表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/24

◆七色の庭

 奏ちゃん一家が隣に越してきたのは、五歳の誕生日を迎えたばかりの夏だった。

 同い年の子がいるから仲良くしてあげなさい。

 お母さんに言われるまでもなく、わたしはまだみぬその子と友達になりたいと思っていた。近所には年の近い子どもがおらず、ひとりっ子のわたしには遊び相手がいなかったからだ。

 わたしの家と隣の家は、芝生の庭が地続きになっていた。白い木の柵がこちらとあちらを区切っているけれど、背の低いそれは区切り以外の役目は果たしておらず、柵越しに会話もできれば物の受け渡しも簡単にできた。

 わたしは毎日、この柵のまえで待った。同い年の男の子と出逢うときを。

 子どものころの奏ちゃんは、いまと違って体が弱かった。

 初めてみたときはびっくりした。こんなに色の白い子どもをわたしはみたことがなかった。陽射しにあたると、透けて消えてしまいそうだった。

 手も足も体も細くて、絵本でみた妖精によく似ていた。


 ――静かで綺麗な子だった。


 わたしがみていることに、奏ちゃんは気づいていなかった。水色のちいさなジョウロで、庭の芝生に水をまいていた。

 白いひたいに浮かんだ汗をそっとぬぐう、その儚げな姿に気おくれして、友達になりたいと思っていたのに、声をかけるのをためらった。

 夏の陽射しはつよく、濃い影が足もとから伸びていた。

 話しかけたいのにできなくて、わたしは太陽に背中を灼かれながら、奏ちゃんが庭にまく水のシャワーをもどかしくみていた。

 糸のように細い銀色の水が、きらきらと放物線を描いて地面に吸いこまれてゆく。芝生は生き生きと陽射しを照り返し、鮮やかな緑を放っていた。

 虹をみたのはそのときだった。

 水の糸の束のなかに、七色のひかりがきらめいた。それはちいさな、ほんとうにちいさな虹だったけれど、生まれて初めてみた本物の虹だった。

「にじ!」

 思わず叫んでいた。

 奏ちゃんはわたしの声に驚いて、水をまくことをやめてしまった。

「にじ、つくって」

 わたしのおねだりの意味がわからないのか、奏ちゃんは首をかしげて小鳥みたいに目をしばたたいた。

「みず」

 わたしがジョウロを指さすと、首をかしげたままで手もとをみつめた。

「みず、だして」

 奏ちゃんはようやくわたしの希望を理解して、ふたたびジョウロを傾けてくれた。

 水が七色に輝いた。

「すごい、すごい」

 手をたたいて喜ぶわたしに、奏ちゃんは初めてはにかんだような笑顔をみせた。

 わたしと奏ちゃんは、それから毎日のようにこの庭で遊んだ。

 笹の葉みたいなバッタをつかまえたり、重たい石の裏に隠れるダンゴムシをつついて転がしたりした。勤労なアリの行列を観察するときもあったし、お姫さまのようなアゲハ蝶の可憐さに見惚れることもあった。

 ままごともよくした。

 たいていわたしがお母さんで、奏ちゃんが子どもの役をした。

 お母さんのわたしは、おもちゃの茶碗にごはんをよそう演技をして、「さあ、おたべ」と息子の奏ちゃんに渡す。素直に食べるまねをする奏ちゃんをみて、わたしはいつも満足して言うのだった。

「これで、げんきになりますよ」

 このころのわたしは、奏ちゃんを守ってあげなくてはいけない存在だと思っていた。

 病気がちだった奏ちゃんは、寝こんで遊べない日がたびたびあった。そんな日は、なにかしらプレゼントを持ってお見舞いした。

「おねつ、だいじょうぶ?」

「うん。ごめんね、あそべなくて」

 ベッドのなかで雲のもようの布団をかぶった奏ちゃんは、顔を紅くして瞳を潤ませていた。

「きにしないで。すぐかえるからね」

 奏ちゃんはだるそうにわたしのほうに寝返りをうった。氷枕が涼しげな音を立てた。

「はなちゃん、ほんとうにごめんね」

 奏ちゃんは悲しそうに瞳を揺らした。

「こんなんじゃ、ぼく、なにもできないね」

 幼かったわたしは、このとき初めて胸にあふれた気持ちが何なのか、言葉にするすべを知らなかった。

 いまになって思う。わたしはあのとき、初めて『愛おしい』という気持ちがこの世にあることを知ったのだ。

 わたしはベッドの傍らに膝をつき、奏ちゃんのちいさな頭をなでた。

「そうちゃんは、いろんなこと、できているよ」

 奏ちゃんの黒い、小鹿みたいに無垢な瞳をみつめて、わたしは言った。

「にじをつくってくれたよ」

 水とひかりで、虹をつくってくれたよ。

 いまだって、こうしてわたしとお話ができているよ。

 目もみえるし、お耳もきこえているし、手も足もうごいているよ。

「はなが、にじのいしをあげるね。だからげんきだして」

 わたしはスカートのポケットから七色にきらめくビー玉を取りだし、奏ちゃんのやわらかいてのひらに握らせた。

「はなの、たからものだよ。そうちゃんにあげる」

 窓にひろがる空のひかりにあててみてね。虹みたいでとても綺麗なの。

 奏ちゃんは、いまにも泣きだしそうな顔をした。

「たからものを、くれるの?」

「うん。だいじにしてね」

「もらえない」

「どうして? そうちゃんがげんきになるなら、はな、いくらでもあげるよ」

 奏ちゃんは、てのひらを握りしめて涙ぐんだ。

「つらいの? おくすりはのんだ?」

「はなちゃん、ごめんね」

 ごめんね、と繰りかえして、奏ちゃんは静かに泣いた。

「そうちゃん、『ごめんね』じゃないんだよ」

 わたしはすこし得意になって、お母さんの口癖のまねをした。


「こんなときは、『ありがとう』っていうんだよ」


 わたしが笑いかけると、奏ちゃんは泣きたいのか笑いたいのかよくわからない表情をして、氷枕に顔をうずめた。そのまま蝉の鳴き声に重ねるように、澄んだ声で、ありがとう、と言った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ