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短編集  作者: 朔良こお
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選んだのは(後編)

 先日見た時よりも憔悴している元夫に、私は僅かに眉根を寄せた。

 あの時電話で、彼は「話したい事があるから、近々会えってほしい」と言ったのだが、彼の言う話したい事とは、きっと子供の父親の件なのだろうと思ったので、私は追求せず会う約束をした。

 でも、この憔悴っぷりは一体どうしたというのだろう?

 もしかしたら私の勘違い?

 彼はまったく違う事で、何か悩んでいるのかもしれない。


「ごめん。急に呼び出したりして」

「いいわよ別に。私の方こそごめんなさいね。今、ちょうど忙しくて、昼しか時間がとれないのよ」


 これは嘘ではない。本当に忙しいのだ。仕事が終わった後でとも考えけれど、残業になる可能性も高く、それから会うとなると、家庭持ちの彼には拙いのではないかと思い、私はお昼休みに会うことにした。だって、変に疑われちゃ可哀想だもの。


「いや。それは構わないよ。あ、ここは俺の奢りだから。好きな物頼んで」

「そう? ありがとう」


 ランチタイムのカフェは、近辺のOLはもちろんのこと、若いサラリーマンが同期や部署の女子社員と来ることが多い。私も数日前に部署の後輩達と、ここにランチを食べに来たばかりだ。

 今日私が頼んだのは、チョコをクロワッサン生地で包んで焼いたチョコワッサンと呼ばれるパンと、プレーンベーグルにスモークサーモンとクリームチーズが挟まったベーグルサンドのセットで、もちろんデザートとドリンクが付いている。このカフェのドリンクは全て三八〇円で、この中から選ぶのだが、私はコーヒーをお願いした。ちなみにコーヒーだけはお替り自由だったりする。


 チョコワッサンを千切って口に入れれば、チョコの甘さとクロワッサン生地の塩加減の絶妙さに、自然と頬と目が緩む。ここのランチに不味い物はない。ちらりと向かい側に座る元夫を見れば、頼んだランチにまだをつけていなかった。酷く深刻な顔で、じっとマグを囲うように持っている自分の手を見つめている。私に言おうかどうか、ここまで来ておきながら踏ん切りがつかないみたいだ。仕方がない。ここは私が話せるようきっかけを作るしかない。


「で、今日はどうしたの? 話したい事って、もしかして悩みゴト……とか? あ、もしかしてお金に困ってるの? 金額にもよるけど、あなたから貰った慰謝料まだ手をつけてないから、それでよければ幾らか用立てられるわよ?」

「あ、いや、お金は問題ないよ。困ってないって。大丈夫」

「そう? ならいいけど……」


 元夫と彼女から、私は慰謝料を貰っている。彼が既婚者と知っていながら、彼女の方から関係を持ったわけで、その結果子供(本当は不倫相手の子供だけど)ができ、私は彼と離婚する破目になった。だからこれは当然の権利だ――と、幼馴染みの兄にして弁護士でもある“大兄(おおに)ぃ”に言われた。

 彼女は支払いに応じたけれど、たぶんそれは彼女の親が払ったんだと思う。当時彼女は二十三才で、まだ社会人二年目だ。給料など、どこの企業でも大差ない。だから自力で払えるほどの額の貯金はなかっただろうし、持ってもいなかったはずだ。

 けれど彼女は一括でそれを払った。どう考えてもお金の出所は親しかない。さぞかし継母は嫌な顔をしただろう。継子の尻拭いに二百万も使ったのだから。でも、彼女の父親の職業を考えれば、払うのが難しい額ではない。彼女の父親は大きな病院の医院長なのだから。彼女は“お嬢様”と呼ばれる部類の子だった。


「あの、さ……その……昔、一緒に検査を受けただろう?」

「え? 検査?」


 何の事かしら?――と、すっ呆けようと思ったけど……やっぱり止めておこう。意味がない。


「あ、ああ……アレ、ね」


 おもわず顔を歪めた私に、元夫は申し訳なさそうに項垂れた。


「ごめん、千佳。子供ができなかったのは、俺のせいだったんだね」

「っ!!」


 ついに彼は知ってしまったのだ。

 自分に子種がないという事を。

 自分の子供が、自分の子供ではないという事実を。


「二人目がなかなかできなくて、一人っ子じゃ可哀想だって母さんが煩くてさ。何処から聞いたのか“二人目不妊ってあるらしいから、一度検査してもらったら?”って言ってきたんだよ。最初は無視してたんだけど、あいつもできたらもう一人欲しいって言うし、だから前にきみと行ったクリニックに行ったんだ。そうしたら……」


 自分には子種がないと言われた――と、彼はそう言って苦しげに顔を歪めた。子供も、自分の子じゃなかった――と。


「帰ってから問い詰めたよ。どういうことだ――って。アレは誰の子なんだ――って」


 誤魔化せないと分かった彼女は、あっさりと子供の父親のことを話したそうだ。そしてもう、相手とは会っていないとも。


 会っていない――そう本人は言っているが、そんなものは信じられないと、元夫は口許を右手で覆って溜息をついた。


「で、あなた、どうするつもりなの?」

「別れようと思ってる。百舌(もず)じゃないんだ、他人の子供を育てる義務はない。元々、俺はあいつを愛していたわけじゃないし」


 ふうっと溜息をついて、彼はコーヒーを一口飲んだ。


「そう、ね。あなたがそう決めたのなら、そうする事を選んだのなら、それがいいのかもしれないわね。で、そのことお義母さんには?」

「迷ったけれど、隠しておくべきじゃないと思って、一昨日(おととい)実家に帰って言ったよ。あの子を可愛がっていた分ショックが大き過ぎて、今も寝込んでいるみたいなんだけど昨日電話があってさ、千佳に謝りたいって言ってた。悪い事をしたって……母さん、泣いてたよ」


 それは自分もそうなんだけどね――と、元夫は唇を噛み締めた。


「私が言っていれば良かったのよね……」


 ぽつりと呟いた私のそれに、元夫はゆるりと(かぶり)を振った。きみは悪くない――と。


「母さんの孫への思いが強過ぎて、きみが本当の事を言い出せなかったことくらい、俺だってちゃんと分かってるよ。きみは優しい人だから、俺を傷つけたくなかったっていうのもね。だから選んだんだろう? 本当の事を言わないって」

「……でも」

「千佳、きみは悪くない。悪いのは全部俺だから」


 本当にごめんな――そう呟いて、元夫はもう一口コーヒーを飲んだ。話したことで気持ちが少し楽になったのか、彼はランチに手をつける。美味いねと、ようやく笑みが浮かんだ。


「あの夜、俺、あいつを抱いてなんかいなかったんだ。まんまとハメられた。馬鹿だよなぁ、俺」


 酔いつぶれて眠ってしまった彼の服を脱がせ、自分も裸になり、ティッシュを丸めたものを床に落とし、いかにも“しました”と偽装までしたとか……どうせそんな事だろうと思ったけれど、それに引っかかる彼も彼だ。一瞬、アホじゃないのと思ってしまった。これならヤッてくれていた方がまだマシだ。


「でもさ、三年一緒に居たわけでしょう? 検査を受けに行ったってことは、それまで彼女とは、そういうコトをしてた――ってことよね?」

「そ、それは……そうだけど」

「じゃあ、彼女に対して愛情がない――っていうワケじゃないわよね? さっきあなた私に、『元々あいつを愛していたわけじゃない』って言ったもの。それはつまり、今は彼女を愛している(・・・・・)ってことなんでしょう?」

「……」


 どうやら図星だったらしく、元夫は私の問いに答えず、表情を強張らせ口を閉ざしてしまった。


「彼女の言ってる事は、本当だと思うわよ。あなただって本当は信じているんでしょう?」


 でも、騙されたことへの怒りが強過ぎて、信じてあげることができないでいる。

 苦しいのだ、彼も、彼女も。

 選んだのは自分なのに、後になってそれが間違っていたと知ってしまったから。


「もっと時間をかけて話し合いなさいよ。答えを出すの、まだ早いわ。選んだのはあなたよ。だったら早々に放棄なんてしないで。ちゃんと責任取りなさいよ」

「千佳……」

「選んだのはあなたなの。彼女と生きるって、あなたが選んだの」


 そうだね――と、彼は小さく頷いて、残りを平らげることに集中した。


 この後、店を出るまで、私達に会話らしい会話はなかった。




**********




「で、結局どうなったんだよ。この間、元旦那とまた会ったんだろう?」


 小母さんに頼まれた事があって、幼馴染みのマンションに顔を出したのは、元夫に再び呼び出されてから二週間近く経ってからだった。


「離婚はしないって。全て丸く収まったわよ」


 あれから何度も話し合い、一度は離婚届にサインをする直前までいったものの、なんとか離婚は免れ現在再構築中だ。


 最初は責任を取る形で夫婦となったため、彼は彼女に対して持っていた感情は、愛ではなく罪悪感だった。けれど三年共に過ごし、体を重ね、子供を育て家族として生きてきた。これで何かが……愛情が…… 芽生えないはずはない。

 自分は彼女を愛している――と、それを自覚した途端、子供が自分の子ではなく、自分に子種がないと判明したのだ。


「随分と悩んだみたいよ」

「だろうな。で、子供はどうするんだ?」

「今まで通りだって」


 お腹にいるときから一緒であったから、他人ではあるものの自分が父親だという気持ちが強く、血の繋がりなど関係ないという思いに至った――と、私が好きだった晴れやかな笑みを彼は浮かべた。


「そりゃあ良かった」


 にやりと笑って、幼馴染みはコーヒーのマグを持ったまま私の横に移動すると、自然な動きで私の肩へ腕を回して自分の方へと抱き寄せた。


「んじゃ、こっちも丸く収まろうぜ。お前にプロポーズしたって言ったら、親父もお袋も大喜びしてたぞ。で、返事をまだもらってないって言ったら、ヘタレ呼ばわりされたんだけど」

「アンタのマンションにこれ届けてって、小母さんわざわざ私に頼んできたのって……」


 テーブルの上に置いてある、小母さん特製の“おはぎ”が入ったタッパーを指差す。


「さすが我がお袋殿だ。やる事があからさま過ぎる」


 くくっと喉を鳴らして、幼馴染みはマグをテーブルへ置くと、その手で私の左手をそっと握った。


「今頃きっと家じゃ、式場を押さえようとするお袋を兄貴達が必死こいて止めてるんじゃねぇの?」

「私、お式は挙げないわよ」


 今更だ。今更ウエディングドレスなんて着れないし、披露宴なんて冗談じゃない。初婚ならまだしも、私はそうではないのだから。


「じゃあ、せめて写真だけでも撮ろうぜ」

「まぁ、写真くらいなら……って、誰が結婚するって言ったのよ!」

「顔に書いてあるって。俺とだったら、再婚してもいいかなぁ~ってさ」

「なーっ!!」


 おもわず自分の頬に手を当ててしまった。それを見て、幼馴染みは喉を鳴らし、小さく肩を揺らす。実に楽しそうだ。


「認めろ、な?」

「や、違うし」

「違わないって。俺のこと、お前、好きだろう?」


 知ってるぞ――と、ブラウンの瞳が細められ、彼の唇がそっと額に触れる。じわり――と、そこが熱くなった。


「デコちゅーで頬を赤らめるとは……可愛いぇ千佳は。ホント、お前は昔から可愛いよな」

「なななな何言って……」

「俺が日本にいない間に男作りやがって、しかもそいつと結婚までしやがって、俺がどれだけ悔やんだか分かるかお前? やっと離婚して、さあこれから口説こうかと思ったら、次々と男作りやがって……マジでお前のこと監禁しようと思ったんだからな。俺の恋心を散々弄びやがって、いい加減責任取れよ。片想い歴何年だと思ってんだ」

「し、知らないわよそんなの。だいたいそんなコト、私に一言だって言ったことないじゃない。分かるわけないでしょうが!!」

「まぁな。顔にも態度にも言葉にも、お前のことが好きだなんて、これっぽっちも出さなかったからな。お前が俺のこと、幼馴染みとしか見てないの分かってたし、中学くらいまで兄貴ことが好きだっただろう。だから俺の気持ちを言ったら、お前が困るの目に見えて分かってたからさ、態度にも言葉にも出さなかったんだよ」


 ああ、俺って健気――と、幼馴染みは自分で自分を抱き締める仕草をした。私の方は“ぽかーん”である。しかし……健気という言葉が、これほど似合わない男が他にいるだろうか? いない。


 だいたい、好きだなんて事は、ちゃんと言葉にしてくれなきゃ分からない。覚れとでもいうのか、この男は? そんなものは神様か超能力者の領域だ。


「ねぇ……私のこと、いつから好きなの?」


 今自分が、どんな顔をしているのか分からないけれど、どうやら幼馴染みを喜ばせるような顔ではあるらしい。異様に顔が熱い。


「んなの、チビの頃からにきまってんだろうが。気がつかないのはお前くらいだ、ニブちん千佳」


 無駄に整っている幼馴染みの顔が、なんだか酷く緩んでいる。それがぐんぐん近づいて、あっという間に唇が塞がれてしまった。私の唇を味わうような深いキスに、くらくらと眩暈を起こしそうだ。だっていつもは違うから。触れるか触れないか……掠める感じのキスだから。しかもお酒を飲んだ時しか、ヤツは私にキスをしてこなかった。だから私は、幼馴染みのこんなキスは知らない。


 いい加減止めろ――と、私はおもいっきり足を踏んづけてやった。功を奏しパッと顔が離れて、ようやくまともに呼吸ができるようになった。


「ちょっと、いきなり何なのよ!!」

「んー、このまま千佳を押し倒して、既成事実を作ってしまおうかと」

「作んな、んなもん!!」

「いや、作らないとダメでしょ。千佳、逃げるでしょ絶対。だからさぁ……」


 大人しく作らせろよ――と、幼馴染みは私の耳許で、酷く甘ったるい声でそう囁いた。


 その後、私達がどうなったかって?

 ヤツの思惑通りにコトが運びましたとも。

 見事な的中率で既成事実が作られましたとも。

 驚いたのなんのって……まぁ、タイミングが良かった……のかな? これって?


 


 私達の関係がどう変わったかと言いますと、単なる幼馴染みから生涯を共にする夫婦となりました。

 妊娠が分かった翌日、私の目の前には妻の欄以外全て埋まっている状態の婚姻届が出され、驚いたの何のって……行動が早すぎて、正直ちょっと引いてしまった。


 幼馴染みは“夫”に昇格し、私は再び苗字が変わり二度目の“人妻”となり、左手薬指にはピカピカの結婚指輪が嵌っている。ヤツの知り合いのデザイナーに頼んだ、オーダーメイドの指輪だ。値段は聞かないでいる。だって、とんでもない金額を言われそうだから。


 前回と違い今回は、嬉し恥ずかし“デキ婚”というやつである。反応は様々で、会社のオジサマ方からは「若いねぇ~」とからかわれ、数少ない同性の同期達からは「おめでとう。良かったね」と涙目で言われて、全員にぎゅうぎゅうとハグをされた。元夫との離婚経緯を知っているが故に、彼女らは他の誰よりも私の幸せを願っていてくれたのだ。じわり――と、目頭と胸が熱くなり、私は皆の前で子供みたいにわんわん泣いてしまった。


 出産予定日の一ヶ月前に退職し、現在、入籍してから購入したマンションのリビングにて、まったりとお茶を飲んでいたりする。


「明日だな。でも、予定通り来るのか?」

「どうかしらね? 分からないわ」

「俺としては、明日中に生まれて欲しいんだよね」


 ぽっこりと出ている私の大きなお腹を撫でながら、彼は「お願いだから、明日中に出てこいよ~」と話しかける。何故、彼がそんなことを言うのかといえば、自分と誕生日が同じになるからだ。子供的にはそれってどうなのだろうかと、ふと疑問に思ったけれど口にするのは止めておいた。夢を壊しちゃいけないからね。


「なぁ千佳」

「んー?」

「ありがとな」

「何が?」

「俺を選んでくれて」


 その言葉に、私は目を瞬かせた。それを言うのは彼ではなく、私の方だと思っていたからだ。でも、本当はそれも違うと思っている。選んだのは私ではなく、本当は――――――。


「それ、違うわよ。選んだのは私じゃない。この子。この子が私達(・・)を選んでくれたの。自分の親に、選んでくれたのよ」


 ちゅっと軽いリップ音をさせて、私は目を見開いている彼の頬にキスをした。


「そっか……そうだな。そうじゃなきゃ、結婚してなかったかもな」

「そうよ。で、明日生まれてくるかどうかは、決めるのはこの子なんだからね。分かった?」

「えー、でも俺としては明日がいいんだよ。な? お前もそう思うだろ? お父さんと同じ誕生日がいいよな?」


 な? な? 頼むよ~と、お腹に向かって一生懸命お願いする姿は、なんだかとても滑稽であるけれど、なんだかとっても幸せな気持ちになった。


「選ぶのはこの子です。ほら、締め切りが近いのあるんでしょう? さっさと書斎に戻りなさい」

「千佳ぁ~」


 ぐいぐいと背中を押して、どうにかこうにか書斎に押し込むと、私は扉に背中を付けてお腹を撫でながら、心の中で赤ちゃんに話しかけた。


 私達を選んでくれてありがとう――と。


登場人物の年齢を明記していませんが、以下の通りです。


千佳**本編ヒロイン。25歳で結婚。29歳で離婚。32歳で再婚。

幼馴染み**千佳と同じ年。海外赴任中に千佳が結婚してしまい、かなり落ち込んだ人。彼女と結婚する2年前までは兼業作家。

元夫**千佳の4歳上。36歳。

元夫の今妻**千佳の6歳下。26歳。


最初はヒロインの名前も出さないで書こうとしましたが、早々に挫折(笑)しました。

でもって何故か幼馴染みの説明が長い(汗)


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