政略ではなく恋愛で
前後編にしたかったのですが、切る箇所が見つからなかった~(汗)
一昨年よりデューイヒッテル皇国皇宮騎士筆頭補佐官長を務めているのは、今年で二十四歳になるノートルラーイ侯爵家次男ハルトヴィヒ=ファーレンである。
昔からファーレン家は皇宮騎士筆頭や筆頭補佐を数多輩出している武の名門であり、その中でもハルトヴィヒは、補佐就任最年少記録を作った優秀な人材であった。
しかも優秀なのはそれだけではない。
外見も、ハルトヴィヒは優秀なのである。
淡い金髪は緩く波打ち、海色の瞳は涼やかで、都一の美姫と謳われた母テルマ譲りの美しい顔容は、一目見ただけで相手を虜にしてしまうほどであり、スラリとした体型は一見華奢に見えるが、日々の鍛練を怠っていないので“脱いだら凄いんです”状態だった。
これは彼と一夜を共にしたことのある高級娼婦が、嬉々とした様子で仲間に話したから間違いない。
故にハルトヴィヒ=ファーレンは今現在、数多いる独身貴族の子弟の中でも、一・二を争うほどの“イイオトコ”であり、“結婚したい相手”なのである。
侯爵家の当主であり、皇国の宰相でもあるハルトヴィヒの父マルクスは、灰色の髪をくしゃくしゃと搔き、これでもかと言うくらい大きな溜息をついた。
「父上?」
どうかなさったのですか?――と、ハルトヴィヒは顔を顰め、手にしていた紅茶のはいったカップをテーブルの上に置く。そんな息子の様子を窺うように見ながら、マルクスは溜息の原因を渋々と言った様子で口にする。
「お前に結婚の申し込みだ」
「はあ、そうですか」
結婚の申し込みなど、特別驚くような事ではない。こんなものはハルトヴィヒが社交界に出るようになってから、毎月数件は送られてくるのだから。故に、大きな溜息をつくほどの事ではない。ないのだが………。
「何方からですか?」
一度断わりをいれても、懲りずに申し込んでくる家は少なくない。侯爵家の跡継ぎでなくとも、ハルトヴィヒとの婚姻は大変魅力的のだ。その為、年頃の娘を持つ親は、一度や二度……三度や四度……五度や六度断わられたからといって、そう簡単には諦めないのである。なかには毎月申し込んでくる強者もおり、厄介この上ない。だが今回の相手は、どうやらいつもとは違うような感じだ。
「それがなぁ……バーデン侯からなのだよ」
「は?」
一瞬、聞き間違えたかと思ったハルトヴィヒである。だが、それはマルクスの次の言葉で、間違っていなかったことが証明された。
「バーデン侯爵の孫娘だ」
「バーデン侯……では……」
「ああ。ウルリヒの娘だ」
ウルリヒ=ルッテンベルク……次期バーデン侯爵にして外交省長官である彼は、堅物宰相と呼ばれているマルクスが最も苦手としている相手である。
二人は貴族の子弟が通う王立学院の同級生なのだが、その頃からマルクスは常に皆の中心にいるウルリヒの、その煌びやかな華やかさが苦手であり、極力彼と係わらないようにしていた。それは学院を卒業し、皇宮に出仕するようになってからも変わらなかったほどだ。
ルッテンベルク家といえば代々、宰相や各省の長官を勤める者が多く、武のファーレンと文のルッテンベルクと称されていた。それ故昔から、この二家は皇国の双璧と言われている。だが時折、ファーレン家では武よりも文に秀でた逸材がでる。マルクスがそれであり、武術はがっかりな腕前であったが、頭の回転が早く決断力もあり本質を見極めるのに優れていた。
だが、そんな優秀なマルクスでも、ウルリヒより劣っているというのが周囲の見解である。
その為誰もが、数年後に控えていた新帝即位時に、宰相府に在籍していて筆頭補佐官を務めているマルクスではなく、外交省にて副長官をしているウルリヒが新しい宰相に就くと思っていた。
事実、皇太子が皇帝に即位した際、宰相職の打診を受けたのは筆頭補佐官のマルクスではなくウルリヒであった。
けれど実際に宰相職に就いたのは、彼ではなくマルクスである。
何故なら、ウルリヒが断わったからであり、彼がマルクスを推挙したからであった。これは皇宮に勤めている者ならば、誰もが知っている有名な話である。
「ヒルデガルト嬢とは、確か何度か会っていると記憶しているが?」
「あ、はい」
げんなりとした顔でそう問われ、ハルトヴィヒは緩みそうになった顔を引き締めた。
ヒルデガルト=ルッテンベルクは数少ない女性騎士であり、皇女クリームヒルトの護衛騎士副長である。男装の麗人としても有名で、彼女が騎士の正装姿で夜会の会場に現れた日には、令嬢達から黄色い歓声が上がるほど凛々しく麗しかった。
密かに……本当に密かに……ハルトヴィヒは彼女に想いを寄せていた。
だが、父親のこともあり、また、彼女自身独身を公言していたので、彼はそれを言い出せないでいたのだ。
「アイツと親戚になるのは嫌だが、ルッテンベルク家は悪い相手ではない。むしろ良縁だ」
貴族の結婚は“個”ではなく“家”でするものだ。ファーレン家とルッテンベルク家とでは充分釣り合いが取れているし、過去に何度かそういった話も出たのだが、何故か実現しなかった。
「どうするハルトヴィヒ。この話、受けるか?」
「……彼女の意思を確認してから決めます。確か彼女は、他の女性騎士達と同じで、独身主義者だったはずですから」
ハルトヴィヒが言ったように、女騎士の多くが独身なのである。しかも彼女達は、何故だか見目麗しい者が多い。だが、そうなればなるほど恋人がいない率が高く、故に独身率も高いのである。
何故独身主義者が多いのか?
彼女達がそうである理由の一番は、騎士という仕事が激務であるからだ。しかも己が命をかけなければならないほどの、危険な任務を遂行しなくてはならない時だってある。そんな時、恋人が……夫が……家族があったのならば、いざという場面で躊躇いが出てしまう可能性が高い。その躊躇いが命を危うくさせ、己が仲間をも巻き込んでしまうことが充分有りえるのだ。
そうならない為に、有能な女性騎士の多くが、騎士である間は独身主義者であることを明言するのだ。明言することにより、己を律しているのである。
「心境の変化か……それとも結婚しなくてはならない事情ができたか……」
腕組をして首を傾げるマルクスに、ハルトヴィヒも眉間に皺を寄せながら頷く。だが、前者であろうと、後者であろうと、ハルトヴィヒには関係ない。ヒルデガルトと結婚できるのならば、理由など何だって良いのだ。
「父上、母上には……」
「ああ。黙っておこう。知ったらテルマのことだ、きっと先走って婚礼衣装やら何やら手配しそうで怖い」
「ですね」
父息子は揃って大きな溜息をつくと、それぞれ私室へと引き揚げた。ハルトヴィヒはその夜、なかなか眠りにつけず、翌朝目の下に薄っすらと隈をつくったまま王宮へと出仕した。
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デューイヒッテル皇国皇女クリームヒルトは、亜麻色の髪に櫛を通しながら、鏡に映る己が怒った顔を無言で見ていた。そんな皇女を、ヒルデガルトが困ったように見ている。
「皇女殿下、そろそろ教師が参ります。お仕度を急がれませんと」
「あら、そんなの待たせておけばいいわ。それよりもヒルデ。わたくし、貴女のこと、怒っていますのよ。ええ。ええ。とても怒っているの」
「はあ……申し訳ございません」
「悪いと思うのなら、辞職を撤回なさい」
形の良い眉を吊り上げ、クリームヒルトは鏡越しにヒルデガルトを睨みつけた。
「申し訳ありません。それは、できません」
「結婚など、貴女の本意ではないのでしょう?」
櫛を鏡台の上に置き、クリームヒルトは身体ごと後ろを振り返る。淡い色合いのドレスに身を包んだ皇女は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「確かに本意ではありません。ですが……事情が変わりましたゆえ」
「……」
ヒルデガルドには二つ上の兄アルノーがいる。
唯一の男子である彼は、当然の事ながらルッテンベルク家の後継者である。
しかも父親に似て、華々しい容姿をしており、社交界でも目立つ存在であった。その上、頭脳明晰であり、王宮の研究室に勤務していたのだが、この男……何を考えているのか、時々ふらりと一ヶ月ほどいなくなってしまうのだ。
一応、自分が今現在どこにいるのか後から連絡を寄こすのだが、今回ばかりはいくら待っても連絡がこず、もしかしたらと嫌な予感が皆の頭をよぎり始めた頃、海を挟んだ対岸の小さな王国から手紙が届いた。
それはアルノーがその国の王女と恋仲となり、先日結婚をしたというとんでもない報せだった。
しかも王女は一人娘で、アルノーは婿に入ったため、ヒルデガルドが婿をとり、ルッテンベルク家を存続させなくてはいけなくなった。
「子供ができてしまったら、結婚するしかないわよね……」
ふうっと息を吐き、クリームヒルトは眉根を寄せると、それで誰にするか決めたのかとヒルデガルトに問うた。
「その辺は祖父に一任していますので」
「そう。バーデン侯のことだから、変な男は選ばないでしょうけど、貴女のことを大切にしてくれる人だといいわね」
「そうですね」
侍女が呼びにきたので話はここで終わった。教師の待つ部屋へと移動する皇女を見送り、ヒルデガルトは荷物の整理をするために騎士棟へと戻る。その途中、オレンジ色のリトマの花が植えられた花壇の縁に、見知った騎士が座っているのに気がついた。その横顔はどこか憂いをおびており、そのせいかなんだかいつもより艶めいて見える。
「ファーレン補佐官長」
ぽつりと呟いたそれに、ハルトヴィヒはパッと顔を上げた。そして自分の方を見ているのがヒルデガルトだと分かり、彼はホッと安堵の息をついた。
「ルッテンベルク、貴女に話があるのですが……少し時間を貰えないだろうか?」
「あ、はい」
頷いた彼女に、ここは人目につくからと、東屋のある方へと移動を促す。素直にそれに従い、ヒルデガルトはハルトヴィヒと一緒に東屋へと場所を移した。周囲に背の高い木々があるため、ここは少し見え難い場所になっている。内緒話や逢瀬にはちょうど良い。
「あの、お話とは……」
同じ騎士であるが、接点はほとんどない。
皇宮騎士筆頭には五人の補佐官がおり、その長がハルトヴィヒであるのだが、彼はヒルデガルトの属する隊の直属の上司ではない。王族の護衛騎士を統括しているのは第二補佐官で、今現在その地位にいるのは年内で定年することになっている老騎士だ。ハルトヴィヒは筆頭の補佐をするのが仕事であるため、他の補佐官とは役割が異なっている。
「結婚の件です」
「は? 結婚?」
「ええ。貴女の祖父であるバーデン侯から、先週申し込みがあったのですが……聞いていませんか?」
「え? あ、いえ。結婚相手を選考中とは聞いていましたが、誰になるかは当日のお楽しみだと言って、候補者が誰なのかすら教えてもらっておりません」
「……は?」
「お爺様は……その……おちゃめさんなんです。一見冗談も通じない、堅物で真面目そうな感じですが……他人を驚かしたり、楽しい事や面白い事を画策するのが大好きなんです」
それでいいのかバーデン侯――心の中でそうツッコミをいれる。だが、よくよく考えてみれば、あのウルリヒ=ルッテンベルク長官の父親なのだ。ありえない話ではない。
「そ、そうですか」
「はい」
恥ずかしそうに頬を染め、少し俯いてしまったヒルデガルトの横顔……彼女に想いを寄せているハルトヴィヒの胸を、ずっきゅーんと撃ち抜くのに充分過ぎるほどの破壊力であり、ここは男として己の想いを打ち明けるべきであると決意させた。
こくりと喉を鳴らし、いざ告白をしようと口を開いた刹那、ヒルデガルドがぽつりと呟いた。
「わたくしは……結婚などしたくないのです」
深い溜息と共に、発せられたそれに、ハルトヴィヒが固まってしまう。もちろん口は開いたままだ。
「一生お守りしますと、皇女殿下に剣を捧げたのに……身勝手な兄のせいで」
悔しそうに唇を噛み締め、ヒルデガルトは両手を強く握る。けれど兄がああなった以上、彼女が婿を迎えるしかルッテンベルク家が生き残る術はないのだ。
「親族から養子を迎えるという手もあったのですが……」
老侯爵はもちろんのこと、ヒルデガルトの両親もそれをしようとは思わなかった。ウルリヒには姉しかいないので、彼女の次男か三男がその対象となる。だが残念な事にこの二人、非情に出来が悪い。なのでウルリヒは、もし二人のどちらかを養子に迎えるくらいなら、自分の代で爵位を返上しルッテンベルク家を断絶させるとまで言ったのだ。ウルリヒはやると言ったら絶対にやる。だから最初からヒルデガルトには、婿を迎えるしか選択肢はないのだ。
「ですがまさか補佐官に申し込んでいたなんて……正直、驚きました」
そう言ったヒルデガルトの声が、明るくなったような気がしたのは、もしかしたらハルトヴィヒの願望だったのかもしれない。
けれども彼女の顔を見ると、頬が上気し薄っすらと赤くなっている。
唇の両端も、僅かだが上がっている。
これはもしかしたら、もしかするかもしれない。
ハルトヴィヒは気を取り直し、彼女に気持ちを打ち明けることにした。
「ヒルデガルト嬢」
その呼び方に、ヒルデガルトの心臓が跳ねる。騎士団ではいくら親しい間柄でも、勤務時間内に限り上の者は下の者を家名で呼ぶ規則だ。お互い今は、当然のことながら勤務中である。であるのに、彼は彼女のことを名前で呼んだ。
こくり――と、ヒルデガルトの喉が小さく鳴る。膝の上に置いた両手に、自然と力が入った。
ハルトヴィヒの瞳は、真っ直ぐヒルデガルドに向けられている。海色のそれに、自分の顔が映っている。そのことに彼女の胸がまた一つ大きく跳ねた。
「ヒルデガルト嬢……もう長い間、私は貴女に思いを寄せていました。嘘ではありません。今まで言い出せなかったのは、私が臆病だったからです」
「ファーレン補佐官長……」
「本当は何も告げず、侯爵の顔を立て結婚するつもりでした。私だけの貴女にできるのなら、それでも良かった。けれどその場合、世間には政略結婚だと思われてしまう。愛のない、家のためだけの結婚だと……。もしかしたら貴女には、その方が良いのかもしれない。けれど私は貴女のことが好きだから、そんな風に思われたくなかった。そんな結婚はしたくなかった。私は欲張りだから、貴女の心も欲しいのです。だから政略結婚ではなく、貴女と恋愛結婚がしたいのです。恋をして、愛し合って、死ぬまで共にありたい」
そろり――と、ヒルデガルトの左手に己が右手を重ねる。きゅっと柔らかく握ると、彼女の頬の赤味が増した。
「ほ、本当ですか? 本当に?」
「ええ」
本当だと頷いたハルトヴィヒに、ますますヒルデガルトの頬が赤くなる。
「ファーレン補佐官長……」
「ハルトヴィヒです。名前で呼んで欲しい」
「……ハルトヴィヒ様。わたくしを望んでくださる貴方様のお気持ち、とても嬉しいです。わたくし、恋だとか愛だとかに本当に興味がなくて……ですから相手が誰であろうと、祖父の決めた方と結婚するつもりでした。子供を……継嗣を作るためだけの結婚で良いと思っていました。ですが今、その考えが間違いだと知りました。わたくしも、わたくしの好きな方と、わたくしを好きだと言ってくださる方と、最期まで共にありたい。ハルトヴィヒ様、教えてくださいますか? 恋とは、愛とは、どういったものであるのかということを」
ヒルデガルトはそう言って微笑むと、己が左手に重ねられているハルトヴィヒの右手の上に、そっともう一方の手を重ねた。
「もちろんです。私が全て、貴女に教えて差し上げます。私以外の男など、貴女は知らなくていい。ですから私と、結婚を前提にお付き合いしてくださいますね?」
「はい。よろしくお願いします」
「約束ですよ」
「約束します」
こくりと頷いたヒルデガルトの頬に手を添えると、もう一度「約束ですよ」と囁いて、ハルトヴィヒは静かに唇を重ねた。それは全身に甘い痺れをもたらし、まるで初めて異性と口づけしたような、懐かしい感じをハルトヴィヒに思い出させた。が、ヒルデガルトはこれが異性との初めての口づけだったので、彼女は顔どころか首まで真っ赤になってしまった。
半年後、聖堂にて婚儀が執り行われた。
花婿の美しさに、花嫁の麗しさに、出席者達はうっとりと感嘆の息を零す。
花婿の名はハルトヴィヒ=ファーレン。最年少でこの国――デューイヒッテル皇国皇宮騎士筆頭補佐官長に就任した青年である。
花嫁の名はヒルデガルト=ルッテンベルク。皇女クリームヒルトの元護衛騎士副長を務めた、麗しくも凛々しい令嬢である。
この国で知らない者はいない、武と文の名門貴族であるファーレン家とルッテンベルク家が、これにより姻戚関係となったのだ。最強である。明るい未来が約束されたようなものだ。
皇太子と皇女が出席する中、粛々と婚儀は進められ、二人が誓いの口づけを交わすと、聖堂の大鐘が盛大に打ち鳴らされた。
ハルトヴィヒが婿入りするため、祝宴は花嫁の実家であるルッテンベルク家にて夕方から始まり明け方近くまで延々と続いた。
この日ばかりはマルクスも、苦手なウルリヒと抱擁を交わし酒盃を傾け、夜が明けるまで語り合ったという。
マルクスのウルリヒへの態度はこの後も変わらずでして、祝宴の時だけです。彼が打ち解けたというか・・・ガードを緩めたのは。
どんだけウルリヒ苦手なんだマルクス(笑)




