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◆泳げないペンギン

 (そう)ちゃんは、皇帝ペンギンに似ている。

「わたしね、夏休みの自由研究は奏ちゃんと皇帝ペンギンの共通点について書こうと思うの」

「はなちゃん。あんた真顔でなに言ってるの?」

 雨あがりの川べりに、蒸れた夏草の香りが立ちのぼる。

 遠くまっすぐにのびる土手を並んで歩きながら、奏ちゃんは涼やかな流し目をよこした。

「宮内先生もおもしろそうなテーマだって言ってたもん」

「あんな悪ふざけな教師の言うことを真に受けるんじゃないよ」

「奏ちゃんって宮内先生に厳しいよね。わたし、すきだけどなあ、宮内先生」

 つと、奏ちゃんが立ち止まった。

 すらっとした長身をかがめて、土手の雑草を1本ひっこぬいた。

「どしたの?」

 ときどき奏ちゃんは意味のわからないことをする。

「なずな」

 茎の周りにいくつもの、ちいさなハート形の種。

 奏ちゃんはどこか色気のにじむ意味深な微笑をうかべて、素朴で可憐な雑草をわたしに差しだした。

 子どものころ、わたしと奏ちゃんはよくこの土手で遊んだ。白詰草で冠をつくったり、なずなが鳴らす鈴の音を聴き入ったりして。

 天使がそばにいるときは鈴の音がするんだよ、とわたしが冗談でおしえたことを、奏ちゃんは十六歳にもなっていまだに信じている。

「はなちゃん、困ったときはなずなを鳴らすといいよ。音に呼ばれて天使が来るから」

 正直いらないと思ったけど、さすがにそんなこと言えない。わたしはありがとう、と受けとった。

 どうしよう、この草……。

 もらったなずなをみつめて思案していると、奏ちゃんはいたずらな瞳をして言った。

「はなちゃん、今年の夏休みの宿題は天使に手伝ってもらいな?」

 ぽん、とわたしの肩に手を置いて、奏ちゃんは颯爽と歩き去っていく。

 わたしはぽかんと口をあけた。

「どうして!?」

 笑いながら去っていく奏ちゃんの背中を追いかける。

「奏ちゃん待ってよう! どうしてそうなるの、いつも手伝ってくれてたのに」

 数学も英語も、彼なしで課題を終えられたためしがない。わたしの夏休みには、奏ちゃんの頭脳が必要なのだ。

「奏ちゃん、冷たいこと言わないでよう!」

 わたしよりも背が高い奏ちゃんは、それだけ脚が長くて歩くのが速い。わたしはちょこまか小走りで追いかけることになる。

 絹のような黒髪をさらさらとなびかせながら、奏ちゃんはようやく口をひらいた。

「はなちゃんが白衣フェチだったとは知らなかったな」

「なに言ってるの?」

 どうしてそんな話になるのかわからない。

 奏ちゃんはなぜか苛々とつづけた。

「宮内先生は白衣だから三割増しでかっこよくみえるだけだよ。ただの普通の理科教師じゃないか。なにを間違ってうっかりすきになったりしたのさ、まったく」

 わたしは頬が熱くなるのを感じた。

 奏ちゃんは、人の心を見透かす天才だ。なにげない言葉や行動で、あっけなく本心を見抜いてしまう。

 まさかわたしの恋までこんなに簡単にバレてしまうとは思わなかった。

 だけど、わたしが宮内先生をすきだからといって、奏ちゃんに気分を悪くされる筋合いはないと思う。


 ──もしかして、やきもち?


「あのう、奏一(そういち)(ろう)さん。もしかしてわたしのこと」

 すきなんじゃないの?

 と言うより早く、奏ちゃんは体ごとふりかえって堂々と言い放った。

「おれのほうがかっこいいじゃないか。はなちゃんは宮内先生じゃなくておれをすきになるべきだろ」

 わたしは思いきりしらけてしまった。

「なんなのかな、その理屈」

「おれの色香に惑わされないのははなちゃんぐらいだよ。悔しいったらないね」

 そういうわけだから頑張って、宿題。

 わたしは奏ちゃんの変なプライドを傷つけてしまったらしい。無茶苦茶な論理を展開して、彼は唖然と立ちつくすわたしを置いて去った。

 つまらない理由で捨てられてしまった。

 だいたい高一の分際で色香って何なんですか。

 ちょっと呆れる一方で、けれど奏ちゃんが自信をもつのもわかる気がした。奏ちゃんはたしかにもてるのだ。

 女の子たちは、王子さまみたいな品と甘さを備えた奏ちゃんを放ってはおかない。奏ちゃんはそんな、自分に向けられる女の子たちの星屑みたいな、きらきらしたまなざしに慣れている。

 けれど奏ちゃんは、まなざしを受け止めはしても気持ちを受け入れることまではしない。さりげなくかわして飄々としている。

 なかには、奏ちゃんに真剣に恋をしている女の子もいるのかもしれない。もしほんとうにそんな女の子がいるとしたら、奏ちゃんは自分が気づかないところでその子を宙ぶらりんにしていると思う。

 奏ちゃんは罪な男の子なのだ。

 そんな奏ちゃんなのに、女の子たちは彼の、勉強もスポーツも万能にこなす超人ぶりでさらに夢中になってしまう。わたししか知らないことだけど、奏ちゃんは、じつは料理も洗濯もやってのける。

 奏ちゃんは罪だけど完璧な男の子なのだ。


 カナヅチであることを除けば。


 ……これもわたししか知らない。

 ちいさくなっていく奏ちゃんの背中をみつめながらぷらぷら歩いていると、うしろからなまえを呼ばれた。

 ふりかえると、銀色の自転車に乗った宮内先生が爽やかに手をふっていた。

 自然に顔がほころぶのが自分でもわかった。

「よう、草野。今日は彼氏は一緒じゃないのか?」

「彼氏じゃありません、ただの幼なじみです」

「どっちでもいいだろ今さら」

 先生はわたしの気もしらないで、けたけたと笑う。わたしの初恋は実りそうにない。

「草野、夏休みだからってだらけた生活するなよ? だしぬけに理科倶楽部の召集かけるからな」

「え? ほんとですか?」

 先生はわたしの横で自転車をゆっくりと漕いでいる。

 夏休みも先生に会える。うれしくて飛び跳ねてしまいそうだったけれど、わたしは精一杯ときめきを隠した。

「休み中は活動しないんじゃなかったんですか?」

「そのつもりだったんだが気が変わった。たまには夏の夜空の観測もいいだろ」

「わあ、いつですか!?」

「俺の気が向いたときな」

「……なんですかそれ」

 眉を寄せるわたしにはかまわず、先生は笑い声をあげてペダルを踏みこんだ。

「彼氏にも伝えておいてくれな。あとミニトマトとひまわりの水やり忘れるなよ」

 湿ったそよ風が前髪を揺らす。

 先生のうしろ姿。

 陽射しを跳ねかえす白いシャツがまぶしい。

 奏ちゃんは白衣のせいだと言ったけど、ワイシャツ姿の先生だってかっこいい。

 笑うと目じりに二本しわができる。

 ふざけているときが多いけれど、理科のことになると真剣な顔をする。半そでから伸びた腕なんかたまらない。

「変態め」

 先生のことばかり考えていたので、奏ちゃんがそこにいることに気づかなかった。

「みてたの!?」

 〝花見橋〟のたもとで奏ちゃんは、気だるげに長い脚を交差させて欄干に寄りかかっていた。からかうようなまなざしでみつめられて、おもわず頬がほてる。

「はなちゃん、宮内先生の腕がたまらないとか思ってただろ」

 言ってにやりとする。

「やだあ、変態!」

「はなちゃんの考えてることなんてお見通しだよ。何年一緒にいると思ってるのさ」

 得意げに微笑んで、隣に並んだ。

「ひとりで帰ったのかと思った」

「まさか。おれがはなちゃんをひとりにしたことあった?」

「そういえばなかった」

「みてたよ、ここで」

「ストーカーみたいだね」

「人ぎきの悪い。はなちゃんが宮内先生にふられたら慰めてあげないといけないだろ」

「ふられません」

「なに、その自信」

「告白なんてできないもん。そしたらふられることもないでしょう?」

「告白しないの? なんで?」

「奏ちゃんはできるの?」

 奏ちゃんは矛先を自分に向けられて困惑したのか、ぽりぽりと頭を掻いた。

「まあ……簡単にはできないよね」

「奏ちゃんは告白されてばっかりだもんね」

「もてますからね」

「いいなあ」

 欄干から身を乗り出して、川をみおろした。

「危ないからやめなって」

「あ、魚」

「落ちても助けてやれないよ」

「カナヅチだもんね」

「だれにも言うなよ?」

「もてなくなるから?」

 雨あがりの川は、いつもより増水してすこし濁っている。

 それでも水の面は、七月の空を映して碧くきらめいていた。

 忙しく動きまわる魚の影をかぞえていたら、奏ちゃんがちいさなため息をついた。

「おれ、はなちゃんが言うほどにはもてないよ」

「嘘だあ。わたし今日みちゃったよ。隣のクラスの佐々木舞子さんに映画のチケットもらってたでしょ。いいね、いいね、ふたりで映画みに行くんだね」

 にやにやしながらからかうと、奏ちゃんは困ったふうに眉根を寄せて言った。

「行かないよ」

 わたしは驚いてたずねた。

「どうして? もったいないことするんだね。もてもての舞子さんだよ? 男子にとってのマリアさまじゃない」

「なにそれ……」

 奏ちゃんは軽くひいていた。

(みのる)くんが言ってたんだもん。稔くんも舞子さん狙ってるのかな?」

 奏ちゃんは川面をみおろしてしばらく黙った。

「稔にとってのマリアさまは雪乃さんだと思うけど?」

「そうなの? ほんとに?」

「はなちゃん。あんたは世間しらずというか、洞察力がないというか。稔と雪乃さんはつきあってるよ。みてればわかる。十二匹」

 会話をしながら魚をかぞえていたらしい。

「奏ちゃんて、すごいね」

 泳ぎ以外ならなんでもできるし、なんでもわかる。

「すごくないよ」

 奏ちゃんは欄干を離れて歩きだした。陽射しをうけるやわらかそうな黒髪が、風にそよいでひかりを散らす。

「できないこともわからないこともたくさんあるよ」

 わたしは慌てて奏ちゃんを追いかけ、涼しげな横顔をみあげた。

「今日の奏ちゃん、なんだか変だね」

「そう? 気のせいじゃない?」

「奏ちゃんにもマリアさまがいるの?」

「いきなり無邪気な質問だね」

「いるんだ?」

 笑っていた横顔が、ふと翳ったようにみえた。

 奏ちゃん、と呼びかけるのを遮って、彼は短く「秘密」と言った。おしえろと騒ぐわたしをみおろして、いたずらっぽく笑う。

「秘密。はなちゃんにはおしえません」


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