猫だと思ったら狼でした(前編)
自サイトの某作品を久しぶりに読んだら、年下のエロ猫系男子を書きたくなりました(笑)
月に数回あるかないかの残業を終え、重たい足取りで会社を出ると、朝、お天気お姉さんが言っていた通り雨が降っていた。坂城 亜子はバックから折り畳み傘を取り出し開くと、小さく溜息を一ついた。
「あー、お腹すいた」
彼女が入社してから二年ほどは残業時に、経費にて店屋物を近くの店から取ったり、弁当を買いに行ったりしていたのだが、今は経費削減のためになくなってしまった。よって亜子は腹ペコなのである。時間を確認すれば、いつもならば風呂に入っている時間だ。
「コンビ二でも寄っていくか」
普段はちゃんと食材を買い自炊をしているが、こんな夜は作るのがとても面倒で億劫だ。幸いなことに、彼女の借りているマンションの一階部分はコンビ二である。二十四時間営業だから、品切れ――などということはない。地下鉄に乗り込み二十分ちょっと揺られ、最寄り駅で降りると、再び傘を広げマンションへ急いだ。
「ありがとうございました~」
コンビ二でパンを三つとプリンを買って、亜子は店外へと出るとマンションの裏手へと回った。ここのマンションの入り口は、コンビ二が一階部分にあるため大通りに面していないのだ。
エントランス左にある鍵付きポストから郵便物を取り出し、エレベーターで六階へと上がる。彼女の部屋は六〇二号室で、両隣には単身赴任のサラリーマンが住んでいた。
「ん?」
僅かに目を眇める。奥の部屋……六〇一号室のドアの前に、誰かが体育座りをして蹲っているからだ。しかも長いこと雨に濡れていたらしい……髪から雫が滴り落ちている。
昨日、エレベーター前で一緒になった隣人は、今日から一週間ほど九州に出張だと言っていた。もしかしてこの人物は隣人の関係者で、居ないのを知らずに来てしまったのではないだろうか?――そんな考えが浮かび、亜子は無視するわけにもいかないので声をかけてみることにした。
「あの、具合でも悪いんですか?」
びくん――と肩が跳ね、膝に埋めていた顔がゆるりと上がる。眇められた目が向けられ、亜子はこくりと唾を飲み込んだ。
やけに整った顔をした男の子だと思った。
しかも大きめな目が、なんだか猫っぽくて可愛らしくもある。
そしてどう見ても、自分の弟と同じくらいであった。
「ねぇきみ、ここで何しているの? ここの部屋に用なの?」
防犯用のブザーはバックに付けてある。変な動きを見せたら、いつでも引き抜ける状態だ。
「……田丸 慎吾。この部屋に住んでる川野 祐介の息子」
少しだるそうにそう言うと、何かを探るように彼は亜子を見上げた。
「苗字が違うわね」
「八年前に離婚したから。俺、母さんに引き取られたの。だから苗字が違うの」
彼の言っている事は嘘ではなかった。確かに亜子は川野から、随分と前に離婚したのだと、何かの折に聞いていた。ふっと息を吐き出すと、バックからキーケースを取り出し、自分の部屋の鍵を開けた。
「私は坂城亜子。川野課長の部下よ。お父さんね、九州に出張中で一週間は帰ってこないわ。どうぞ、入って」
「え?」
亜子の言葉に驚いたのか、目を丸くさせた慎吾は、パチパチと瞬きを数回繰り返した。
「そのままそこに居たいのなら話は別だけど」
「いいの?」
「どうぞ」
「ありがとう」
ゆるりと立ち上がると、慎吾はするりと亜子の部屋へと入る。無用心だと思うけれど、川野には世話になっている。変な意味ではない。彼は亜子の上司なのだ。だから連絡も、すぐに取ることができる。
急いでお風呂にお湯を張り、捨てるのを忘れていた元カレのTシャツとルームパンツを渡した。彼はDバックを背負っていたが、雨に濡れて中の着替えも本人同様濡れてしまったのだ。一瞬、新しい下着――と思ったが、それは濡れてないとのことで、替えを買いに行かずに済んでホッとした。
亜子は慎吾が空腹だというので、買ってきた物を彼に食べさせ、その間冷凍食品のパスタをレンジで温めた。それを皿に移し、美味しそうにチキンカツサンドを食べている彼の前に出す。それから濡れてしまった衣類をハンガーに干して、間隔をあけてカーテンレールに引っ掛けた。念のため、衣類用の消臭スプレーを軽く噴きかける。
「もう少しでお風呂沸くから」
「ありがとうございます。それと、迷惑かけてすみません」
「いいわよ。あ、お父さんに連絡しなくちゃね」
仕事用の番号なら分かるからと、亜子はスマートフォンをバックから取り出す。川野の仕事用の番号を呼び出そうと指先で画面に触れるが、ふと、首をかしげた。
「ねぇ慎吾君。きみ、お父さんの番号知らないの?」
「はい。教えてもらってないんです。母さんは知っているようだけど、離婚時の取り決めで父さん、俺と会っちゃいけないそうなんです」
離婚の原因までは聞いてはいない。
「そう、なんだ」
何か複雑な理由でもあるのだろうか?――亜子は気を取り直して川野の番号を呼び出した。
**********
『悪いね坂城さん』
「いえ。それでは管理人の方への連絡、お願いします。今夜は慎吾君、ウチで預かりますので」
今日は金曜日だ。もちろん会社はカレンダー通りの営業であるので、明日と明後日は休みである。
『すまないが、慎吾と代わってもらえるかな?』
「あ、はい。慎吾君、お父さん」
一瞬、顔を強張らせた慎吾にスマホを渡す。彼は一度息を吐き出すと、彼はそれを耳にあてた。
「もしもし、父さん?」
八年ぶりの父と息子の会話だ。亜子は静かにその場を離れると、慎吾の布団を準備するために寝室へと入った。たまに泊まりにくる友達や妹用に、一客だけ布団があるのだ。それを納戸から引っ張りだしていると、話が終わった慎吾が控えめに声をかけてきた。
「あの、亜子さん」
「あ、電話終わったの? ねぇ、ごめん。これ、引っ張り出してくれる?」
「はい」
失礼しますと断りを入れてから、慎吾は亜子の寝室に足を踏み入れる。彼女が引っ張っていたそれを、難なく彼は引き出した。
「リビングにお願い」
一緒の部屋に――とはいかない。女の子であればそれでも良いのだが、慎吾は年下でも男だ。しかも赤の他人である。自信過剰なわけではないが、間違いが起こったら大変だ。
「あ、フローリングだから、一枚じゃ体が痛くなっちゃうかも……。もう一枚、敷いた方がいいわね」
ちょっと待っててね――と、亜子は身を翻し寝室へと戻る。三つ折りのマットレスが一枚あるのだ。それを引き出してリビングへと持っていく。客用の布団を抱えたまま慎吾が立っており、亜子はマットレスを素早く床に敷いた。そこへ慎吾が布団を下す。
「あ、髭って……剃る、よね?」
「あー……まあ、一応は男ですから」
「そうだよねぇ……。ごめん、カミソリ無いんだ」
「ああ、大丈夫です。下で買ってきますから。そういえば俺、亜子さんのご飯俺食べちゃったんでしょう? 代わりの物も買ってきますよ」
何が良いですか?――と、慎吾は軽く首をかしげた。その仕草にドキッとする。
「い、いいわよ別に。冷凍パスタがまだあるから」
「でも……」
「いいの。ほら、行ってらっしゃい」
「……」
ぐいぐいと背中を押して、亜子は慎吾を玄関の方へと押し遣る。それじゃあと、彼はマンション下のコンビ二へと向かい、十分もしないうちに必要な物を買って戻ってきたので、先に風呂を使わせる。その間、軽く夕飯を済ませ、スマホでメールをチェックした。弟達からメールがきており、両方に返信をする。そこへ入浴を終えた慎吾が出てきたので、着替えを持って亜子は浴室へと入った。いつもと違い、ほわほわと湯気がたつ暖かな浴室に、なんだかむず痒さを感じながら手早く入浴を済ませた。
「それじゃあ慎吾君、お休み」
「はい。お休みなさい亜子さん」
リビングと寝室を隔てる引き戸をピッタリと閉めて、亜子はベッドへと潜り込んだ。
本当はちょっぴり……本当にちょっぴりだけ、“間違い”が起こる事を期待している自分がいる。だが、彼は誰が見ても女の子に不自由していない容姿だ。だから誰でも彼でも抱くようなタイプには見えない。
「第一、うんと年上でしょ私」
あっちは食指、動かないでしょうが――と、自嘲気味に呟いて、亜子は目を閉じ眠りに付いた。




