1-13 黒猫さんの華麗な日常 ①
リンネさん出番です。
高位悪魔【魔獣】。悪魔種族【暗い獣】。
悪魔として生まれてから例えようのない渇きを感じていた。
渇きを癒すために視界に映るすべてを喰らい、ある時、上級個体と戦闘になり辛くも勝利を得るも、次元の狭間に落ちて物質界へと流された。
そこで様々な存在と出会い、戦い、喰らい、古代の人間に『獣の悪魔』と呼ばれることで自己の存在を確立した。
高位の悪魔が知性が高いのは、力を得ることで進化し知性を得るのではなく、智を知り自分の存在を高い次元で理解し認識することで、悪魔としての『格』が上がり『力』を得る。
いつしかその存在を恐れた悪魔達から暗い獣と呼ばれるようになり、魔界でも有数の高位悪魔となっても、暗い獣の渇きは止まらなかった。
そして数千年の時をほぼ孤独に過ごしてきた暗い獣は、ある時、不可思議な悪魔に出会うことになる。
生まれたばかりで高い知性を有する奇妙な悪魔。
その在り方に興味を覚え、そんな悪魔と数百年ぶりに会話をしてみたくなった暗い獣は、自らの知識を与え、その小さな悪魔を飼うことにした。
知性はあるのに間が抜けている。呆れながらも面白く思って手を貸してやると、その小さな悪魔はすぐに自己を自分なりに理解して、暗い獣と同じ【魔獣】として確立し、暗い獣はその悪魔の種族を【金色の獣】とした。
本来悪魔が不定形から個体に進化するには、長い時間を必要とする。
そんな小さな悪魔達は、悪魔の共食いを生き残り、物質界に呼び出されていいようにこき使われて、それでも生き残り知恵を得た存在だけが、時間を掛けて【下級悪魔】に進化できるのだ。
だから暗い獣も会話が出来るようになるまで百年は掛かるかと思っていたが、物質界を夢で見たという金色の獣は、その場で子猫のような下級悪魔へと進化し、成長することで上級悪魔へと変わった。
しかも【魔獣】として進化したことで、【大悪魔】並の力も得つつある金色の獣を見て、暗い獣は少しだけ惜しいと思った。
力の弱い不定形の状態だったら、まだ『名付け』られる機会があったのに、名を持たない暗い獣にはそれが少しだけ心残りとなった。
悪魔に名前はない。
精神生命体に『名』を付けるのは、互いの魂に『絆』を刻み込む行為であり、その痛みに耐えるには名を授ける者と同等の魔力が必要になる。
精神界の住人である『精霊』や『悪魔』が互いに名を付け合う行為は、自己を切り売りすることに等しく、それは互いの弱体化にも繋がる。
精神界の生物に名を付けるには、精神に左右されない物質界の身体と、それが自分であるという物質界の住人特有の自己認識が必要だった。
故に悪魔に『名』を持つ者は少なく、希に名を持つ者は、生まれたばかりの頃に運良く物質界の住人に名付けをされた者であり、その者達は自己の存在を強く確定され、魔界でも強大な存在になっていた。
金色の獣はその奇妙な精神から、暗い獣を【彼】と呼んでいた。
正直に言えば名前ではないもののギリギリの呼び方で、暗い獣が金色の獣を気に入っていなければ、敵対と見なして滅ぼしていただろう。
暗い獣は何故その呼び方を許したのか今でも分からない。
だが性別すら曖昧な悪魔であるはずの暗い獣は、【彼】と呼ばれはじめて、不思議な感覚を覚えた。考え方が変わった訳ではなかったが、まるで人間の『女性』のような感性を持つ金色の獣に『独占欲』のようなものを持つようになったのだ。
束縛が強すぎたのか、金色の獣は物質界へと旅だった。
後を追おうにも数千年の時が暗い獣を強大にして、単独で物質界に行くことは出来なくなっていた。
その時初めて、暗い獣は長年己を苛んできた渇きが、金色の獣と共にいることで癒されていたことに気付く。
再び感じる渇きに暗い獣は荒み、再びすべての者を襲う姿に金色の獣を束縛する為に用意した『小悪魔』さえ消えて、暗い獣は再び孤独となった。
その荒んだ争いの中で魔界七柱と呼ばれる【悪魔公】の一柱さえ滅ぼし、その戦いの傷を癒している時、暗い獣の前に物質界に繋がる魔法陣が開いた。
感じたのは懐かしい、金色の獣の魔力。
その魔法陣は暗い獣が通るには小さかったが、暗い獣は自らが傷付くことさえ恐れずにその魔法陣を通って物質界へと渡る。
再び出会った金色の獣は、人間の姿を持ち、『名』を持つことで【魔神】へと進化して強大な存在へと変わっていた。
まだレベルは低かったが悪魔の最高峰である【魔獣】と【魔神】の力を得て、彼女が育てた四体の【大悪魔】を引き連れた『ユールシア』と戦いになり、傷付いていた暗い獣は、生まれてから数千年で初めての敗北をする。
ユールシアに敗れて、暗い獣は傷を癒しながら力の回復に努めた。
ユールシアや彼女に従う従者のように物質界に肉体を得て『顕現』すれば、ユールシア達を倒すことは出来るかも知れない。
だが、暗い獣は顕現をしようとしなかった。暗い獣の目的はユールシアを魔界に連れ帰ることで、ただ勝つことが目的ではなかったからだ。
そして再び相まみえたユールシアは従者なしの単独で暗い獣へ挑み、ユールシアはその戦いの中で暗い獣に『名』を授けた。
凛とする黒色を意味する『凜涅』と言う名前。
人間の属性を持つ高位悪魔であるユールシアだけが、リンネに名を付けることが出来たが、その魔力を持ってしてもユールシアの苦痛は酷かったであろう。
名を付けられることでユールシアとリンネの魂に互いの名が刻まれ、リンネはユールシアの想いに気付き、彼女の中にも自分が居ることを知った。
そして……気がつくとリンネの中にあった渇きはいつの間にか消えていた。
悪魔は純粋すぎるほどに自分の欲望に忠実であるため、純粋であるはずの魂は瞬く間に汚れていく。
ユールシアは悪魔の中でただ一人、純粋な魂を持っている。
だからユールシアは『自由』だ。
何者にも…世界にも束縛はされない。
悪魔的な性質に流されても、幼子のような純粋な残酷さでそれを成し、彼女の魂は汚れない。
人の知識を持ち、人に悪戯をする妖精のような心を持つ、もっとも純粋な悪魔である彼女はこの世界でも奇妙な存在になっていた。
そしてリンネも名を持つことで、少しだけ変わった。
魔獣である闘争本能はそのままに、落ち着いた思考が出来るようになっていた。魂が繋がることでユールシアに毒されたのか、人生を愉しむ余裕が出来てきた。
今のユールシアはリンネと繋がることで、悪魔としてかなり強くなっており、戦いで傷付くことは心配していない。
だがリンネは、ユールシアが悪魔として強くなるほどに、その精神が安定を欠いていることにも気付いていた。
ユールシアの心は、人間と悪魔の間で揺れている。
人として人間の中に自然と溶け込み、他人の機微に心を砕くその隣で、他の人間の心をへし折り魂を喰らう。
リンネはそのことで、ユールシアの魂が変わってしまうことを恐れた。
以前はユールシアが完全な悪魔に堕ちて、魔界で共に生きることを望んだ。
でも今は、ユールシアが今のままでいることを望み、そんなユールシアと彼女が望む世界で生きることを希望とした。
ユールシアの心を守らなくてはいけない。静かに見守り、彼女の魂を汚すすべてを排除しなくてはいけない。
その為には、いつ消滅するかも分からない今の身体では駄目だった。
悪魔としての彼女の隣にいるだけなら、多少の問題はあるが今のままでも良いかも知れない。
だが人間の中で生きるユールシアの隣に立つには、何かを成さねばならなかった。
リンネはユールシアの為に、こちらの世界で一つのことを始める。
それが、この世界にどんな影響を及ぼすことになっても……。




