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短編集  作者: 朔良こお
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レオノール(後編)

 女王の退位と、新王の即位式を一ヵ月後に控えたその日、王宮の裏門から質素な馬車が中へと入っていった。がらがらと音をたて、馬車は建物の入り口の前にくると、ピタリと動きを止める。控えていた騎士により、外側から馬車の扉が開かれると、薄いヴェールを頭からすっぽりと被った女性が降りてきた。


「これより先は、わたくしがご案内いたします」


 そう言って、白髪をきちりと纏め、後頭部の真ん中あたりで団子状に結い上げた女官--王宮女官筆頭--が、ヴェールの女性に軽く(こうべ)を垂る。女性は鷹揚に頷くと、騎士の差し出した肘に手を置いた。そして女官の案内で、彼女はとある場所へと向かった。


 きれいに磨かれた廊下を、ゆっくりと歩いていく。限られた者(・・・・・)しか、この場所に入ることはできないのだが、彼女はその限られた者(・・・・・)であり、エスコートする騎士も彼女と同じであった。


 建物の最奥にある胡桃色の扉を、女官が軽く二度ノックする。すぐに入室を許可する声が返ってきて、中に控えていた侍女が扉を内側からゆるりと開けた。




「久しいねレオノール」


 出迎えた女性――女王ベアトリスは、ヴェールを外したレオノールをそっと抱き締めた。


 王太子妃として、誰よりも華やかな場所にいるはずだった彼女は、己が愚息のせいで隅へと追いやられてしまった。その事に関して自分も、少なからず責任があると思っている。何度注意しても、フェルナンは聞く耳を持たず、そのうち言うのを止めてしまった。何故ならフェルナンが、これ以上ロザリーとの事を言うのであれば、自分は王太子位を下り、王族からも離れると言いだしたからだ。けれどそれが、こんな結果になろうとは………。


 もっと強く言うべきであった。

 女王として、母として、もっと言うべきだったのだ。


「クロードから連絡を受けた時は驚いたけれど、良かった……そなたが正気を取り戻してくれて」

「ご迷惑、ご面倒をおかけしました」


 申し訳ありませんでした――と、深々と頭を垂れるレオノールに、女王は困ったように笑みを浮かべると、それはわたくしの台詞だとゆるりと首を振った。


「此度の件、承知した。そなたには辛い思いをさせてしまったね。本当にすまなかった。あれがそなたにしたことは……許される事ではない。それに、あの側室にも教えてやらねばな。己の立場というものを……」


 苦虫を噛んだような顔をし、女王はパシっと己が掌を扇子で叩いた。


「さあ、行こうか。そろそろ皆、集まっている頃だろう」


 室内には入らず、廊下で待機していた騎士――クロードの先導で、レオノールは女王と一緒に謁見室へと移動した。そこには既にフェルナンや重臣達がおり、彼らは女王と一緒に入ってきた王太子妃に驚きを隠せなかった。


「レオノール!」


 喜色を浮かべたフェルナンをちらりとも見ることなく、無表情で彼の横を通り過ぎると、レオノールは玉座のすぐ下にクロードと並んで立った。幅広の階段を三段上がり、女王は濃紺色の玉座に腰を下す。その場に集まった者達をぐるりと見渡した。


「さて、皆に集まってもらったのは、王太子と王太子妃の事だ。わたくしは二人を離縁させることにした」

「母上、何をっ!?」

「フェルナン、理由は分かっているであろう? 否やは許さぬ」

「ですが母上。わた、私は、私はレオノールを……」

「黙れ。それ以上は言うな。第一、今更であろう? 今更それをレオノールに言う権利は、そなたにない。それにレオノールの父君からも、離縁を願う書状が届いているのだよ。いい加減、娘を自由にしてほしい――とね」


 冷やりとした声音に、フェルナンの肩が小さく跳ねる。


「離縁状に署名を。クロード」


 名を呼ばれ、クロードは持っていた箱から離縁状を取り出すと、それをフェルナンの前に広げる。彼の目は大きく見開かれており、微かに唇が震えていた。


「兄上……ご署名を」


 低く、押し殺した声に、フェルナンの米神がぴくりとなる。ぶるぶると両の拳が震えた。胸にこみ上げるそれは、怒りなのか……それとも………。


「母上……一つ宜しいでしょうか?」

「許す。申してみよ」

「離婚が成立した後、レオノールの処遇はどうなるのでしょうか?」

「心配か?」


 もちろんだとばかりに、フェルナンは女王にきつい視線を向けたまま頷いた。


「そなたが気にすることではない。わたくしとしてはこちらに留まり、新たに夫を迎え、幸せになってくれるのが一番良いが、どうするかはレオノールの自由だ」


 離婚が成立した後、レオノールには慰謝料として、現金の他に女侯爵の位と、実入りの良い領地が与えられる。生国に帰るとしても、これらは彼女に受け取ってもらう。領地の管理ならば、この国にいなくともできる。信頼できる者に任せればよいのだ。問題ない。


「夫……」


 フェルナンの顔が、その言葉を聞き瞬時に青褪める。


「さあ、署名を」


 パン――と、ベアトリスは扇で己が掌を打つ。ぐっと奥歯を噛み締め、フェルナンは一度目を閉じると、のろのろと右手を上げて、クロードの差し出す羽根ペンを手に取った。己が名前を文面の一番下へ署名する。レオノールの署名は既にされてあり、彼はそれを見て寂しげに目を細めた。


 間違いなく署名したのを確認すると、クロードはそれを女王の元へと持っていった。間違いが無いか確認をしてもらうためだ。


「これを神殿に出せば、そなたらはもう他人だ。レオノール……」


 はい――と、静かに顔を女王へと向ける。


「長きにわたり、そなたを苦しめたこと……申し訳なかった」

「へい、か」


 静かに玉座から立ち上がると、ベアトリスは彼女の目の前まで行き深々と頭を下げた。


「愚かな息子のせいで、そなたの花の時を随分と無駄にさせてしまった」


 うるうると瞳を潤ませ、レオノールは離縁状を持っていない方の手をやんわりと握った。そんな彼女を見つめる女王の顔がぐにゃりと歪む。泣きたいのを必死に堪えているようだ。


 静かに目を閉じると、女王はふるりと小さく(かぶり)を振った。そして短く息を吐き出すと、スッと目を開け顔を上げる。


「クロード」

「はい」

「これを神殿に。一刻も早くレオノールを自由にしてあげてくれ」

「畏まりました」


 クロードは軽く頭を下げると、差し出された離縁状を受け取る。女王は小さく頷くと視線を巡らせ、目的の人物が室内のどこにいるのかを確認した。


「内務大臣と外務大臣はクロードに同行せよ。両名は王太子夫婦の離縁が成立するのを、その目で見届けるのだ。よいな?」


 急な指名ではあったものの、二人はいつもと変わりなく淡々とした様子で「畏まりました」と頭を垂れた。


 三人が謁見室を出て行くと、女王はレオノールに己が私室へと下がるよう言った。女王にはまだする事があり、このままここに居ても彼女が嫌な思いをするだけなので、女王はレオノールを下がらせることにしたのだ。


「では、後ほど」

「はい。陛下」


 慈愛に満ちた笑みを浮かべ、女王は女官達に囲まれて下がるレオノールを見送った。が、ぱたりと扉が閉まった刹那、その笑みが瞬時に消え執政者の顔となる。そこに感情というものはない。


「さて、王太子よ。そなた、己が犯した愚行がどのような結果をもたらしたのか……分かっているのか? 国のためにと、わずか九歳で我が国に嫁いできたレオノールを労わる事も慈しむ事もせず、無責任な立場でしかない側妃に溺れ、その結果、誰よりも大切にしなくてはいけないはずの彼女の心を壊した。己が愚行を反省するならまだ救いようがあっただろう……。だが、そなたはそれを良いことに、教養も作法もなっていない側妃に、王太子妃の務めをさせるという愚かな真似をしだした。呆れたことよ、フェルナン。そなた、その行為で、どれだけの臣が、そなたから離れっていったのか分かっているのか? そなたを支持する者が、それほど多くないと気がついているのか?」


 そなたは皆の期待を裏切ったのだ――冷ややかな女王の声音に、フェルナンはきつく唇を噛み締めた。


「公私の区別が付かぬ愚かな王太子よ。離宮にて謹慎し、己が犯したあやまちの深さを猛省せよ」


 ざわり――と、それまで静かだった室内がざわめいた。


「愛する側妃と、それが産んだ子供らも連れて行くがいい。どうしたら信頼を取り戻せるか、皆で話し合ってはどうだ?」


シュッと衣擦れの音をさせ、女王は段上にある玉座へと戻る。ゆったりとした動きで座ると、青褪め震えているフェルナンを真っ直ぐ見下ろした。


「あ、あの……宜しいでしょうか?」

「ん? ああ、財務大臣か。良い。発言を許す」

「ありがとうございます。陛下、式典は一ヵ月後でございます。準備もほぼ整い、招待国から出席のお返事が届いております。中止となりますと……」

「ああ、それならば心配ない。予定通りだ」

「そうですか。では、王太子殿下が新王に……」

「否。仮王を立てる」


 その言葉に、室内が色めきたった。女王は朱鷺色の唇を上げ、にんまりと弧を描く。


「か。仮王でございますか!?」

「ああ。招待客にわたくしから説明をするゆえ、安心いたせ」

「は、はい。では、どなたを仮王に……」

「我が弟にして宰相であるパトリスを任ずる。パトリス、良いな? 引き受けてくれるな?」


 長い歴史の中で、数回ほどであるが仮王が立ったことがあった。その時その時で理由は違うが、即位期間は短いもので四ヶ月、長くても一年三ヶ月ほどだ。


「はい。もちろんでございます陛下」


 恭しく頭を垂れる宰相に、誰もが安堵の息を漏らす。フェルナンを廃するわけではないようだが、これもどうなるかは分からない。今後のフェルナン次第だ。謹慎中に彼がどう反省し、どう考え、どう行動するかにかかっている。それと側妃や子供達の処遇を明確にしなくてはいけない。これを間違えれば、フェルナンの信頼は回復できないだろう。


 深々と頭を下げ、フェルナンは謁見室から出て行った。その後ろ姿は誰が見ても不安気で、女王は小さく息を吐き出すと、もう一度ゆるりと(かぶり)を振った。







 女王ベアトリスが退位し、その後一年ほど仮王(パトリス)が国を治めた。

 特に大きな問題も混乱もなく、王位は信頼を取り戻したフェルナンへと移り、大聖堂において華々しく即位式が行われた。

 フェルナンが新国王として即位した際、彼の隣には即位の三ヶ月前に迎えた正妃(・・)がいた。彼女は国内の有力貴族の娘であるが、父親が権力を欲するような人物ではないため正妃に選ばれた。特別美しくはないが、優しい顔立ちでおっとりとした性格をしている。だが意外にも芯が強く、ここぞという時には凛とした気品を纏い周囲を驚かせた。二人の間にはすぐに子供ができ、翌春王妃はフェルナンにとって四人目となる子――王子を生んだ。


 離縁後、側妃ロザリーはどうなったのかといえば、北の森にある離宮に幽閉された。罪状は王族に害をなしたため――である。本来は死刑であるのだが、直接手を下していないのと王子王女の母であるため、同じ女性であり母であるベアトリスの温情によりそうなった。

 だが、生涯そこから出ることはできない。

 許されない。

 ロザリーがそこから出る時は、彼女の命が果てた時である。


 自分は何もしていない――そう涙ながらに訴えるロザリーに、フェルナンも最初は「デボラが嘘をついている可能性がないとは言えない」と、どこかでまだ彼女を信じていた。たが、上がってきた報告書を読み、自分の愚かさに拳が震え、そして女性を見る目がないことを痛感した。報告書に書かれたそれは、揉み消すことなどできない内容であり、レオノールに詫びてもそう簡単に許されるような内容ではなかったからだ。


 原因を作ったのは己であり、やはり王位継承権を放棄し、王族籍からも抜け、聖職者として生きるべきなのではないか?――そう思ったフェルナンであった。だがそれは退位し、母に戻ったベアトリスにより却下された。もちろん我が子可愛さではない。


 ロザリーは罪人となったが、彼女との間にできた子供達に罪はない。だがこのまま王宮におけば、醜い争いの火種になるのも確かであり、フェルナンは王子達に爵位を与え臣籍降下させることにした。叔父であり、一年間仮王を務めてくれたパトリスが、二人の後見人と教育を引き受けてくれたのが良かったのか、揉めることなく王子達は王宮を去った。それはレオノールと離縁した二年後の冬の事である。




「姫、こちらでしたか」


 小高い丘の上から果樹園を見渡していたレオノールに、クロードが穏やかな声音で彼女に声を掛けた。くるりと振り返った彼女は、にっこりと笑みを浮かべて彼を迎える。


「クロード様、見てください。今年も美味しそうな実が沢山なりましたよ」

「ああ、本当ですね」


 真っ赤な色のそれは、この辺りの特産物であり、大切な収入源であった。これだけでなく、レオノールの領地はとても実りが多く豊かなのである。


 離縁時、十九歳だったレオノールは二十三歳となった。彼女は生国に帰らず、この国で生きていく事を選んだ。生国に帰っても結局はまた、政略の駒としてどこかに嫁がされるからだ。小国が生き残る為には、強い国と縁を結ぶ以外ないのだから。


「ああ、そういえば」


 差し出されたクロードの右手に左手を乗せ、レオノールはやんわりと目許を和らげる。


「おめでとうございますクロード様。近衛騎士筆頭になられたとか……就任式では正装なさったのでしょう? クロード様の凛々しく美しい姿に、王都の娘達の多くが、心奪われたのではありませんか?」


 ふふふと笑った彼女の繊手に口付けながら、クロードは拗ねたように彼女を睨んだ。


「一番見ていただきたい方がいないのですから、窮屈で堪りませんでしたよ。ねぇ姫、そろそろ返事を聞かせて下さいませんか?」


 先月、クロードはレオノールに求婚した。返事は急がないからと言ったものの、さすがに一ヶ月は長過ぎる。ベアトリスからも「さっさと口説き落とし、姫に似た可愛い可愛い孫をわたくしに抱かせなさい」と、叱られ……否、激励されたほどだ。


「クロード様……本当にわたくしで良いのですか?」

「貴女以外、誰が良いというのです? 言ったでしょう。本当は貴女は私と夫婦になるはずだったと。初めて会ったあの日から、私は貴女だけを想ってきたのですよ」

「クロード様……」

「貴女だけを愛しています。私の妻になってくれますよね?」

「はい。喜んで」


 薄っすらと涙を浮かべて頷いたレオノールを、クロードは強く抱き締めた。二度目だから――と、式はできるだけ簡素にと言うレオノールに対し、美しい妻を見せびらかしたいクロードは渋い顔をしたが、彼女のお願いを無下にすることもできず、話し合った結果、身内や親しい友人を招いて皆の前で結婚の誓いを立てる事に止めた。


 この婚姻により、隣り合っていた二人の領地は一つに纏められ、大公位を賜ったクロードの領地となる。二人の間には翌年男女の双子が生まれ、その後も息子が二人と娘が一人生まれたのだが、夫妻の仲は子供達が呆れるほど睦まじかった。


 一度目の結婚は不幸であったが、二度目の結婚によりそれを忘れることができた――と、亡くなる三日前のレオノールの日記にはそう書かれており、その証拠に息を引き取る寸前彼女は、逝かないでくれと泣き濡れるクロードに対し、「貴方と結婚できて嬉しかった。わたくし以上に幸せな女は、この世界のどこにもいないわ」と美しい笑みを浮かべた。


 小国の王女に生まれ、僅か九歳でこの国に嫁いだレオノールは、愛しい夫と子供達とその家族が見守る中、初雪が降ったその夜神の御許へと旅立った。


 たいそう安らかな顔であった――と、数年後家督を引き継いだ長男による「大公家回顧録」には、そう記されている。



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