1-10 夏休みになりました ①
私がこの世界に来てから早くも三ヶ月が経ちました。
何の問題もなくのんびり過ごしています。…と言いたいところですが、それなりに問題も起きている。
例えばこんな事もありました。
父ちゃんのらーめん屋があるこの商店街は、一本道の商店街ではなく幾つかの交差点があって、そちらにも商店街が延びている。
交差点があると言うことはそれなりに交通量もある。交通量もあれば人通りもあるはずなので、商店街全体が寂れているように見えるのは、やっぱりどこかから嫌がらせをされているからみたい。
つまりは寂れてもいてもお客さんは来る。
こういう話だと有志で知恵を出し合い、商店街を盛り立ててお客さんや味方を増やして嫌がらせに対抗するのが定番だと思うんだけど、閉店したお店が多いのは、嫌がらせに耐えきれずに売ってしまったお店が多いだけで、嫌がらせが無くなればそのうち違う人が入って復活するんじゃないかな?
「お、ユルちゃん、スイカ入荷したよっ、味見していくかっ」
「うん、ありがとー」
「あ、ゆるちゃーん、注文の品は夕方になるって飯野さんに言っといてねーっ」
「わかったー」
「ユルちゃーん、うちのお店でもウェイトレスやってよーっ」
「今度ねー」
話しかけてくる商店街のおっちゃんおばちゃん達と声を掛けながら、微妙に供物っぽい味のするスイカを食べて、私は目的のお店に辿り着く。
「お爺ちゃん、くださいな」
「おう…ゆるちゃん…いらっしゃい」
交差点の角にある明治元年創業の乾物屋さん。店構えも年季が入っているけど、店主のお爺ちゃんも代替わりしてないんじゃないかって疑うくらいよぼよぼだ。
「ゆるちゃん…お使い偉いねぇ…お菓子あげよう」
「うん、いらない」
「ほい…これを食べなさい」
聞こえていないのか無視しているのか判別できないけど、お爺ちゃんはいつものようにオブラートに包まれたような砂糖まみれのゼリーを私の手に握らせた。
「……いつものお店で使う昆布をくださいな」
「おうおう…じゃ…裏から取ってくるから…店番…お願いな」
「うん、わかったー」
私の呪われたドレスからは、乾燥ワカメとタコスルメは出てくるけど昆布は出てこないんですよ。お爺ちゃんがお店の裏に昆布を取りに行き、私はお爺ちゃんが座っていた椅子に腰掛けて、味のよく分からないゼリーを口の中に放り込んだ。
私はこの商店街で『金髪メイド』として受け入れられている。
私としては腑に落ちない感じもするけど、美紗が言うには商店街のマスコット的な私を目当てにお客さんが増えているらしい。
……マスコットというか『ゆるキャラ』扱いな視線を感じるわ。
『ユールシア、悪意がくる』
「…へ?」
お爺ちゃんがいつもおやつを入れている戸棚から、堅焼き煎餅を食べようとしていた私は、唐突なリンネの声にマヌケに呟いた。
リンネは相変わらず感度が良い。そして私は相変わらず探知系は鈍い。
適当にある程度のことなら分かるようになったんだけど、人間の感情とか細かいモノまでは区別できない。
『…暢気だな。どうするんだ?』
リンネがカウンターの上に飛び乗ってお店の外に顔を向ける。
この世界に来てから、リンネはこの世界に詳しい私の指示に従ってくれている。リンネの力があれば大抵の問題はどうにでもなると思うけど、リンネは私がこの世界を壊したいと思っていないことを理解してくれているんだ。
……そこまで細かく考えてはいなかったんだけど。
「……あれですか」
いつもと変わらない光景の中に、廃車寸前にしか見えないトラックが真っ直ぐこちらに向かってくるのが見えた。
「ずいぶん直接的なことをするようになったわね…」
この数ヶ月でこの商店街への嫌がらせはずいぶん少なくなっていた。
私が色々“ご馳走”したり、リンネが“いただきます”しているからなんだけど、それはいいとして、今こちらに向かっているトラックの運転手は、妙な顔色でへらへらと笑って涎を垂らしながら、はっきり言って目がイっちゃっている。
「リンネ…悪いけど、悪意を持っている他の人が、近くで見ているはずだから捜してくれる?」
『生かしてか?』
「情報だけ取れれば、何でも良いわ」
『分かった』
ニヤリと悪魔的な笑みを浮かべるリンネのニャンコな耳に、私が感謝の気持ちで軽く唇で触れると、リンネの姿が霞のように消える。
「…さて」
あまり速度は出ていないけど、トラックはかなり近くまで迫り、あと10秒もしないうちにこのお店に突っ込んでくる。
私は椅子に腰掛けたまま、悪魔の魔力をたっぷりと注いで……強化した堅焼き煎餅をトラックに投げつけた。
ドゴン…ッ!!
トラックの前面にクレーターのようにへこみを付けて、運転手は顔面を硝子に打ち付けてずるずると滑り落ち、トラックはお店の手前5メートルで停まった。
さすが堅焼き煎餅、トラックに投げつけても問題ない。
そんな不幸な事故車を回収して貰うために警察に電話していると、リンネが魂を咥えて戻ってきました。
「何か分かった?」
『この世界の情報は俺には分からん。ユールシアが調べてくれ』
「わかったー」
さすがリンネ。ちゃんと契約で縛ってあるわ。……不味そうだけど。
結局下っ端なのか大した情報は持っていなかったけど、直接関わった『会社』の名前は分かった。
「……ふ~ん」
少しだけ……摘み食いしようかな?
***
「……しんどい」
ある夜更けに拝み屋恩坐は人気の少ない道を一人歩いていた。
つい先日、この街に来ていた『御山』がらみの拝み屋十名と、やっと富豪の秘書に取り憑いた『悪霊』をやっと祓うことが出来た。
実際には13名の拝み屋が関わっているが、三名が重傷を負い、その内の一人はいまだに意識が回復していない。
恩坐は七桁後半の金銭を報酬として貰ったが、一ヶ月以上の時間を掛けて命の遣り取りをしての報酬だと思うと馬鹿らしくも感じる。
これがただ運が悪く悪霊に憑かれただけの一般人であったなら、この報酬の十分の一でも達成感はあったのだろうが、あくどい仕事をして因果応報として取り憑かれた相手だと助ける気も失せる。
元はかなり優男であったであろうその秘書の、末期がん患者のような姿を見なければ恩坐は見捨てていたかも知れない。
今回の悪霊はそれほど強力な相手だった。
その次の日、また『御山』から同じ富豪の子会社……とは言っても社会的には繋がりのない会社の“社員”が取り憑かれているような状況であると連絡が入った。
今回その連絡が来たのは、前回の十名のうち無傷だった恩坐を含めて四名。資料に寄れば、取り憑かれているような症状ではあるが『霊障』とは断言できず、その正体を探ることが主な仕事らしい。
こんな曖昧な話に『御山』が初手から四名も送り込むのは珍しい。前回祓った女の悪霊がそもそもの原因となった、あのおぞましい気配と特定が出来ず、『御山』の上層部はかなり過敏になっているようだった。
結局は『御山』からの依頼を断ることが出来ず、恩坐が指定されたその場所に向かうと、チンピラのような風体の男達五名が虚ろな表情で座っていた。
そのうちの二名は早くに症状が出たらしく、もはや人間の気配をしていなかった。
(こりゃ…やべぇな)
恩坐は一目見て尋常ではないと感じたが、それと同時に『霊障』とは何か違うことも感じていた。
霊障と言うよりは『呪い』に近い。だが東洋の呪術は最終的には霊の力を利用する霊障になるはずなので、霊の気配が感じられないことがあり得なかった。
ならば西洋の呪術はどうだろうか? 恩坐の知識ではそれに近いようにも思えるが、呪いにしては一切の『悪意』や『害意』を感じない。
霊障より呪いに近い。呪いより病気に近い。
あえて言うなら以前夜中に出会った、あの『黒ずくめの少年』が使った力に近い。
生き物の生命力である『氣』とはまったく違うあの少年の力を、恩坐はいまだに計りきれずにいた。
恩坐は結局この仕事を見送った。恩坐の趣味と合わないこともあるが、自分の手に余ると感じたからだ。
もしもこれがあの少年がやったことなら恩坐も興味が持てたのだろうが、おそらくそれは違うだろうとも思う。力の質は同じでも方向性が違うと感じた。
そしてこれは医者や研究者のような知識がいると『御山』に報告し、同業者三名にもそれを伝えたが、金に取り憑かれたような彼らは聞く耳を持たなかった。
「……ん?」
何か“予感”のようなものを感じて恩坐が足を止める。
無意識に修験道の応用で無意識に気配を消すのではなく周囲に同化させた恩坐が息をひそめると、100メートル以上離れた場所に小さな人影が見えた。
特に変わったことはない。何かが反射しているのかキラキラとして見えにくいが、それが子供であろうと察しは付いた。
何もおかしなことはない。あえて言うならこんな遅い時間に子供が彷徨いていることだが、近所の子供ならそんなこともあるだろう。
だが恩坐は、感じたその予感が“悪い予感”に変わるのを感じた。
(……あれは)
子供が地面に指を突き刺した。あそこの地面はそれほど柔らかいのだろうか? 何度かそれを繰り返した子供は、その穴に何かを埋めた。
その様子に子供の頃マンガで読んだ野菜王子を思い出したが、きっと何かの種を植えているのだろうと思い直す。
だが……
(…っ!?)
その後に、マンガのようにぶ厚いコンクリートを割って這い出してきた、数体の歪な『人型』を見た瞬間に、恩坐は自分の意識すら周囲に同化させて、最大級の隠形を使用した。
己の意識さえ周囲と同化させるのは、精神を植物の域にまで落とし、もし今誰かに襲われても何も出来なくなる。
それでも恩坐はアレに見つかれば命はないと確信し、外界の情報をすべて遮断してまで自分の存在を隠した。
数時間後……なんとか自力で精神を元に戻せた恩坐が、まだあの場所にいるはずの三人の同業者に伝えようとしたが連絡は付かなかった。
急いでその場所に戻り、恩坐が鍵も掛かっていない建物に入ると、そこに居たはずのチンピラのような社員十数名と三人の同業者は居なくなっていた。
数時間で全員が移動したとは考えにくい。
酒盛りの途中のようなコップに注がれた酒や、吸いかけの燃え尽きた煙草を残して、彼らはどこに消えたのか……。
「………」
そして床に点々と落ちているワカメに得体の知れない恐怖を感じた。
恩坐は嫌な予感を振り払うように『御山』に報告し、車や交通機関を使わずに人の居る街まで走った。
肉体的にも精神的にも疲労した恩坐は、すでに陽もすっかり昇り、人の姿に安堵して近くのラーメン屋に足を向ける。
「いらっしゃいませー」
「…………お、おう」
何故かメイド服を着ている、十代前半のとんでもない金髪の美少女に度肝を抜かれながら、カウンターに隅っこに腰掛けた恩坐は、まだ午前中にもかかわらずカウンターの中の店主に声を掛けた。
「……親父さん、ラーメンと……焼酎、オンザロックで」
ほのぼのホラー仕立て。




