
どうして、この科学の発達した平和な国に、こんな非常識な『化け物』が存在しているのか理解の範疇を超えていた。
これが今まで他人を貶め、騙し、奪ってきた報いだと言うのか……。
もし綺堂が、この結末の原因が小さな商店街に手を出しただけの結果だと知ったら、気が狂い、死しても悪霊と化していただろう。
「私は……、俺はぁあああああああああああああああああああああああああっ!」
数年ぶりに自分を『俺』と呼んだ綺堂に、バックミラーに映る金色の悪魔が優しい笑みを向ける。
その瞬間、バックミラーに映る少女の姿が消えて……。
綺堂を乗せた車は道を曲がりきれず崖に飛び出し、暗い夜の森へ落ちていった。
次からは通常運転です。




