第5話
妹が席を外している間、私は正面に座る歩ちゃんに視線を動かした。
作業の手を止めピシッと姿勢を正そうとしているのだけど、時々揺れている。まるで、面接官の前に座る新人さんみたいにカチコチに緊張しているのがありありと分かる。それでいながら、時々私の方に上目遣いな視線を送ってくる。そんな視線がくすぐったくて、私は思わず訊ねてしまった。
「歩ちゃんは、どうして夢をつかまえたいの?」
「えっ、あ……そ、その……」
ただ嫌な夢にうなされているから、とか。
ただ良い夢を見たいから、とか。
そんな単純な理由とは思えないほど歩ちゃんは作業に対して相当に熱が入っていた。何か、夢に強い思い入れがあるはず。
「まぁ、無理に話さなくてもいいわ。そこは歩ちゃんのプライベートな部分だし」
「……」
歩ちゃんはしゅんと視線を落としてしまった。そして、外の雨音にかき消えてしまいそうなほどの小さな声で、彼女はぽつぽつと語りだした。
「……あの、お姉さんはその……“正夢”って、知ってますか?」
「えぇ。見た夢が何時かその夢の通りになるっていうモノよね。私も何度か見たことあるけど」
正夢とは、近未来の現実と一致する夢のこと。
一説によると、正夢は他の夢とは比べられないほどに臨場感に溢れ、見ている本人ですら夢なのか現実なのか分からなくなってしまうほどの強烈なヴィジョンだと言われている。現実と一致といっても、あまりに強烈なヴィジョンが脳裏に焼き付いた所為で既視感を感じるだけとも言われているけど所詮は夢のお話。ハッキリとしたことは私だって分からないし、出来たらそんな夢のない話はご遠慮したい。
「最近、私正夢ばかり見るんです。それも、あの……」
「嫌な夢ばかり?」
「……私じゃなくて、お母さんが……なんです」
「……どういうことかしら?」
話の雲行きが少々怪しくなってきて、私は軽く姿勢を正してから歩ちゃんの話に耳を傾ける。歩ちゃんはしどろもどろしながら、まるで心の奥底から言葉を汲み上げるようにしながら口を動かした。
「私の夢に、何度もお母さんが出てくるんです。一緒に遠くに出掛けたり、遊んだりしてたん……ですけど、少し前から変というか……夢の中のお母さんが、どんどん元気がなくなっていって……」
そんな夢を見ているうち、やがて歩ちゃんのお母さんは本当に風邪をひいて寝込んでしまったという。最初はただの偶然だと思っていたのだけれど、歩ちゃんの夢にお母さんが出るたびに容体は徐々に悪化の一途を辿っていくばかり。今はお父さんとおばあちゃんとで暮らしていて、お母さんは入院しているのだという。
「それで昨日は、お母さんが遠くに行っちゃう夢を見たんです。手を伸ばしても届かなくて、やっと掴めたと思ってもお母さんは煙にみたいに掴めなくて、だから……」
そうやって語るうち、歩ちゃんの瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちていく。
まだ幼い彼女にとって母親という存在はとてつもなく大きな存在。
そんな大切な存在の人が自分の見た不吉な夢の通りに体調を崩せば不安になるのは当然のこと。しかも、直近で見た夢はまるで“別れ”を連想させるような恐ろしい夢。
歩ちゃんが捕まえたいと切に願っていたのは、夢の中に現れるお母さんの幻だった。
「なるほどね……そういう事情があったの」
「……それで悩んでたら、良い“おまじない”があるかもって教えてもらったんです。……この“お守り”、ちゃんと効きますよね?」
「……」
それは、なかなか返答に困る言葉だった。
私の“おまじない”に何らかの不可思議な力が備わっているのは日頃の経験からある程度は知っている。けれど、今回のこれは私の“おまじない”というほど特別なものではない。今回の物はあくまで異国の文化に伝わっているお守りを再現しているに過ぎない。
「……まだ完成してないから、何とも言えないわね。でも、その気持ちは通じると思うわ」
「そう……です、よね」
私の空っぽな返答に、歩ちゃんもまた小さな返事を告げる。
静寂を裂く雨音を聞きながら、私は止む気配を見せない黒い雲を見上げた。
……今回は、もうひと工夫必要かもしれない。