証明(前編)
婚約者の過去の女を知れば知るほど、自分と比べて不安になっちゃうんですよ。
スコット=アトリー(二十四歳)は侯爵家の次男であり、また、騎士団の中でも実力のある者しかなれない上級騎士であった。
白金の髪は緩く波打ち、白皙の顔はたいそう美しく、立ち居振る舞いも流れるように上品で、王都中の貴族の娘達の憧れの的である。嘘ではない。彼が夜会に出席しようものなら、ダンスの順番待ちで長蛇の列ができるほどだ。
そんな彼が、つい先日婚約をした。
相手は彼の上司グレン=バーリーの娘シャノン(十八歳)だ。彼女は社交界において、十五番目くらいに人気のある娘なのだが、本人にその自覚はまったくと言っていいほどない。
何故この二人が婚約することになったのかというと、体を壊し騎士を辞めることを決めたグレンが、妻アニタと領地でのんびりと暮らすことを選んだ事がきっかけだ。花も盛りの娘を、煌びやかな社交界とは無縁の田舎に連れて行くのは忍びなく、かといって一人で置いていくわけにもいかず、悩んだ末、結婚させてしまえば良い――と、夫妻は結論づけたのである。
では、相手は誰が良いのかとなる。シャノンには姉がいるが、彼女は王太子の側妃となっているため、シャノンが婿を迎えその婿に家督を継がせなければ、武の名門であるバーリー家はなくなってしまうのだ。
そう……バーリー家は代々騎士として王と王家に忠誠を近い、数々の武勲を立て戦に勝っている。常勝将軍――そう呼ばれた先祖もいれば、戦場の悪鬼と恐れられた先祖もいる。グレン自身、若くして騎士団の団長に就いており、シャノンが生まれる前にあった国境付近での大きな戦において、敵国軍を殲滅寸前にまで追い込んだほどの知将である。なので婿になる人物は、顔が良いだけのボンクラではダメなのだ。没落街道まっしぐらとなるだろう。シャノンを心から愛してくれる相手が一番であるが、そういった理由から、婿君にはグレンが納得できるだけの高度な剣技と、素早い状況判断能力が必要不可欠なのである。
婿を取る――そう決めてからの夫妻の行動は早かった。
彼らは婿候補のリストを作成し、執事やメイド長の意見を聞きながら、慎重過ぎるくらい慎重に婿選びをした。そうして選ばれたのがグレンの部下で、侯爵家次男であるスコットであった。
「でもあなた……スコット殿には求婚者が多くあると聞きますわ。確か王女殿下もその一人だとか……。そんな方が、シャノンの夫になどなってくれるのでしょうか?」
そんな妻を夫は一笑した。
何故なら彼はつい先日あった夜会において、とある事に気がついたからだ。
女性陣に囲まれたスコットが、彼女らと話しながらも、さりげなくシャノンへと視線をやり、そしてその時シャノンが男と話していると、一瞬ではあるが眉根が寄ったのである。
アレは絶対に、娘に気がある――グレンの直感がそう告げており、シャノンの方もちらちらとスコットを見ていたので、絶対に二人は両想いだと確信したのだ。
「なに、大丈夫だよアニタ。彼は受けてくれるさ。ああ。絶対にね」
格下のバーリー家から「娘の婿にくれ」と申し込むのは些か躊躇われたものの、これまでの功績を称え、爵位が上がることが決まっていた。アトリー家と同じ侯爵である。だからシャノンとの結婚は、アトリー家にとっても、スコットにとっても、けっして悪い話ではない。
グレンはアトリー家へ書状をしたためると、それを執事のティモシーに持たせた。もちろんその場で返事を貰う必要はない。だが、戻ってきたティモシーの手には、アトリー侯爵からの返書があった。驚きつつも封を切ると、結婚を快諾する内容が書かれていた。
後日、夫妻はアトリー家へ赴いた。
結婚の話を正式なものにするかどうか、きちんと話し合うためだ。
通された居間で、夫妻は侯爵夫妻から「実は……」と、シャノンに結婚の申し込みをしようと考えていたのだと打ち明けられた。
すぐにスコットが呼ばれ、彼の意思を確認する。
彼は少しも躊躇うことなく、グレンの目を見て「お受けします」と、それはもうはっきりきっぱり返事をした。
「ですがバーリー団長。あ、伯爵。シャノン嬢は私などが相手で、本当に良いのでしょうか?」
「もちろんだスコット。あの子に否やはないよ」
「それなら良いのですが……」
国王の宰相を務めているアトリー侯爵が王宮に婚約申請をし、十日後には王の署名がはいった承諾書が両家に届いた。
これによりスコット=アトリーとシャノン=バーリーの結婚が決まり、二人の婚約が整ったのである。
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「スコット様」
「なんでしょうシャノン嬢」
「やはり婚約はなかったことにしませんか?」
「……」
婚約してから三ヶ月ちょい……いつからかシャノンは、スコットに会うたび婚約を取り消さないかと口にするようになった。婚儀まであと二ヶ月もないというのに………。
「今度は誰に何を言われたんです?」
ぎろり――と、薄茶色の瞳でシャノンを睨むと、流行のドレスを着ている彼女の両肩をやんわりと掴んだ。
「誰……と申しましても」
ごにょごにょと口篭るシャノンに、スコットは頬が緩みそうになる。可愛いからだ。だがそれを必死に堪え、顰めっ面をわざとする。そんな彼を上目遣いにちらりと見遣り、シャノンは困ったように眉尻を下げた。
「やはりスコット様のように魅力あふれる男性が、わたくしのような何の取り得もない小娘と結婚してはいけないと思うのです。ですから」
「答えになっていませんよ、シャノン」
大方の予想はついている。だが、スコットは彼女の口からそれを聞きたかった。
「それと、自分を卑下するのはおよしなさい。貴女は充分魅力的な女性なのですから」
「……」
自分の女性遍歴は清廉潔白とはいえない。とはいえ、後々面倒にならない相手――貴族の奥方や侍女、城の女官――ばかりを選んできた。時々、本気になられそうになり焦ったが………。
「スコット様は……爵位が欲しいのでしょう? わたくしが爵位付きの娘だから、貴方は結婚をお受けになられた……違いますか?」
シャノンの言うとおりスコットは、侯爵家の次男ゆえ親の爵位を継ぐ可能性は薄い。そうなると彼が爵位を得るには、騎士となり出世し叙爵されるか、跡取りに娘しかいない貴族の所へ婿入りするか、そのどちらかである。
見目良く、将来も有望である彼に、今まで一つも結婚の申し込みがなかったわけではない。
幾つかどころか、社交界デビューをしてからちうもの、それはもう山のようにあったのだ。
シャノンと正式に婚約してからは、当然これは無くなったが、一夜限りの関係を迫ってくる女性は……相も変わらずで、かなり迷惑している。
過去、結婚申し込み者の中には、条件の良い、かなり魅力的な相手も何人かいたのだが、やはりその気にはなれず、スコットはもっともらしい理由をつけて全て断った。まだそれが許される年だったのもある。
だかもう、彼も二十四である。
いい加減、結婚しても良い年だ。
けれどスコットは一向にその気にならない。そこで業を煮やした父侯爵が、朝帰りのスコットを捕まえ、「誰とだったらお前は結婚するのだ!」と、胸倉を掴んで問い詰めた。温厚な父の鬼気迫る様子に驚き、目を瞬かせたスコットではあるが、ふと、上司であるグレンの顔が脳裏に浮かんだ。
否、正しくはグレンの娘のシャノンの顔が――である。
夜会で何度か見かけたことはあるが、不思議なことに言葉を交わしたことはなかった。
けれど気がつけば、いつも彼女を目で追っていた。
いささか年が離れており、むしろ弟のケヴィン(二十歳)との方が似合いかもしれない。だが彼女が弟の妻となった姿を想像した時、スコットは不快で不快でたまらなかった。血の繋がった弟であっても、自分以外が彼女の横に立つなど許せなかったのだ。
「確かに、私は爵位のもてない次男です。ですが、その為だけに貴女との結婚を受けたわけではありませんよ」
「ではどうして? スコット様のお好きな女性は、その……あの……む、胸の豊かな方、なのでしょう?」
おもわず「確かに」と言いそうになり、スコットは慌ててそれを飲みこんだ。彼女の言うように、今まで関係した相手は皆、胸がかなり豊かである。中にはどうやったらここまで育つのだと思うくらい、たわわな胸の女性もいた。だからといって、それ(大きな胸)が好きなのかと訊かれたら「否」である。
「貴女のような貧弱な胸では、スコット様は満足しないから、すぐに自分の所へ戻ってくると……」
そう面と向かって言われたのです――と、シャノンはくしゃりと顔を歪めた。
それを聞き、スコットは「やはりあの女か」と、心当たりが正しかったことを確信した。とある侯爵夫人である。もちろん豊満な胸の持ち主だ。彼女と最後に会ったのは、もう半年も前のことであり、その時別れ話(元々付き合っているわけではないのだが……)をし、双方納得の上関係を清算した。
そもそも彼女は、愛人には事欠かないのである。
夫の侯爵は清廉潔白な気品漂う人格者であり、王の信頼も篤く、彼のことを尊敬している者は多い。
五年前に娘ほど年の離れた奥方と再婚したのだが、その奥方は夫の前では万事控えめで清楚な淑女の仮面を被っていた。そして夫が居なくなるとその仮面を外し、夫を慕ってやってくる若い貴族の青年を、己がベッドへと誘う性に奔放な女性だったのだ。なのでスコット一人いなくとも、彼女のベッドが冷えることはないのである。
「それにわたくし、知りませんでした。スコット様が、その、色々な方とお付き合いされていたのを……」
過去の自分を絞め殺したい――スコットは心中で己を罵倒し、彼女を安心させるためにはどうしたらいいのか、物凄い速さで考えた。だが、これだという案は浮かばず、ここは誠実に、己の想いを言葉にして伝えるしかない。
スコットはシャノンを長椅子に座らせると、自分はその横に腰を下ろし、彼女の華奢な白い手を取った。そして想いをこめて、その甲を撫でる。ぴくん――と、シャノンの指が反応したのを良い方へ解釈した。彼は指と指の間に己が指を滑らせ挟むと、するりと優しく撫で引いた。ちろりと彼女を見れば、頬を朱に染め瞳を潤ませている。嫌がっていない。もし嫌なら、こんな顔をしないはずだ。
シャノンは自分を嫌っていない――そのことはスコットを安堵させ、気持ちに余裕をもたせてくれた。
「過去、私が関係を持った相手は、貴女が言うように一人や二人ではありません。ええ。ええ。貴女はそれを不潔と思われるでしょうが、これはどうしようもない事なのです。ですが貴女への想いに気づいてからというもの、私は誰ともベッドを共にしていません。本当です。それに婚約してからは、毎朝屋敷内の礼拝所にて今までの己を所業を懺悔し、貴女に相応しい男になると神に誓っています。ですからどうか、私との結婚を取り止めるなどと言わないで下さい。シャノン……ああ、シャノン。私は貴女を愛しているのです。貴女と共にいたいのです。ですからどうか私を信じて、私の妻となり、子を儲け、幸せな家庭を作り、同じ墓に入ってください。お願いします」
深々と頭を下げるスコットに、シャノンは困惑を隠せない。彼女とて彼との婚約を破棄し、結婚を白紙に戻したくはない。
けれど彼と関係した相手を知るたびに、あまりにも自分が幼すぎて嫌になる。スコットを、信じられなくなる。彼と関係した相手を、ズタズタに引き裂きたくなる。嫉妬でおかしくなりそうなのだ。
それにこのままでは結婚しても幸せになどなれない。常に心のどこかで夫を疑う嫌な妻になってしまう。自分にだって矜持がある。嫉妬深い醜い女になるくらいなら、その前に別れてしまった方がまだマシだ。
でも、やはり、彼を諦めることなどできない。スコットが……スコットのことが好きなのだ。彼と一緒にいたいのだ。
シャノンは大きく深呼吸をすると、居ずまいを正し真っ直ぐスコットを見た。彼の瞳が不安げに揺れているのが見てとれて、彼が嘘を言っていないと安堵した。だが、それだけではダメだ。信じられない。
「スコット様」
「はい」
「わたくしを愛しているというのなら、その証明をしてくださいませ」
愛の証明――その言葉に、スコットは目を丸くした。




