悪役令嬢は主人公を助けたい
――あら……?
私、カテリナ・アンフィールドは鏡に自分を映した際、心の中でそう呟いた。
いえ……別に鏡に不審な点があった訳じゃないの。
鏡に映っていたのは九歳の子供。
背中まで伸びた黄金の様に輝く髪を二つにまとめたツーサイドアップ。
成長期を迎えてもいないのに、どこか妖艶な色香を纏う肢体。
そして、見つめ続ければ狂気を誘いそうな程赤い……深紅の瞳。
そう……偉大な大魔王の血族、高貴なる魔族の姫、カテリナ・アンフィールドが映っていた。
というのが、鏡を見るまでの私の自己評価。
自分で言うのも可笑しな話だけれど、私はプライドが高く、傲慢な、差別主義者だ。
高貴なる……なんて恥かしげもなく言っている辺りで今更確認するまでもない。
しかしながら鏡を見る前の私はそれを誇らしい事の様に考えていたのだ。
じゃあ今は違うの?
自分で自分に尋ねる。
――違う。
私は私に即答した。
どうしてこんな簡単に自分を否定出来たのか。
それは、鏡に己を映した瞬間、前世の記憶が蘇ったからだ。
……頭がおかしくなった訳じゃない。
だけど、とりあえず、深く思い出したいの。
大魔王の娘であるカテリナと比べて、前世の私は平凡を絵に描いた様な人だった。
最終職業はOL。しかも派遣という文字が頭に付く。
それもやっとの事就けた仕事で、毎日大変だった。
趣味らしい趣味と言えば……少女マンガを読む事かしら?
ごめんなさい。もっとディープだったわ……。
誰に責められている訳でも無いのに、私は卑屈な謝罪を思い浮かべた。
前世の私はあまり要領の良い方ではなくて、友達が少なかった。
自然の流れとして、少女マンガや乙女ゲーと呼ばれる女の子向け作品に浸っていた。
己の時間を削ってでもドラマや年頃の女の子が好む物に目を通しておけば良かったのに、当時の私にそんな発想は無かったのよ。
あ、前世の私がこれだけは言いたいと訴えている。
――私は女オタクかもしれないが、腐女子ではない!
記憶が混濁しているのかしら?
男性に理解してもらうのは難しいけれど、女オタクと腐女子は違う。
女オタクとは比較的にノーマルな女性向け作品を好む女性の事だ。
腐女子は同性愛、とりわけBL……男性同士の友情や愛情を扱った作品を好む女性の事。
だからオタク的な趣味を持つ女性全てが腐女子という訳じゃないの。
尚、私は別にBLなどの作品やそれを好む人を否定したい訳じゃない。
というのも前世の私が一度だけ付き合った彼氏が、私が女オタクだと知るや否や腐女子と連呼し、嫌悪感を表したのだ。
今なら、まあそういう男性もいるわよね、とお高く留まれるけれど、当事の私は酷く傷付いたわ。
そういう輩には、てめぇも非現実的なエロゲーをやっている癖に! なんて少々女性に有るまじき言動を取れば良いのにね。
ともかく、それから私は己の趣味を秘匿して生きて来た。
こんな前世だから多少卑屈になってもしょうがないでしょう、と自分を慰める。
……嫌な記憶を思い出してしまったわ。
そんな事よりも本題に入りましょう。
前世の私は遠回しな表現が苦手だったから単刀直入に言う。
この世界は、乙女ゲームの世界だ。
タイトルは『ドゥンケルハイトの魔女』。
シリアス系のシナリオ重視な作風で、その界隈では有名だった。
物悲しいクラシック風のBGMを使っていて、雰囲気作りに一役買っていたっけ。
お話は少女時代と成長して大人になってから、の二部構成で語られる。
タイトルの固い名称からも読み取れる様に、主人公の女の子が攻略対象と友情を築いたり、恋愛する以外にも、テーマに『差別』を扱ったゲーム。
というのも攻略対象が全員、闇の住人、要するに魔族なのだ。
主人公は小さな頃、闇魔法の適性があったというただそれだけの理由で、人間界と魔界を繋ぐ道を塞ぐ結界の生け贄にされてしまう。
けれど幸いにも魔界に落ちた主人公は死んでいなかった。
魔界の王……大魔王にその才能を拾われ、使用人として生き始める。
尚、これは物語の後半に語られるのだけど、大魔王は当初、主人公の事を嫌っていた。
散々苦しめて失意と絶望の内に殺してやろうとも考えていたと語っている。
これは設定上、魔族という種族が人間に対して嫌悪を向けているからだ。
物語の舞台となる魔界なのだけど、生物が住むのに適した場所じゃない。
大昔、何百年も昔に魔族と忌み嫌われた者達は、魔界に追いやられた。
人間よりも遥かに長い寿命を持つ大魔王はその時に両親を失い、更には今よりも遥かに住みづらかった魔界で地獄の様な生活をしたらしい。
だから主人公は魔界でも差別を受ける事になる。
けれど、主人公はけっして笑顔を絶やさない心優しい少女だ。
もちろん涙無くしては語れない悲しい展開もあるのだけど、それでも主人公はそんな境遇にも負けず、自分の居場所を勝ち取っていく。
そうして最後には攻略対象とハッピーエンドを向かえる訳だ。
沢山乙女ゲームをやったけど、私が1、2を争う程に好きなゲームと言える。
で、前置きはここまでにして、本当の本題に入りましょう。
私は偉大な大魔王の血族、高貴なる魔族の姫、カテリナ・アンフィールド。
――『ドゥンケルハイトの魔女』における悪役にして、全ての黒幕である。
ゲーム『ドゥンケルハイトの魔女』におけるカテリナ・アンフィールドは悪役という名に恥じないキャラクターだ。
どれだけ酷いキャラクターかと口にすれば、ファンの私なら数時間は語れる。
少女時代ならば使用人となった主人公に対する肉体的精神的を問わない嫌がらせだろう。
攻略対象との会話の邪魔をしてくるし、一歩間違えば死んでしまう様な事もしてくる。
実際、選択肢を間違えると主人公が死んでしまう悲しい結末、バッドエンドも存在する。
それは大人になっても変わらず、ルートにもよるけれど主人公だけでなく、自身の父親や兄弟に手を掛ける事まであるのだ。
ほとんどの攻略対象のトラウマの原因でもある。
まあ最後には倒されたり、幽閉されたり、追放されたりするのだけど。
ここ等辺の差はルートによって変化する。
どちらにしても最後には不幸になってプレイヤーを爽快な気分にさせてくれるキャラクターだ。
さて、ゲーム内のカテリナを客観的に見るならば、好き嫌いのハッキリした子、だろうか。
例えば設定上魔族の多くは人間を嫌いなのだけど、カテリナはその感情を非常に強く表現する。
テーマに差別が使われている為、強烈なインパクトを演出する必要があったのだろう。
それを表現する上でカテリナの極端に主人公を嫌う姿は効果的だった。
しかし、意外な事にカテリナには人望があった。
大魔王の娘という理由もあるけれど、嫌いという気持ちを強く表すのと同じ様に、好きという気持ちも同じ位……いえ、それ以上に強く素直に表現する。
だからこそ自分の好きな相手が嫌いな主人公に取られるのが許せなかったのだろう。
彼女は己の悪知恵や力、人脈、ありとあらゆる手段を使って主人公を傷付ける。
つまりカテリナが強力な悪役として君臨するのは性格の悪さだけではなく、組織力もあるのだ。
しかもカテリナは作中1、2を争う天才であり、武術、学問、魔法とどれにおいても秀でていた。
魔法という単語が出てくる通り、多くのルートでは主人公はカテリナと戦う展開がある。
そのほとんどで主人公と攻略対象は危機的状況に陥ってしまう。
もちろん選択肢を間違えていた場合、主人公は殺されてバッドエンドだ。
そんなカテリナ……私なのだけど。
私は主人公を傷付けるつもりは無い。
あんな事をしても不幸になるのは私だし、前世で腐女子と彼氏に差別された私が他者を差別出来るはずもない。
むしろ主人公達と仲良くなりたい。
だって大好きなゲームに転生したのよ?
あの『ドゥンケルハイトの魔女』の世界に生まれたんだもの。
こんな幸運、喜ばなきゃ損だわ。
もちろん、ゲームにおけるカテリナの最後に思う所はある。
不思議な力でゲームと同じ展開になるかもしれない、という恐怖もある。
完全に自業自得だが魔法によって消滅させられる結末を想像するだけで震えてしまう。
だけど、私は主人公や攻略対象達を信じる。
身の安全だけを考えるなら、主人公達とは距離を置くという手もある。
けれど、それはなんか嫌だ。
だって別に後ろめたい事がある訳でも無いのに、どうして私が離れなければいけないの?
あくまでゲームではカテリナが悪い事をしていたからそういう最後を迎えただけであって、この世界が現実を生きる私が見た泡沫の様な夢だと言うのなら話は別だけれど、あの主人公や攻略対象達がなんの理由も無いのに私を責めるなんてありえない。
それに仮にゲームと同じ展開になる運命だとしたら、私にどうこう出来る問題では無いわ。
当然、簡単に諦めるつもりは無いけれど。
さて、ここまでは良い。
ゲームの様な悪い事はしない。
ここまで決まった所で、これからどうするか、ね。
悪い事をしないと決めた以上、なんらかの介在が無ければ、確実にゲームとは違う未来を向かえる事になるでしょう。
つまり遅かれ早かれ試す機会は訪れる。
なんせ、攻略対象のトラウマを植付ける悪役ですからね。
その上で……まずはゲームと現在の年代を調べないといけないわ。
『ドゥンケルハイトの魔女』という物語が始まるのは、主人公が十歳の時だ。
そしてカテリナは主人公よりも一つ年上だったはず。
現在の私が九歳だから、最低でも二年の空きがあるわけね。
とはいえ、主人公が登場するよりも前……各キャラクターの過去話ではそれよりも前が描かれる事がある。
例えば――
翌日、私はとあるパーティーに参加していた。
黒を基調とした布地に紫色の装飾が彩られたドレスに身を包んでいる。
ドレス的には少々ゴテゴテした印象を受けるが、設定上魔族は黒が高貴な色なのだ。
ちなみに紫色の装飾が入っているのは、カテリナの魔法色が紫だからだろう。
原作である『ドゥンケルハイトの魔女』ではとある人物の回想シーンとして流れるエピソードなので本来はセピア色なのだけど、こういう細かい部分も考えられていたのかもしれない。
それはともかく……。
私は目的の人物をキョロキョロと探す。
……いた。
「リヒトお兄様、お誕生日おめでとうございます」
私は目的の人物、リヒト・アンフィールドを見つけて、カテリナ自身の記憶を頼りにそう言った。
「カテリナ、ありがとう」
と、答えたリヒトに、私は言葉を失っていた。
まだ十歳の少年に対してこの表現はおかしいかもしれないけれど、あえて言わせてもらう。
なんというイケメン王子。
乙女ゲーの登場人物なのだから当然だが、リヒトの容姿は非常に整っていた。
染み一つ無い肌に、活力溢れる黄金色の瞳、そしてあどけなさの残る顔。
原作では白に描かれていた髪が黒である、という点さえ除けば、美少年という設定のままだ。
さすがは白の王子、思わず見とれてしまう程の姿。
声も原作通りで、凛々しくも優しい声だ。
「今日はぼくの披露会に来てくれて嬉しいよ」
披露会という言葉を聞いた瞬間、私は現実に引き戻された。
というのも、この『披露会』という言葉は『ドゥンケルハイトの魔女』の本編中、良い意味で使われた言葉ではない。
そう……今日この日、リヒトは一生消える事の無い心の傷を負う事になる。
理由は、披露会の内容を知る必要がある。
この披露会、簡単に説明するなら社交界デビューの様な側面を持っていて、十歳の誕生日を迎えた魔族が開くのが伝統になっているのだ。
で、その内容は魔力の属性を測るというもの。
魔族は十歳位まで肉体、とりわけて魔力が安定しない。
その為、十歳の誕生日を迎えると盛大に祝う。
魔法などの勉強も始まって忙しくはなるのだが、とてもめでたい日なのだ。
これだけ聞くと別に問題は無い様に思えるけれど、リヒトの属性に問題があるのだ。
魔王の血族というのは当然ながら基本的に闇属性が浮かぶ。
偶に先祖返りや母親の属性を受け継ぐ事もあるらしい。
けれどリヒトの場合、そういう次元では無いのだ。
光。
魔族が嫌う属性だ。
極々一部の人間……勇者と呼ばれる、魔族の敵が得意とする魔法。
闇を打ち消す力を持ち、多くの魔族を滅ぼした力。
それが彼、リヒトの属性だ。
『ドゥンケルハイトの魔女』のテーマには差別が含まれている。
リヒトが受ける差別は魔族でありながら光属性という点だ。
仮にリヒトの属性がゲーム通りだった場合に辿る本来の未来は、この日を境に暗い物に染まっていく。
とはいえ、リヒトという人物はそんな生まれだからこそ、主人公と親しくなる。
闇属性であるが故に捨てられた人間の少女と光属性であるが故に差別される魔族の少年。
運命めいた物を感じるでしょう。
ちなみにそんな彼の人気だが公式アンケートの結果、四位だ。
これだけの要素を持っていながらリヒトの人気がそこまで上がらなかった理由は多分、彼が悪役キャラクターの一人だからでしょう。
もちろん悪役とは言ってもカテリナ……私の様な悪意から来るモノではない。
その逆、愛情から来るモノだ。
差別されて生きて来たリヒトは自分を唯一認めてくれた主人公に恋をする。
しかし『ドゥンケルハイトの魔女』は乙女ゲー。
選択肢によってはリヒトとは結ばれない結末も存在する。
まあ、要するに彼は病んでしまうのだ。
所謂、ヤンデレという奴ね。
白のヤンデレ王子と言えばリヒトの事である。
この好き嫌いが極端に分かれるキャラクター性が票を割ってしまい、最終的に四位だった。
……今は考えなくても良い事まで考えてしまったわ。
思考を戻すと、リヒトの心に深いを傷を負わせるのは、当然ながらこの私、カテリナ・アンフィールドである。
カテリナは好き嫌いがハッキリしている少女。
そんな彼女が光属性の兄など目にしたら、どう思うだろうか?
当然、端的なまでに強い嫌悪を向ける。
作中のテキスト文を借りるなら……。
『いや! 気持ち悪い! 近付かないで!』
こんな感じだったと思う。
直前の親しいそうな関係から一変してこれだ。
大人でも傷付く様な、こんな言葉を子供のリヒトが聞いて耐えられるはずもない。
少なくとも、一生消えない深い深い心の傷になるのは間違いない。
彼を癒せるのは同じ痛みを共有する主人公だけ。
今更な様な気もするけど、私、どうしようもないね。
いえ、他人事では無いんだけどね……。
半分……前世の記憶があるとはいえ、七割はカテリナである私自身なんだし。
まだ前世の記憶が蘇って一日だけど、少しずつ違和感が消えて来ている。
混ざるという感覚が適切でしょう。
生前の凡人だけど人並みの常識を持った心。
溢れる才能を持っているけれど冷酷で残忍な心。
この二つがどういう化学反応を起こしたのかは知らないけれど、混ざった。
少なくとも自分の好き嫌いで相手を貶める様な部分は消えた。
どちらかと言えば嫌いなら関わり合いになりたくない。
それが無理なら無難にやり過ごしたい、になった。
ここまでだったら前世が大部分を占めるけど、続きもある。
カテリナの敵意を向けられたらやり返してやろうって強気な部分も残っていた。
さすがは悪役だけあって、二十年以上生きた大人の記憶でも消せなかったみたい。
いえ、消すという表現は乱暴ね。
別に私は前世の記憶を思い出しただけで、カテリナという存在を殺したい訳でも、カテリナという地位を奪いたい訳でもない。
――では、私はこの世界で何をしたいのかしら……?
「始まるみたいですよ」
ふと、思考の融合で生じた疑問に心を悩ませているとそんな言葉が耳に過ぎった。
見ればリヒトの魔力測定が始まろうとしている。
そうだ、今はそんな事を考えている場合じゃない。
私は人だかりが出来始めているその場に近付く。
さすがは魔王の息子、お近付きになろうと考える者も多い様だ。
……特等席にはお父様とお母様、要するに大魔王様とお妃様がいる。
確かリヒトの回想シーンでは期待が失望に染まるその瞬間について描写されていた。
このまま進めば、例え私の言葉が無くてもリヒトは心に傷を残す事になる。
……そんなのはダメ。
未来を知っていながら何もしないなんて日本人の私が……いえ、カテリナだってそう思っている。
今ならわかる。
カテリナはちょっと他者よりも視野が狭かっただけなのよ。
ほんの少しでも嫌いな者にも好きという気持ちを向けられれば、あんな子にはならなかった。
魔族という種族をとても誇りに思っていて、それを傷付けた人間が嫌いで、その人間が好む白や光が嫌いだったのよ。
その気持ちが強過ぎて、歪んだだけ。
……。
……いえ、言い訳はしない。
前世にやったゲームにおける私が許されない者なのは変わらない。
けれど、だからこそ、本来は傷付けてしまう者達を救わなければいけないんだと思うの。
これは前世の私だから、カテリナである私だから、という話じゃない。
今の私だから、よ。
前世の私からは皆を救う為の知恵と視野を広げる方法をもらった。
カテリナからは決断力とそれを実現するだけの力をもらった。
これだけお膳立てされたのなら、私でも出来る。
いえ、ここはカテリナの言葉を借りましょう。
――私なら出来る。
本来は悪巧みをする時に口にする言葉だけど、どうにも身体に馴染む。
やはり根の部分はあのカテリナなのかもしれないわね。
ゲームをやっていた頃は、これ程成功しないで欲しいと思った『私なら出来る』は無かったけど。
そう、自嘲めいた考えを浮かべながら、私はリヒトを眺めた。
「……」
緊張していながらも魔王の血族に恥じない凛とした顔立ちで、リヒトは魔力測定器に手を近づける。
魔力測定器は球体状の水晶だ。
前世、博物館に飾ってある大きな電球……放電ランプに似ている。
……前世の私の知識が良くわからないわ。
ともかく、その放電ランプに似ている魔力測定器にリヒトは触れた。
瞬間、その場が凍る。
水晶内では白い光の波が揺れていた。
……やはりリヒトは光属性だった。
乾いた風の様なノイズ音が耳元を掠める。
いえ、実際にはそんな音はしていないと思う。
けれど、時が止まって思える程に世界が停止していた。
「……え?」
時が動き出し、最初に言葉を漏らしたのは誰でも無い、リヒトだった。
魔王の血族として生まれ、相応に期待されて生きて来たリヒトにとって、自分が光属性などと信じられるはずがない。
その白く光る魔力に誰よりも早く失望したのは、リヒト自身。
実際のリヒトが感じている気持ちはわからないけれど、ゲームでのリヒトを知っている私は、ほんの少しだけ気持ちを理解出来た。
いえ、ゲームをやったから彼の気持ちを知っているなんておこがましい。
だけど今、私の目に映るリヒトは今にも倒れそうな程、血の気が引いている。
誰かが助けなければいけない。
もう一度、心の中で呟く。
――私なら出来る。
「すっご~い!」
媚びた演技を演技と思わせない絶妙な動作で、私はそう言った。
私は知っていたのだ。
カテリナという少女は演技が得意だと。
そう、『ドゥンケルハイトの魔女』におけるカテリナは度々演技を使用した。
もちろん、主人公や攻略対象達を傷付ける手段として。
……演技なんて言い方はかわいい方。
ぶりっ子や猫被りと表現した方が適切でしょうね。
だけど、ぶりっ子も猫被りも、こういう使い方があるという事よ。
「……へ?」
私が発した賞賛の言葉に、リヒトが呆けた声を出した。
そんな物を無視して私は続ける。
重要なのは演技力、場を支配する勢い、そして強力なインパクト。
悪評を口にしようとする者よりも速く、それでいて強く動く。
白が、光が敵なら……黒で、闇で塗り潰す。
「だって光って、こわ~~い魔物を簡単に倒しちゃうんでしょう?」
ヒラヒラとドレスを揺らし、私はリヒトの周りをクルクルとステップを踏む。
その間に無限とも思える思考の渦に心を沈める。
こういう時に不利になる事を口にしてはならない。
良い所を惜しみなく賞賛し、周囲の者もなんとなく頷いてしまう空気を作るのよ。
だから、長所と短所を割り出していく。
まず、光魔法は魔族や魔物にとても強い力を秘めている。
人間という、種として魔族に劣る勢力が魔族を魔界に追いやれたのは、それが理由だ。
だから本能的に魔族は光を嫌悪する。
……これは短所。これを連想する話題は禁句。
魔族は魔物と同一視される事を極端に嫌う。
名称が似ている所為で間違えてしまうかもしれないけれど、全然違うのよ。
魔物は言わば、とても怖い野生動物。
とても怖いの頭文字の通り、普通の野生動物を何倍も強くして、命や物を奪い、壊す。
魔族には誰かを思いやれる心がある。
けれど魔物には無い。
もしかしたらあるのかもしれないが、無い事になっている。
それに……デーモンとモンスターと英読みすると、全然違うわ。
この魔物に対しても光魔法は絶大な効果を発揮する。
……これは長所。ここは魔界、魔族が支配していようとも魔物の絶対数は多い。
その魔物に対して強い力を持っているという事は皆を守れる、誇れる力。
でも、これは既に口にしてしまった。
だからもっと沢山リヒトの良い所を出さないと。
「ねぇ、リヒトお兄様。もしも私が魔物に食べられそうになったら、私を助けてくれる?」
私はリヒトの手を両手で握り、甘える様な声で尋ねる。
当然ながら十歳の誕生日を迎えた少年の手はとても頼りないものだった。
けれど、誇り高き魔王の血族の一員なら言えるでしょう?
「も、もちろんだよ! 何があってもぼくがカテリナを守って見せる!」
よく言ったわ! それでこそ誇り高き魔王の血族よ!
あ、少し素のカテリナだった気がする。
私は、幼さを残しながらも家族を妹を守ると誓った少年に抱き付く。
「えへへ……リヒトお兄様、大好き!」
前世の自分が呆れている気がする。
まあカテリナと比べて、前世の私は甘えるのが下手だったもの。
ぶりっ子に対して感じる不快感を自分からヒシヒシと感じるわ。
生憎とそんな自分でも、少しの罪悪感と羞恥心は残っている。
でも、これは必要な事なのよ。
「え、えっと……」
「ど、どうすればいいのかしら……?」
気付かれない様に周囲を盗み見た。
パーティーの参加者達はリヒトの側に付くかどうかを決めかねている。
当然の反応だ。
いえ、人としてではなく、立場としてそういう反応を取らざるを得ないのでしょう。
魔王の血族が招待したパーティーに参加できる時点で、相応の身分だもの。
一時の感情で光属性の魔族の肩を持てば、いざとなった時、付け込まれてしまう。
それ位、腹黒い政治的な争いは華やかな乙女ゲーの世界にもある。
……これでもまだ力不足みたいね。
決めたばかりの禁句を少し破ってしまうけれど言葉を続ける。
「あれれ? まさか皆様、リヒトお兄様を疑っているの?」
私の言葉にビクリと反応したのはリヒトの方だった。
こらこら、そんなに怯えちゃダメでしょう。
いえ、まあ……私の苦し紛れなのは理解しているけれど、それでも続ける。
「リヒトお兄様はとてもお優しい方よ。この前なんて私が泣いている所を駆け付けてくれたんだから」
ちなみに事実だ。
色々な歪みの所為でヤンデレになるリヒトだが、この頃は極々普通のイケメン少年だ。
女の子の泣き声、しかも妹の声と聞けば飛んでくる。
まあ、ほんの一日前までそんな兄を気持ち悪いと言って吐き捨てる様な妹だったのだけど。
尚、泣いていた理由は、転んで足を擦り剥いただけだったりする。
もちろん、こんな子供騙しな方法で周囲の信頼を勝ち取れるとは思っていない。
けれど、九歳の私には、もう一つしか方法が残されていない。
私は周りに気付かれない様にお父様……要するにこの場にいる最高権力者に視線を送った。
我等が王の中の王、大魔王様に。
私は知っている。私の父親である大魔王様はカテリナに甘いという事を。
あ、気付いた。
「……」
「……」
視線が交差する。
私は父親に縋るかわいい娘、文字通りカテリナのお得意の視線を送った。
ん? プイッ?
なんか視線を外されたわ。
え? どういう事?
大魔王が人間や光属性が嫌いなのは知っているけれど、その反応はどうなの?
リヒトは君の息子でしょう?
あなたね、これでも一国の王でしょ? 子供の様な態度はどうかと思うのだけど?
別に私はそんなに凄い我が侭を言っている訳じゃない。
むしろ未来のお父様を思えば、褒めてつかわす、と賞賛されても良い事だよ。
なんせ、ルートによってはこの事が原因で死ぬからね、大魔王様。
私は視線に失望と怒りを込めた。
あ? 気不味そうな表情をしている。
よし、これなら粘れば勝てるはず!
と、思った所でお母様が気付いた。
自分の夫が娘とアイコンタクトしている事に。
私と自分の夫を交互に見ている。
すると若干呆れ顔になってから、夫の脇に強烈な肘打ちをした。
大魔王様、顔には出しませんが悶えています。
それから大魔王様は立ち上がり、混乱の収まらないこのパーティー会場内で言った。
「魔族でありながら我等が宿敵、光の者を手懐けるとは見事である」
その一声に会場内は拍手に包まれた。
直前まで困っていた者達はリヒトを褒め称え、将来は将軍だろうか?
などと話し合っている。
私は小さく安堵の息を溢し、胸を撫で下ろした。
「カテリナ……ありがとう」
見ればリヒトが今にも泣きそうな顔をしていた。
子供と言えど、リヒトは立場ある者。
自分がどれだけ危険な状況に居たのか、理解しているらしい。
「リヒトお兄様、しっかりなさってください。リヒトお兄様は魔王の一族であるアンフィールド家の一員であり、武を期待されるお方なのですよ? 私を守ってくださるのでしょう?」
「うん! ぼくはカテリナを、皆を守れる様な者になるから!」
そう誓って、リヒトは御付の者と己の紹介に向かった。
これで前世で画面越しに見た悲劇は回避された。
綱渡りの様な状況に心臓が緊張で鳴っている。
きっとこれは前世の私の影響でしょうね。
だってカテリナはこういう駆け引きを簡単に行なえる子だもの。
……もしかしたらゲームのカテリナも怖かったのかしら?
悪い事をこんな気持ちでやっていたとしたら、逆の意味で尊敬するけれど。
「ふぅ……」
誰にも見られない様に、もう一度安堵の息を溢す。
ありがとう……ね。
ねぇ、私。これでよかったのよね?
ええ、これで良いのよ。
自分でも笑ってしまう様な問い掛けを頭の中でした。
そう、これでよかったのよ。
本来は深い傷を負うリヒトを助けられた。
それだけで良いじゃない。
……良くないわ。
別に私は二重人格という訳でも無いのに、二つの思考……どちらかと言えばカテリナを色濃く残す部分が告げている。
今回は偶々お父様に温情を頂けただけ。
こんな調子では、いつか誰かを傷付けてしまう。
助けなければいけない者を取りこぼしてしまう。
それではダメ。ダメなのよ。
私はカテリナ・アンフィールド。
偉大な大魔王の血族、高貴なる魔族の姫。
こう、と決めた以上、妥協を許してはいけないのよ。
今回の様に知恵も力も無く、味方もいないなんて、あってはいけないの。
その全てを満たしてこそ、私、カテリナ・アンフィールドなのだから。
そもそも私は私に不満が一杯だわ。
どうして記憶が蘇るのが一日前なのよ。
一週間……いえ、せめて三日あればもう少しまともな対応を出来たはずだわ。
後、ほんの一日でも遅れていたらリヒトお兄様がどうなっていたのか……。
考えるだけで胸が締め付けられる思いだわ。
それ以前にリヒトお兄様だけでなく、攻略対象達は本当に傷付いていないのかしら?
私自身の記憶にそれらしい記憶は無いけれど、よく言うじゃない。
イジメはやった方はすぐに忘れるけれど、やられた方は一生忘れないって。
あら? これは前世の記憶ね。
えっと……前世の記憶によるとビジュアルファンブックに時系列が書かれていたわね。
設定資料やラフ画、イラスト集、インタビュー記事、未公開資料などが収録されていて、満足の出来だった。
……私の資料は少なかったし、どういう悪役にするか、という内容ばかりだったけれど。
ツインドリルみたいな縦ロールに始まり、悪役ヒロインの作り方、みたいな資料よ。
創作物の悪役は如何にして読者に嫌われるか、だもの。
……これは関係無いわね。
ともかく、ビュジュアルファンブックに書かれていた内容が真実であるなら、時系列的に見てリヒトお兄様が最初の被害者。
けれど、この情報が真実であるという保障が無い。
公式が発行している本だから真実だと信じたい所だけれど、ゲームという物は複数人で作る物。
一部の例外を除いて、マンガや小説であれば話は別なのでしょうけど、そこが気になる。
というよりも『ドゥンケルハイトの魔女』というゲームが現実になった影響で起こる弊害が怖い。
今回の様な大きく未来を変える様な事象なら、ある程度想像も出来る。
ゲームでも主人公の意思として、プレイヤーが選ぶ『選択肢』という物があったから。
あれは、未来を大きく変える程に影響力がある行動と考えれば良いのだと思う。
でも今の私にとって、この世界は現実。
怪我をすれば痛いし、画面の中に居た者にだって触れられる。命を感じられる。
ゲームの頃の様に未来を推測する事は出来ても見る事は出来ない。
私は前世で何回バッドエンドを見た?
ゲームならセーブデータをロードしてちょちょいと戻れば良いのでしょうけど、私の命は一つだけなのよ?
『ドゥンケルハイトの魔女』の主人公であるあの子は、性格の程はともかくとして、少しだけ他の子とは違う普通の女の子でしかない。
何度私に殺されるかわかったものじゃないわ。
……そんな事はしないけれど。
思考を戻しましょう。
人が考えた事である以上、絶対はない。
この世界がゲームの通りに流れていたとしても、何か異常があったとしてもおかしくはないのよ。
確か『ドゥンケルハイトの魔女』のライター三人だったはず。
三人の人間が同じ設定で別々のルートを作っている。
だから、主人公の性格や攻略対象、果てはモブに至る所まで若干の差異はあった。
もちろん商品として販売して人気を博している以上、気になる範囲のものじゃない。
その程度の調整位、さすがのライターだって行なったはずだわ。
……やはりゲームの知識を信じ過ぎてはダメね。
仮に設定で主人公はこう動いて、攻略対象Aはそう動いていました。
と、書かれていても、作者の意図しない所で矛盾があったかもしれない。
この日、主人公がここにいると、同時に主人公が別の場所に存在する、の様な感じかしら。
こういうわかりやすいバグだけでなく、画面に映っていない登場人物は今、何をしているのか、という本人にしか知りえない情報も、そう。
前世の私も、カテリナである私も、小さな枠で描写されている部分しか知らないのよ。
例えば、画面の外側ではカテリナは気弱な少女で、主人公は気の強い少女でも良い。
『あなた、人気のスイーツ店の限定商品買って来なさいよ。三十分以内ね』
『ええ!? そんなの無理ですよ!?』
『なに? 文句でもあるわけ?』
『ひっ……行ってきます……』
なんて私の願望が多分に含まれている様な事が行なわれているかもしれない。
……さすがにそんな面白おかしい腹黒アイドルの実態みたいな事は起こっていないと思うけれど。
ともかく、ここがゲームではなく、現実……だと信じるなら、それ等の矛盾は全て消えるはず。
当然だけど、誰もが自分の頭で考えて行動するという事。
あんな枠一つで全てがわかるはずがないのよ。
答えの出ない思考ね。
こういうのは時間の無駄。
すぐに捨てて、もっと有意義で楽しい事を考えるべきだわ。
楽しい事……やはりカテリナというキャラクター、つまり私は頭が良いという設定を引き継いでいるのだと思う。
こういう変に自己評価が高い所も引き継いでいるもの。
前世の私は自身の評価が低いけれど、どちらも混ざっているはず。
じゃないと『私は頭が良い、何をしても許される』なんて言い出す、勉強が出来るだけの愚か者なっていたでしょう。
これはともかくとして、主人公や攻略対象全員を傷付ける、なんて凄く難しいと思うの。
その頭をもっと別の何かに活かせればよかったのに……それが今なのかしら?
あ、思考が一周している。
やはり私はあのカテリナでもあるのでしょう。
色々画策するのに、最後は詰めが甘くて退場する、そんな自称頭の良いカテリナに。
なんて結論が出た所で、お母様が話しかけてきた。
「カテリナ」
「はい、お母様」
お母様はお妃様だけあって、美しい姿をしている。
作者による『美人程性格が悪い』という私への評価の余波として素晴らしい美女だ。
ビジュアルファンブック曰く、後から描かれたキャラクターなので、私を大きくした様な姿をしている。
魔族は長命設定なので、成長するキャラクター以外はそのままで問題無い。
お母様はこの先何年もこの美しい姿を保ち続けるでしょう。
……いやいや、なんで私はこんなに卑屈なの?
これって前世の私? それともカテリナ? どっちなの?
「どうしました?」
「な、なんでもないです」
「そうですか?」
お母様は不思議そうな顔をしながらも続ける。
「カテリナ、先程の件、ありがとうございます」
「……?」
「いえ、リヒトを助けられたのはカテリナ、あなたのおかげです」
「お母様のおかげでは?」
「違いますよ。あの時点でリヒトの味方する者はいませんでした。私……いえ、私達でも立場上、難しかったのです。ですが、あなたが流れを変えてくれました」
それは……そうなのだと思う。
本来のカテリナの様な反応が大多数なはず。
いくら大魔王と妃様でも、優遇して良い事といけない事があるもの。
今回の場合、優遇してはいけない事だったのでしょう。
でも、それはあまりにも悲しい事に感じられた。
「あなたにはまだ難しい話でしたね。私が伝えたい事は一つだけです」
お母様は私の頭を撫でながら言う。
「あなたがいつまでも、優しい子で居てくれると嬉しいわ」
「……はい。お母様」
他人事だったはずのカテリナの部分が、少しだけ動揺した気がした。
これは罪悪感というものでしょう。
そうだよね。最初から悪人として生を受ける子はいない。
九歳のカテリナが他者を貶めるのが好きだなんて、思いたくない。
「もう一つ、お願いがあります」
「一つだけなのでは?」
「これはお願いであって、伝えたい事ではありませんよ?」
……そうですか。
さすがは大魔王の妻をやっているだけはありますね。
「後でお父様に甘えておきなさい」
「……? ああ、なるほど」
魔族を束ねる大魔王でも子の親という事なのでしょう。
まだ幼い娘にあんな風に睨まれては、確かにかわいそうね。
ほら、よく言うじゃない。
父親は娘を可愛がり、息子を鍛えたい、と。
言わない? 前世の言葉じゃない?
「わかりました。お母様」
「では、パーティーを楽しみなさい…………からね」
と、お母様は元の席に戻っていった。
ちなみに私はお母様がボソッと口にした言葉を聞き逃さなかった。
素直に楽しめるのは幼い頃だけですからね、と言った事を。
前世の私としても、カテリナとしても、気が滅入る話だった。
その後、リヒトの披露会は特に問題なく終わった。
リヒトは心に傷を負う事はなく、明日を向かえる事が出来る。
尚、私はカテリナの才能を遺憾無く発揮し、お父様に甘え倒した。
こんなに娘に甘いからゲームのカテリナみたいになったんじゃないの?
と、自分を弁護したくなったけれど、私はその気持ちをグッと飲み込んだ。
それから私は『ドゥンケルハイトの魔女』の主人公が現れるのを待った。
十歳の誕生日、今度は自分の披露会が開かれるまでは学問を中心に、十歳より後は武術と魔法を中心に勤しんだ。
極々自然に闇属性と測定され、魔王令嬢として当然教育を受けた。
原作でカテリナの得意な禍々しい大鎌を使った独特な武術も本人なだけに使いこなせている。
その間にリヒト以外の攻略対象達にも遭遇した。
色々あったけれど、トラウマを抱えずに主人公と出会えると思う。
同時にカテリナが歪む原因の除去に成功したりもした。
単純に前世の記憶を持っていたから、とある物に執着を持たなかったという理由だけれど。
要するに知恵と力、味方を作ってきたつもり。
十一歳の子供に何が出来るのか、と悩む時もあるけれど、オホホ、原作の黒幕が主人公の味方なのだから恐い物なしだわ! なんて考える様にしているわ。
とりあえずは原作のカテリナよりは真面目に生きて来たと思う。
まあ……アレよりも不真面目に生きる方が難しいとは思うけど。
結局、彼女が現れたのはゲームの年表通り、二年後だった。
私が十一歳の時という条件と場所の名称しか知らなかったので、その年は時間の余裕が出来る度にその場所……魔王城から程近い森に足を運んだ。
お父様が猛烈に反対したりといった騒動もあったけど……。
どちらにしても私は原作と違い、おてんば姫、だと思われているようだ。
その評価に甘んじて今日も御付の人の目を盗んで城を抜け出してきた。
きっと今日も城に戻ると大慌てになっているでしょうね。
まあ……十一歳の子供が一人で出歩いていたら、普通はそうなるけれど。
それでも私が暇さえあれば森に行った理由は不安だったからだ。
本当は『ドゥンケルハイトの魔女』なんてゲームは存在せず、全て私が見た妄想だったのかも。
なんて今更な考えに悩まされたから。
攻略対象全ての顔と名前が一致しておいて、何を言っているの? って感じね。
だけど、主人公が現れないかもしれない。
そうなったらどうするの?
と、終わらない思考の牢獄に閉じ込められてしまう。
だから私はその日も森に向かった。
そんな事しなくても大丈夫なのにね。
だって原作で彼女と最初に遭遇するのは私じゃない。
『ドゥンケルハイトの魔女』のパッケージで一番目立つ位置にいる、俺様系攻略対象、通称黒の王子……白のヤンデレ王子と言われていたリヒトとも違う、私の三つ上のお兄様が彼女を拾うのだ。
じゃないとゲームの私は主人公を殺しちゃうしね。
……ともかく、私は出会った。
闇の魔力を秘めながら、どこか神聖的とも思える美少女に。
「あなたは……」
「……」
漆黒の髪が風で波の様に揺れる。
光を吸い込みながらも闇に融けるかの様に吸い込まれる瞳。
十歳の少女でありながら、美という文字を体現した様な、魔族好みの容姿だった。
美男美少年で揃っている攻略対象と一緒に歩いて居てもまったく違和感が無さそうね。
やはり主人公×攻略対象の図が一番だと改めて再認識したわ。
それにしてもゲームでは平凡などと描写されていたけれど、あれはやっぱり嘘だったわね。
所詮、乙女ゲームの中における平凡なんだわ。
美男美女しかいない世界なら、美少女も平凡だもの。
何より前世ではこういう話もあったわ。
乙女ゲーは攻略対象よりも、主人公が一番かわいい。
……なんて話が。
意外な事に乙女ゲームの主人公ってグラフィックがある事が多い。
しかもその差がゲームによって激しい。
かわいい系から美女、ボーイッシュ系、クール系も見た事があるし、デブの主人公もいるわね。
『ドゥンケルハイトの魔女』の主人公は少女時代があるので、かわいい系だけど。
……私が思うに、プレイヤーが主人公に感情移入する為だと思う。
例外はあるけれど、乙女ゲームの主人公って基本的に着ている衣類もセンスが良いし、性格も努力家で優しくて精神的に強い子が多い。
そうじゃないと主人公になれない、とも言えるのかしら?
まあこれも作品によって差があるとしか言えないわね。
乙女ゲームにおける量産主人公って彼女と同じで受動的な自己投影タイプだもの。
とはいえ、何事にも例外はある。
私が前世でやったゲームには女王様みたいに気が強いタイプの子や逆に気が弱い根暗の引きこもりタイプの子、不思議ちゃんタイプの子もいたわね。
個人的に私はそういうちょっと変わった能動的な主人公の方が好きね。
乙女ゲームでは主人公に声が入っている事は少ないのだけど、声が入っている方が嬉しかった記憶がある。
私は乙女ゲームをプレイする時、主人公を登場キャラクターの一人として見ていた。
どうにも前世の私は感情移入する事が苦手だったから。
だから個性的な主人公の方が好き。
……いえ、ゲームの頃はね。
実際に話す相手があまりに個性的でも私は困る。
ゲームでの彼女は量産タイプの主人公だったはずだけど……。
「……初めまして、私はカテリナ。あなたは?」
彼女と出会えたら、どんな風に挨拶をしようか悩んでいたけど、私はそんな無難な言葉にした。
黒い髪を背中まで伸ばした、その可愛らしい顔に張り付いているのは、諦めや憂いといった言葉に由来する物。
深窓の令嬢という言葉がこれ程までに似合う主人公もそういまい。
原作では笑顔の絶やさない少女だけど……ゲームの彼女は笑顔という仮面で自分を守っていたのかもしれない。
原作のテーマは差別だから。
そうしなければ、こんな小さな子がこの世界を生きられるはずもない。
「……」
オドオドと周囲を見渡しており、彼女は明らかに怯えていた。
まあ彼女からすれば嫌々生け贄にされたのに見知らぬ場所にいたのだから、当然の反応でしょう。
この世界の子って年齢の割に精神年齢高いから、この子のこういう反応は逆に新鮮だ。
普通、こういう反応するわよね。
「……わたし、闇……属性です……」
掠れた、けれど無理矢理捻り出したみたいな声だった。
ゲームでの彼女は声なしだったので、初めて声を聞いた。
掠れているのに、どこか透き通る様な、可愛らしい魅力的な声音。
容姿も性格も良くて、こんな声だったら攻略対象から惚れられてもおかしくないと素直に思う。
それに、中々に乙女ゲーの主人公らしい反応だと思った。
乙女ゲーの主人公って根の部分が素直というか、誠実で嘘を言わない。
まあ私は名前を聞いたのに属性を答えるのは、自分の属性に悪い印象があるからでしょうね。
彼女が闇属性に悲しい思い出があるのなら、まずはそれを癒してあげないといけないわ。
「あら、奇遇ね。私もよ」
そう言って、私は指の先に小さな闇魔法を展開した。
猛毒の様に濃い紫色が禍々しく揺れる。
やがて形を作り、黒い薔薇の花に変えた。
「……!? ……? ……?」
言葉すら発さずに彼女は目を丸くして私の魔法を凝視した。
ゲームでは何度も彼女に危害を加え、命を奪う事すらあった魔法を……。
そしてその、どこまでも深く……黒い宝石の様な瞳は私を映した。
「……フィオナ・シュトラール……です」
瞳を合わせて、彼女……いえ、フィオナは名前を教えてくれた。
デフォルトネームね。
ゲームを始めた際、主人公の名前を変更出来た。
なんでもプレイヤーが主人公に感情移入し易いようにとの事。
けれど、聞き覚えの無い名称もあった。
シュトラール……原作のフィオナはファミリネームを口にしない。
いえ、無いと言っても過言じゃない。
ビジュアルファンブックにも書かれていなかった。
出会い方が違うから?
それともゲームが現実になった事での矛盾を消す為?
どうでも良いわね。
フィオナが攻略対象の誰と結ばれるのか、あるいはゲームとは違う結末になるのかはわからないけれど『ドゥンケルハイトの魔女』という世界において、彼女は幸せな結末を迎える。
私やリヒトという悪役が存在しないのだから、そのはず。
「フィオナね。さっきも名乗ったけど、私はカテリナ。よろしくね」
「は、はい。カテリナ……様」
様……。
いえ、慣れていない訳じゃない。
元々カテリナの記憶と融合した訳だし、今日までの二年間で何度もそう呼ばれた。
原作でもフィオナはカテリナの事を様付けで呼んでいたし、違和感もない。
そもそも原作のカテリナは様付けしろと言ったり、名前を呼ぶなと無茶振りをする様な子だった訳だけど。
まあフィオナ自身が使用人という立場だから、というのもある。
「私達、歳は近いわよね? 身長だって同じ位だし」
実際は私の方がフィオナよりも一つ年上だ。
とは言っても、この年頃の子って歳が一つ違うだけでも背に差があるのよね。
私とフィオナも、どちらかと言えば私の方が大きいし。
「とし?」
え? 歳を知らない?
あ、そういえば……公式サイトや説明書には年齢が書いてあるけれど、作中に年齢を言った事は無いわね。
物語にそれ程関わる事でも無いし、必要なかったのかもしれない。
「それでフィオナ。あなたはどうしてこんな所に……それよりも先にまず、水を飲みなさい」
私は持っていた水筒を開けてフィオナに渡した。
この水、ただの水ではない。
お父様が偶にくれる魔法の水という物で、闇属性の回復効果がある。
原作でも登場するアイテムで、何度かフィオナの命を救う。
まあルートにもよるけど。
フィオナは私の言う通りに水筒を受け取ると、まるで吸い取り紙の様に水を飲んでいく。
水の飲み方まで、どこか品を感じるのは主人公だからかしら?
それはともかく、生け贄という設定だけど、満足に食事……水すら与えられなかったらしい。
この調子だとお腹も空かせているでしょうね。
何か食べ物は……行きに包んできたビスケットがあった。
「これも食べる?」
コクリと小さく頷いたフィオナにビスケットを手渡す。
やはりお腹が空かせていたみたい。
こんなおやつではなく、もっとしっかりした物を食べさせてあげないといけないわね。
「あ、あの……ありがとう……ございます」
物音一つ立てずに水とビスケットを食べ終えたフィオナが感謝の言葉を述べた。
少々打算的な気がするけれど、これで多少は話が出来る様になったと思う。
「それでフィオナ、あなたはどうしてここにいたの?」
「わたしは――」
フィオナは素直に話してくれた。
内容はゲーム『ドゥンケルハイトの魔女』と変わらなかった。
闇属性だったという理由で誰にも愛されず、寂しさの中で生きて来た事。
心も体も傷付けられ、同じ人間から差別という理不尽に耐えて来た事。
最後は生け贄にされて、気が付いたらここにいた事。
そう……ゲームのプロローグ部分に該当するエピソードと全て同じ。
私は私の手が届く相手しか助けられない。
リヒトや攻略対象達は本気で努力すれば助けられるけれど、私はフィオナが心に傷を受ける前に駆け付ける事すら出来ない。
魔界から人間界に渡る術が無いから……。
この世界で一人だけ、フィオナの悲しみだけは、なかった事に出来ない。
フィオナの話に私は怒り、悲しみ、涙を流した。
前世の私が知っていた事なのに、感情という部分を制御出来なかった。
ゲームでも可哀そうだとは思ったけど、涙を流す程じゃなかったのに。
これはカテリナとしての部分なのだと思う。
カテリナは感情表現が上手だから、当然の反応なのかもしれない。
何よりもこんな小さな女の子がそんな目にあって生きて来た、なんて悲しかった。
それに、カテリナである私は原作のエピソードをどこか遠い国の様に感じていた。
リヒトや攻略対象達が悲しい状況になりかける度に感じる、胸の辺りを突き刺す痛みをフィオナにも感じたの。
その痛みが前世の私による物なのか、カテリナによる物なのかはわからない。
けれど、これで良いのだと思う。
あ……今、気付いた。
というより、どうして前世にゲームをしていた時に気付かなかったのかしら?
フィオナは魔族と同じなのよ。
皆に差別されて、嫌われて、捨てられた。
ゲームの私は、気付かなければいけなかった。
そうすればフィオナを嫌いにならなかったはずなのに。
同じ嫌われ者同士、仲良くなれたかもしれないのに。
「フィオナ、行く所が無いのなら私と来ない?」
「……良いの、ですか?」
「もちろんよ。あなたはこれから幸せになれる。ここは、そういう世界なんだもの」
『ドゥンケルハイトの魔女』は主人公フィオナが幸せを手にする為の物語。
もはやゲームでは無くなってしまったけれど、誰にでも幸せになる権利がある。
「それとも私は嫌い?」
「嫌いじゃないです……!」
「ありがとう」
私は自分が付けている二つの赤いリボンを解く。
そしてフィオナの髪に結んであげた。
「うん、フィオナはやっぱりこっちの方が似合うわ」
原作でフィオナはリボンを二つ付けている。
先程から付けていないから気になっていたのよね。
それにしても、さすがは主人公と言った所かしら。
黒い髪に赤いリボンがとても映えている。
「似合う……?」
「ええ、とってもかわいいわ」
私がそう言うとフィオナは小さく笑みを浮かべた。
そういう所はまだ歳相応の女の子という事でしょう。
というか原作でもシナリオ上、大人しい子だったけれど、実際に会うと如実ね。
やっぱり根暗な部分と気の強い部分を合わせた私みたいなタイプよりも、こういう子の方が男性に人気なのかしら?
「それでは行きましょう」
私が伸ばした手をフィオナは取った。
本来は殺したい程、嫌う事になる相手。
主人公と悪役。
正反対の性質を持った存在。
そんな子が私に笑みを向けて一緒に歩いていると思うと、どうにも不思議な気分ね。
けれど、感傷に浸るよりも考える事がある。
あの人間嫌いのお父様をどうやって説得しようかしら。
原作では黒の王子こと、私のお兄様が何か口添えしたみたいだけど……。
まあ、でもフィオナの魔力を一目見れば考えを改めると思う。
なんせ、彼女の魔法色は純粋な黒。
魔界において最も高貴な魔法色だ。
しかも五年後には次世代の魔王を決める際の鍵になる。
そういう宿命を持った少女なのよ。
何より、このカテリナ・アンフィールドがいるのよ?
悪知恵だけは誰にも負けないわ。
――ええ、私なら出来るわ。
そう心の中で呟いて、私は親鳥の背に付いてくる雛の様なフィオナに笑みを向けた。
初夢に見た悪役転生モノの話に脚色を加えた物のプロローグ部分です。
攻略対象の女性の登場(乙女ゲームには偶にいますよね)や空白の二年間、攻略対象の話など、もっと詳しく書きたかったのですが、短編に収めようと思ったので現在の形になりました。
予定的に難しいですが、もしも連載版などを書く場合、未回収の設定と共にそこ等辺を書くと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。